2-9 生還記念祝賀会
王都でも一番の格式を誇る大宴会場は、華やかな装飾と、豪華絢爛な衣装に身を包んだハルドール公爵家一家が優雅に夕食を楽しんでいた。
そんな宴会場の様子を二階から見下ろしていたヒーアリックはというと、青ざめた顔をしている。
父の涙ぐんだ手紙から一週間。とうとう、今日というこの日がきてしまった。
『ハルドール公爵家主催・ヒーアリック卿無事生還記念祝賀会』
「ヒーアリック様。そろそろ宴も終盤です。間もなく大公爵様の朗読会が始まります!」
忠義に厚い老執事ウォルターは、満面の笑みを浮かべてヒーアリックに声をかけた。
「……行きたくない……」
「はい? 何とおっしゃいましたか?」
「……行きたくないと言ったんだ……!!」
「何を冗談を。さあさあ、主役がお遅れになっては立ちません!」
普段の冷静沈着な姿からは想像もつかないほどの必死の抗議も、忠義に溢れる老執事には生還の喜びに照れているとしか受け取られなかったらしい。
ヒーアリックは、ウォルターに背中をグイグイと押され、重い足取りで1階の宴会場へと引きずり出された。
「おお、ヒーアリック!やっと降りてきたか!」
階段を下りきったところで待ち構えていたのは、父でありハルドール公爵家当主ーーアーノルド・アダルバートだった。
贅肉をそぎ落とした細身の体格ながら、ふと目元を緩め、目尻に深いしわを刻んで微笑んでいた。
普段は国王すら一目置く、見る者を平伏させるほど大貴族だが、今のその顔には隠しきれない父親としての情愛と、熱い眼差しが浮かんでいる。
「ち、父上……。わざわざこのような大掛かりな宴を催していただかなくとも……」
「何を言っている!我がハルドール公爵家の嫡男が、あの『漆黒の禁忌の森』から生還したのだぞ!?祝わずにいられるか!」
アーノルドは力強くヒーアリックの肩をバシバシと叩いた。
その手が重い。物理的にも、精神的にも重すぎる。
「お前が無事だと聞いた時、私は……いや、私と妻はどれほど胸を撫で下ろしたか。ウォルターからあれを渡された時は、本当に生きた心地がしなかったのだからな」
アーノルドが胸ポケットにそっと手をやり、恭しい手つきで覗かせたのは――見覚えがありすぎる、あの青白い便箋だった。
(頼むからそれを仕舞ってくれ父上……!)
ヒーアリックの背筋を冷や汗が吹き抜ける。彼は青ざめた顔のまま、必死に言葉を紡いだ。
「父上、その手紙は……!あの時は極限状態であり、少々変な熱量がある文で……!できれば、その、読まずに永遠の闇に葬っていただかなく――」
「バカ者!!」
アーノルドの雷のような大声に、ヒーアリックは肩を跳ねさせた。
アーノルドは真剣そのものの熱い瞳で、ヒーアリックの目をじっと見つめ返す。
「なにが黒歴史か!ここに綴られた言葉の一文字一文字に、お前の気高い孤高の魂と、家族への愛が溢れているではないか!これを葬るなど、ハルドール公爵家の誇りにかけて絶対にできん!」
「お前のその謙虚さも我が息子らしいが、今夜ばかりは余計な遠慮は捨てろ。……さあ、家族全員が待っている」
アーノルドは感動に満ちた笑顔でヒーアリックの背中をポンと押すと、大股で宴会場の中央へと歩き出してしまった。
(終わった……。説得の余地すら与えられない……!)
ヒーアリックは白目を向きそうになる意識を必死で繋ぎ止めた。
あの森にいたのは恐ろしい魔女などではなく、ただの怯えた少女であって、命を賭した決戦ではなく、衣食住の保証をしただけという真実など、もう口が裂けても言えない。
「我がハルドール公爵家の誇り、ヒーアリックが無事に戻った!そして……彼が死を覚悟した際に残した、あの痛烈で美しい魂の叫びを、今こそ家族全員で噛み締めようではないか!」
(頼む……!父上、それだけはやめてくれ……!!俺の意識が持たない……!!)
心の中で悲痛な叫びをあげるヒーアリックの願いも虚しく、アーノルドは胸ポケットから恭しく一通の便箋を取り出した。
涙でヨレヨレになった、あの青白い手紙だ。
アーノルドはドラマチックに手紙を広げ、朗々と胸を張って読み上げ始めた。
『最愛の父上、母上、先立つ不孝をお許しください。これを読んでいるということは、私は既にこの世にはいないのでしょうーー』
「まあ……っ!なんて健気な……!」
「ヒーアリックお兄様……っ!」
早くも母や妹たちがハンカチを目元に押し当て、すすり泣き始める。
『ですが、我が命は王国の盾。たとえ身が黒き森の露と消えようとも、アダルバートの名に恥じぬ誇りを胸に、最後まで戦い抜くことを誓います――』
(……誰か、今すぐこの床をなくして、俺を底なしの奈落へ叩き落としてくれたりしないか……?)
『――どうか私の死を悲しまないでください。私の魂は常に、我が家と共にあります……!』
「おおお……ヒーアリックぅぅぅ!!」
読み終えたアーノルドが大号泣しながら両腕を広げ、感動の渦に包まれる宴会場。
鳴り止まない拍手と、家族からの「素晴らしい覚悟だ」「誇りに思うぞ」という惜しみない賛辞。
「お兄様っ……!」
突如、妹のルルア・アダルバートが、大きなダイヤモンド色の瞳をきらきらと涙を溜めた瞳でヒーアリックに駆け寄ってきた。
ゆるく巻かれた金髪はハーフアップにまとめられ、彼女の澄んだレモンイエローのシルクドレスが、ふわりと揺れている。
「感動しましたわ……!手紙に書いてありましたよね?『漆黒の闇に囚われようとも、我が妹ルルアの笑顔だけは心の光だった』って……!あの過酷な戦いの最中でも、ルルアのことを思い出してくれていたのですね……っ!」
(そんなこと一言も書いていない……!勝手に美談に脳内変換するな……!)
ヒーアリックが冷や汗を流しながら弁解しようした矢先、ルルアは身を乗り出して続けた。
「お兄様、本当にお見事ですわ!あの絶望的な状況からご生還されただけでも奇跡なのに、過酷な戦いの最中であってもルルアのお心の平穏を祈っていらしたなんて……我がアダルバート家の誇りでございます!」
次から次へと屋敷の面々が寄ってたかって涙をぬぐい、感極まった声を浴びせてくる。
ヒーアリックはガクガクと引きつった笑みを浮かべるのが精一杯だった。
(やめろ……もうこれ以上俺を祭り上げるな……!というか、何が『我が妹の笑顔が闇を払う』に華麗に変換されるたんだ……!)
脳内で絶叫しながらも、周囲のあまりの熱気と感動の渦に飲み込まれる。
鳴り止まない家族の賛辞と、周囲からの温かい拍手。
そんな感動的な空間の中心で、ヒーアリックだけが魂の抜け出たような顔で白目をむいて佇んでいた。
(もうやめてくれ……!)
ヒーアリックはすっと静かに右手を胸元に当て、上着のポケットから胃薬を取り出すと、水も飲んだりせずそのままカリカリと乾いた音を立てて噛み砕き飲み下すのだった。
もはや可哀想になってきたヒーアリック。どんまい。




