第54話 僕の予想を越える
最初のお茶会は、どうにか無事に終わった。
夫人たちは、来た時とは違う顔で玉座の間を出ていった。
不安が消えたわけではない。
すぐに王家へ味方すると決めたわけでもない。
けれど、帰る時の彼女たちは、もうただ怯えているだけではなかった。
子どもの未来。
娘にも学ぶ道を。
その言葉を、それぞれの胸に抱えているように見えた。
深緑のドレスの伯爵夫人は、最後に私へ深く礼をした。
「本日は、貴重なお話をありがとうございました」
「こちらこそ、お越しいただき感謝いたします」
私は礼を返した。
男たちが国を語ってきた場所。
そこに花を飾り、夫人たちを招き、子どもの未来を語った。
うまくできたのかは、まだ分からない。
けれど、始めることはできた。
「王妃様」
侍女長が静かに声をかけた。
「お疲れではございませんか」
「疲れました」
私は正直に答えた。
侍女長が、少しだけ目を丸くする。
私は小さく笑った。
「とても疲れました。けれど、倒れるほどではありません」
「それならば、ようございました」
「片づけをお願いします。夫人方への礼も忘れずに」
「かしこまりました」
◇
私は一度だけ玉座の方を見た。
イザベラ上王妃様は、すでに玉座にはいなかった。
私の話に飽きたのか、お腹が膨れたのか、その両方だろうか。
途中で立ち上がると、宝石箱を侍女にしっかり持たせた。
機嫌は、悪くなさそうだった。
「エレノア」
「はい、上王妃様」
「次にあの魚を出す時は、もっと多く用意しなさい」
「かしこまりました」
「それから、この首飾りは悪くありません。古い品ですが、趣味は悪くないわ」
「お気に召していただけて、光栄です」
イザベラ上王妃様は、満足げに頷いた。
そして、玉座の間を出て行かれていた。
侍女に宝石箱を持たせたまま。
その背を見送りながら、私は胸の奥で静かに息を吐いた。
上王妃様が、私の思惑通りに動いてくださってよかった。
もちろん、うまくいかなかった時のことも考えていた。
もし本当にこの場を壊そうとされたなら、兵に命じてお戻りいただくつもりだった。
上王妃様も、そのあたりはどこかで分かっていたのかもしれない。
だからこそ、あの方は玉座に座った。
料理を食べた。
宝石を受け取った。
そして、私に言った。
このまま進めなさい、と。
それだけで十分だった。
上王妃様は、味方になったわけではない。
改革を理解したわけでもない。
私が許したわけでもない。
けれど、今日この場では、私の茶会を壊す側ではなく、私の茶会の中に座る側になった。
それは、エーレンフェルト公爵にとって大きな足かせになる。
玉座の間で女たちがお茶会など不敬だと責めれば、自分の妹である上王妃様もそこに座っていたことになる。
伯爵家の夫人たちを罰せよと言えば、上王妃様の顔にも泥を塗ることになる。
何とか思惑通りに進められた。
◇
私は玉座の間をでると、私たちの私室へ向かった。
レオンハルト様は回復されている。
けれど、まだ無理はできない。
長く話せば疲れてしまう。
そう分かっているのに、足は少し急いでいた。
今日のことを、早く伝えたかった。
私が部屋に入ると、レオンハルト様はすぐに顔を上げた。
寝台に身を預けている。
顔色はまだ戻りきっていない。
それでも、その紫の瞳は、いつものように私を見ていた。
「エレノア」
その声には、隠しきれない心配があった。
「無事に終えられたのか」
「はい」
私は笑った。
「何とか、一人でできました」
その瞬間、レオンハルト様の表情が少し緩んだ。
私は、茶会の様子を伝えた。
伯爵家の夫人たちに、国心学院の話をしたこと。
娘にも学ぶ道を示したこと。
夫人たちが、子どもの未来について考え始めたこと。
イザベラ上王妃様がいらしたこと。
玉座に座っていただいたこと。
そして、このまま進めなさい、と言ってくださったこと。
レオンハルト様は、しばらく黙っていた。
やがて、額に手を当てる。
「……玉座の間をお茶会にすることは聞いていた」
小さくつぶやくような声だった。
「けれど、イザベラ上王妃を玉座に座らせるとは思わなかった」
私は黙っていた。
レオンハルト様は、今度は笑った。
声を立てない、けれど本当におかしそうな笑いだった。
「私が最も扱いに困っていた人を、料理と宝石と見栄で絡め取って、茶会の共犯にしたわけだ」
「共犯、というほどでは」
「いや、共犯だ」
レオンハルト様は、楽しそうに目を細めた。
「玉座に座り、料理を食べ、宝石を受け取り、その場で進めろと言った。もう外から責めることはできない」
私は少しだけ目を伏せた。
「上王妃様には、少し申し訳ないことをしたかもしれません」
「君が?」
「はい。たぶん、喜んでくださるものを並べました」
「見事だ」
「見事、でしょうか」
「見事だよ。イザベラ上王妃は、理屈では動かない。誇りと見栄と、自分が特別に扱われているという感覚で動く。君はそこを間違えなかった」
レオンハルト様は、息を吐いた。
呆れたようでもあり、感心したようでもあった。
「玉座の間を女たちの政治の場に変えるなど、私には思いつかなかった」
そして、少しだけ悔しそうに目を細める。
「エレノア、君はいつも僕の予想を越えていく」
レオンハルト様が笑っていた。
少し元気になって、楽しそうに、私を見て笑っていた。
それだけで、胸の奥がほどけた。
涙が、またあふれてきた。
婚約を破棄された時でさえ、私は泣かなかったのに。
愛を知ったら、私は泣き虫になってしまったらしい。
「エレノア」
困ったような声に、私は返事もできず、レオンハルト様の胸に顔を寄せた。
まだ力の戻りきらない腕が、そっと私を抱いた。
また、心配をかけてしまった。
そう思うのに、涙はなかなか止まらなかった。
「よくやった」
レオンハルト様が、静かに言った。
「君は、私ができなかったことをした」
私は首を振った。
そんな立派なことをしたつもりはなかった。
ただ、必死だっただけだ。
レオンハルト様を守りたかった。
この人が命を削って進めようとしている改革を、私も支えたかった。
それだけだった。
「私は……怖かったです」
「うん」
「上王妃様が本当に怒って、場を壊そうとしたらどうしようかと思いました」
「それで?」
「その時は、兵にお願いしてお戻りいただくつもりでした」
レオンハルト様が、一瞬黙った。
そして、小さく笑った。
「やはり君は、僕の予想を越える」
「笑いごとではありません」
「笑いごとではないから、笑っているんだ」
意味が分からなかった。
私が顔を上げると、レオンハルト様は少しだけ目を細めた。
「エレノア。君は優しい。けれど、ただ優しいだけではない。必要なら、相手を玉座に座らせる。必要なら、兵も使う。君はもう、自分の手を汚す覚悟を知っている」
「それは……よいことなのでしょうか」
「王妃としては、必要なことだ」
レオンハルト様の声は、静かだった。
「ただし、一人で背負いすぎてはいけない」
その言葉に、また涙が出そうになった。
私は目を伏せる。
「また泣きそうです」
「泣けばいい」
「困ります」
「私は困らない」
レオンハルト様は、弱った腕で私を抱いたまま、少しだけ笑った。
「君が泣ける場所が、ここであるなら、それでいい」
私は何も言えなくなった。
胸の奥が痛いほど温かかった。
窓の外では、午後の光が少しずつ傾いていた。
玉座の間で始まった小さな変化は、きっとこれから王宮中へ広がっていく。
伯爵家の夫人たちは家へ帰り、夫に話すだろう。
子どもたちに話すだろう。
上王妃様が玉座で茶を飲み、王妃の話を許したと、社交界に広がるだろう。
エーレンフェルト公爵も、黙ってはいない。
また何かを仕掛けてくるかもしれない。
それでも、私はもう、ただ怯えるだけではない。
怒鳴るのではなく。
脅すのでもなく。
扉を壊すのでもなく。
私は、私のやり方で戦う。
レオンハルト様の胸に顔を寄せたまま、私は小さく息を吸った。
まだ涙は止まっていない。
けれど、不思議と怖くはなかった。




