番外編 ソラの親さがし
番外編です。
バルコニーに立つジョン(ヨハン)は、人差し指を少し舐め手を高く挙げ風をよむ。その凛々しい横顔にリリーは思わず見入ってしまう。
「今日は安定したいい風が吹いてるみたいだ。朝食後にソラを竜の森へ連れて行ってみようか」
「まぁ! 今日?!」
ピキ~!
シャリシャリシャリシャリ……
ソラと言う単語に反応した空色のウロコを持つ小さな竜は甘えた声を出し、リリーの手からキャベツをもりもり食べている。
「シルバーとぺコは森かな?」
ジョンはソラのウロコや翼の具合を確かめながらリリーに質問する。
「ええ、今朝は森の草を食べに行ったみたい。もうすぐ帰ってくると思うわ」
「2匹が戻ったら早速行こう」
「母竜に会えるといいね? ソラ?」
リリーは甘えるソラの頭を優しく撫でてやる。
ハロルドが盗んできたたまごはリリーとシルバーが交代で温め、ジョンのアドバイスのもと大事に育ててきた。ソラがペコの時よりも随分早く飛べるようになったのは、シルバーとペコが四六時中一緒にいて飛ぶ姿を見、ジョンの適切な訓練を受けてきた賜物だ。
いい風が吹いてる今日ならソラも竜の谷まで自力でとんでゆけるだろう。
「ねえジョン、私も行ってもいい?」
「勿論さ。でも……、もしも今日ソラの親が見つかったら、ソラはそのまま母竜のもとに留まるかもしれない。……今日が最後かもしれないことは覚悟しておくんだよ?」
ジョンは竜使いらしく、でもリリーの気持ちを思いやりながら、ソラを野生に帰す心構えを語る。
「う、うん! 分かってる!」
育ての母としては、これでお別れになるのかと思うと当然胸がきゅうっと痛くなる。以前から覚悟はしていたものの、いざ今日となると動揺は隠せない。
「リリー」
ジョンはリリーの体を引き寄せぎゅっと抱きしめる。そして「リリーもシルバーも本当にいい育ての親だよ」と耳もとで優しく囁いた。
「うん。ありがとう」
ピキュ~ン!
ソラがリリーのドレスのリボンをくいくいと引っ張って遊びはじめても、2人は暫く抱き合っていた。
その時ノックの音と共に若い侍女たちの声がした。
「ヨハン様リリー様、朝食をお持ちいたしました…………」
若くて可愛い侍女が二人、すでに開いているドアの中を覗き、バルコニーで抱き合う二人を見てピクッと一瞬で固まった。
「ももも申し訳ありませんっ!!」
赤面する待女たちと目が合ってしまったジョンはにっこり微笑んで「ごめんね。ドアを開け放っていたね。朝食はそこに置いておいてくれるかい?」と言って、もごもご動くリリーを腕の中に包みこむ。
「か、かしこまりました!」
侍女たちは二人の朝食をテーブルに並べると、慌てて部屋を後にした。
「ジョンったら!」
頬を真っ赤にしているリリーはジョンを抗議の気持ちを込めて見あげる。
「リリーのそういう顔も大好きだよ」
ジョンはそう言ってリリーに甘く優しいキスをした。
◆
「お二人は本当に仲が良くて羨ましいわ~!」
「ヨハン様があんなに大胆で情熱的な方だとは知りませんでしたわ。リリー様、可愛い方ですものね」
「早くお二人の赤ちゃんを見たいわね」
「私も結婚するならヨハン様のような愛妻家が良いわ」
二人に従事している侍女たちの間で、ジョンとリリーの仲の良さはすでに有名で、あんな夫婦になりたいと憧れの的になっている。
「夫婦が仲睦まじいことは、国の安定につながる」という言葉がカロン王国にはあるのだが、二人は正にその言葉を具現化したような存在となりつつある。
◆◆◆
ピキュ~ン! ピキュ~ン!
ジョンはシルバーに、リリーはペコの背中に乗って風に乗って飛んで行く。その後ろをソラが一生懸命翼を羽ばたかせながら付いて来る。
「ソラ、もうすぐだぞ! 頑張れ!」
ジョンは目の前に広がる竜の森を見渡しながら叫んだ。ハロルドたちがどの辺りでたまごを盗んだかは取り調べで判っている。
その近くの岩山の上に3匹は降り立ち、静かに竜の森を見おろした。
「ソラ、お母さんがこのあたりに住んでいるはずよ。鳴いてごらん? 声が届くはずよ」
リリーは小さな声でソラに語りかける。
ピキッ?
ソラはどうしてこの森へ連れて来られたか分からないという感じで首をかしげる。
ビギュー……
状況を理解したシルバーがソラの頬に鼻を付け、何かを伝達する。竜は時に無声で意志疎通をするようだ。数分の後、ソラは竜の森をゆっくりと見渡し、ピキュピキュと喉を小さく鳴らした。
「リリー、僕たちはシルバーの体の陰に隠れていよう。野生の母竜が怖がらないために」
「はい!」
ジョンとリリーがシルバーの体の陰に身を寄せるように座ると、ソラが遠慮がちに鳴き始めた。
ピキュー
ピキュー
ピキュー
ジョンとリリー、ペコとシルバーは静かにソラの姿を見守る。
ジョンは、ハロルドが母竜に銃を向けることはなかったという言葉を聞いていた。それが本当であることをひたすら祈る。数人の騎士たちは剣と共に銃をもって森へ入ったはずだ。たまごを抱く母竜は気が立っているから草食竜とは言え危険なのだ。母竜が生きていれば必ずソラの鳴き声に反応するはずだとジョンは確信している。
ピキュ~ン
ピキュ~ン
ピキューン!
ピキューン!
ソラは段々と大きくはっきりとした声で鳴くようになってきた。ペコがシルバーを呼んだ夜のことを思い出し、リリーは胸が熱くなる。
そうよ! ソラ、お母さんに届くように一生懸命鳴くのよ!
ピキューン!
ピキューン!
ピキューン!
ソラのしぼり出すような大きな声が竜の森にこだまする。
すると静かだった竜の森はざわざわと木が揺れ、あちらからもこちらからも大きな竜が飛び立ち、リリーたちの頭上をくるくると舞い始めた。その数は20匹を下らないだろう。
「す、凄い数の竜!」
リリーはあまりの迫力に体の震えをどうすることもどきなかった。野生の竜たちが自分たちのすぐ頭上を舞い、その翼と風の音がリリーたちの耳に大きく響いてくる。
「大丈夫だよリリー。怖がらないで」
ジョンはリリーの手をしっかり握り、舞い飛ぶ竜の美しさに目を見はる。
「こんなに近くでこんなに沢山の竜の舞を見るのは初めてだ……!」
ピキューン!
ピキューン!
ピキューン!
ソラはくるくると舞う大きな竜たちに呼びかけているようだ。
私のママはどこ?
ママ、帰ってきたよ?
ママ、私生きているよ!
沢山の竜の中で、ひときわ鮮やかにウロコが水色に輝く立派な竜が体をくねらせ、上へ上へと昇っていき、そして真っ逆様に落ちるように降りてきた。
ビギューン!!
ソラが岩山を蹴って飛び立つ。
2匹は絡まるように寄り添いながら、舞い、やがて竜の森の中に消えていった。
「良かったね! ソラ! お母さんに会えて……!」
リリーはポロポロ涙を流しながら、ソラと毋竜の再会を喜んだ。
「リリー、よく頑張ったね」
ジョンに優しく抱きしめられ、リリーは気がすむまで彼の胸の中で泣いた。
ピキュ~ン……
嬉しい反面寂しいのはペコも同じのようで、シルバーに甘えつつ、ソラの去っていった森を見おろしながら何度も声を上げて鳴いた。
「ソラ、幸せにね! 元気で生きていってね!」
リリーの願いを聞いているかのように、竜の森のはるか上空で、竜たちが喜びの舞を踊っていた。
◆◆◆
ソラが野生の竜たちの中へ戻って2週間、リリーは寂しさを感じながら過ごしていた。
「ソラ、元気にしているかしら?」
野生に戻れたのだから心から喜んであげるべきなんだわ。と思いつつも、たまごを温めるところから育てたリリーは、どうしても心にぽっかりと穴があいてしまったように寂しさを感じてしまうのだ。
ふぅ……。
「そうだわ。お父様たちが届けてくれたキャベツが山ほどあるんだったわ。ペコたちのためにバルコニーに出しとかなきゃ」
昨日届いたキャベツが詰まった籠が、2人の部屋に幾つも並べられている。
よいしょ、よいしょ。
リリーは朝日のさすバルコニーに籠をひとつ引きずっていき、中のキャベツを出して転がした。
「ふふ。鼻の良い食いしん坊のペコはすぐ飛んでくるわね」
リリーがそう言い終わるや否や、バッサバッサとペコが飛んでやってきてバルコニーに着陸した。
ズササー
ピキュ~ン
「ふふふ。やっぱり………、って……え……!?」
バッサバッサ、ズササー……
振り返るともう一つの塊がバルコニーに降りて来たところだった。
「え? うそ! ソ、ソラも一緒に?」
ピキューン!
何とペコのその後ろに、ソラがチョコンと座っているではないか。リリーは目を大きく見開いて、バルコニーにやってきたソラをぎゅーっと抱きしめた。
「そっか、ペコやシルバーは会おうと思ったら自由に会いに行けるものね? ペコが連れて来てくれたのね!」
ピキュ~ン……
ソラはリリーに存分に甘えた後、美味しそうにキャベツを食べ始めた。
シャリシャリ……シャリシャリ……
ソラは食べ終わるとペコと一緒に再び飛び立っていったのだが、
「うふ……。うふふ……」
その日、リリーは何度もソラのことを思い出しては幸せに浸ったのだった。
それからというもの、ソラは週に一度のペースでリリーたちに会いに来るようになった。
ジョンとリリーは野生のソラの母竜にはそれ以来一度も会っていない。たまごを盗られたことで人間に対して警戒心は大きくなったと簡単に想像できるし、それでいいのだと二人は思うのだ。
ソラは野生の母竜と人間たちの間を行ったり来たりするめずらしい竜となった。
何かの理由で捨て置かれる竜の子ども達を竜飼いたちは育て、竜使いたちに売る。竜使いたちはその竜を空中を駆ける馬として調教し、人や物を運ぶのに使う。
だが野生の竜はそのまま、できるだけ自然のまま生きていって欲しいとジョンとリリーは願っている。
◆
「ねぇジョン? ジョンは子どもの頃どうやって竜と友だちになったの? 野生の竜だったのよね?」
リリーはジョンに腕枕されながら彼を見つめる。静かな夜は穏やかに時間を刻んでいく。
「それは話しだすと長くなるから午後のティータイムにしてもいいかな?」
ジョンはわくわくしているリリーに申し訳なさそうに返す。でも彼の瞳は穏やかに笑っている。
「ええ勿論! ごめんなさい。疲れて休みたいわよね? 今日は環境保護の会議もあったし……」
リリーは今日一日ジョンが会議やアレク王子の補佐で飛び回っていたのを思い出し、反省する。離れて過ごした日は特に、ベッドに入ってからついついジョンとのお喋りを楽しみたくなるのだ。
「違うよ。今はリリーと別の意味で親睦を深めたいと思っているんだよ。もちろん異論は認める」
「あ……、……ええと。ーーも、もちろん異論はありません! よろしく、お願いします?」
二人はクスクス笑って、お互いの目を覗き込む。
「私、今とても幸せよ」そう言ってリリーは静かに目を閉じた。




