【第11話】愛されすぎたエレメンター(精霊術師)
第3グラウンドには、強い日差しが降り注いでいた。
温暖な王都グラン・フォリアは、もうすぐ秋だというのに、いまだ夏のような陽気が続いている。
今日はクラスの枠を取り払った「特殊職合同実習」が行われる。
エレメンター(精霊術師)は極めて珍しいジョブ(職業)であり、現在の学園でその適性を持つのはシルフィアただ一人だ。
一人のために専用の科目が用意されるはずもなく、彼女は他の特殊職の生徒たちに混じって実習を受けている。
この実習は、事前に申請してレポートを提出することを条件に、他の生徒の見学が認められており、アルノ、ミラ、カイルの三人もグラウンドの隅から彼女を見守っていた。
「シルフィア、頑張ってね!」
シルフィアは、ミラの声援に少し不安げに微笑みながら頷き、アッシュグリーンの長い髪を揺らして指定された位置へと歩み出た。
エレメンターは自身の魔力を分け与えることで、その場にいる精霊を一時的に従え、環境そのものを味方につけることができる。
シルフィアは深く息を吸い込み、目を閉じた。
そして魔力操作用の細く短い杖『タクト』を右手に持ち、その腕を正面に突き出した。
何かをつぶやいている様にみえるが、彼女の口から発せられるのは人間の言葉だけではない。
精霊に意思を伝えるために、特殊な音波をまぜて言葉を紡ぐ。
「さあ、風の精霊さん。少しだけ、ウチに力を……」
魔力を練り上げ、タクトをゆっくりと振り、緑色の小さなエーテルが空中に舞い始めたその瞬間だった。
シルフィアの周囲の空気が、陽炎のようにゆらりと歪んだ。
一般的なエレメンターが使役する精霊の数は、数匹から十数匹程度。
しかし今、シルフィアの周りには百匹近い精霊が集まっていた。
精霊は群れで行動し、群れのリーダーのみがエレメンターと交信し、行動の意思決定をする。
しかしシルフィアの場合、複数の群れが集まり、さらにリーダー以外の精霊たちまで交信してきてしまい、その声とも言える無数の音波が彼女を苦しめていた。
「あ……う、ああぁっ……!」
許容量を遥かに超えた音波の直撃に、シルフィアは激しいめまいと頭痛に襲われた。
彼女は以前と同じくタクトを手放し、両手で耳を強く塞ぎながらその場に崩れ落ちた。
コントロールを失った魔力が霧散し、周囲の空気がふっと元に戻る。
「……なんだあれ? 何も起きなかったぞ」
「精霊に呼びかけた途端にうずくまって……まさか、精霊に拒絶されたのか?」
レポート用のメモを取っていた見学の生徒たちから、疑問の声が漏れ聞こえる。
精霊は適性がない者には視認できないため、彼らにはシルフィアが一人で勝手に倒れ込んだようにしか見えないのだ。
「シルフィア!」
ミラとカイルが血相を変えて駆け寄ろうとした時、それより早く動いた人影があった。
「大丈夫? 無理しないで」
ふわりと、花のようないい香りがした。
シルフィアの肩を優しく抱き起こしたのは、別の実習エリアから駆けつけたCクラスの担任、セリア・フローレンスだった。
「セリア先生……」
「顔色が真っ青ね。魔力枯渇かしら?私が医務室へ運ぶから、実習を続けてちょうだい」
セリアはシルフィアを支えながらタクトを拾うと、心配そうに駆け寄ってきたアルノたちに向かって、安心させるように微笑んだ。
「みんな、心配でしょうけど、彼女は私がしっかり診ておくから、実習が終わったら医務室へおいでなさい」
「……はい。ありがとうございます、セリア先生」
アルノが頭を下げると、セリアは優しく頷き、シルフィアを連れてグラウンドを後にした。
「セリア先生って、Dクラスのオレたちにも分け隔てなく優しいよな。どこかの冷血なAクラス担任とは大違いだぜ」
カイルが感心したように呟き、ミラも深く頷く。
アルノはセリアに連れられていくシルフィアの後ろ姿を、少し目を細めて静かに見つめていた。
ーー
放課後。
アルノ、ミラ、カイルの三人は、連れ立って医務室へと向かった。
ベッドには、少し顔色を取り戻したシルフィアが力なく座っていた。
「みんな、心配かけてごめんな。もう大丈夫やわ」
シルフィアはいつものおっとりとした声で微笑んだが、その表情はどこか暗かった。
「大丈夫なわけないでしょ。あんな倒れ方して」
ミラがベッドの脇に座り込み、シルフィアの手をぎゅっと握る。
カイルも腕を組みながら、心配そうに眉間を寄せた。
「ああ。お前、いつも精霊魔法を使う時、すごく辛そうに耳を塞いでただろう。本当は何が起きてるんだ?」
二人の真っ直ぐな気遣いに、シルフィアは少しだけ視線を泳がせ、やがて諦めたように小さく息を吐いた。
「……みんな、ウチがエレメンターなのはしっとるやろ?」
シルフィアはぽつりぽつりと語り始めた。
「エレメンターは、エルフの血を引く一族に発現するジョブやねん。それは別に隠しとるわけやないけど、意外と知らん人が多いんよな」
そう言うと、彼女はずっと顔の輪郭を隠すように下ろしていたアッシュグリーンの髪を、ゆっくりと耳の後ろへかき上げた。
あらわになった彼女の耳は、人間のそれとは違い、先端が少しだけスッと尖っていた。
「ウチの耳、変やろ?」
自嘲気味に笑うシルフィア。
彼女の瞳には、幼い頃に友達から「変な耳」と指を差された日の、消えない痛みが揺れていた。
「ウチはエルフの先祖返りでな……」
この世界ではエルフやドワーフといった「純血の亜人」は、はるか昔に人類と交わり、すでに歴史から姿を消している。
しかし、特定の才能に特化した名門家系にはその血が濃く残っており、数世代に一度「先祖返り」として亜人の身体的特徴や特質を持って生まれる人間がいる。
彼女はそのまま、自分が精霊の声という「音波」を拾いすぎる特質について、静かに告白を始めた。
「エルフの血が濃く出たせいで、ウチは他のエレメンターよりずっと精霊に好かれやすいんよ。精霊たちはウチの魔力を求めて、何十の群れが一斉に集まってきてしまう。ウチを助けようとしてくれるんは分かるんやけど……それぞれが違う波長の音波で訴えかけてくるから、頭の中で全部が混ざって、ただの凄まじいノイズになってしまうんよ」
シルフィアは震える両手で自分の肩を抱きしめた。
「それに、この耳も……」
彼女は尖った耳の先を、少しだけ指で隠した。
「小さい頃、仲の良かった友達に『変な耳、人じゃないみたい』って指差されてな。それからずっと、髪で隠して生きてきたんよ。精霊の声もうまく聞けんし、見た目も変やし……結局、ウチは欠陥だらけの落ちこぼれやねん。立派なエレメンターの家系に生まれたのに、恥ずかしいわ」
うつむくシルフィアの言葉に、ミラは立ち上がり、彼女の肩を強く抱き寄せた。
「そんなことないわよ! ワタシだってずっと、自分の魔力を制御できなくて一族の恥だって言われてきた。家族からも見放されて、自分の魔法が怖かった。でも、欠陥品なんかじゃなかったわ」
「ああ、オレもそうだ。味方の回復魔法すら弾く欠陥だらけの盾で、父親から使い捨ての壁だと切り捨てられた。だが、今は違う」
カイルも深く頷き、そして二人は同時にアルノへと視線を向けた。
視線を一身に浴びたアルノは、いつものように涼しい顔のまま、シルフィアの顔のすぐそばまで近づいた。
「えっ……ちょ、アルノ……くん?」
突然顔を近づけられ、シルフィアは驚いて肩をすくめた。
しかしアルノの灰色の瞳は、彼女の尖った耳の構造を真剣な職人の目で観察していた。
「シルフィアの耳、すごく綺麗だね。こんなに綺麗なのに、隠しておくなんてもったいないよ。それに、すごくマギア(魔導具)を引っかけやすそうな良い形をしてる」
「……へ?」
予想外の角度から褒められ、シルフィアは目をパチクリとさせた。
「ノイズの問題なら解決できると思う」
アルノは一歩下がり、右手親指にはめられた、少し大きな指輪を無意識に撫でながら、淡々と説明を始めた。
「要するに、たくさんの精霊が同時に違うチャンネルで通信してきている状態なんだ。だったら、ノイズを全部遮断するんじゃなくて、必要な群れのリーダーの声だけを通す『フィルター』を作ればいい。特定の波長だけをチューニング(同調)させる機能を持たせるんだ」
「特定の波長だけを……そんなこと、できるん?」
「ルーンの組み合わせなら理論上は可能だよ。ただ……」
アルノは少しだけ困ったように眉を下げ、腕を組んだ。
「今回はミラやカイルの時みたいに、今ある装備の上からルーンを刻むだけじゃダメなんだ。波長を細かく調整するための専用のマギアを、一から設計して作らなきゃいけない。音波を拾う構造、魔力によるフィルター機能、それを実現するための極小ルーンの配置……」
「一からマギアを作るって……アルノ、お前クラフターとはいえ、それはかなり時間がかかるんじゃないか?」
カイルの問いに、アルノは頷いた。
「うん、素材選びから設計、そしてルーンの精密な刻印まで、かなり骨が折れる作業になる。放課後しか作業できないから、完成まで数週間はかかるかもしれない」
アルノはダミーのグローブを外し、細くしなやかな指先を見つめた。
「でも、絶対に次の実習までには間に合わせるよ。シルフィアのその綺麗な耳にぴったりの、最高のイヤホン型マギアを仕立ててあげる」
アルノの屈託のない笑顔と、頼もしい言葉。
ミラが「よかったわね、シルフィア!」と笑いかけ、カイルも「オレたちにも手伝えることがあったら何でも言えよ。力仕事と料理なら任せろ」と胸を張る。
ずっと一人で抱え込んでいたコンプレックス。誰にも理解されないと思っていた苦しみ。
それをこんなにもあっさりと、温かく受け入れてくれる仲間たちがいる。
「……ありがとう、アルノ君。ウチ、待ってるわ」
(たとえマギアがうまくいかなくてもいい)。
シルフィアは、自分の中で何かが変わり始めたのを感じていた。




