第14話(エピローグ)
深夜遅くに届けられた国王からの書状を読むリカルド。
じっと紙片を見つめている彼は、先ほどから厳しい表情で口を閉ざしていた。
ティナは邪魔をしないように静かに傍らに立ち、茶葉を入れたポットにお湯を注ぐ。
苦くないなら紅茶は一番好きな飲み物なのだ。
茶葉を蒸している間に、またリカルドの隣に腰かける。
テーブルに広げてある溜まりに溜まった首都住まいの貴族たちからの返信の続きを書くために、ティナは再びレターセットに向き合った。
「…王宮から、お呼び出しですか?」
もう何回も書いた詫びの文章を書きながら、気にしてないふりを装って聞いてみる。
あまり顔を見られたくない気分だろうと察したティナは、意識して視線を机の上の用紙に向けた。
その問いにリカルドは手紙から顔を上げたようで、ティナの耳には衣擦れの音と紙を畳む音が届く。
「いや。なんでもない。ロザリーはこっちで公正に裁くから手出し無用とのことだ。あと明後日まで絶対顔を出すなと念を押されてしまった」
「そうですか」
苦笑するリカルドに、ティナも苦笑を返す。
テーブルに視線を落としペンを動かすティナの腰に、ふいにリカルドは腕を回した。
ぎゅっと力を込めて抱きしめて、薄茶の髪に顔をうずめている。
「あの…リカルド様?」
「うん」
「動きにくいので、できれば離れていただきたいのですが」
「……無理だ」
「………」
聞き分けのない子供のような反応に、ティナはついため息を吐く。
(シルヴェストル陛下が今日と明日、お休みを下さったのって私の為では無かったのね)
信じていた侍女に裏切られ傷ついただろうティナを慰めるために、シルヴェストルは気を利かせてくれたのかと思ったのだ。
でもどうやら違うようだと、子供のように縋りついてくるリカルドを一瞥してよく理解した。
リカルドはシルヴェストルが帰ってからずっとこの調子で、ティナの側から離れない。
かと言ってティナを慰めるではなく、むしろ慰めてくれとばかりに甘えてきている。
まるで面倒な子供のような落ち込み方だ。
長い付き合いのシルヴェストルとキラールのこと。
リカルドがどういう時に落ち込んで、どういう時に使い物にならなくなるのかよく理解しているはずだ。
だからこれはきっと、明後日までに元の仕事の出来る側近に戻しておいてくれと、面倒な役割をティナに押し付けて来たのだろう。
----家のことを他人に任せっぱなしで簡単なチェックさえしていなかったこと。
屋敷が数年前と比べてやたらと煌びやかな内装に変わっていたこと。
美術品や装飾品が知らぬ間に増えていたこと。
必要以上の人数の使用人を雇っていること。
『侯爵家』だから絢爛豪華なのだと思っていたけれど、どうやら贅沢を好むロザリー一人の判断らしかった。
全て、彼はティナに指摘されて初めて気が付いたようで、抜けすぎていた己に対して自己嫌悪し、ずっと気落ちしているのだ。
「生まれたころから育ってきた家がここまで変わっているのに、どうして気が付かないのでしょうね」
リカルドにとって痛いところだと分かっていても、思わず指摘してしまうのは仕方ないだろう。
「……仕事が、忙しくてだな」
「そうですね。お仕事が忙しいから、仕方ないですね」
「…………。……すまない」
ティナを抱きしめる腕にまた力がこもって、思わず笑ってしまう。
持っていたペンをテーブルの上に置いて、ティナは身を返して横を向くとリカルドの頭を抱きしめた。
艶やかな黒髪を優しく撫でると、リカルドはさらに身体を傾けてティナに寄りかかってしまう。
本当に寄りかかられるとティナなど潰れてしまうので、おそらく力加減はしているのだろうが。
首元あたりまで倒れてきたリカルドの頭を撫で続ける。
そうしてしばらく甘やかしていたけれど。
「私、リカルド様は欠点なんてない完璧な大人の男の人だと思ってました」
ティナが小さな声で呟いた台詞に、リカルドは顔を上げた。
不安げに眉を下げるリカルドにやさしく微笑んでから続ける。
「仕事も出来て、国王陛下に信頼されるほど人柄も良くて、爵位も高くて、真面目でしっかりしてらっしゃって…リカルド様は私なんかにはもったいないほどの憧れの人でした」
ティナみたいに何一つ自慢出来るもののない小娘が、彼の妻と言う立場を得られるだけで幸せなことだと思った。
だから、理不尽な扱いを受けても仕方ない。
完璧なリカルドにティナみたいな女を本気で想ってくれるはずがないと、むしろ納得さえしてしまっていた。
「なのに実際は仕事以外は目に入れられない、すごく不器用な方で」
「…失望したか?」
「いいえ」
これ以上言うと泣き出してしまいそうなリカルドに、ティナは微笑んで首を振る。
「同じなんだなぁ、って」
リカルドはティナにとって手の届かない憧れの人だった。
でも駄目な所を知り、実は不器用なことを知った。
そして案外天然なことも分かって、やっと自分と同じ人間なのだと思えた。
背伸びしないで同じ高さを見ていられる、隣に立っていても他人の目が気にならない。
初恋に落ちた激情の勢いだけで縋りついていた時と今はもうまったく違う。
彼となら一緒に人生を共にしていける、家族になれると思った。
焦りも不安もなく自然にそう感じられるのだ。
下からじっとティナを見つめ続けているリカルドの前髪にそっと指を差し入れて髪を後ろに流す。
露わになった額に口づけを落として、また笑ってみせた。
「だから、いいんですよ。駄目なところがたくさんあっても。むしろ私でもあなたの助けになれると分かって嬉しいです。これからは他人に任せっぱなしにしないで、私に任せてくださいね?」
「ティナ…」
リカルドはティナの台詞に感動したように口元を緩ませている。
リカルドも、ティナに良く思われたくて気を張っていた部分があった。
毎晩ティナと話せなくても、側に居てくれるだけで幸せなのだと、起きて話をしてほしいなどと言うのは我儘だと自分に言い聞かせていた。
その結果、たくさんの誤解が生じてしまい結婚1か月にして早々に離婚の危機に陥ってしまったのだ。
「急ぎすぎていたんだな」
リカルドは早く自分のものにしてしまいたくて。
ティナもこの機会を逃したくなくて。
お互いを知りあい、分かりあう時間を飛ばして結婚してしまった。
結婚してからもその努力をどちらもしようともせず、仕方がないと2人そろって諦めてしまった。
リカルドは息を吐いてから、少し身を起こしてティナと視線の高さを合わせる。
小さなティナの頬にそっと指を差し入れて、親指で柔らかな頬をさすった。
「これからは早く帰れるように努力する。不安にさせないように何でも話す」
真剣な顔で言うリカルドに、ティナは笑って頷いた。
頬を包んでいる手のひらに自分の手を添えてすり寄るようにその暖かさを感じる。
「私も、リカルド様とたくさんお話したいです。良いことも悪いことも、何でも話していただきたいです」
「っ……そ、れは…」
リカルドの視線がティナから離れたことで、ティナは確信した。
逃さないように手に力を込める。
「先ほどのシルヴェストル陛下からのお手紙、嘘をつきましたね?」
「………」
「ね?」
笑顔でそう言うティナに、リカルドは迷うようなそぶりを見せた後にため息を吐く。
「敵わないな。聞いても楽しい話じゃないぞ」
「えぇ、でも私も関わっていることで黙っていられるのは嫌です」
「分かった。…だが、先にこっちだ」
「え……っ…」
ティナが反論する前に、リカルドは元から寄りかかっていた体に体重をかけてソファの上へティナを押し倒してしまう。
突然のことに驚いて目を見張るティナの様子に口端を上げ、額と額を合わせた。
「あの、紅茶がそろそろ…と言うかもうだいぶ渋くなってしまっているかと」
ずいぶん前にポットに注いだ紅茶は、もう飲める程度でなく濃くなっているだろう。
そんなどうでも良い事の心配をしている振りで逃れようとする妻を咎めるように、リカルドは唇を奪ってしまう。
「っ……」
「それも、後でだ。こちらの方が大事だからな」
そう言った旦那様は、野獣のように怖い獰猛な表情で、捕まえた獲物を食らうのだった…。
最後までお読みくださり有難うございました!