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十一話目 夜中の疾走劇

月明かりのない中庭は非常に暗い。しかし標的の白い体は少ない光を拾い集めて反射する。

神部は走っていた。人の姿をしたマレフィキは茶色の服が体を隠すせいで闇夜に溶けていたが、そこは足に自信のある神部、たかが亡者ごときに振り払われたりはしない。

ぐんぐん追い上げもう少しで手が触れるといったところで、マレフィキは山羊の姿に変わった。

白い上半身は言うまでもなく、鱗の下半身も光をテラテラ跳ね返すので先ほどまでとはうって変わって非常に目立つ。

しかし、あの滑稽な体には似つかわしくない驚くべき跳躍力で、あっという間に距離が離れはじめる。

すぐに見失うことはないが、こうなっては普通の手段で追いかけることが出来ない。

この足に変わる良案などないが、諦めきれず追いかけていた神部に大声が響く。

「神部、歯あ食いしばれー」

後ろから派手な足音と共に声が聞こえた。

言葉の意味が分からず一瞬思索を巡らす間に、神部の体は後ろに引っ張られ、宙に浮いた。

怖ろしいまでの感覚に、思わず絶叫する。

少し叫んだら、体が慣れたらしく叫びは治まった。

「あの遠くで跳ねてるのがマレフィキだよな」

阿戸鳴が駆けつけたのだと、彼の小脇に抱えられながら気付いた。

あのような言い方をされたものだから神部は殴られる事を予想したが、阿戸鳴の方は揺れるから舌を噛まないように気をつけろと言いたかったのだろう。とっさの一言というのは解釈が難しい。

同じリズムとはいえ上下の揺れが酷い。固定が緩すぎることもある。こんな酷い揺れは絶叫マシンでも味わったことがない。

ろくに返事が出来ないまま、がくがくと首を揺らす。神部は楽しくもないのに笑いが止まらなかった。

そうこうしているうちに、みるみる白くぼんやりとした姿が近づいてくる。

阿戸鳴の速度はマレフィキを上回っていた。


阿戸鳴の腕が押しつけられる腹と姿勢のせいで血が上った頭が酷く痛む神部の脇を山羊の姿が後ろに通り抜けた。

マレフィキの驚愕した顔がぶれる視界の中に見えた。しかし一瞬で黒々とした馬の尻に覆われてしまう。

阿戸鳴が後ろ足で山羊を蹴ったのだ。

宙を舞う山羊もどきの姿からその強烈な勢いが知れる。

減速した阿戸鳴は急いで体を反転し、目を回したマレフィキの側に来て止まると抱えた神部を降ろした。

神部は振動と速度による恐怖から笑いが止まらない。千鳥足で下卑た笑い声を上げながら、倒れているマレフィキの様子を伺った。そんなつもりはないのだがすごみがある、まるで三下悪役。これから一方的に理不尽な条件でも突きつけに行くような姿だ。


一方で気を失ったマレフィキは右肩の辺りが変形している。確認するまでもなくここに阿戸鳴の蹄が直撃したのだろう。真っ白な体に黒いアザが広がる。おそらくもう前足は使えない。

「ざまあないな」

神部は座り込み、山羊の左足首を握った。

触れられたのが感覚で分かったのか、山羊が薄目を開ける。

「ああ、放して」

力無い言葉が紡がれる。

「やなこった」

握った場所から焦げるような音がする。じわじわと苦痛に耐える山羊は声を漏らす。

昨日今日と、こいつには溜まった恨みはあるものの、その悲痛な叫び声は聞くに堪えないもので、うっかり手をゆるめそうになる。

「おい、マレフィキ」

阿戸鳴が呼びかけると、弱りきった官能的な顔を傾ける。

対して、阿戸鳴は足を折りたたみ視線を下げてきた。

「おまえらのこととか俺らのこととか、いろいろ聞きたいことがある」

答えるかと聞いたところでかすれたうめき声しか返らない。

「この状況じゃ俺ら、拷問してるみたいで気持ち悪いな」

眉を寄せながら黙って腕を掴んでいた神部も同意する。

突然阿戸鳴は制服のシャツを脱ぎだした。タンクトップシャツの貧弱な体をさらす。

神部とマレフィキが二人して驚いていると、脱いだシャツをマレフィキの腰に回して結び、腰紐の端となった袖口を握った。

意味を察した神部がゆっくりと手を放す。

マレフィキは何をしているのか意味が分からないといった様子で首を上げて、見上げていた。

「山羊、お前が知ってること教えろ」

優しく声をかけたが、山羊は右肩の痛みをこらえながら嘲笑を浮かべた。

「生け贄の人間風情が面白いことをおっしゃいます」

途端、先ほど情けをかけたことを忘れたように神部が殴りかかる。大して動けないくせに、マレフィキは避けた。

このアマやっぱり許せねえ、など恨めしげな視線を送る。

「落ち着きなよ神部」

マレフィキを逃がさない為の紐を握りながら、神部をなだめる。

忠告され、口をとがらせながらも口調は落ち着いた。

「そんで、エサに捕らわれた捕食者さん。どうしてオレらは変身したりするんだ?」

「……良いでしょうお教えしても」

神部の言う皮肉が気に入ったのか、嘲笑を止めない山羊。

「あなた方が人間離れなさいました理由ですが、この城にかけられた大がかりな法のせいにございます。本来であれば亡者(私たち)の方こそ副産物なのですが、王までも亡者のみが残る今、大切なのは(亡者)のみにございます」

左足のみで立ち上がろうとするが、阿戸鳴が紐を引くとあっけなく体を崩してしまう。

申し訳なさそうに紐を握りしめていた。

「弱者でも強者になる方法はございます、その理由は私が法を仕掛けた側になるからでございます。この城のルールを私が握っているからでございます」

山羊特有の細い黒目が見透かすように二人を見つめる。

「よって、あなた方はいくら強者であっても最後には王の前へひれ伏すはずなのでございます」

嘲笑は高笑いに変わる。

動くこともままならない相手だというのに、その言い分の大きさに圧倒されていた。


鈍い音が鳴った。

神部が平手打ちをしていた。

音も衝撃も毛皮で薄れていたが、避けなかったマレフィキには神部が触れただけでも被害が出る。

毛皮は黒く焦げていた。その部分から輪郭が溶けていく。

「何故、何故今」

山羊は大きな目を見開き、叫び声を上げる。

「嘘、いつ覚えたというの。こんなことありえるはずが」

天を仰ぎ慟哭する様は見ている側にすら寒気を与える。

「お前のせいだ、お前のせいだ。お前が、怒りを持たず、手など使うから……」

両の目から涙を流し、神部に訴える。下半身は暴れ回り、するりと腰紐を離れた。

左の前足も、右の肩口も闇に溶けていく。


「一つだけ、伝授いたしましょう」

人の姿をとりつつあったマレフィキの爛々と輝いた恨みの目が瞬きの後に冷静さを取り戻す。

「あなた方の最大の武器は、手でございます。多くの人は手をよく意識する分、陽幸が溜まりやすく、同時に打ち出しやすくなってございます」

こんな時にアドバイスが来るなんて思ってもみなかったので、至って素直に各々両手を覗く。

「あなた方なら、この呪いを解けるやも知れません。法の根源さえ気付く事ができれば、きっと」

どんなときも使えるようにお気をつけて。

そう言い残すと、穏やかな表情で目を閉じ闇へと還った。


中身が抜けたせいで力無く地に落ちたシャツをほどいて着ると神部に手を伸ばした。

「戻ろう。この暗がりじゃ危ないし乗りなよ」

しゃがんだままの体勢で待っていると、重みがかかった。

乗りかかったのは分かったが、あまり頼ってくる様子がない。阿戸鳴は出来るだけ揺らさないよう気をつけて歩き始める。


「これで当分、襲いかかってくる奴はいないよな」

マレフィキは消えた。姿を消しただけとかではなく、消えたのだと思う。

最後の落ち着き払った様子が、声が、まだ耳に残っている。

「今更だが、マレフィキはそんな悪い奴でもなかったんじゃないか」

背中で呟かれた。

「なにいってんだよ」

「あのアマ、なんだかんだ言って教えてくれたし。それに、本気出したら簡単にあのおマヌケな拘束なんかすぐ解けたのに、大人しく捕まっていやがったろ?」

マヌケと言われてムッとなるが、言い分には納得する。

「あいつにも色々思うことがあったんだろうな。んで、一個諦めがついたから別の方に傾いた」

きっと自分が生きて達成すべき事と、他の人にも託すことが出来る達成すべき事の間で矛盾が生まれていたんだろうなどと空想で話を続ける神部の言葉を黙って聞いていた。

「マレフィキとはもっと別のことが襲ってくんじゃないかな」

見解の締めの言葉に、阿戸鳴は返事をした。

「手を使って、陽幸とやらを放てばいいよな」

「やっぱそう思う?」

陽幸という言葉が何を意味しているのか相談しながら、暗闇の中広すぎる廊下を伝い、教室まで歩いた。

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