ナンダル
*
ケッノの邸宅を出ると、目の前には商人のナンダルが立っていた。大きなクマが印象的な男は、やつれた笑顔を浮かべながら尋ねる。
「お呼びですか?」
「少将級以上、もしくは大師以上の中で、借金漬けにした者の数は?」
「3人です」
「そうか、さすがだ。万が一の保険を入れて、これで、24人か。情勢の前後を考えると、もう少し入れておきたいところだな」
「ふぅ……まったく人使いが荒い。こっちは、ロッリフェラー家と帝都の商権の覇を争っていて、寝る暇もないというのに」
ナンダルは、弱々しげにため息をつく。
ロッリフェラー家は、帝国の天空宮殿内で絶大な影響力を持つ。また、帝都の商人は、ほぼ彼らの影響力下におり、魔杖組合ギルドなどの商業集団も彼ら中心に発足している。
「ナンダル、君には本当に助かっている。だが、まだまだ足りない」
「いや、もう何というかデカすぎます!」
疲れ切った商人は、悲鳴をあげる。
反帝国連合国戦の後、へーゼンは、帝都周辺における4つの領を獲得した。彼はすぐに、領内の商業組合の独占商権を廃し、ナンダルの商団に新規参入させた。最初は、嫌がらせなども多かったが、へーゼンの助力と商品力で競争に打ち勝った。
結果として、ナンダルは4領で最も勢力のある商団の長となった。
加えて、北方カリナ地区におけるクミン族との独占商売権。ドクトリン領内における商人地区の独占。最前線ライエルドへの砂漠補給路における独占商売権。12大国の1つであるノクタール国国内および近郊勢力の商人の総取りまとめ役。
現在、計り知れないほどの富が、ナンダルの下に集中している。もちろん、この規模を一人で回しているわけではないが、それでも、秒単位のスケジュールで忙しい。
「正直……私の手には負えていませんよ」
ここ1年の利益は、間違いなく帝国の豪商5本の指に入る。販路の拡大に次ぐ拡大に、休む暇などほとんどなかった。
「ギザールは?」
そんなナンダルの弱音を無視して、へーゼンは淡々と話を続ける。
「無事に逃げ延びて帰ってきましたよ。『あんな化け物相手にさせやがって』と満身創痍で愚痴満載でしたけどね」
「……それほどか」
「共闘したクシャラの魔力も、ほとんど枯渇してました。もう少し、撤退のタイミングが遅ければ殺られていたそうです」
クシャラは対象を一時的に不死にできる魔杖を持つ。
「カエサル伯の霊獣ノ理。あの雷鳴将軍ギザールを相手に、そこまで言わせるとは……底が知れない」
「……」
へーゼンの脳内で激しい闘争が繰り広げられているのがわかる。だが、ナンダルからみれば、四伯よりも、目の前の男の方が底が知れない。
「しかし、これでデリクテール皇子陣営と完全に敵対することになった」
「3日後に始まる任命式の場では、一波乱も二波乱もありそうですね」
エヴィルダース皇太子とデリクテール皇子も互いに駒の取り合いをしている。
「金が必要な上級貴族がいれば、渋らずにドンドン吐き出して、借金漬けにしろ。請求はいつも通り、僕に回していい」
「……」
ナンダルは、いつと通りドン引きする。
この1年で、ヘーゼンが統治する4領は発展し、付近の領は寂れた。まずは、通関料を劇的に安くすることで、商人のほとんどは自領を通るようになった。
下級貴族や、一部の上級貴族なども、コッソリとヘーゼンが統治する領を通っている。ナンダルから借りた莫大な資金で、街道の整備も行った。
必然的に、ヘーゼンに入る金も莫大だ。
だが。
入る金以上に、出ていく金がとんでもない。へーゼンの懐に寝ている金が、ほとんどないのだ。
さらに。
「今年から、ラオス領で竜騎の育成に成功した。いくらかはそちらに回せるだろうから、利用してくれ」
「……っ」
もっともっと、速く。もっともっと、回せと言う。竜騎を利用した物流の改革。平民でも使える紅蓮を駆使することで、野盗などもだいぶ減って来た。
『商売は速さである』と言うのを、この男は見事に体現している。
「ぅはぁ……」
毎年毎年、使う金が倍々……いや、10倍以上増えて行く。使う金の感覚がドンドン麻痺して行っているのを自分でも感じる。
だが、そんなやつれた表情をジッと見て、ヘーゼンは淡々と質問する。
「ナンダル、溜まった富で、何か好きなものを買っているか?」
「……いえ。前にも言いましたが、実はあまり物欲が湧いてこない」
答えながら、思わず苦笑いを浮かべる。いや、昔はあったような気がする。豪勢な料理を喰らい、目が飛び出るほど高いワインを飲み、極上に綺麗な女を抱く。
おおよそ、そんなことを夢見ていただろうか。
だが、実際に金を手にして。食べる時間も、酔っ払う時間も、デートする時間もない。そんな欲が湧いてくる前に、次々と商売の話が入ってくる。
昔、夢見た豪商になれたと言うのに。
昔見た夢とは明らかに違ってきている。
「実は、僕もだ。金や力を蓄えるために投資はするが、自分の欲しいものを買ったことはあまりない」
「……そうでしょうね」
ヘーゼンが自身のための何かを買う時は、本、魔杖、魔道具など、実用的に役に立つものばかりだ。嗜好品を愛でるでもなく、美味しいものを食べるでもない。
……いったい、この人は、なんのために働いているのだろう。
「だが、僕はやりたいことはやれている。そう感じるな」
「……」
ヘーゼンは自身の手のひらを見ながらつぶやく。
「ナンダル」
「はい」
「まだ、足りない。もっともっと、金が必要だ。もっと、もっと、もっとだ」
「……」
黒髪の青年は、ずっと、手のひらを見ていた。まだ、彼の元に欲するものが収まっていないのだろう。
果たして、自分は、この男の欲する者であり続けられるだろうか。
「ナンダル……僕は帝国を手に入れる」




