影添い
雨が、降っている。
変わらない夜。
変わらない森。
影添の社の前に、ひとりの人影が立っていた。
かつて——
ここで、何かを見た者。
あるいは。
ただ、何かを感じた者。
それが何だったのか。
もう、はっきりとは思い出せない。
けれど。
「……また、来てしまった」
小さく呟く。
理由はない。
呼ばれたわけでもない。
ただ。
足が、ここへ向いていた。
雨音に耳を澄ます。
昔よりも、恐れは薄れている。
代わりにあるのは——
どこか、懐かしさに似た感覚。
ゆっくりと、手を合わせる。
願いはない。
祈りもない。
ただ。
ここに在るものを、そのまま受け入れるために。
そのとき。
風が、わずかに揺れた。
気のせいかもしれない。
けれど。
森の奥に、確かな気配。
白と、黒。
変わらず、並んでいる。
触れずに。
離れずに。
ただ、在る。
それは、昔と同じ。
けれど。
どこか、違って見えた。
ほんのわずかに。
距離が近いような——
そんな、錯覚。
「……そうか」
思わず、言葉が零れる。
何を理解したのか、自分でもわからない。
それでも。
胸の奥に、静かに落ちるものがあった。
もう、確かめようとは思わない。
見ようとも思わない。
ただ。
そこに在ると知っていれば、それでいい。
それが、この場所の在り方だから。
手を下ろす。
雨は、変わらず降り続いている。
振り返り、森を離れる。
その背に、何かが触れることはない。
呼び止める声もない。
ただ——
見送るような静けさだけが、あった。
森の奥。
誰も知らないその場所で。
白と黒は、今日も寄り添っている。
長い時の中で。
わずかに揺らぎながらも。
変わらないかたちで。
見つけたものと。
見つけられたもの。
その境界は、もう曖昧で。
どちらがどちらかなど、意味を持たない。
ただ、互いに影を重ねるように。
在り続けている。
それが——
恐れから始まり。
やがて、寄り添いへと変わったもの。
語られ、忘れられ、また思い出されるもの。
名を持ちながら、形を持たないもの。
それは、この地に伝わる。
ひとつの在り方。
ひとつの、静かな約束。
——影添いの契。
雨は、今日も静かに降っている。
終わることなく。
途切れることなく。
ただ、やさしく。
すべてを包むように。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この物語は、何かを解き明かすためのものではなく、
ただ“在るもの”に、静かに触れるための記録です。
白と黒の在り方に、名前を与える必要はありません。
触れられない距離もまた、ひとつのかたちなのだと思います。
もし、雨の夜にふとこの物語を思い出したなら。
そのとき、どこかで寄り添うものがあると感じてもらえたなら、
これ以上のことはありません。
ありがとうございました。




