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<長編版>妹に婚約者を譲れと言われたので、慰謝料をもらって旅に出ることにしました   作者: momotarou


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第54話 僕の予想を越える

 最初のお茶会は、どうにか無事に終わった。


 夫人たちは、来た時とは違う顔で玉座の間を出ていった。


 不安が消えたわけではない。


 すぐに王家へ味方すると決めたわけでもない。


 けれど、帰る時の彼女たちは、もうただ怯えているだけではなかった。


 子どもの未来。


 娘にも学ぶ道を。


 その言葉を、それぞれの胸に抱えているように見えた。


 深緑のドレスの伯爵夫人は、最後に私へ深く礼をした。


「本日は、貴重なお話をありがとうございました」


「こちらこそ、お越しいただき感謝いたします」


 私は礼を返した。


 男たちが国を語ってきた場所。


 そこに花を飾り、夫人たちを招き、子どもの未来を語った。


 うまくできたのかは、まだ分からない。


 けれど、始めることはできた。


「王妃様」


 侍女長が静かに声をかけた。


「お疲れではございませんか」


「疲れました」


 私は正直に答えた。


 侍女長が、少しだけ目を丸くする。


 私は小さく笑った。


「とても疲れました。けれど、倒れるほどではありません」


「それならば、ようございました」


「片づけをお願いします。夫人方への礼も忘れずに」


「かしこまりました」



 私は一度だけ玉座の方を見た。


 イザベラ上王妃様は、すでに玉座にはいなかった。


 私の話に飽きたのか、お腹が膨れたのか、その両方だろうか。


 途中で立ち上がると、宝石箱を侍女にしっかり持たせた。


 機嫌は、悪くなさそうだった。


「エレノア」


「はい、上王妃様」


「次にあの魚を出す時は、もっと多く用意しなさい」


「かしこまりました」


「それから、この首飾りは悪くありません。古い品ですが、趣味は悪くないわ」


「お気に召していただけて、光栄です」


 イザベラ上王妃様は、満足げに頷いた。


 そして、玉座の間を出て行かれていた。


 侍女に宝石箱を持たせたまま。


 その背を見送りながら、私は胸の奥で静かに息を吐いた。


 上王妃様が、私の思惑通りに動いてくださってよかった。


 もちろん、うまくいかなかった時のことも考えていた。


 もし本当にこの場を壊そうとされたなら、兵に命じてお戻りいただくつもりだった。


 上王妃様も、そのあたりはどこかで分かっていたのかもしれない。


 だからこそ、あの方は玉座に座った。


 料理を食べた。


 宝石を受け取った。


 そして、私に言った。


 このまま進めなさい、と。


 それだけで十分だった。


 上王妃様は、味方になったわけではない。


 改革を理解したわけでもない。


 私が許したわけでもない。


 けれど、今日この場では、私の茶会を壊す側ではなく、私の茶会の中に座る側になった。


 それは、エーレンフェルト公爵にとって大きな足かせになる。


 玉座の間で女たちがお茶会など不敬だと責めれば、自分の妹である上王妃様もそこに座っていたことになる。


 伯爵家の夫人たちを罰せよと言えば、上王妃様の顔にも泥を塗ることになる。


 何とか思惑通りに進められた。



 私は玉座の間をでると、私たちの私室へ向かった。


 レオンハルト様は回復されている。


 けれど、まだ無理はできない。


 長く話せば疲れてしまう。


 そう分かっているのに、足は少し急いでいた。


 今日のことを、早く伝えたかった。


 私が部屋に入ると、レオンハルト様はすぐに顔を上げた。


 寝台に身を預けている。


 顔色はまだ戻りきっていない。


 それでも、その紫の瞳は、いつものように私を見ていた。


「エレノア」


 その声には、隠しきれない心配があった。


「無事に終えられたのか」


「はい」


 私は笑った。


「何とか、一人でできました」


 その瞬間、レオンハルト様の表情が少し緩んだ。


 私は、茶会の様子を伝えた。


 伯爵家の夫人たちに、国心学院の話をしたこと。


 娘にも学ぶ道を示したこと。


 夫人たちが、子どもの未来について考え始めたこと。


 イザベラ上王妃様がいらしたこと。


 玉座に座っていただいたこと。


 そして、このまま進めなさい、と言ってくださったこと。


 レオンハルト様は、しばらく黙っていた。


 やがて、額に手を当てる。


「……玉座の間をお茶会にすることは聞いていた」


 小さくつぶやくような声だった。


「けれど、イザベラ上王妃を玉座に座らせるとは思わなかった」


 私は黙っていた。


 レオンハルト様は、今度は笑った。


 声を立てない、けれど本当におかしそうな笑いだった。


「私が最も扱いに困っていた人を、料理と宝石と見栄で絡め取って、茶会の共犯にしたわけだ」


「共犯、というほどでは」


「いや、共犯だ」


 レオンハルト様は、楽しそうに目を細めた。


「玉座に座り、料理を食べ、宝石を受け取り、その場で進めろと言った。もう外から責めることはできない」


 私は少しだけ目を伏せた。


「上王妃様には、少し申し訳ないことをしたかもしれません」


「君が?」


「はい。たぶん、喜んでくださるものを並べました」


「見事だ」


「見事、でしょうか」


「見事だよ。イザベラ上王妃は、理屈では動かない。誇りと見栄と、自分が特別に扱われているという感覚で動く。君はそこを間違えなかった」


 レオンハルト様は、息を吐いた。


 呆れたようでもあり、感心したようでもあった。


「玉座の間を女たちの政治の場に変えるなど、私には思いつかなかった」


 そして、少しだけ悔しそうに目を細める。


「エレノア、君はいつも僕の予想を越えていく」


 レオンハルト様が笑っていた。


 少し元気になって、楽しそうに、私を見て笑っていた。


 それだけで、胸の奥がほどけた。


 涙が、またあふれてきた。


 婚約を破棄された時でさえ、私は泣かなかったのに。


 愛を知ったら、私は泣き虫になってしまったらしい。


「エレノア」


 困ったような声に、私は返事もできず、レオンハルト様の胸に顔を寄せた。


 まだ力の戻りきらない腕が、そっと私を抱いた。


 また、心配をかけてしまった。


 そう思うのに、涙はなかなか止まらなかった。


「よくやった」


 レオンハルト様が、静かに言った。


「君は、私ができなかったことをした」


 私は首を振った。


 そんな立派なことをしたつもりはなかった。


 ただ、必死だっただけだ。


 レオンハルト様を守りたかった。


 この人が命を削って進めようとしている改革を、私も支えたかった。


 それだけだった。


「私は……怖かったです」


「うん」


「上王妃様が本当に怒って、場を壊そうとしたらどうしようかと思いました」


「それで?」


「その時は、兵にお願いしてお戻りいただくつもりでした」


 レオンハルト様が、一瞬黙った。


 そして、小さく笑った。


「やはり君は、僕の予想を越える」


「笑いごとではありません」


「笑いごとではないから、笑っているんだ」


 意味が分からなかった。


 私が顔を上げると、レオンハルト様は少しだけ目を細めた。


「エレノア。君は優しい。けれど、ただ優しいだけではない。必要なら、相手を玉座に座らせる。必要なら、兵も使う。君はもう、自分の手を汚す覚悟を知っている」


「それは……よいことなのでしょうか」


「王妃としては、必要なことだ」


 レオンハルト様の声は、静かだった。


「ただし、一人で背負いすぎてはいけない」


 その言葉に、また涙が出そうになった。


 私は目を伏せる。


「また泣きそうです」


「泣けばいい」


「困ります」


「私は困らない」


 レオンハルト様は、弱った腕で私を抱いたまま、少しだけ笑った。


「君が泣ける場所が、ここであるなら、それでいい」


 私は何も言えなくなった。


 胸の奥が痛いほど温かかった。


 窓の外では、午後の光が少しずつ傾いていた。


 玉座の間で始まった小さな変化は、きっとこれから王宮中へ広がっていく。


 伯爵家の夫人たちは家へ帰り、夫に話すだろう。


 子どもたちに話すだろう。


 上王妃様が玉座で茶を飲み、王妃の話を許したと、社交界に広がるだろう。


 エーレンフェルト公爵も、黙ってはいない。


 また何かを仕掛けてくるかもしれない。


 それでも、私はもう、ただ怯えるだけではない。


 怒鳴るのではなく。


 脅すのでもなく。


 扉を壊すのでもなく。


 私は、私のやり方で戦う。


 レオンハルト様の胸に顔を寄せたまま、私は小さく息を吸った。


 まだ涙は止まっていない。


 けれど、不思議と怖くはなかった。


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