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56.躊躇

 ザーシャがコーエンに連れて来られたのは、開拓村の中でも比較的人気の少ない倉庫近くの空き地だった。取って付けたような丸太の椅子とテーブルがあるだけで、今も人の気配は無い。


「いいだろここ、静かで。俺のお気に入りの場所なんだ」


「意外だな、言っちゃ悪いがあんたは騒がしい人かと思ってた」


 いつも仲間内で騒いでいる印象しかなかったザーシャにとって、これは本心からの言葉だった。


「まあ……仲間といるのも好きだけどよぉ、一人になりてぇって時もあんだろ。何にもしないで、ただ考え事に耽る時間ってのも俺は好きだぜ」


「そういうもんなのか」


「そういうもんだ」


 達観したような台詞を吐き、コーエンは丸太椅子に腰を下ろす。それに習い、ザーシャも横にあったもう一つの椅子へ座った。


「おっ、それが坊主の飯か。美味そうだな」


「確かに味は良い……」


 ザーシャが何処か複雑な顔で取り出したのは、肉と野菜をパンで挟んだサンドイッチだった。これはアーミラの手製の物で、彼女が自ら作ったタレと調味料を使って味付けがされている。


 曰く、サンドイッチは手軽に食べられて栄養バランスも良いとのこと。特に野菜は鉄分やビタミンを摂る為に多めに挟まれており、肉も高タンパクな鶏を使っていると言っていたが、ザーシャには半分程何を言っているのかが理解出来なかった。


 一つだけ分かるのは、彼女に食生活を管理されているということだけ。


(全く……アイツは俺の母親か何かか?)


「……美味いけどさ」


「ならいいじゃねえか、それとも何か不満でもあんのか?」


 自分の従者の食事を作る貴族の話など、聞いたことが無い。それも食事に時間を掛けたくないザーシャの事を考え、片手間に食べられるサンドイッチにしてくれる心遣いも感じられる。そう思うと、何だか無性にむず痒い気持ちに襲われた。


「昔と比べれば、食わせて貰ってる今はすげぇ有り難いって思っただけだ」


「そりゃどういうこったよ」


 訝しむコーエンに、ザーシャは少し自嘲気味に笑った。


「俺、王都の貧民窟の出身なんだ」


「貧民窟、もしかして外壁街の事か?」


「そういやみんなそう呼んでたっけ、どうでも良いと思ってたから気にした事なかったな」


 覚えている限りで最も古い記憶は、薄汚れた路地裏でゴミを漁っている同じ孤児の子供の後ろ姿。それ以前となると、両親の顔すら思い出せない。


「その……実は俺もなんだ。今こうして普通に暮らしてるが、昔は外壁街に住んでた」


「あんたも?」


 思わぬ共通点が見つかり、ザーシャの顔に驚きが浮かぶ。


「あそこは殆ど食うもんがねぇからな。腐りかけのパンでもごちそうだったし、本当に何もねぇときはゴミに群がる虫を食って凌いだもんさ」


「分かる! 飛んでる奴はアレだけど、蛆はまだ食える味してるんだよな」


「しかーし! もっと最悪なのは、這い回ってる黒光りした奴だ。匂いがキツいし、油が舌に残ってすんげぇ後味悪いんだわ」


 そして何故か始まった食虫談義が盛り上がり、二人はその最中にも昼食を片付けて行く。虫を食べる話をしながらと知れば、確実にアーミラが激怒すると頭の隅で思いながらも、動く口は止められない。


「で、坊主はどっかグループに所属してたのか? 孤児なんて、群れなきゃ生きてられなかっただろ」


「いや、俺は一人だった。グループは大抵ノルマがあるだろ、あれで失敗した奴がリンチで死んだのを見てな……」


「……そりゃ気の毒だ。あの街じゃガキの方がよっぽど残酷かも知れねぇ。生きるために、自分より年下のガキを殺しちまうんだからよ」


 コーエンはどこか諦観の念の籠もった声音でそう言うと、徐に食事をする手を止めた。


「ただ、それが正解なんだよな。あんな地獄みてぇな世界で生きるにゃ、使えねぇ奴を蹴落とすか、力のある奴に上手くすり寄るしかねぇ」


「ごめん……何か嫌な事を思い出させて」


「いんだよ、俺は別に悪い思い出とは思ってねぇしな」


 宥めるような言葉に、ザーシャは少し居心地が悪くなって視線を逸らす。


「この先どうなるかも分かんねぇけど、俺はあいつらに出会えただけでも十分人生に満足してんだ」


「あいつらって、いつも一緒にいる連中だよな」


「おう、馬鹿で喧嘩っ早いが、皆俺を慕ってくれてる。ガキの頃からの付き合いさ」


 コーエン・グレイマン。確かに頭の回転が早く人を纏める力もあり、リーダーという言葉の似合う男だとザーシャも知っている。昔はスラムの子供たちの親分だったとしても、何ら不思議ではない。


 今回の経歴の偽装も、彼が主導で行った事であることは明白。しかし、ここまでの話を聞いたザーシャには、彼らが何か特別な目的があってここにいるとは思えなかった。


 スラム出身の四人組、単に仕事を求めてやって来た――現時点ではそういう結論に至り、完全に警戒を解いてしまった。


「俺はあいつらの為ならなんだってする覚悟がある。ここまで来たのだってそうだ」


「そこまで言い切れる相手がいて、羨ましいな」


「坊主だって、あのお嬢様がいるだろ」


「いや、なんつーか……まだ分かんねぇ。アイツ見てると危なっかしくてつい助けたくはなるけど、喧嘩ばっかだし……」


「ナハハ! つまり嫌いじゃねぇって事じゃねーか。そういうのを"喧嘩するほど仲が良い"って言うんだぜ」


 少し嬉しそうに笑うコーエンに、ザーシャは顰めっ面で頭を掻いた。図星を刺され、恥ずかしくなってしまったのだ。


「アイツは……孤児だった俺とも、ちゃんと対等に接してくれる。喧嘩だって、あっちが付き合ってくれてるのは分かってんだ。上手く言葉に出来ねぇけど、感謝もしてるし……その、一緒にいて悪い気はしない」


「そうか、やっぱり坊主にとっての大事な人はあのお嬢様ってことだな」


「い、いや別にそんなんじゃねーし!? ただこう、俺は義理堅いから受けた恩は返すだけであって……!」


「分かった分かった。いやぁ、いい話聞けたぜ。後であいつらにも聞かせてやんねぇと。ほれ、昼休みはもう終わりだ、坊主は帰んな」


「ったく……なんだよ、絶対分かってねぇだろ……」


「俺の気の変わらねぇ内に早く戻れ」


「……えっ、今なんて言ったんだ?」


「だーかーら、午後は忙しいんだよ! 俺もそんな暇じゃねーっての!」


 ザーシャはどこか釈然としないまま、追い払われるようにその場から立ち去る。その後姿を見送る男が、背に隠したナイフに手を伸ばしかけ――そのまま降ろした事にも気付かず。














「――――兄貴」


「……黙ってろ、俺が一番分かってる」


 その後、倉庫の陰から姿を現した三人に声を掛けられ、コーエンは静かにそう答えた。同郷の、それも同じような経験をしてきた相手に情が湧いたわけではないが、ほんの僅かな逡巡があった。


 コーエン自身、殺すことを躊躇ってしまった事に驚いていた。このままでは拙い事になるのは明白なれど、心の何処かで殺さなくて良かったとすら思う始末。


 これがやがて一味に降りかかる最初の受難となることを、彼らの中に一人として知る者はいない。


 

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