43.招待状
未だに鮮明に覚えている。
「――――叔母さん、樹里が死んじゃった。母さんも父さんもずっとご飯食べさせてくれなくて、クーラーも無いから暑くて、でも樹里が汗搔かなくて、水飲ませようとしても駄目だった」
あの日、冷たくなった妹を抱えて家の前に立っていたアキラの姿を。
頬に大きな青痣があり、何か鋭利なもので切ったのか顎には深い切り傷が刻まれていた。裸足で、服は黒ずんで汚れており、アキラ自身もう何日も体を洗っていないようだった。
アキラは私の母親の兄の子供で、従弟だ。同じ県に住んではいるが、私の家は都心から離れた山の方にあって、彼の家とはかなり離れている。
「俺、家族なのにあの人達が憎いよ。どうしよう、叔母さん」
憎悪の炎を――爛々と昏い光を宿した瞳と、私は目が合った。それを見た母は玄関を飛び出し、二人を抱きしめた。もう動かない樹里とアキラを掻き抱くようにして、母は何度も「ごめんね」と言いながら、泣いていた。
□■□■
移民たちには荷物を各々に充てがわれたテントに下ろし、旅の疲れを取るように言って一先ず解散した。今日は懇親会でもやって、本格的な作業は明日から始める。俺もテントに戻り、今後の計画を見直そうかと思っていた所。
「失礼します。アーミラ様、今よろしいでしょうか?」
気怠げな声音の挨拶と共に、顔を出したのはゲイルだった。相変わらずボサボサの髪を後ろで一つに束ねてはいるが、以前会った時より血色が良いと言うか……中々な日焼け具合。
彼には先んじて龍脈による侵食の無いここの土壌を使い、リガティアで育たない植物の交配をお願いしていた。具体的に言うと大根やからし菜、異国から仕入れた種も発芽実験を行っている。日夜村の隅にある実験用の畑で作業をしているので、健康的な肌色を手に入れたのだろう。
「交配実験の報告に参りました」
「それはなんと、仕事が早くてとても助かります」
「では、現物から……此方が二代目の種子たちになります」
「随分多いですね」
ゲイルが簡易机に取り出したのは、それぞれ箱で小分けにされた植物の種。ざっと十種類はあるだろうか。
「実験的な耕作ですので、まだ完全とはいえませんが、生命力という点で言えば基準点を超えているかと。秋蒔きにするならば、こちらの菜っ葉類からですね」
提示された箱にはダイコンとカブ、カラシ菜の種子の文字が入っている。因みにこれらにもこの世界の固有名はあるが、俺の知っている名前で統一してもらう事にした。周囲は品種名のようなものだと思ってくれているので、今のところ問題は起きていない。
「農家出身が多いとは言え、彼らも小麦や大麦と違って間引きのいる野菜は始めてでしょう。今後は実験の経験で得たことも含め、農業についての指導も行っていきます」
「……すいません、色々と任せきりで」
「いえ、これは私が好きでやっていることなので……。その……今まで研究ばかりしていましたが、私はこうして土をいじる方が性に合っていると気付きました……」
そう言って目を輝かせる姿はまるで好きな事に没頭する少年のようで、やる気に満ち溢れていた。とは言ってもあんまり働き過ぎて倒れられても困るし、彼の補佐が出来る人材も探さないとな……。
「それから、これは私的な話なのですが……私の実家はご存知でしょうか?」
「勿論、ゲイル氏の実家と言えば、あの縫製で有名なクレーデル伯爵家でしょう」
クレーデル伯爵家は王都を挟んで少し西にある場所に領地を持つ、蚕の飼育と縫製業が盛んな地域だ。クレーデル家自体も『トエル』という自社ブランドを持っており、そこのドレスを着ることは貴族のステイタスでもある。
「実は、実家に近況報告の手紙を送った所、私の妹が貴女に興味を持ったようでして、一度会いたいと言っているのです」
「私にですか?」
客観的に見て変人であろう俺に興味を持つなど、これはまたなんとも奇特な女の子もいたものだ。もしかして珍獣でも見るつもりでそう言ってるのかもしれないが。
「来週開く予定のお茶会があるので、行って頂けると幸いなのですが」
「構いませんよ、トエルのドレスも一度直に見てみたかったことですし」
「おお、そうですか……妹の我儘に付き合わせる形になり申し訳ありません。こちらが招待状です、地図も同封してありますので」
何より貴族同士の繋がりを作るのは大事なことだ。社交に向いている訳では無いが、子供のお茶会くらいなら俺でも問題なく乗り切れるだろう。後はそろそろアイザックやリーン以外の、"至って普通の貴族の子供"を見ておきたい気持ちがある。
ただ、しかしそうなると一度実家に帰って、お茶会用の服を持って来なければ。
こっちでは動き回ることも多いし、基本的に短パンスタイルでいる予定だった。体術の修行が始まって改めて思ったけど、やっぱりズボンは楽なんだよな。下着がドロワーズタイプなのでかなり蒸れるが。
「お茶会の件どうぞよろしくお願いしますね。それでは、私はこれで失礼します」
「ええ、しかと承りました」
話を終えるとゲイルは満足気にいそいそと退出していくが、これもしかして……お茶会の方が本命の相談だったのでは?
◇
開拓村から実家のある街までは、馬車で凡そ四時間程掛かる。馬であればその半分、徒歩だと半日くらいか。何れにせよ正規の移動手段を使うと、結構な時間を無駄にしてしまう。
そして恐らくしょっちゅう実家と行き来するであろう事を想定し、危惧した俺は予め対策を講じていた。
テントの中にある小さめの空間に置かれた台座、そこには古代魔術に用いる真言で記された魔法陣が刻まれている。効果は大まかに『目印』と『導線の維持』だ。因みにこれと同様の物が実家の自室にも置いてある。
これは転移魔法を長距離用に調整したもので、目印である台座に乗って魔法を発動させると、繋がった先の台座へとテレポートする装置。師匠曰く、目算で見えない場所への転移は不可能だが、こう言った目印を作っておけば飛べるとのこと。
目印になれば形は何でも良く、俺はゲームにあったファストトラベル機能を参考にして作った。マップの各所にある祠の台座から転移するのだが、恐らくあれも明言はされていないだけで空間属性の魔道具――あるいはマギアテックだったのだろう。
勿論これは空間属性のマナを持たない者は使えないし、万一使えたとしても俺と師匠以外が乗ると全く関係のない別の場所に飛ばされるように設定してある。
王都の邸宅の方にも送って置いておくように言っているので、実は俺だけいつでも遊びに行けたりする。
「『転移』」
今回はアドルナード本邸――俺の部屋に飛ぶ為、そちらを選んで転移魔法を発動。
若干の浮遊感の後、目の前の景色が一瞬で切り替わる。見慣れた可愛らしい家具と本の並ぶ、不服だがそれなりに女の子らしい部屋だ。
「――――ッ!?!?」
が、ちょうどメイドの一人が部屋の掃除中だったようで、部屋の隅に突然現れた俺を見て固まっている。
「お……お帰りなさいませ、アーミラお嬢様」
「あ、はい驚かせてすみません、只今戻りました」
辛うじて使用人としての矜持が保ったのか、おずおずと頭を下げて掃除を再開した。いや、本当に申し訳ない。次からこんなことが無いように転移魔法陣は、人気の無い場所に移しておこう。
それから自室のクローゼットにあるドレスを幾つか鞄に詰め、アランの書斎へと向かった。
アランは俺がリフカの弟子になった事を未だに良く思っていないので、最近は余り言葉を交わすことが無い。グランの知人であり食客として無下には出来ず、かと言って基本的に四六時中俺の側にいる為近寄りたくもなく……と言った感じだ。
そういう所が子供っぽいのだが、気持ちは分からんでもない。幼少期にもし好きな子が共通の知り合いの、それも自分よりも年上の男に夢中だったら俺だって嫌いになる。
とは言えこのままではいけないので、一応ちゃんと話し合いをしておくべきだろう。
「父様、私です」
「アーミラか、入っていいぞ」
部屋の扉をノックし、徐に開く。アランは執務机に向かっており、積まれた書類を片付けているようだった。仕事が増えた分、こうして机に縛られる時間も増えた。
使用人がお茶を淹れる準備をする横で、俺は応接用のソファに腰掛ける。その向かいにアランもやって来て、久しぶりの親子の時間が始まった。
「早速アイツに教わった魔法を活用してるみたいだな」
「ええ、とても便利です」
空間魔法のことも知っていたのか、俺がこちらにいることを驚きもしない。やっぱり知名度が無いだけで、別に師匠が秘匿しているわけではないんだな。
「開拓村の件で何か問題でもあったか?」
「そうではなくて、最近は父様と余りお話出来ていなかったので。賢者様への師事についても、ちゃんと話し合うべきだとも思ってのことです」
そう言うとアランは少し考えるように宙空へ視線を送り、筆を置いた。
「知っての通り、俺はリフカ様が嫌いだ。凄い人だと言うのは分かっているが、幼い頃から敵視してたからな」
「母様はそんなにあの人に夢中だったのですか?」
俺の問いを聞いたアランの顔に苦笑が浮かぶ。
「そりゃもう、あの人しか見えない――なんてレベルだった。俺なんて眼中に無くて、どれだけ必死にアピールしてもずっとリフカ様の事を追いかけてた」
「それは……もう、なんとも……」
グランとリヒターから聞いた話では、うちの両親は結婚するべくしてしたような感じだった。だが、アランの言葉からは、一時的な大人への憧れからくる恋心のようなものだったとは思えない。
「まあ、でも皮肉な話さ。俺たちとあの人とは住む世界が違う、リフカ様は隣に誰の存在も必要としない人だった。リリアナもそれに気付かざるを得なかったから、割り切ったんだろうな」
モニカもただの旅の道連れ、リリアナは幼い頃の淡い片思い。
何と言うか、師匠は人付き合いに一線を敷く人間だ。その理由は、余りにも長生きしすぎているからだろう。
千年前から生き続ける師匠の人生で、一体どれだけの別れがあったか想像もつかない。例え伴侶を作ったとして、その女性はたった一世紀も足らずに死んでしまう。なら初めからそんな存在を作らない方が良いことは想像に容易い。
「だからお前を弟子に取ると言った時は、正直驚いた。あの人が弟子を取ろうとする素振りは、俺の知る限りじゃ無かったからな」
「言われてみれば、結局あの人の方が私よりも長く生きるわけですから、弟子を取る意味は余り無いですね」
不老の霊薬を飲んで老いない体になった師匠は、誰かに殺されるか自殺する以外に死ぬことはない。それも本人が世界で指折りの強者であり、特に自殺するようなメンタルの持ち主でも無いことから、順当に行くと必ず俺の方が先に死ぬ。
「ただ、一つだけ心当たりがある。リフカ様の右目は魔眼で、他人の未来が見れる力を持つらしいから、もしかするとお前を見て何かを感じたのかもな」
「私の未来……」
「俺が弟子入りに反対しても、止めなかったのはそういう理由からだ。ま、実際のところは本人しか分からないが」
ターバンの布で覆われた右目は、俺と同じ仙瞳だと思っていた。もしこの話が事実ならあの川辺で出会った時から――いや、そもそもこの領に来ようとしたのも何かの運命だったのかもしれない。
村の方に帰ったら、それとなく聞いてみるか。




