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Moon Light Lover  作者: 巡
第5章 月読神社編

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第34話 神様、進化する


 あかりが、開けた冷蔵庫の前でしばらく立ち尽くしていたのは、冷蔵庫の中身が以前とは変わっていたからだ。


 卵、豆腐、ラップに包まれて半分だけ残った玉ねぎと人参、使いかけの味噌、小さな保存容器に入った煮物の残り。


 少し前まで、この冷蔵庫はもっと単純だった。


 コンビニ弁当、コンビニのサラダ、ペットボトルのお茶、期限の近い菓子パン、たまにスーパーの惣菜。


 それらが今や、出来合いのものではなく、調理しなければ食べることができない食材に様変わりしていた。


 大学へ行って、バイトをして、帰ってきて、ひとりで食べる生活だったら、それで十分だったけれど最近は、そうではなくなっていた。


 三日に一度ほど、月読命が料理を作るようになったからだ。


 それは、良いことだ。


 とても、良いことなのだ。


 問題があるとすれば、良すぎることだ。


「……コンビニ飯に戻れない」


 あかりは、冷蔵庫の扉に額をつけ、低くつぶやいた。


 背後から、月読命の静かな声が返ってきた。


「戻れぬのか」


「戻れない。 完全に、舌が贅沢を覚えた」


「贅沢」


「うん。 ツクのごはん、普通においしいんだもん」


 月読命は、ならば我がすべて作る、と言いかけて、その言葉を飲み込んだ。


「ならば、よいことではないのか」


「よいことなんだけどね」


 あかりは冷蔵庫の中をもう一度見たが、どの食材も中途半端な量しか残っていない。


「一品作るには、微妙に足りない」


「足りぬのか」


「足りない。 何を作るにも、あと一つ足りない」


 あかりは冷蔵庫を閉めた。


「せっかくだから、何作るか一緒に考えながら買い物しよっか」


 月読命は、伊織の言っていた『全部叶えてもらうより、一緒に迷ってもらう方が嬉しい』という言葉を思い出して、月読命は、静かにうなずいた。


「ならば、我も迷おう」


「……うん。 迷わなくていいから、一緒に考えてね。 迷宮じゃあるまいし」


 そして、あかりは声高らかに宣言した。


「これからスーパーに行きます!」


 月読命は、真剣な顔で応じた。


「よいだろう」


 その声音があまりにもやる気に満ちていたので、あかりは思わず笑ってしまった。ただの買い物だが、月読命にとってはたぶん違う。


 何を作るか、一緒に考えること。もしかしたら、二人して迷うことになるかもしれない。でも、それは人の世を学ぶことなのだろう。


 月読命は、心なしか気合のこもった表情で、静かに言った。


「行こうぞ」


「スーパーにね」


「すぅぱぁへ向かう」


「戦でも始まるのかな」


 こうして、あかりと月読命は、夕方の町へ出ることになった。


      *


 日が落ちるのが、ずいぶん早くなった。


 少し前まで、夕方になっても夏の気配がしつこく残っていたのに、今はもう、空の色がすぐに薄くなる。風も、歩いているうちは気持ちいいが、立ち止まると少し冷たい。


 あかりは薄手の上着の袖を指先まで伸ばしながら、隣を歩く月読命を見上げた。白を基調にした服は相変わらず人目を引くが、本人はすっかり平然としている。最初に地上へ降りてきた頃の、何を見ても異界を見るような顔とは、もう違う。


 信号を待つ。人の流れに合わせる。歩道の端に寄る。自転車が来れば、あかりの少し前に出る。そのひとつひとつが、今ではすっかり自然になっている。


「……進化してるなあ」


「何がだ」


「ツクが」


「我は変わらぬ」


「いや、変わってるよ。 めちゃくちゃ人間界スキル上がってる」


「すきる」


「スキルはまだ知らなかったのね」


 月読命は、その言葉を頭の中で分解するように、しばし考え込んだ。


「……もしや、“好き過ぎる”の短縮語ではないか」


「的を大きく外してる! 当たる気配がないよ!」


 軽くツッコミを入れて笑った時点で、あかりは完全に油断していた。


「ならば、我はあかりの喜ぶ顔が“すきる”、ということだな」


 あかりは、その言葉に膝の力が抜け、カクリとよろめいた。


 これは、流れ弾が当たっただけなのか。いや、初めから私が的だったのかもしれない。


「……大当たりです……」


「そうであろう」


 あかりは、勘違いしている月読命を正さなければと思ったが、不意打ちのダメージがまだ抜けきらず、諦めた。


 その時だった。


「あー!」


 公園の方から、明るい声が飛んできた。


 あかりが振り向くより早く、ランドセルを背負った子どもが三人、月読命を指さした。


「白ボスだ!」

「白いラスボス!」

「白ボス、今日もスーパー?」


 あかりは、足を止めた。


「今日も、って……子どもたちにまで覚えられてるの?」


 月読命は、ごく普通に答える。


「奉仕の帰りに、幾度か立ち寄った」


「それは知ってるけど。まさか、そこまで顔なじみになってるとは思わなかった」


「顔なじみ」


「うん。 完全に地域密着型の白ボスになってる」


 あかりは、月読命の顔を見上げた。


 ——何だろう。


 知っていたはずなのに、知らないところで、さらに成長している。神様なのに。いや、神様だからなのか。


 子どもたちは、さらに騒ぎ始めた。


「白ボス、たまにスーパーにいるよ!」

「じゃあスーパー白ボスじゃん!」

「スーパー白ボス! スーパー白ボス!」


 月読命は、静かにその言葉を受け止めた。


「白ぼすより、上位であるか」


「たぶん強い!」

「買い物がうまそう!」

「値引きシール見つけそう!」


 月読命は、真面目にうなずいた。


「ならば、その名に恥じぬ働きをしよう」


 あかりは口元を押さえた。


 ——だめだ。笑っちゃだめ。


 ここで笑ったら、月読命にも、子どもたちにも失礼だ。


 でも、無理だった。


「スーパー白ボス……っぷぅ、ふふふっ」


 小さく漏らすと、月読命と子供たちがこちらを見た。


「あかりお姉ちゃん、笑ってるよ!」

「ぷうって言った!」

「どうしたの?」


「何かおかしいか」


「おかしいというか、強そうというか、庶民的というか……っぷふふ」


「強さと庶民は、両立せぬのか」


「両立してるから面白いんだよ……あはははっ」


 やがて、子どもたちは、満足げに手を振って去っていく。


「スーパー白ボス、がんばれー!」

「安いやつ見つけてねー!」

「卵は割るなよー!」


 月読命は、最後の言葉にだけ、やけに真剣に反応した。


「卵は、守るべきものだ」


「過去に何かあった感じ出てるじゃん。悲劇を抱えた悪役なの!?」


 あかりのツッコミに、月読命は答えなかった。答えないところが、いよいよ悪役のように見えた。


      *


 スーパーに着くと、月読命は入口でごく自然にカゴを取った。それだけではない。カートを引き出し、カゴを載せるまでの動きもスムーズだった。


「今日は、“かぁと”でも進みづらいことはあるまい」


「……ツク」


「何だ」


「今、めちゃくちゃ自然にカートまで用意したね」


「使うものではないのか」


「いや、使うものだけど。 使うものだけどさ」


 月読命は、当然のようにカートを押し始めた。


「奉仕の帰りに、幾度か立ち寄ったと言ったであろう」


「いや、聞いたけど、……想像よりちゃんとスーパーしてる」


「人の市を知るには、通うほかない」


「兵法聞かされてるみたい」


 あかりはカゴを受け取りながら、少しだけ感心していた。


 前に来た時の月読命は、棚に並ぶ食材や調味料の量に、いちいち驚いていた。


 『季節が棚に置かれている』なんて言っていたし、魚が切り身になって並んでいることに、神妙な顔をしていた。


 けれど今は違う。


 驚きながら見るのではなく、ちゃんと目的を持って見ていた。


 月読命が、店内の奥へ目を向けた。


「まず、奥を見るべきだ」


「え?」


「この時刻、惣菜に赤き印が現れ始める」


「赤き印」


「値引きしーる、であろう」


 あかりは、カゴを持ったまま固まった。


「ツクが……値引きシールを……正式名称で……」


「ただし、安ければよいわけではない。 今夜食べるもの、明日の朝に回せるもの、冷蔵の箱に収まるもの。 それらを見極めねばならぬ」


「待って、待って! ツク、いつの間にそんなこと覚えたの!?」


「自ずと読めるようになる。 通っていればな」


「スーパーに?」


「うむ」


 あかりは、深く息を吸った。


「主婦じゃん……」


 月読命は、少しだけ背筋を正した。


「いや、……我は、すぅぱぁ白ぼすである」


「自称し始めた!」


 そのまま惣菜売り場へ向かおうとした月読命を、あかりは慌てて止めた。


「ちょっと待って。 今日は料理する材料も買うんだから、まず野菜から見よ」


「野菜か」


「うん。 冷蔵庫に残ってるものもあるし、何を作るか考えながら」


 月読命は少し考えるような素振りを見せたけれど、すぐに同意の意思を返した。


「そうだな」


 野菜売り場に入ると、月読命の表情がほんの少し変わった。


 棚に並ぶ大根、白菜、ジャガイモ。夏の鮮やかさとは違う、落ち着いた色が増えている。


 月読命は、並べられた野菜を見つめ、静かに言った。


「季節のものは、やはり力が濃い」


「力?」


「人の言い方なら、味がよい、ということだ」


「あ、それは分かる」


 あかりが笑うと、月読命はひとつの袋を手に取った。見切り品の棚にあった、少し形の不揃いなジャガイモの袋だ。


「これは、今日使うべきものか」


「うん。 今日使ってもいいし、少し置いておけるからかなり助かる」


「ならば、候補に入る」


「候補って言い方、かっこいいね」


「選ぶのだから、候補であろう」


 月読命は真剣だった。


 真剣に、ジャガイモの袋を見ている。


 それが妙におかしくて、でも少しだけ嬉しかった。


「ツク、本当に覚えてるね」


「そなたが以前、傷ませるのが一番もったいないと言っていた」


「そんなことまで覚えてるの?」


「そなたの言葉である」


 あかりは、何か言おうとして、やめた。スーパーの野菜売り場で照れるのは、負けだと思った。


 けれど、少しだけ頬が熱い。


 そのあと、二人は肉売り場へ移動した。


 あかりはいつもの感覚で、使いやすそうな豚肉のパックを手に取ろうとした。


 その瞬間、月読命が静かに言った。


「あかり、それは今取るべきではない」


「えっ、なんで?」


 月読命は、隣のパックを指した。


「百ぐらむ当たり三十円、こちらの方が安い。さらに、こちらは明日まで保てる」


 あかりは、値札を見た。


 その通りだった。


「……確かに」


「ただし、そなたは薄切りの方が使いやすいと言っていた。 ゆえに、安さのみで選ぶならこちら。 扱いやすさで選ぶなら、そちらだ」


「ツク……」


「何だ」


「主婦みたい」


「我は、すぅぱぁ白ぼすである」


「二回目!」


 あかりは笑いながらも、少し困った。


 月読命は、本当に進化している。


 しかも、ただ安いものを選ぶだけではない。あかりが使いやすいか。今日使うか、明日に回すか。冷蔵庫に入るのか。


 そういうことまで、ちゃんと考えていた。


「うーん。 どうしようかな……」


 あかりが迷っていると、月読命が提案してきた。


「こちらの肉であれば、余ったとて、明日に我が一品作れる」


「そうだね、じゃあ、今日はこっちかな。 明日も使える方」


 月読命は、選ばれたパックを丁寧にカゴへ入れた。


 次に、あかりはお菓子売り場の前を通りかかった。本当に、通りかかっただけだった。見るつもりはなかった。少しだけ、視界に入っただけだ。


「あかり」


「な、何?」


「そなたは今、その菓子を見た」


「見てない」


「一呼吸、足が止まった」


「観察力が怖い」


 月読命は、棚の商品を見て、値札を見て、カゴの中を見た。


 それから、あかりの顔を見た。


「肉を先ほど選んだものにしたため、その菓子も入る」


「……計算はやっ!! って別に買わなくてもいいよ」


 正直、あかりはちょっと食べたいと思っていたけれど、以前、月読命にワインを買ってあげられなかったから、遠慮した。


 けれど、月読命は、あかりに柔らかな視線を向けながら、「よい」と言った。


 さらに、あかりの遠慮する言葉を先回りして潰すようなことを言った。


「そなたの喜ぶ姿が、我は“すきる”、だからな」


 あかりは、固まってしまった。おそらく真っ赤な顔で。


 月読命はあまりにもまっすぐな眼差しであかりを見ている。


 スーパーの通路で。お菓子売り場の前で。近くには、普通に他の客もいるし、視線も感じる。


 状況が悪過ぎだった。


「ここ、す、スーパー! スーパー! スーパーだから!」


 早く何か言わないと、と焦って出てきた言葉がスーパーの連呼だった。


「場所によって、真は変わるのか」


「変わらないけど! 変わらないけど言い方!」


 月読命はただ、あかりの赤くなった顔を静かに見ている。


 あかりは、慌てて菓子を一つ取った。


「買う! 買うからもう次行こ!」


「うむ」


 月読命は満足げにうなずいた。


      *


 惣菜売り場に着くと、月読命の言った通り、いくつかの商品に値引きシールが貼られ始めていた。


「あ、本当に貼られてる」


「赤き印は、この時刻に現れることが多い」


「言い方はまだ神話っぽいんだよねえ」


「ただし、買いすぎれば、明日のそなたが苦しむ」


「明日の私まで心配してくれるんだ」


「そなたは、残すのを嫌がる」


「……覚えてるなあ」


 月読命は、半額になったコロッケをじっと見た。


「こやつは、今夜救われるべきか」


「惣菜の命を背負わないで」


「捨てられるより、食される方がよいであろう」


「それはそうなんだけど、言い方が壮大すぎる」


「しかし、こちらの“はんばーぐ”こそ、我らに救われるべきでは」


 あかりは、隣で鬼気迫る視線を惣菜に向ける月読命を見た。


 まさか、月読命には、究極の選択が迫られているのではないだろうか。一方の命を救えば、もう一方の命は救われない。神様が人の世で究極の迷いの中にいるのかもしれない。


 そう思ったとき、月読命の喉仏が上下するのが見えた。あかりには、それがゴクリという音を伴って動いたように感じた。


「ツク、……どっちも食べたいってことでしょ?」


 月読命は、なおも惣菜から目を離さずに言った。


「……あちらの“えびふらい”も」


「予算!!」


 結局、二人は値引きされた惣菜を一つだけ選んだ。


      *


 会計前、月読命は懐から小さく畳まれた封筒を出した。


「今日の材料の一部は、我が払う」


「え、いいよ別に」


「我も食す。 さらに、我が料理に使うものもある」


「それはそうだけど」


「ならば、我も払うべきだ」


 月読命が真面目すぎて、あかりは笑ってしまった。


「じゃあ、今日はツクが料理する分の材料代だけお願いしていい?」


「うむ」


「細かい?」


「よい。 決まりがある方が、人の世では乱れぬ」


「そこまで大きい話じゃないけど、ありがとう」


 会計を済ませると、月読命は袋詰め台の前に立った。


 そして、あかりが何か言う前に、重いものを袋の底へ入れた。その上に野菜を置き、柔らかい菓子を横へ避ける。冷たいものと温かいものも、ちゃんと離している。


 最後に卵のパックを手に取ると、まるで宝物でも扱うように、慎重に袋の一番上へ置いた。


「卵は、守るべきものだ」


「そこだけ、さっきからなんなの!」


 あかりは苦笑しながら、月読命の手元を見た。確かに、袋詰めは妙に上手い。


「……なんでそんなこと知ってるの?」


「以前、あそこのふくよかな店員に忠告を受けたのだ」


「聞こえるよ!」


 あかりは慌てて声をひそめた。


 その瞬間、レジの向こうから、鋭い視線が飛んできた気がした。


「……手遅れだったかも......」


 月読命は、しばし沈黙した。


「ふくよかとは、悪しき言葉なのか」


「悪口じゃなくても、本人の前で体型を説明しない!」


「人の世は、難しい」


「難しいのは女心だよ」


「女心……ねっとで調べるとするか」


「それ、モテないやつだからね!」


「……何を言っておる。 我は普通に持てる」


 と言って、月読命は当然のように二つの袋を持った。


 あかりは、すぐに片方へ手を伸ばす。


「一個ちょうだい」


「重い」


「だったら、軽い方でいい」


「我が持てばよい」


「それだと、私が一緒に買い物した感じしないでしょ?」


 月読命は手を止め、ほんの少しだけ俯きながら、また伊織の言葉を思い出していた。


 全部叶えること、全部背負うこと。それがいつも、あかりの嬉しいこととは限らない。


 月読命は、軽い方の袋をあかりに渡した。


「これは、そなたが持て」


「うん。 それでいい」


 あかりが受け取ると、月読命は静かにうなずいた。


 スーパーを出ると、外の空はもうかなり暗くなっていた。店の明かりが、夕方の町の中でやけに明るく見える。


 買い物袋が、手に少しだけ重い。けれど、その重さが嫌ではなかった。


 あかりは歩きながら、レシートを取り出した。予定より、少し安く済んでいる。


 食材も買えた。値引き惣菜も一つ。あかりの菓子も一つ。月読命が料理に使う材料も、ちゃんと入っていた。


「今日、めちゃくちゃ買い物うまくいったね」


「戦果は十分か」


「うん。 勝ちです」


「ならばよい」


 あかりは、隣を歩く月読命を見上げた。


 その顔はどこか、やり遂げたあとみたいに誇らしげだった。


「スーパー白ボス、強かったね」


「次は、さらに上へ至る」


「さらに進化するの?」


 月読命は、少し考えた。


「......特売白ぼす」


「退化だよ!」


 あかりが笑うと、月読命もほんの少しだけ表情を和らげた。


      *


 部屋に戻ると、二人で買ってきたものを冷蔵庫へ入れた。月読命は、早く使うもの、明日に回せるもの、冷凍できるものを分けていく。


 その手際を見て、あかりはまた感心した。


 神様は、進化する。


 それも、月を動かすとか、夜を支配するとか、そういう大げさな方向ではなく、カゴを取り、値札を見て、卵を守り、あかりが好きな菓子を覚えるような、そういう方向に。


 あかりは、買ってきたお菓子の袋を開けた。


 一つを自分の口に入れ、もう一つを月読命へ差し出す。


「今日の戦果」


 月読命は、それを受け取った。


「うむ」


 あかりは、少しだけ照れながら言った。


「ありがと。 楽しかった」


「我もだ」


「買い物が?」


「そなたと迷うことが」


 月読命は、真っ直ぐにあかりを見ていた。


 たぶん、月読命は自分が何を言ったのか、半分くらいしか分かっていない。けれど、もう半分くらいは分かって言っていたように感じた。


 ——私も、ツクと迷うのは楽しかったよ。恋人とか夫婦みたいだったし。


 あかりは恥ずかしくなって視線を逸らし、なんとなく冷蔵庫の方を見た。


 月読命も、なぜか同じように冷蔵庫を見て、そして、静かに言った。


「卵は、無事である」


「余韻返して!」


 やっぱり、この神様は何も分かってないんじゃないかと思うと、あかりは笑いが止まらなかった。


 月読命も、そしてあかり自身もいろいろな迷いの中にいる。けれど、一人で迷うのではなく、一緒に迷うのは、とても楽しいのだ。


 その夜、あかりの部屋には、しばらく笑い声が残っていた。

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