027 走れリュウ!②【リュウ】
その少し後、御者とジュナイとマーズさんが馬車に乗り込む気配がして、
黒い馬車は走り出した。
どこをどう走っているのか、当然ながら座席の下の僕には分からない。
「考え直す気は、ないのか」
話し声が聞こえる。ジュナイの声ではないから、
マーズという人が話しているんだろう。
「ないね」
ジュナイの声が、あっさりと答えた。
「ヴィクター様は…黒ギルド長は、話の分かる方だ」
「…ああ、知ってる」
「今からでも遅くはない。盃を受けろ、ジュナイ」
…エイデンさんの持ってる魔石で、こういう会話を見た事がある。
『ヤクザ』とかいう、怖い人間の出てくる映画でだ。
マーズさんはヤクザなのかなぁ?ジュナイも?
二人とも怖い人間には見えないけれど。
「ありがとう、マーズ」
ジュナイは静かに言った。
「…でもな、もういいんだ」
「…ジュナイ」
マーズさんという人も、言い方は冷たいけれど、本当は優しい人なんだろう。
ジュナイのことを本当に心配している。声からその思いが滲んでいた。
人の心の機微に聡いジュナイがそれを分からないはずがない。
…でも。
「もう、疲れたんだよ」
ジュナイはぽつりとそう言った。
しばらく、とても重い沈黙が続いた。
ちりちりと背中の毛が逆立つ。
その不穏さがどこから来るものなのか分からなくて、
僕はただ、座席の下で身動ぎひとつ出来ずにいた。
「お前は…黒ギルド長たっての願いを袖にした」
マーズさんの声が淡々と冷たく響く。
「そうだな」
「死ぬしか途はない」
「分かってる」
死ぬ?ジュナイが?何言ってるの…。
詳しい事はさっぱり分からないけど、
それが冗談ではない事は、僕にもよく分かった。
空気が痛いくらいに張り詰めている。
「…残念だよ」
マーズさんがそう呟いたきり、二人とも黙った。
馬車はその後30分ほど走り続けた。
…なんだか、生きた心地がしなかった。
馬車が停まると、まず後部座席のドアが開いた。
外の喧騒や空気が馬車内に入り込んでくる。
マーズさんとジュナイが降りたのだろう。
僕は入った時と同様、隙を見て外に駆け出した。
閉じ込められるのは御免だ。
足元をさっと走る僕に御者はさすがに気づいたようだけど、
特に追っては来なかった。
着いたのはどこか屋敷の馬車停め場らしい。
マーズさんとジュナイは見張りの立つ出入り口から、建物の中に入ってしまった。
…僕に追えるのはここまでだろう。
内部に入ったところで、見張りにみつかって摘まみ出されるのがオチだし、
それに僕がいたところで何が出来る訳でもない。
…猫だもの。
やっぱり、猫の身というのは忌々しい。
さっきの話のとおりなら、ジュナイの命が危ない。
誰か、助けてくれる人間を呼ばなければ。
軍警?馬鹿馬鹿しい。
どうやって伝える?伝えたところで公権力ごときに何が出来る?
頭に浮かんだのは一人しかいなかった。
…エイデンさんを呼んで、ここに戻るしかない。
エイデンさんにもどうする事も出来ないかもしれない。
けれど、何もしなければジュナイは死ぬ。
僕は屋敷から出て、建物の名前を見たがどこにも名前がない。当たり前か。
ただ、少し走ると繁華街があり、街の名前も看板で分かった。
乗り合い馬車の駅もあった。これで遺物横丁まで戻れる。
とにかく急がなくちゃ!
…どうして僕が人間並みの知能を持って生まれたのか、
その事について、今まで一度も考えなかった訳じゃない。
けれど、今ようやく分かった。この時のためにあったんだ。
僕の『家族』を救う、それだけのために。
この日の僕は、
生涯でこれっきりだと言い切れるくらい、走った。




