汗と涙と血の披露宴
よく晴れ渡った気持ちのよい日だ。まさにお祝い事日和である。
とある真っ白な建物の前には普段ではとうていありえない人だかりが出来ていた。そこにいる者達の殆どが人間ではない。エルフ、ハーフエルフ、天使に謎の生命体、はたまた魔族まで幅広い。
「あー、いい天気だよなぁ」
「結婚式日和だよな」
「まさか勇者が結婚するなんて!」
三人の魔族の男は全員信じられないといった感じで首を振る。
「勇者のクセに生意気だ!」
「俺たちだって相手なんかいないのに!」
「大体女が少なすぎる!先代の神は何考えてたんだ!」
「……お前たち、神様を愚弄するつもりか?」
三人は背後から聞こえてきた声に飛び上がる。神の狂犬だ。いまやリードが切れて飼い主不在の狂犬ミカエル……。
三人はミカエルを振り返ると冷汗を流しつつ慌ててぶんぶん首を振った。
「冗談じゃない!」
「可愛い女天使でも創って欲しいなーと思ってな!」
「あー、神様!早くご復活を!」
三人の言葉にミカエルが納得したように頷き、謎生命体アダムを連れて去っていく。その背中を見送りながら胸を撫で下ろす。三人の内の一人がポツリと呟いた。
「いや……でもホント神様復活したら女の子創ってくれないかな」
「だよなぁ。魔族の女は気が強すぎる!エルフの女は高慢ちきだ!ただでさえ少ない女の中からどう選べと!」
それをそばで聞いていた魔族の女が三人を鋭く睨んだ。
彼女の射殺さんばかりの視線に三人は震え上がった。彼女はふんっと嗤うとその場を立ち去る。
その時、彼女を見送る三人の横をすり抜けていった魔族の男がいた。アスタロトだ。彼は三人にすれ違いざまに言う。
「結婚など人生の墓場だぞ」
三人の魔族は颯爽と歩いていくアスタロトの後ろ姿を見つめる。急に怒りが湧き上がってきた。
「なぁにが、人生の墓場だ!魔界でも五本の指に入るモテ男が!」
「ただでさえ少ない女たち独占してるクセに!」
「アスタロト様め!」
相手は魔界でも指折りの実力者なので、これ位しか言えないのが悲しい。三人は深々とため息をつくと、また呟いた。
「早く神様復活してくれないかな」
シェイドは花婿の控え室でルクスと魔界からの客人ベリアルの相手をしていた。
結婚式は身内だけでやって、披露宴は皆を招いて盛大に行なうのだ。今結婚式を終え、これから披露宴となる。
ベリアルが窓から外を見て笑った。
「それにしても、物凄い招待客の面々ですね」
シェイドは苦笑いで頷く。ここ数年のウロボロスの活動で魔族にも顔見知りが増えてしまった。あれを呼べばこれも呼ばねばでどんどん客人が増えていったのである。
「レイア殿の親族は大丈夫なのか?」
人外の巣窟状態になった花婿側の招待客に、普通の人間ばかりの花嫁側はどう思っているのかとルクスが心配そうに訪ねた。シェイドは頷く。
「んー。まあ、多分。勇者だし、で片付けてもらってる。それにほら」
シェイドが窓の外を指差した。そこにいるのは花嫁レイアの父親と一人の魔族。
「あれはマモン様」
ベリアルが驚いたように言った。魔王の一人であるマモンとレイアの父親は談笑している。
「ほら、彼女の父親は商人だから」
シェイドの言葉にベリアルとルクスが納得した。
マモンは強欲を司る魔王であり、魔界きっての商人でもある。レイアの父親は火と水の大陸でも有名な豪商だ。
「魔界とも商売するって意気込んでてなぁ……」
ルクスは笑った。まさかそんな日が訪れようとは、と。そしてルクスは今日まで少し気になっていたことを聞いた。
「そう言えばシェイド殿。レイア殿には何と言ってプロポーズしたのだ?」
このにぶちんな勇者のこと。そればかりが気がかりであった。そもそも二人はシェイド言うところでは『いい感じ』であったが、付き合ってすらなかったのだから。
ベリアルも興味津々といった様子で聞いている。
そんな二人にシェイドは言った。
「ん、ああ。とりあえずミカエルに転移で連れて行ってもらって……。俺も慌ててたからさ、部屋に入るなり『結婚してくれ』と」
なるほど、と二人は頷く。まあ、ここまでは及第点だ。
「そうしたら彼女が驚いて、何故と」
まあ突然プロポーズされればそうだろう。その前に愛の告白もなにもなかったのだから。
うんうんと二人は頷いた。問題はこの先だ。
聖職者のくせに女に困ることのない美坊主ルクスと魔族では珍しい妻子持ちベリアルは知っている。この先がシェイドの今後を決めることを。
「だから、『急に思い立って』って言ったんだ」
「はい?」
ルクスは絶望的な気分になった。己が危惧したように、このにぶちんはやってしまったのだ。
きょとんとしているシェイドにベリアルは意味深な笑みを浮かべ言った。
「失策ですね。勇者」
「へ?」
「あなたは女という物を甘く見過ぎだ。いや女以上に恐ろしい妻という存在を!」
「いや、その……」
「きっと貴方は今後死ぬまで、そのプロポーズについて妻からチクチク嫌味を言われるに違いない。女というものがどれだけ夢見がちか分かってない」
「そ……そこまで?」
シェイドは冷汗をだらだら流している。ルクスはきっぱりと言った。
「大体お二人は付き合ってすらなかっただろう。それなのにその有様……。断られなかったのは、もはや神の奇跡!フィアに感謝されよ!」
「ええ。死ぬまで言われるでしょう。貴方は愛の言葉ひとつささやかなかったと。ムードもロマンもへったくれもないプロポーズに夢を壊されたと」
「恐ろしいこと言うなよ!」
「おや、勇者はご存知ない?」
「結婚とは妻とはこの世でもっとも恐ろしいものだ」
だから私は結婚しない、と言うルクスにシェイドは冷汗が止まらなかったのである。
テーブルについたルシファーは周囲を見渡した。やはり魔族の割合が多い。
会場には魔界テレビのクルーまでいる。
彼らはコキュートスチャンネルでやっている人気番組『追え、勇者の珍道中!』の撮影で来ているのだ。結婚を機に勇者が引退するため、今回で魔界きっての人気番組は最終回である。勇者が旅立ったその日から彼の旅路を追ってきた番組であり、勇者は魔界のお茶の間のアイドルであった。
「やっぱり、魔族多すぎだろ」
ルシファーの一言に同じくテーブルのベルゼブブが頷いた。
「そうですね。ですが、ルシファー様……先ほどのあれはどうかと思いますよ」
席につく前、ルシファーとベルゼブブは二人で花婿の控え室にまで挨拶に行った。その時の事だ。
紙に描かれた席次を見てルシファーが言ったのだ。
『それにしても、お前側の招待客に人間がほぼいないじゃないか。お前、人間の友達いないのか?』
衝撃を受けているシェイドの表情にこれは図星だとベルゼブブは慌てた。そして己の主君の口を手で塞ぎ、引きずってその場から連れ出したのだ。
いくら真実であったとしても……いや真実だからこそはっきりと言ってはならない。
その時、同じテーブルのアザゼルがルシファーとこれまた同じテーブルのアスタロトに尋ねた。
「そう言えば……ルシファー様、アスタロト様。例の一件は?」
「ん、ああ。あれか!」
「何というか……有耶無耶なまま終わったが、一応誤解は解けた……様な気がする」
アスタロトの言葉にアザゼルは首を傾げる。
無事シェイドの結婚が決まった後ひとつ問題が起こった。それはフィアの事だ。
花嫁レイアとレイアの父親はフィアに会った事がある。それだけではない。二人はシェイドとフィアが親子だと思い込んでいたのだ。
流石にこれは誤解をとかねばならないとなったのだが……。シェイド本人が否定すればするほど怪しいだけである。
だからと言ってややこしく倫理的にも色々と問題のあるフィアの出生の真実を彼らに話すのも憚られた。その結果、誰か魔族がフィアの父親だということにしようとなったのだ。
最終候補として残されたルシファーとアスタロトは熾烈な押し付けあいとなった。
ルシファーの方が似ているが、自分は力の一部を与えただけだと言い逃れる。それに対するアスタロトは……。
「大体、あのろくでもないエルフの女と関係をもったのは貴方様のご命令あってのことですよ。その上、父親役なんて押し付けられても困ります」
フィアはエルフのクローディアとアスタロトの間に出来た胎児を喰らい吸収して生まれている。
だからお前が父親でいいだろう、と言うのがルシファーの言い分だ。
その時話し込む彼らの背後から声がした。
「ちょっと、ちょっと!酷いなぁ。仮にも人の妹をろくでもなし呼ばわりなんて」
そこにはエルヴァンが立っている。彼は自分の席へと行く途中にルシファー達の会話を聞いてしまったらしい。
エルヴァンはクローディアだけでない、フィアのエーテル体の元になったフィアレインの兄でもある。
そんな彼にアザゼルが言った。
「はぁ?あんたら三兄妹は、俺たちが天使時代から有名だぞ。暗黒三兄妹ってな。研究狂いの兄、戦闘狂の妹その一、男狂いの妹その二!」
「何その変なあだ名!ま、いいけど」
「いいのかよ……」
「で、随分面白い話してたね。結局誰がフィアの父親ってことになったの?」
「だから有耶無耶だ。一応説明に行ったのは私だが……。権力には逆らえん」
アスタロトのうんざりした様子に一同が笑いだした。シェイドと二人、花嫁とその父親の元で説明している姿を想像したのだ。
「でも、有耶無耶って?」
エルヴァンの問いにアスタロトが答える。
「ルシファー様と私、どっちか分からんと。その辺は誤魔化し、あとは複雑な親子関係であの神が幼いながらに苦労し、勇者と出会い、親子同然の関係になったと……」
「なるほど。論点すりかえて、お涙頂戴の話にしたんですね」
「アザゼル、人聞きの悪いこと言うな」
貧乏くじを引かされたアスタロトは深々とため息をつく。だがそんな様子をベルゼブブが嗤った。
「お前もたまには苦労しろ。いつも調子良く嫌なことは避けて生きているだろう」
「ベルゼブブ様、もしかして私に恨みでも……」
「その世渡り上手さが腹立たしいだけだ。魔界では、いつもいつも厄介ごとを押し付けられるのは私なのだから」
恨みがましい目で見られ、アスタロトは冷汗を流した。
招待客がほぼ席につき、披露宴は始まった。
早速見事な料理が運ばれてくる。
雛壇で話す司会の声を聞き流しながら、グレンはテーブルの上の料理をせっせと食べていた。そんな彼に同じテーブルのゼムリヤが声をかける。
「そういや、勇者は引退後なにやるんだ?」
「んー。手伝える限りはウロボロス手伝いつつ、お菓子屋やるって」
「菓子屋か。似合わんな」
ゼムリヤの感想にテーブルの者がみな噴き出す。確かに勇者とお菓子、似合わない。
「でも、勇者君は子どもの扱いに慣れてるからいいんじゃない?」
エルヴァンの言葉にそれもそうだとゼムリヤが頷いた。
あの神様の面倒を見れるくらいだ。問題ないだろう。
グレンはそんな事よりも気になる事がある。
「そんな事よりさぁ。嫁さん、家事とか出来るのかな。大金持ちのお嬢様だろ?使用人雇うのはシェイドが嫌がりそうだし」
「え、ああ!勇者君は自分が家事やるって言ってたよ」
エルヴァンの一言にその場の者が絶句する。ゼムリヤがぼそりと呟いた。
「勇者……主夫か」
その話が聞こえたらしい。隣のテーブルでルシファーたちが『主夫勇者!』と爆笑を始めた。
「そりゃ確かにシェイドが全部やったほうが手っ取り早いのかもしれないけど」
グレンは顔を引きつらせる。
だが、それならば嫁は何をするのだろうか。どう見ても箱入り娘。家事はもちろん、店の手伝いも出来なそうだ。
そんなグレンに今まで黙って隣に座っていたルクスが言った。
「シェイド殿はすでに尻に敷かれることが定められた身……主夫ごとき騒ぐまでもない」
グレンはルクスの言う意味がよく分からない。だが尻に敷かれるという一言に身震いした。
何て恐ろしい。
だから結婚などごめんなのだ。
自分の家系は女が異様に強く、男は皆尻に敷かれている。祖父の世代からそうなのだ。これはもはや血の呪いである。
グレンは決して自分は結婚などするものか、と心に誓いウェディングケーキに入刀する花婿と花嫁を見つめた。
シェイドは巨大なウェディングケーキを見上げ思わず叫んだ。
「でかっ!」
何だ、この巨大なケーキは。
確かに見事なケーキなのだが……いくらなんでも大きすぎる。ちなみにこれはアダム渾身の作だ。当然チョコレートケーキである。
それを見上げていたシェイドの視線が緩む。
チョコレートケーキの上のほうに自分たち勇者一行を象ったチョコレート人形が飾ってある。かなり精巧な人形だ。
そしてケーキの一番上に飾られているのは……。
「なぁ、あのお子様神様のチョコレート人形でかすぎじゃないか?」
ルシファーがそれを見上げて呟いた。
別のテーブルではルクスとグレンがこそこそと語り合う。
「一番フィアが大きいな」
「普通、こういうとき主役の人形をてっぺんに置くもんじゃないの……?」
「まあ作ったのがアダムだしな……」
「僕たちよりフィアが大きいって」
「しかもあれじゃあ誰が主役か分からんな」
その時音を立てて椅子から立ち上がる者がいた。会場の全員が彼に注目する。ミカエルだ。
「尊い神様のお姿が一番小さいなど、あってはならぬ話だ!」
慌ててルシファーとベルゼブブがミカエルを座らせようとする。
「ミカエル、恥ずかしい。よせ!」
「何が恥ずかしい?神様の偉大さを表現したケーキ、さすがはアダム素晴らしいぞ」
「わかった、わかったから」
無理矢理ミカエルは座らせられている。
「僕たち、あいつと同じテーブルじゃなくて良かったね」
「全くだ」
グレンとルクスはため息をついた。
ケーキ入刀も終わり、まさに宴はたけなわである。
みんな酒も入っていい気分だ。そんな時、酔っ払った魔族同士で諍いが起こった。
それも魔王同士で、である。
シェイドは雛壇の上で顔を引きつらせていた。こんな所で魔法など使われたらたまったものでない。
魔王同士の戦いを止める術は勇者であっても人間の自分にはないのだ。
だが、救世主が現れた。
「お前たち、いい加減にしないか!」
魔界一の常識人ベルゼブブである。彼はテーブルを強く叩き立ち上がった。
その時、あまりにも強く叩いたせいだろう。テーブルが壊れ、傾き始める。
「りょ……料理が!」
ルシファーは壊れ傾いたテーブルから落ちていきそうな皿をタイミングよくキャッチした。手だけでない。足まで伸ばして皿を受け止めている。
ベルゼブブはテーブルなど見向きもせず、すでに迷惑にも掴みあっている二人の魔王の元へ駆け出した。
「さ、酒!酒が!」
「大丈夫です、ルシファー様!」
「よくやった、アザゼル!」
「アザゼル、お前なにをしている。手伝わんか!」
ベルゼブブの叫びに慌ててアザゼルが駆けて来た。
揉めている二人のテーブルまわりはグチャグチャだ。魔王だけでない。彼らの連れまで加担している。
ベルゼブブは舌打ちすると二人の間に入った。その時のことだ。
「危ないから、避難しておけ」
きゃあきゃあと女たちが騒いでいる。ちらりとそちらを見たらアスタロトが近くの席の者達を避難させていた。
ベルゼブブは理不尽な怒りがこみ上げてくるのを感じた。だがその時、自分に命じられ喧嘩する者達を止めている魔族たちから不満の声があがる。
「なんだよ、アスタロト様。一人いいところ持っていって!」
「死ね、アスタロト!」
口々に出てくる呪詛。ベルゼブブは思わずにやりと笑った。
そうだ、そう思っているのは自分だけでないのだ。
爆発しろ、アスタロト。
掴みあっている者達を掴み投げ飛ばす。間違ったふりをしてアスタロトにぶつけてやろうかとベルゼブブは真剣に考えた。
シェイドはやっと終わった波乱万丈な披露宴にぐったりしつつ、招待客を一人一人見送った。花嫁側の招待客には特に丁寧に。
視界の端に、会場の主へと頭を下げている者たちが見える。ルシファーを始めとする七人の魔王が深々と頭をさげて謝罪していた。
会場の主は顔が引きつっている。
それはそうだろう。魔族のそれも魔王に全員並んで頭など下げられたくない。悪夢だ。
メフィストフェレスとルキフグスロフォカルスが何か入った袋を手にルシファーに駆け寄る。シェイドは首を傾げた。彼ら二人は仕事で来られないと言っていたのだ。
だがルシファーがその袋を会場主に渡させたことで、悟る。
あれは金だ。魔界から持ってこさせたのだろう。
それにしても、とグチャグチャになった会場を見渡してシェイドは思う。
人間の友達がいないだの、今後の夫婦関係についてだの、主夫勇者呼ばわりされたり……。
冷汗は出るは、色んな意味で泣けそうで、挙句の果てには流血沙汰。散々だった。
でも、こんなに多くの人に祝ってもらえて自分は幸せだ。
雛壇の上に置かれた大きいフィアのチョコレート人形を見て思う。
早く目をさませ。お前のおかげで幸せだ、と。