2-5 こっちはこっちで大変だったんですよ
それは、エドガーを含めた派遣調査団が調査に来る、少し前。
外の世界が昼の光に包まれる頃、この深い森の中は心地よい木陰に満たされていた。
時折、風が吹いて葉が擦れ合うたびに、きらきらとした光の破片が地面を走る。
そんな晴れやかな昼時に、ローブを着た3人組が黒き森を歩いていた。
「それでそれで!その店のおじさんが、お礼にってミルクレープを奢ってくれたんさ!」
ポニーテールに結われたブロンズ色の髪を揺らしながら歩くミュゲ・メレヴァンは、肩を並べて歩く2人に話しかける。
「へぇ、よかったね」
「うん!やっぱり、人助けは得を産んでくれるんさ~!」
そう笑うミュゲの足取りはどこか軽い。
だが、2人の男女は、そんなミュゲを見てはどこか呆れ顔を浮かべていた。
「……それにしても、お前があのヒーアリック・アダルバートと関係を持つとはな」
灰色のローブを深く被り、端正な顔立ちを隠すように歩く青年、アッシュ・ポルターは、首の後ろに手を回しながら低い声で呟く。
「うーん、なんか、たまたま?」
「たまたまってなんだよ……相手は国の最高戦力だぞ」
呆れ声を出すアッシュをよそに、ミュゲは興奮した様子でラベンダー色のローブを着た少女に身を寄せた。
「いいないいな!どんな話をしたのさ?国最強のイケメン騎士様と!」
「別に、特別なことは話してないけど。なんか勝手に勘違いして哀れんでくれただけ」
少女はどこか興味なさそうに前を見つめながら答える。
買ったばかりであろうそのローブは、彼女のアメジスト色の瞳によく映えていた。
「気になるのさ~!教えて、ナズナ!」
「はいはい、あっちに着いたらね」
そう言ってミュゲをあしらうナズナ・セトリシアは、ヒーアリックの前で見せていたのとは違う、気心の知れた仲間に対する顔をしていた。
やがて3人が辿り着いたのは、鬱蒼とした森の奥に佇む、薄汚い茶色をした木製の小屋――ヒーアリックが恐れていた、あの小屋だった。
「ここ、明日取り壊しなんだよな?」
「うん。国が採掘地にするんだって。いい隠れ家だったのに残念」
ナズナは少し肩を落とすと、小屋の扉を押した。
きいぃぃ……と建付けの悪い不快な音が静寂に響く。
床には干からびた謎の薬草や、毒々しいキノコが転がり、棚からは怪しい色の液体が垂れたまま固まっている。
書きかけの調合レシピが足の踏み場もないほど散乱しており、人が住んでいたとは到底思えない惨状だ。
「相変わらず散らかってんな……」
一歩足を踏み入れたアッシュが眉をひそめて呟くと、ナズナは「当然でしょ!」と言わんばかりに胸を張る。
「そりゃあ、ここで色々と調合とかしてたら汚くなるでしょ。生活できればいいの!」
ナズナは2人を中に入れると、バタンと手際よく扉を閉めた。
「つーか、なんで片付けんだよ?このまま引き渡せばいいだろ」
「このまま渡すとこっちのこと色々バレるでしょ。あとから聞かれるとかめんどいし」
そして、ナズナは悪びれもしない笑みを浮かべ、パンと両手を叩いた。
「というわけで!2人には、この散らかった部屋を綺麗にするのに協力してもらうから。国の役人が来る前にしっかり片付けてね?」
「どの口が言ってんだ……」
「あはは、ナズナらしさ全開なのさ~!」
文句を言いつつも、アッシュとミュゲは手際よく片付けに取り掛かった。
「わぁ、ナズナ、この薬はどういう効果があるのさ?」
ミュゲが机の上で見つけたのは、怪しく揺らめくピンク色の液体が入った小瓶だった。光にかざすと、中できらきらと不気味な気泡が弾けている。
「え、それ?う~ん……わかんない。飲んでみてもいいよ?」
「……何が入ってるのかわからないのは、ちょっと嫌なのさ~」
「……うん。正しい判断だと思う」
ナズナは苦笑いを浮かべると、そのピンクの小瓶をひょいと手に取り、迷いなくゴミ箱へ放り投げる。相変わらず、自分の作った薬への扱いが雑である。
「あ〜あ。この世には掃除を勝手にしてくれる魔法とかないのさね?」
「そんなのないって。楽しようとしない〜」
「……楽するも何も、手伝わされてる身にもなってほしいのさ……」
そんな会話をしながら再び手を動かそうとした時、小屋の奥の部屋から、アッシュの切迫した大声が飛んできた。
「おいナズナ!ちょっと来い!」
「も~、なに~」
ナズナが気だるそうに奥の部屋を覗き込むと、アッシュは部屋の床を指差したまま、ナズナを睨んでいた。
「……これはどういう状況だ?」
「あぁ~……ねぇ?」
ナズナは何かを思い出したのか、気まずそうに視線をそらし、口元をモゴモゴと動かす。
そこには、ありえないほどの量の、粉々に砕け散ったガラスの破片が床一面を埋め尽くしていたのである。
「……棚にあったガラス瓶全部落としましたぁ……」
「……はぁ。どうやったらこんな事になるんだよ」
「どうしたのさ?」
遅れてやってきたミュゲは、床の惨状を見た瞬間、すべてを察したように「あーあ」と顔を伏せた。
ーー時は少し遡り、あの日のこと。
『ふんふふ~ん♪』
ナズナはいつも通り、手順通りでなく、適当に調合した薬が完成するのを待っていた。
今日は何ができるのか。
跳躍の薬か、誰かを恋に落とす薬か。それともただの毒薬か。
完成を楽しみにしていたその時、小屋の外から突然大声が飛び込んできた。
『至高の星階 第三席、ヒーアリック・アダルバートだ。陛下からの書状を携え、立ち退きの交渉に――』
『……!?』
ナズナはその突然すぎる国最強の騎士の来訪に心臓が飛び出るほど驚き、大パニックを起こした。
焦って飛び退いた結果、調合台の真横にあった、試作薬の詰まったガラス瓶の棚に――背中から全力で体をぶつけたのである。
――ズガシャーーーン!!!
重い木製棚に置いてあった、数十本のガラス瓶が一斉に粉々に砕け散る。
『やば……っ!終わった……っ!』
青ざめるナズナに、黒猫のミーシャが、可愛らしい小声で鋭く叫んできた。
『ご主人様!この調合台、アタシが隠すわ!ご主人様は何とかして、外に来た奴を足止めしなさい!中に入られたら一発で全部バレるわよ!』
『ええっ、足止め!?無理無理、相手至高の星階だよ!?殺されるってぇぇ! 』
『大丈夫よ、ご主人様!嘘つくの得意でしょ!いい感じに振舞ってきなさい!』
『いい感じ!?いい感じってなにぃぃぃ!?』
「ーーっていう大事件があったの!」
ナズナが身振り手振りで必死に弁明すると、アッシュはジト目で床のガラスの山を見つめた。
「……自業自得だな。お前が日頃から安全な作業を心掛けていれば起きなかったろ」
「結果オーライだからいいの!それに、至高の星階の騎士をあの場で足止め出来たのは我ながら天才だと思う」
「まあ、たしかに。よく捕まらなかったな。で、満足した結果、放置されたわけか」
「大正解〜!」
「あはは!ナズナの泣き落としは一級品なのさ~!そのおかげで王都のふかふかベッドと、毎日美味しいご飯が手に入ったのは良かったのさね!」
ミュゲはホウキを手に持って楽しそうに笑いながら、ガラスの破片を器用に集め始めた。
「まぁ、また同じようなことをするなら、今度は結界の強度をあげなきゃいけないのさ。入られちゃったわけだし」
「大丈夫!しばらく無いよ。みんな拠点が王都にあるんだもん!」
「お前の場合はただ騎士のヒモになっただけだろ」
「はい、今日の悪口カウンター5~」
「悪口じゃねぇ、厳然たる事実だ!」
「はぁ?立派な名誉毀損ですぅ~!」
そんな2人の様子を見ていたミュゲは、ほうきを片手に、うんざりした顔で二人を睨みつけた。
「あーもう!二人とも、喧嘩は掃除が終わってから!仲いいのは伝わってるのさ!!」
「「良くない!!」」




