《現実世界》⑩ ”願い”
遂にEndlessNightmare編の最終話となりました。この話で、どうしてこの作品のジャンルが学園なの明かされると思います。茜が取った行動。それを、ぜひ読んで確かめてみて下さい。
日が沈みかけた放課後。湊は人目を避けながら四階へと通じる階段を上がっていた。夕焼け色の明かりによって段上が照らされている。湊の足が緋色の輝きに影を作り、廊下へと到着する。直後、光と共に明るい声が彼に降りかかった。
「湊くーん。こっちーっ」
度の高いレンズ越しに湊は茜の姿を目撃した。彼女は廊下の奥で手を左右に振っていた。湊を懸命に招き寄せているのだ。そこに下級生を殴ろうとした生徒への畏怖は無かった。
口をへの字に曲げた湊が茜の元まで歩き出した。早く、と茜に急かされる。大げさに呼び出す彼女は何処か興奮していた。微かな黒みを残した茶髪がふわふわと波打っている。
「……何の用?」
光が薄れた湊の双眸が茜に当たる。問いかけの後に湊は徒歩を止め、茜の正面で首を回した。辿り着いた位置の横には使われていない教室が見えた。少子化の影響があったのか。廃れ具合が長年の放置を連想させる。
湊の興味を感じ取った茜が気さくに伺った。
「そこ、何だと思う?」
「え?」
唐突な質問に湊は答えられなかった。だが、茜は回答の正否を追及する事もなく、焦点の対象を教室へ合わせる。
「ここね、数年前まで授業で使ってたんだって。……でも、今はもう生徒も少ないから、誰も使ってないみたい」
茜の説明は弾んだ口調になっていた。危険な生徒が隣に居ながら、彼女は物怖じしていない。今朝からの調子は未だに続いている。
「この教室が、どうかしたの……?」
暗い響きで湊は訊ねた。扉の向こうには重なった机の群れが幾つも並んでいる。授業に必要な設備が用いられていない証拠だ。茜が教えた事情にそぐう状況であり、特におかしな点も見受けられなかった。
有るのは、そうした教室に茜が喜んでいるという謎だ。
出御高校はエレベーターの利用を禁止しており、四階の廊下まで行くには苦労がかかる。特別な用事でもない限り、わざわざ来る生徒は少なかった。湊と茜の目前にある教室も同列の要因が関与していた。無人の頃合いが多い箱庭なのだ。
「……知りたい?」
茜は湊の顔を覗き込み、愉快そうに口元を吊り上げた。捺祇沙耶子とは違った無邪気で純粋な表情である。彼女を凝視出来ない湊は、目線を逸らすと同時に首を縦に振った。
――いいよ、教えてあげる。
その声を境に、彼女は教室の方へと振り返った。両腕を広げ、古い教室を包み込むように胸を張る。夕日によって投影された全身が壁に沿って立っていた。
そして、彼女は高らかに宣言する。
「私達の、部室だよ」
二人きりの廊下に茜の声が反響していった。柔らかく、それでいて澄んだ声色が湊の両耳を満たしていく。
「………………え」
数秒間、湊は言葉の意味を理解する事が出来なかった。漆黒の目を瞬かせ、口を半ばに開ける。驚きの表情が不愛想な面に広がっていた。
掴みどころのない困惑を湊が抱いた。急に切り出された事実が思考を狂わせる。茜の話も耳に入って来ず、彼女が正面の向きを変えていた事さえ彼は気づかなかった。
「私ね、ずっと考えてたの。君が学校を停学になってから。……私に何が出来るかなって」
茜の言い分に湊は怪訝そうな顔を作る。
「何で……三原さんが、悩むのさ」
「だって、私は」
明快だった茜の双肩が大きく下がった。激しい落差は周囲の空気までも巻き込み、彼女の心情を風景として描き出した。暗さを増した夕日の赤色。その眩さが細長い廊下を焼き尽くす様に乱反射していた。
「君に酷いこと、言っちゃったから。……それを、謝りたくて。……でも、何をすればいいか分からなかったの。だから、ね」
暗転していた口調が跳ね上がる。
「君の手伝いをしようって思ったの。正義の味方までにはいかなくても、E・Dで困っている人を助けようって。……それが、この部活なんだよっ」
「……僕の、手伝い……」
「そう」
こくり、と彼女は垂直に頷いた。
E・Dにおけるクリムの活動を支援する部活。その活動内容を、茜は爛々と滑舌に語り始めた。
「ここでさ、E・Dで困っている人の悩みを聞いて、私達が助けてあげるの。人間関係や戦闘のお手伝いでも良い。助けたい、そう思える人を実際に助けようよ。……騎士団じゃなくたっていい。犯罪者を倒す以外にだって方法はあるんだよ、湊君!」
目まぐるしく正面を変え、茜が湊と向かい合う。彼女は何も持っていなかった湊の手を両手で握った。
温もりが手から顔へと流れ込んだかの様に、湊の顔が赤くなった。耳元まで赤い。彼が赤面していたのは、恥じらいと悩みからだった。
「僕に、そんな事が出来ると思うの? ……人を助けるなんて」
震える瞳が茜に返ってきた。彼は怯えており、夢にまで思わなかった提案を承諾し兼ねていた。桃色に染まった表面にさえ、虚ろな恐怖が張り付いている。
だが、彼女は否定する。躊躇する暇も取らない程に。
「思う。――思うよ、私は」
ぶれない姿勢を茜は貫いていた。
湊がその肯定に息を詰まらせる。即断した茜の手を振り払おうと腕に力を込めた。己より高い体温は中々離れず、湊は繋がれたままだった。
代わりに、彼の口から洪水の如き拒絶が溢れていく。
「無理だ。…………言った、筈だよ。僕はたった一人の親友さえ見捨てた奴なんだぞ。そんな僕が人助け何か出来る訳ないだろっ! 今回の事件だってそうなんだ。……誰も助けてなんかいない。結局は自己満足に過ぎなかった。そして、その過程で僕は全生徒から嫌われたんだ! 誰が僕に頼るって言うんだっ!」
高校に入学してから約一年。湊は最も長く、激しい絶叫を吐いていた。
酸素を使い尽くし、彼は胸に苦しさを感じる。頭の底が疼く。暴露した鬱憤が湊自信を痛めている様だった。学校から忌み嫌われ、夢では一人となり、遂には自分で自分を認めなくなっていた。誰も鈴夜湊を容認しない。その現実が平坦だった彼の心を針で縫い付けていたのだ。
「私がいるよっ!」
湊を凌駕する音量で茜が叫ぶ。
廊下の隅で残っていた声が一瞬にして掻き消された。こびり付いた不安が茜の絶叫によって上書きされていく。
「私は君に助けて貰ったんだよ! 私は確かに思っている! ありがとうって! そんな気持ちまで否定できるのっ?」
「――っ」
解けない手からも、必死に押し留める形相からも湊は視線を逸らした。
「あれは……騎士として当たり前なんだ。でも、今の僕はもう騎士団のクリムじゃない」
苦し紛れに張った予防線が陥落を防いだ。湊には茜の説得に抗う気力は残っていなかった。最後にはなし崩し的に屈服してしまうかもしれない。
だからこそ、湊は納得する訳にはいかなかった。
「…………目の前で、さ」
ゆっくりと湊は口を開いた。誰の存在も気に留めず、手の届かない記憶に目先を傾けていく。
「いじめの現場に遭遇しちゃったんだ。あいつが、いじめグループの前で倒れている所を」
「みな、と……君?」
「その時、僕は一人だった。中学の時でも会話が下手で、友達はいなくて……。小学校の頃から一緒のあいつだけが友人と呼べたんだ。…………それなのに」
茜は息を呑み、黙って湊の話に耳を向ける。夕日は沈みかけ、二人を照らす光は間もなく失われようとしていた。当初は赤かった顔色も冷え、湊は頬を固めたいつもの無表情に至っている。
「怖くて逃げだしたんだ。何も言ってなかったけど、あいつは僕に助けて貰いたがっていた。でも、僕は……。背を向けてしまった。逃げてしまった。……見殺しに、いや、僕が見捨てたせいで自殺させてしまった」
「それは湊君のせいじゃ――」
「僕のせいなんだっ。だって、本当はいじめなんかに負けるような弱い奴じゃなかったんだ! だけど……、親友に裏切られて耐えられる程、強い人間でもなかった。親友に何もされないことを考える程の、薄情でもなかった」
握られた湊の掌に力が加わり、茜の温度はより多く流れ込んだ。彼は自分の罪を口にする度、顔から血の気を引いていた。血色を失った表情から茜は後悔だけを読み取る。繋いでいた茜の両手は自然と汗ばみだした。
「また、見捨てるかもしれない。また、何もしないかもしれない。……そんな僕に、君の言う人助けなんて不可能だ」
彼が言い切ると共に、紅の空は夜闇を滲みだそうとしていた。夜が近付いている。人々は眠りにつき、夢を見る。そうした時間が近付きつつあった。
表と裏から挟んだ湊の手を茜は見下ろした。彼の指は細く、人肌とは考え難い位に冷えていた。ここまで茜はその熱を取り戻そうと努力している。
しかし、まだ足りない。
三原茜の言葉では、鈴夜湊の説得は出来ない。
結果を受け入れた茜は、冷たい湊の手を宙へと放った。拒絶を続けた彼は短い間に唇を噛んだ。それもすぐに終える。夢を掲げた茜は湊を引き止めようとはしなかった。湊が立ち去る可能性も許していた。
茜は諦めたのだ。
「違うよ、湊君」
――一人で、彼を説き伏せるのを。
がらっ。引き戸が茜によって勢いよく開かれた。外気が壁に寄せられていた机を晒した。埃が教室から廊下の方へと漂っていく。夕焼けの残滓が塵を照らし、細かく広範囲に瞬かせた。
「出番だよ。来て」
茜が扉の奥へと呼びかける。すると、心許ない足音が茜の方へと寄ってきた。
机の迷路を掻き分け、小さな人影が扉の元へと達する。廊下で棒立ちとなった湊が目視出来たのは隠しきれていない脚部だった。スカートと、緑を基調とした上靴。それらをレンズ内に収めた湊は相手が一年生の女子であると悟る。
「……はい、先輩」
微かな小声が響いた。返事をした女生徒が姿を現す。
次の瞬間、湊は思わず呟いていた。
「な……! 芳野、結那……さん?」
小柄な少女が放置された教室から全身を覗かせていた。ぎこちない表情と、湊に似た影の濃い双眸。彼女はいじめの被害者であった芳野結那だった。
後頭部で結ったお下げを揺らし、彼女が湊の方へと歩いていく。
一方の湊は混乱していた。隣の茜は口元を上げて笑みを作っている。傍から眺める彼女からの助け舟はとても望めなかった。
結那が正面に入るより先に、湊は自ら疑問を口にした。
「何で、ここに……?」
結那が湊の顔を見上げ、答える。
「私、ここの部員になったんです」
ぴょん、と両足を揃えて結那が着地した。湊は前方に立った後輩に対して目を剥いていた。「何だって」と呟き、まじまじと見下ろす。
少女の顔にかつての弱さは存在していなかった。多少の怯えは残しつつも、結那ははっきりと断言しているのだ。茜が設立した部活に入部する。それが親友と自負していた捺祇沙耶子に裏切られた後の判断であった。
「結那ちゃんね。あの騒ぎが発覚してから、一貫型のコースに変えたんだって」
茜が観客の立ち位置を去り、結那の近くへと並んだ。肩に手を乗せ、後輩へと微笑んでいる。結那も茜を軽く見つめ返していた。その二人だけを暗い風景から抜き取ると、仲の良い先輩と後輩の関係が彷彿された。遠くない未来、彼女等が思い描く活動が実現されようとしている証だった。
「本当はサプライズのつもりで隠れて貰ってたんだけどね……。湊君が文句ばっかり言うから」
「べ、別に僕は文句なんて」
「言ってるもんっ。私だけじゃ足りないんでしょ? ……だったら、結那ちゃんからも聞いてみなよ。君が人助けを出来ないかどうか」
口を膨らませた茜が結那の背を押した。催促された彼女は湊へと改めて視線を当てる。覇気のない眼光同士がぶつかり、混じり合っていた。どちらも形のない何かに震えており、相手の出方を待ち続けている。数秒間、無言の拮抗が挟まれる。
最初に話し始めたのは結那だった。
「鈴夜、先輩。……あの、その」
「は、はいっ」
段階を踏んで厳粛になる声音に湊がたじろいだ。実の所、口下手な結那は話すべき言葉をきちんと言い表せない。彼はそうした躊躇いを誤解しただけだった。だが、先手を取った結那は湊に喋らなければと焦ってしまう。
「緊張しすぎだよ、二人とも」
序盤から行き詰っていく会話に茜が苦笑していた。
「す、すいません……っ。私、鈴夜先輩に言いたい事が、あるんですけど……。上手に言えなくて」
直角に頭を下げた結那。黒く小さい髪の束が後を追い、尻尾の様に振幅を刻む。彼女は深々と謝罪をすると、体勢を元に戻した。華奢な全身が歪なく伸びている。
「ありがとう、ございます。……それを、ずっと言いたかったんです」
悪夢から解き放たれた少女の声を聞き、湊は表情を崩した。泣き出しそうに、両頬に力を込めて塞き止めている。今にも流れ落ちそうな、熱い雫を。
「……僕は」
だが、彼は堪えていた。
「全部、自分の為にやったんだ。君の為じゃ……君なんかの為じゃ、ない」
卑屈に直したのはせめてもの抵抗だった。湊は駄々を捏ねる様に首を左右に振り、言葉の壁を建て始める。
「誰がどうとか関係ないんだ。僕は自分のやりたいようにやった。捺祇沙耶子に殴りかかったのだってそうだっ。僕を馬鹿にするから…………」
「分かってます」
聴覚に飛び込んだ言葉に湊が目を白黒させる。彼は耳を疑い、記憶を怪しみ、意味を原形のままに掴んだ。結那は湊の心情を分かっていると言ったのだ。
「大丈夫です。それは、私も知っています。……先輩の気持ちは、私なんかには理解できないですけど……。だからこそ、伝えたかったんです。ありがとうございます、と。……私を助けてくれて、本当にありがとうございます」
「僕は、君を助けてない」
「助けたんですよ、先輩は。……先輩は一人で何でも出来るかもしれませんけど……その途中で起きたのは決して先輩だけの出来事じゃ、ないですよね? ……上手く言えないんですが……とにかく、先輩は私を助けてくれました」
――芳野結那は事実を口にしている。湊も彼女が嘘を吐いているとは考えてもいなかった。ただ、受け入れてはいけないと誰かが耳元で囁いている。
「ほら、ね。湊君」
内面で主意を争っていた湊に茜が言った。
「君は悩み過ぎなんだよ。……関係ないとか、何もしてないとか。それこそ、問題になってないよ。自分の為に、自分の望む通りに動いて、誰かが助かった。人助けっていうのはそんなものじゃないかな?」
同意を求める様に、彼女は湊に笑みを向けた。
「…………っ」
違う、と口が開く。しかし、彼の喉から音は出なかった。相反する思考が互いを支配し合っていたのだ。両方がそれぞれの意見を出そうとし、湊の声は通過すべき隙間を塞がれている。
悩んだ末に、湊は声を絞り出す。競い合う意見が混ざり合い、共通する意志が露見された。湊自信、思いも寄らぬ言葉だった。
「分からないよ、そんなの」
両の手で視界を覆い、湊は不可解を連ねていく。
「自分でもどうしたらいいか分からないんだ。心の底から助けたかった人はもういないのに、それを後悔して、誰かを助けようとして……。最後にはあいつを助けられなかった自分を責める。許されたいのか、償いたいのか。僕は――俺は、どっちなんだっ?」
二人は叫び、訴えた。彼の嘆きは茜と結那に迫り、押し潰そうとしている。
「だったら、私達と一緒に考えようよ」
光を閉ざした闇の向こうから、三原茜は持ち掛ける。鈴夜湊と断罪裂剣のクリムを知る彼女が提案したのは部活だった。
「最初から言ったじゃない。君を手伝うんだって。……ね、結那ちゃん?」
「はい。役に立つか分かりませんが……私も鈴夜先輩を手伝いたいですっ。……だって、先輩は私の恩人ですから」
湊はもう限界だった。ずっと蓄えていた痛みを思い返し、全身に溢れだした鈍痛に嗚咽を漏らす。数粒の涙が零れ、掌へと落ちた。
声が出なくなる前に、湊は正面に揃った二人へと伝える。
「……本当に、手伝ってくれる?」
彼の確認を耳にした少女達はお互いの顔を見合った。間もなくして、その両方に答えが浮かんでいく。茜は嬉しそうに、結那は謙虚に、笑みを作っていた。
彼の不安を失くす一言が茜の口から飛び出る。
「もちろん」
――それが、出御高校にて新しい部活動が設立された瞬間だった。内容も名前もあやふや。だが、始まりは確かに幕を切った。
「結那……さん」
鋭利な閃光が窓から突き刺さり、湊達の居る廊下を照らしていく。緋色の外光が最後の時間になって強く瞬いた。
夜の開始を告げる間際、湊が結那の方を向いて話しかける。
「最後に……一つだけ、お願いがあるんだ」
夕闇が空を覆い尽くし、その量に比例して下校する生徒の数が増えていった。出御高校の校門付近が騒がしくなる。区別型で通っている生徒が部活動を終え、帰路へと着こうとしていたのだ。
湊は彼等に負けないよう、声の張りを極めた。
「僕はやっぱり恩人なんかじゃ、ないんだ。……君を助けた人は他に居る。でも、その人は、ずっと眠っていて……夢を見ているんだ」
湊が両手を瞼からどけた。塞いでいた光が彼の瞳に染みていく。淡く輝いた雫が音もなく流れ、彼の頬を潤わせた。
夢を見続ける人を頭に描き、湊は結那へと願った。
「君に祈って欲しいんだ。……全ての悪い夢が――悪夢が無くなるように」
悪夢を斬り捨てた少年は天井を仰いだ。断罪裂剣の異名を持つ本心が心から望む。手の届かない夢の世界へ、幸福を届けたい。
澄み切った夜空に、湊の言葉が溶けて、何処までも響いていった。
「良い夢を、見れますように」
――Fin.
部活動を作ろう! というオチを最初ではなく最後に持ってきました。部活、を主体に置く以上、この作品は学園ものだと私は考えました。ちなみに、E・Dはまだまだ続きます。これからもよろしくお願いします。感想などを頂けたらとても嬉しいです。




