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沙州関異聞  作者: いろは
第二章
14/42

十三

 いつこの城を去るのか。その問いに、春明ははっとした。


 そうだった。自分は子怜の供として沙州関にやってきただけだ。寝こんでしまったせいで出立が遅れていたが、本来ならば子怜が城にたどりついたときに役目は終わり、この城を離れていたはず。


 こんな城、出て行こうと思えばすぐにでも出て行ける。なのに、なぜか春明の気持ちは浮き立たない。


「なるべく早いほうがよろしいでしょう。ここは長く居ていい場所ではありませんから」

「……なら」


 春明は膝をかかえてぽつりと問いかけた。


「そう思うなら、なんで、阮之どのはここにいらっしゃるんです」


 無位無官の、ただの居候。そんな阮之こそ、この地に留まる必要もないはずだ。


「それもそうですねえ」


 阮之はのんびりと応じて夜空を仰いだ。


「いろいろありますが、一番の理由は……ここがわたしの居場所だから、でしょうかね」

「居場所……」

「わたし、もとは南の黎州れいしゅうの出でしてね」


 阮之はゆっくりと語りはじめた。


「生家は……まあ、いいでしょう。田舎の小さな城市まちです。裕福ではありませんでしたが、先祖代々の土地も多少はありましたし、代筆の仕事なども引き受けたりなどして、一家で食べていくには困らない暮らしでしたよ」


 どの城市まちむらにも必ずいる知識人階級、いわゆる名士というものだろう。読み書きができない民と役人の橋渡し役も務める、その土地になくてはならない存在だ。


「わたしも、いずれは父の跡を継いで、同じように暮らしていくのだと疑いもしませんでした。いま思えば、なんと愚かだったことでしょうね。梁の統治は綻び、各地で叛乱の火が絶えなかったというのに、我が身に飛び火することはないと、根拠もなく信じていたのですから」


 阮之の声に苦いものが混ざる。


「故郷が叛乱軍に襲われたのは、もう十年も前のことです。彼らは梁の圧制から民を解放するだのと称しておりましたが、じつのところ、ただの略奪集団にほかなりませんでした。彼らはわたしの故郷を蹂躙し、わたしからすべてを奪ったわけです。それでも、命が助かっただけでも幸いというべきでしょうが……」


 阮之はそこで言葉をきって笑った。


「すみません。こんな話は聞きたくありませんよね」

「そんなこと……」

 

 春明はあわてて首をふる。


「わたしこそ申し訳ありません。つらい話をさせてしまってしまったようで」

「なに、かまいませんよ。たまに誰かに聞いてもらいたくなるときがあるのです。春明どのがよろしければ、もう少し続けさせていただいてもよろしいですか」


 もちろんだと春明がうなずくと、阮之は小さく礼を言った。


「故郷を追い出されてからは、親族を頼って各地を転々としましてね。ですが、血のつながりなどあてにはならぬものです。どこの家も余計な口を養う余裕などありませんでしたから、厄介払いをされてばかりで……流れ流れて、宜京にたどりついたのが三年前のことです。そこで縁あって崔家の食客として抱えていただくことになりまして。奎厦どのにお会いしたのは、それからしばらくたっての頃でしたね」


 宜京でも指折りの名家である崔家。奎厦はその当主の甥だという。


「奎厦どのが沙州関城輔の代理として赴任することになった際、手伝いの一人もいた方がよいだろうと当主がお考えになられましてね。そこでわたしに声がかかったわけです。崔家にはわたしのほかにも食客が大勢おりましたから、なぜわたしにと不思議に思ったのですが……」


 そこで阮之はふと思い出したように笑った。


「ご指名だったのですよ」


 ほかならぬ、奎厦の。


 特に親しくしていたわけでもない奎厦に乞われたことを不思議に思い、理由を問うと、奎厦は大真面目な顔で答えたのだという。いわく、一番図太そうに見えたから、と。


 これから向かう先は荒れ果てた廃城。知識をほこるだけの秀才に用はない。かといって武ばった者では補佐役として適当ではない。その点、あんたはちょうどいいと。


「なんとも正直な方だと思いましたよ」

「それは……そうかもしれませんけど、けっこう失礼ですよね」


 こちらも正直な春明の感想に、そうですよねえ、と阮之は手をうって笑う。


「でも、嬉しかったのですよ」


 しみじみと、阮之は言った。


「親族にさんざん邪険にされたあとのこととて、多少ひがみっぽくなっていたせいかもしれません。ですが、あのときのわたしには奎厦どのの言葉が、こう、胸に響きましてね。ああ春明どの、もし、おとしたいお相手がいらっしゃいましたら、その方が弱気になっているときを狙うとよろしいかと」


 なんの話だ。


「それはもう簡単によろめきます。その証拠にわたしがここにいるわけですから」

「よろめいた……んですか」

「ええ。いいものですよ。必要とされるということは。ここが自分の居場所だと、胸をはって言えるということは」


 居場所か、と春明はぼんやりと考えた。自分にとって、それはどこだろう。まっさきに頭に浮かんだのは故郷の家だった。少し前まで世話になっていた養家ではなく、いまは亡き伯父の──


「──阮之さま!」


 せっぱつまった声で、春明は現実にひきもどされた。一人の兵が駆けてきて阮之の前で膝をつく。


「どうしました」

「大変です。あの、洪のやつが、前に脱走したあいつが……急に暴れだしたんです。それで、たまたまそこにいた城主が……」


 そこで兵はいったん息をととのえ、叫ぶように告げた。


「城主がつかまっちまいました!」


 事の多い一日は、まだ終わらないらしかった。


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