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【毎日更新】婿入り王子は辺境領主の“奥様”と呼ばれています。  作者: スイカの種


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第1話 婿入り王子は放置される

 場には、乾いた足音だけが響いていた。

 第一王子、セドリック・エルマークは、書類を手に、迷いなく戸籍課の扉の前で立ち止まる。

 廊下にいた者たちは一様に足を止め、形式的に頭を下げた。


 一人で廊下を歩いているセドリックへ向けられる視線は、到底王子へ向けられるものとは思えない。

 誰もがヒソヒソと扇の下で嘲笑い、蔑んでいるように思えた。


「婚姻届の提出を」

 セドリックはそう言って卓上に一枚の紙を置いた。何度も確認したため、不備は無いだろう。

 唯一あるとしたら「妻になる人」欄に書かれた、なぐり書きされた文字が判別不能として扱われる場合くらいだろうか。

 ――ノエル・カーティス。

 一生残るはずの書類に書かれたその文字は、他人に読ませることを想定していない程汚かった。

 彼女はセドリックの妻になる人間である。

 筆跡でしか、セドリックとの結婚が不満であると出せなかったのだろうか。そう思ったら、怒りよりも虚しさがわいてきた。


 戸籍課の文官たちは目で「誰が行く?」と合図を送り合い、気の毒な犠牲者、もとい若手と思われる文官がおずおずとセドリックの前に出てきた。


「……奥様となられる方は?」

 文官が気まずそうにセドリックへ聞く。途端に、周囲の気温が五度下がったような気がした。

 婚姻届の提出は、通例であれば夫婦で行うから彼が聞いたのも無理はない。


「手続きを行う上では私一人で十分かと」

 淡々と告げれば文官は「ひぇ」と短い悲鳴を上げて処理を進めてくれた。

「少々お待ちください」


 受け付けてもらえたことに安心したセドリックは、待合のソファに深く腰を掛けた。

 脚を組んで目を伏せ、ふぅ、とため息をつくだけで一幅の絵画のように洗練されている。

 右を見ても、左を見ても、ここに居るのはカップルのみ。

 両隣のカップルたちは、揃って目を伏せた。

 彼と目を合わせたら噛みつかれる、とでも言わんばかりに。


 ひそひそと、わざと聞こえる程度の声で噂を交わしている。

「第一王子なのに領地ももらえず臣籍降下されるんでしょ?」

「一人で婚姻届を提出しにくるなんて……婿入り先でも『そういう扱い』なのかしら」


 なぜ自分はここにひとりで居るんだろう、と自問せずにはいられなかった。

(そうか、歓迎されていないからか)

 結婚が決まってからの出来事を考えてみればすとんと腑に落ちた。


 王家から結婚の打診をしたら、記入済みの婚姻届が送られてきた。

 王家はこれ幸いと言わんばかりに、その書類一つでセドリックの婿入りを決めた。

「この日に婚姻届を出しに行きます」とセドリックが連絡をしても「かしこまりました」とそっけない返事がきたのみ。

 来るのか、それとも出しておいてくれという意味なのか、それすら分からない。

 唯一返ってきたその手紙も、婚姻届に書かれた名前と同じように書き殴ったとしか思えない字だった。

 それ以外は手紙を出しても返事すら無い。

 そんな扱いをされていても、セドリックは一縷の望みを捨てきることはできなかった。


(……もしかしたら、サプライズが好きな人なのかもしれない)


 文官たちに婚姻届の提出ギリギリまで分刻みのスケジュールを押し付けられた。

 今日という日で宮廷仕事が終わりなのだからと、相当詰め込んだスケジュールをひたすらこなしてきた。

 それでも、疲れた顔を見せないように珍しく化粧までした。初対面で会う結婚相手の顔が、今にも死にそうだったら嫌かなと思って。

 今日の装いも、彼女がこの場に来てくれるかもしれないと思って選んだものだった。せめて第一印象だけでも、よく見られたかった。

 オフホワイトのジャケットに、チャコールグレーのパンツ。

 白手袋まで添えたのは、どこかで期待していたからだ――見知らぬ妻が、彼を見て、少しでも好きになってくれることを。

 もちろんノエル・カーティスが当日にセドリックの前に姿を表すわけもなく。

 事前に準備していた装いは当然無駄となった。

 こうしてセドリックは一人で婚姻届を提出する事となった。


 待合のソファが埋まるほど手続きを待っている人間がいるというのに、セドリックの名はすぐに呼ばれた。

 きっとあの職員が気を利かせてくれたに違いない。

「手続きは完了となります。控えをお渡ししておきますね」

「夫になる人」の欄に記入された名前は「セドリック・カーティス」

 この瞬間からセドリックは、この国の第一王子ではなく、「カーティス子爵」となった。

 王族としての名は、一枚の書類で静かに消された。

 セドリックはこの国の第一王子でありながら、子爵家へ婿入りするという前代未聞の婚姻をすることとなったのだ。


「……おめでとうございます」

 書類を受理してくれた職員が沈痛な面持ちでセドリックに声をかけた。

「どうもありがとう」

 ニッコリと元王子様らしく微笑み返した。

 たとえ一人で婚姻届を提出したとしても、自分は幸せなのだ。他人からそう見えたら良いと思って。


 婚姻届を提出した直後のカップルが写真を撮るスペースを堂々と横切った。

 本来であれば幸せなイベントだというのに、こんな葬式のような空気にしてしまって申し訳なく思う。

 普通の神経で、この場所から無言で逃げ出していただろう。

 セドリックは魑魅魍魎たちが跋扈する宮廷を二十四年間生き抜いてきたのだ。


(何も恥じることなんて無い)


 堂々と胸を張って、廊下を歩いた。

 元王子としての矜持だけが、今の彼を支えていた。


 通常であれば、臣籍降下の際には式典が有り、婚約式があり、結婚式があり……儀式が嫌という程詰め込まれるはず。

 だが、今のセドリックには何もない。

 すべてを詰め込んだ革鞄を馬の鞍にくくりつけ、静かに鐙に足をかけ、鞍に跨がる。

 城門を抜ける彼を見送る者は、ただの一人もいなかった。

 婚姻届提出直前まで過密なスケジュールを押し付けてきたというのに、勝手なものである。

 二十四年間の王子様業が終わりを迎えるのは、あまりにもあっけなく、虚しかった。


 ***


 カーティス子爵家のタウンハウスは王都の外れにある。

 タウンハウスに一歩足を踏み入れて、セドリックは早速この結婚を後悔し始めた。戸籍課であった出来事よりもよほど、セドリックの心は折れそうだった。


 臭い。強烈な香水の臭いがまず鼻をついた。

 カーティス元当主が丸い腹を揺らしながら近づいてきてゲハゲハと嗤う。横幅が扉と同じくらいある肉付きのいい男だ。香水の香りに、腐敗臭が混ざった。彼が笑うたびに鼻を刺すその混合臭は、吐き気を催すほどだった。


「王子殿下の婿入り先として選ばれるとは光栄ですな!」

 笑い方に品がない。つばが顔に飛んできたが、拳をぎゅうと握って表情に出さないようにした。

 目の前ではわざとらしく拭くのは失礼に当たる。

 たとえ、向こうがいかに品のない行為をしてきていたとしても、同じところに堕ちる気はなかった。

「ノエル嬢は?」

「あの子は、領地に引きこもっているんですよぉ……今日くらいは来るように言ったんですけどねぇ」

 隣にいたカーティス元夫人がわざとらしいほどため息をついて、首をかしげる。頬に添えられた手には、すべての指にセンスの悪い色とりどりの宝石が付けられた指輪がこれみよがしにつけられていた。


「ところで――」

 カーティス元当主が真面目な顔をした。

 何かを食べていたのか、服の裾にはカスが付いていてカーティス当主が少しでも動くたびに地面にポロポロとこぼれ落ちた。もちろん彼らにそれを気にする様子はない。


「荷物が少なすぎませんか?」

 きっとセドリックの後に何台もの金銀財宝を積んだ馬車が待っていることを期待したのだろう。


 人として見られていない。彼らにとってはセドリックはお金付きの駒なのだ。

 ふざけるな、と言いたい気持ちをぐっと堪え、なんとか言葉を絞り出した。


「私も領地へ向かいます」


 これ以上話していると、口からすべてを吐き出してしまいそうだった。言葉とか、昼間に食べたものが胃液と一緒に。


 他にも元カーティス夫妻は何か言いたげにしていたが、それらを背中に受けながらセドリックはタウンハウスを後にした。

 すでに夕方だし、今日はカーティス子爵家のタウンハウスで夜を過ごそうと思っていたが、あそこで過ごすくらいなら野宿をしたほうがマシだと思った。少なくとも、空気はきれいだ。

 何より、妻となる人間がいないのではわざわざタウンハウスにとどまる意味がない。

 芦毛の愛馬にまたがって、セドリックは領地へと向かうことにした。


(物語でこういうのあったな。初夜をすっぽかされるお話)


 最近市井で流行している物語に、そういう設定があったことを思い出した。

 たいてい、不遇の扱いを受けてきたご令嬢が突如結婚する事となり、望みを持って嫁ぎ先にやっていくが結婚相手から「あなたを愛する気はない」と告げられる――という話だ。

 男女の立場は逆転しているが、まさに自分のことじゃないか。

 まさか、物語と同じような境遇が自分に降りかかるとは。

 セドリックは今日、初めて笑った。


 道中、妻となった人間のことをあまり考えないように決意した。

 あの夫婦の娘であり、手紙も返事しない、婚姻届を乱雑に書くし、初夜をすっぽかすような人間だ。きっとろくでもない人間に違いない。

 今更ながらふつふつと腹の奥から怒りが湧いてきた。

 それでも、一目見ないことには気がすまない。一体どんな女が自分の妻なのか。


 カーティス子爵の領地までは馬で三日ほどの道のりとなる。

 自由になるお金も持ってきたし、宿が見つからなければ野宿でもすれば良い。騎士団に所属していたこともあって野宿に抵抗はないし、彼は自分のことを図太い人間だと思っている。

 季節は春。暖かい風がセドリックの頬を慰めるように優しく撫でた。

 後ろでひとつにまとめた髪が風に揺れる。

 月の光を溶かしたような銀糸が背中で静かに揺れていた。


 王都を出て、セドリックは生まれて初めて呼吸ができた気がした。


 第一話をご覧いただきありがとうございます。新連載はじめました。よろしくおねがいします。

 完結保証付きですので、安心して御覧ください。

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