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十三話目 偏見少女サソリ

いつの間に入ってきたのか。サソリが教室の真ん中で神部の足を狙っていた。

気付いた蓮村が声を上げたので神部は間一髪避けることが出来た。

ふと、蓮村は振り返る。

場木の黒ソックスを降ろしてみた。場木は虚空を見つめながらぶつぶつ唱えているので足に蓮村の蹄が触れようが構う様子がない。

あった。黒いアザが白い皮膚に滲んでいる。

「気をつけなさい。そのサソリに刺されると幻聴が聞こえるみたい」

そうかよと神部は右足を振り上げた。彼女は話を聞いていたのだろうか。

上から踏みつける。しかしサソリの尾は長い。足の甲の上を伸び、足首に先端が食い込んだように見えた。ハサミだって足の指を狙っている。コンピュータ教室は土足禁止どころか上履きすら履かない。学校指定の薄い黒ソックスで何が守られるというのか。

神部の無謀な行為にどう対処すべきか悩んでいると、溶けかけているのが見えた。サソリの方が。

「生憎。陽幸のコツなんて何となく分かってんだよ」

ねじるように踏みつける。

サソリは人のように苦しげな声を上げた。

むくむくと巨大化する。そうして人の背中が見える。どうやら神部が踏みつけた場所から同心円状に変化している様だ。

そして俯せに押さえつけられている少女が現れたとき、神部は一度足を放した。背中には酷い火傷を負っている。

「無礼者。わらわをクリミナトレスと知っての狼藉なのだわ? 足蹴にするなんて、何を考えているのだわ? そなた、頭わいてるのだわ」

高級そうなワインレッドのドレスに包まれた幼い少女は、あどけなさの中に芯を感じる。冗談の通じなさそうな顔だ。

もう一度神部は足を降ろす。今度はそろりと相手を気遣うように。

「無礼者! 人の話を聞くのだわ。ああ、そうなのだわ。人の話を理解できない悲しい人なのだわ」

元気よく反応するが、今度は溶けるような痛みを感じていないらしい。神部は陽幸の使い方を、相手が苦しまぬ程度に弱める事も心得ているようだ。


「無量さ、勘弁してくれよ!」

安佛の叫び声が教室に響く。

見ると、無量の腕に着いた巨大なハサミと安佛が組み合ってにらみ合いをしている。

「最低な人。死ねば良いんじゃない」

さげすみの目で安佛をなじる。

「何なのさ」

身に覚えのないことで責められ、参っているといった様子。

安佛もそうだが、雁瀬先生の方も早く助けなければ。

「その、あなた……が、仲間割れをけしかけたの?」

蓮村が問うと、彼女はまたも怒り出す。

「無礼者、わらわをなんと心得ているのだわ。クリミナ王女と呼ぶのが妥当なのだわ」

呼び方まで指定するとは、面倒臭そうなお人だ。

けれど質問には素直に答える。

「わらわは真実を伝えただけよ。怒りを抱き、襲いかかったのは聞いた人が暴力なんかに頼る愚かな人だったのだわ」

クリミナトレスは至って静かに蓮村を見ていた。

「わらわの毒は真実が聞こえる薬なのだわ。人なんて、建前で覆い隠された醜い存在なのだわ」

吐き捨てるようにかの王女は言った。

「王女、様。暴れている上向くん達を一刻も早く止めたいの、何か方法はありませんか」

口調だけ下手に出るように、蓮村は助けを求めた。

ちらりと確認する。

無量は安佛と阿戸鳴が何とか止めている。

場木はまだ幻聴と格闘中だ。上の空の状態も怖い。

そして上向。雁瀬先生はまだ負けていない。

蓮村の視線を追って刺した者の反応を見ていた王女だが、上向達の方を見て叫び声を上げる。

「愚か者! 何を持っているのだわ」

王女の罵声を聞いて、組み合った上向と雁瀬先生が彼女の方を向く。

「それはわらわの父上の重要な書なのだわ。あの気に食わぬ呪術師の言動についての本であろうが!」

それを持ち出すばかりかこんな無残な姿にするなんて。王女の怒りゲージがみるみる上がっていくのが目視で分かる。

王女の父親なのだから王の書物ということだろう。凄い物を持ち出していたらしい。

彼女の威勢に気圧されて、とっくみあいをしていた二人はその場でたたずまいを正し、固まっている。

「何をしている、愚か者。さっさとその書を元の場所へ返してくるのだわ」

「え、何この子なに?」

防戦に必死で今までのやりとりなんて聞こえていなかったらしい。いきなりの事に雁瀬先生すら呆気にとられ普段のマイペースさを失っている。

「この城の王女様らしいです」

「らしいではない無礼者。わらわこそ、王女クリミナトレスなのだわ」

神部の足の下でばたばたと暴れる。

神部の方もこりゃ参ったねと言いたそうに肩をすくめていた。

「クリミナトレス、蠍座の亡者だね」

上向が我に返ったのか、きょろきょろと教室中を見回している。襲いかかってくる者がいなくなったおかげで雁瀬先生は分析に回ることが出来た。

「無礼者。敬称をつけるのだわ」

そしてその分析はいつものように正しい。

「正確には王女の亡者なんだろ?」

不満を言い表すようなムッとした顔で、雁瀬先生の問いに頷く。

「よって、王女と呼ぶが妥当なのだわ」


サソリ王女の毒は暗示や催眠術の類の効果があったらしい。

上向は王女の大声で目が覚め、我に返った。外にいたはずなのにいつの間にか教室の奥にいたと認識しているらしく、若干記憶が飛んでいる。

場木と無量は耳元で大声を出して起こした。

我に返った無量など、いきなりハサミの力が抜けて抵抗していた安佛がうっかりハサミを間接で折るところだった。

クリミナトレスが神部に捕まっている以上もう大丈夫だとは思うが、場木と無量は奥に避難している。

やはり全身に陽幸を溜めることをおすすめしたいが、亡者の術から守れても亡者自身からは逃げらるわけでもない。少ない陽幸の使い方について二人で相談している。


「その忌々しい紋章を見せつけないで欲しいのだわ」

廊下際の椅子に座らせたところ、パソコンの画面は遠くにあるにもかかわらず体を背ける。

「体が溶けるのだわ」

少女は酷く不満そうだ。

「本のことは申し訳ありません。記憶がないから、何ともいえないですけど」

上向は謝った。分厚い表紙はむごい爪痕を残している。中の被害もそこそこといった様子だ。

「その本を近づけるべきでないのだわ。紋自体が見えていなくとも変な力が渦巻いて飲み込まれそうなのだわ」

ううっと威嚇されてしまう。

「あの呪術師め。まったくもって忌々しいのだわ」

ふっくらした顔に嫌悪のしわが寄る。

「あなたの城、一体どうなっているの?」

蓮村が伺う。

「わらわは城のことなど知らぬ。詳しい事は父上か母上に聞くのだわ。言っておくがわらわと同じように兄も頼りにならぬのだわ」

こんな少女に期待は正直していなかった。ただ、と王女は話を続ける。

「呪術師が来てからどんどん人が減ったのだわ。今はわらわ達王族の抜け殻と愚かな呪術師しか居ないのだわ」

つまらなそうに少女は視線を落とした。

「呪術師って言うのはさ、マレフィキのことだよな」

「少し違うのだわ」

安佛の問いに王女は答える。

「マレフィキの元になった山羊座の人間が居るのだわ。元々この城には居なかったのだが、城をもっとよくするため尽力したらしいのだわ」

そして、当時の王族は不老不死になり永久に繁栄する。はずだった。

「何の手違いかは知りはしないが、本体は消えてしまい、抜け殻だけが今も不老で居続けているのだわ」

全てに飽きてしまったような遠い目は少女には不相応だった。

「呪術師が来る前は食事なども楽しんだが、ここしばらく楽しい食事などない。それどころか随分前から食べるものがなくなっている」

王女は教室を見回した。

「人が現れたと聞いたとき、食事が出来ると憂鬱になった」

四足で這っている上向を見下ろす。

「影の中でぼんやりしている者が居たから襲ってみたのだわ。けれど今、その食事に捕まって、わらわは食べ方を忘れていることに気付いたのだわ」

一度目を閉じた後、その目はもう一度上向を捕らえる。

「陽幸を纏っていようと影に包まれては隙も出来る。人間には勧められない行為なのだわ」

身を案じてくれているらしい。

「頼まれるのだわ。扉を開けるのだわ」

顔でそばの扉を指し示す。安佛が従った。

薄明かりの外を見ると体を反り、にっこりと笑った。

「あの頃のように甘い物を楽しみたいのだわ」

その挙動に違和感を感じた。

溶けている。

自らの意思で、かの王女は太陽の光の中、消えようとしていた。

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