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沙州関異聞  作者: いろは
第三章
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二十一

 奎厦の向かいに座った春明は、あらためて部屋の中を見わたした。


 部屋の四方に書物がうず高く積まれている光景は、いまは亡き伯父の屋敷を思いおこさせた。学者だった伯父の屋敷にも書物があふれており、掃除が大変だと使用人に嘆かれていたものだ。


「楼西の文献だ」


 奎厦が口を開く。


「もともとここは、楼西の王城の書庫のようなところだったらしい。残されている記録はどれも断片的なものばかりだが、それでも結構な量には違いないな。こうして暇を見つけては少しずつ整理をしている」

「それはご苦労なことですが……なんのために?」

「無論、あのいまいましい夢をなんとかするためさ」


 意外な回答をよこされて、春明は瞬きをする。


「なんとか……できるんですか」

「解けない呪いなどない」


 奎厦は静かに言った。


「楼西の王の恨みだか呪いだか知らんが、いつまでもこの城を好きにさせるわけにもいかんだろう。かといって、えせ道士の力ではどうにもならんことは前の城主の件で明らかだ。手づまりのときは、まず過去の記録をあたるのが定石だ」


 なるほどとうなずきつつも、春明は積みあげられた書物の量に気が遠くなった。これだけの量の記録をすべて読みとき、呪いを解く糸口を見つけるなど、はたして本当にできるのだろうか、と。


「できるはずがない」


 一瞬、自分の思いが口をついて出てしまったのかとあわてたが、声を発したのは奎厦だった。


「そう言いたげだな」

「いえ、そんなことは……」

「わかっているさ。無駄なあがきかもしれんことは。だが、いまはこれしか思いつかん。それに」


 奎厦は床に落ちていた書物をひろいあげて頁をめくる。


「呪いの解き方は見つかってはいないが、こうして文献をあさっていると学べることもある。街の治め方、税の徴収方法、どんな揉め事があって、どうやって解決していたか。城の造りに関する記録もあるな。地下水路とか……」

「そんなものもあるんですか」

「ああ。いまは砂に埋れてしまっているが、砂をさらってやれば、また使えるようになるだろう」

「へえ……すごいですね」

「そうだろう。楼西の民は西域の蛮族と蔑まれているが、なかなかどうして優れた技術を持っている」


 楼西の治績を語る奎厦の表情は、いつもよりずっと穏やかで、心なしか誇らしげに見えた。


「ほかにもいろいろ書かれているが、なにせ異国語だ。読み解くにも時間がかかる。最近は特に思うように進まない。あの城主がろくでもないことをはじめたせいで」

「……申し訳ありません」

「おまえが詫びることはない」


 そっけなく言うと、奎厦はあらためて春明を見た。


「おまえ、春明だったな、城主の随従のくせに、最近はもっぱら阮之についてまわっているそうだな」

「すみません」

「だから、なぜ謝る。責めているわけではない」


 それはあなたさまの顔が怖いからです、と正直に言えるはずもなく、春明は曖昧に笑ってごまかした。


「阮之がほめていたぞ。よく気がまわって助かると」

「本当ですか」

「ああ。実際こうも毎日怪我人が出ては、阮之ひとりの手では足りんからな。手伝いの者をつけてやらなければと考えていたところだが、おまえがいればいいそうだ」

「嬉しいお言葉です」

「だが、こうも言っていた。いつまでも甘えてはいられないと」


 春明の胸がすっと冷えた。


「おまえは、いつまでこの城にいるつもりだ」


 出て行くなら早い方がいい。それはいつか阮之にも言われたことだ。


「……わたしがいては、ご迷惑でしょうか」

「そうは言っていない」


 奎厦はあきれたような顔をする。


「阮之もそうだが、おまえもたいがい妙なやつだな。官でも兵でもないというのに、なにを好んでこんな城に居続けているのやら」

「それはお互い様ですよ」


 口に出してしまってから春明は後悔した。奎厦の緑の眼にきつい光がよぎったからだ。


「どういう意味だ」

「いえ、その……奎厦さまがここにいらっしゃるのも、単にお役目だからってだけじゃないのかな、と」


 それは春明が漠然と考えていたことだった。


 たしかに、奎厦は城輔の任に就いている。春明や阮之のように、簡単にその責務を放り出せるものではないだろう。だが、その上官がもう三人も逃げ出しているのだ。奎厦が職を辞したところで、非難する者などいないだろう。


 なのに、奎厦は沙州関を離れない。


 崩れかけの砂の城がかろうじて形を保っていられるのは、このひとが足を踏みしめて支えているからだ。半月もここで過ごせば、そのくらいのことは春明にもわかる。


 それに、と春明は心のなかでつぶやいた。このひと、見た目ほど怖いひとじゃないよなあ、と。


 毎晩見回りをしているのは、兵の身を案じてのこと。先だっての事故の日も、子怜が煉瓦を落としたとき真っ先に怪我の心配してくれていたではないか。


「阮之から聞いていないのか。おれがここによこされた理由を」

「代理でいらっしゃったんですよね。叔父君が急な病だとかで」

「病か」


 奎厦は唇をゆがめた。それは、いつか城壁上で子怜が見せた表情かおによく似ていた。


「たしかに、おもてむきはそういうことになっているな」

「おもてむきって……じゃあ本当は違うんですか」

「崔家当主はいたって健勝さ。ふせっていると偽ったのは、そうでもしないと城輔の任を断れなかったためだ」


 どういうことかと首をかしげる春明に、奎厦は皮肉っぽい口調で語りはじめた。


「宜京で何不自由なく暮らしていた当主が、こんな辺境の廃城の建て直しを命ぜられてありがたがると思うか。苦労が多いだけで実入りなどまるで見こめない地位だ。他家の者も、さすがは崔家、慶州一の名家だとさんざんにもてはやしていたが、なんのことはない、どいつもこいつも内心では胸をなでおろしていたのさ。命を受けたのが我が家でなくてよかった、とな」

「そう……だったんですか」

「崔家当主も、なんとか理由をつけて断りたかった。悩んだあげく、自らは病を得たことにして、代わりに厄介者の甥をさしだしたというわけさ」

「厄介者って……奎厦さまのことですか」


 奎厦は、崔家当主の甥だと聞いている。実の甥が厄介者とはどういうことだろう。


「おれは、崔家の汚点だそうだ」


 奎厦はひっそりと告げた。



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