不倫相手の名前
第18話「不倫相手の名前」
大輝への追及は、民事だけでは終わらなかった。
梨花への暴言。
麻里子への侮辱。
SNSでの名誉を傷つける投稿。
脅すような言葉。
病院への押しかけ。
それらは一つずつ整理され、刑事事件としても扱われることになった。
*
大津地方裁判所。
大輝は、被告人として法廷に立った。
問われた罪は、侮辱罪、名誉毀損、脅迫など。
かつて総務部で数字を扱い、規則を知る側だった男が、今度は自分の言動を裁かれる側に立っていた。
*
傍聴席には、梨花がいた。
隣に麻里子。
後ろには光博と七海。
少し離れて、一絵と両親の一也、菊江も座っていた。
一絵のお腹は、まだ目立たない。
けれど、そこには確かに命があった。
*
検察官が、大輝のSNS投稿を読み上げる。
梨花を責める投稿。
自分を被害者のように見せる言葉。
麻里子を侮辱した発言。
関係者を精神的に追い詰めた内容。
さらに、録音された怒鳴り声。
病院へ押しかけた記録。
すべてが法廷で示される。
*
大輝はうつむいていた。
だが、梨花には分かった。
反省しているからではない。
追い詰められているから、うつむいているだけだ。
*
証人席に立った麻里子は、静かに話した。
「姉は、何度も“大丈夫”と言っていました」
声は震えていなかった。
「でも、本当は大丈夫ではありませんでした」
麻里子は大輝を見た。
「大輝さんの言葉は、姉の自信を少しずつ削っていきました」
*
次に、梨花が意見陳述を行った。
「私は、結婚生活を守りたいと思っていました」
法廷は静まり返る。
「でも、守ろうとしていたものの中で、私はずっと傷つけられていました」
梨花は大輝を見た。
「私が一番苦しかったのは、不倫そのものだけではありません」
少し息を吸う。
「私の存在を消されたことです」
*
一絵はその言葉に、涙をこぼした。
自分もまた、大輝の嘘の中で踊らされていた。
独身だと信じた。
結婚できると信じた。
お腹の子と未来を作れると信じた。
全部、大輝の嘘の上にあった。
*
裁判の休憩時間。
廊下で、梨花と一絵は初めて二人だけで向き合った。
一絵は深く頭を下げた。
「梨花さん、本当にすみません」
梨花は首を振った。
「一絵さんが知らなかったことは、分かっています」
「でも、私は……」
「私も最初は、名前を見るだけで苦しかった」
一絵は顔を上げる。
「立花一絵」
梨花は静かに言った。
「その名前を見るたびに、胸が痛かった」
「……」
「でも今は、あなたも大輝に傷つけられた人なんだと思っています」
一絵は泣いた。
*
梨花は言った。
「私たちは、憎み合う相手を間違えたらだめなんだと思う」
一絵は涙を拭いた。
「はい」
「大輝が嘘をついた」
「はい」
「大輝が私たちを傷つけた」
「はい」
一絵はお腹に手を当てた。
「私は、この子を守ります」
梨花は小さくうなずいた。
「守ってください」
*
その日、二人は初めて、同じ方向を見た。
妻と不倫相手ではなく。
同じ男の嘘に傷つけられた者として。
*
法廷に戻る前、麻里子が梨花に近づいた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
梨花は少し考えてから答えた。
「大丈夫ではない」
麻里子はうなずいた。
「うん」
「でも、立っていられる」
麻里子は小さく笑った。
「それで十分」
*
大輝の刑事裁判は、始まったばかりだった。
まだ民事裁判も控えている。
離婚も、慰謝料も、損害賠償も、これから本格化する。
それでも梨花は、もう一人ではなかった。
*
次回予告
第19話「眠れない夜」
刑事裁判が始まり、梨花は再び過去の言葉と向き合うことになる。
大輝の暴言。
SNSの投稿。
壊された日々。
夜になると、記憶が押し寄せて眠れない。
一方、一絵もまた、妊娠中の不安と裁判の重圧に苦しんでいた。
次回、
第19話「眠れない夜」
傷は、裁判が始まってもすぐには癒えない。




