41.蛇とコーエン一味
王都の郊外、外壁の外に築かれた下民たちの街を彷徨う人影が四つ。
「……追手は来てねぇようだな」
その先頭を歩く男の名はコーエン・グレイマン。嘗てウロボロス・ファミリーの構成員として闇社会に属し、後ろ暗い悪事の一端を担っていた。
それも凡そ半年程前――上層部からの『アドルナード家を出入りする子供を捕えよ』という指示を受けてアーミラ・アドルナードを襲撃し、薄明の騎士の一人に返り討ちにあったことで全てが潰えた。
「兄貴ぃ……俺たち、これからどうすればいいんだよぉ……」
「黙って歩けダズ。兄貴のことだ、何か考えてくれてる」
「……俺、腹減った」
後ろを歩く小柄で猫背のダズ、長駆のガム、肥満体型のビリーは彼に付き従う部下――と言うよりも舎弟のような関係であり、密やかなる脱獄劇の結果全員で王都を抜け出す事に成功している。
なれど、彼らは最早元いた組織に帰ることは出来ない。ウロボロス・ファミリーは失敗した人間を絶対に許さず、戻った所で待っているのは惨めな死のみ。とは言え、もし脱獄しなかったとしても、檻の中で飢え死ぬかの違いくらいしかないだろう。
故にコーエンたちは逃げるしか無かった。ウロボロスの追手が来ない場所まで、王国の騎士に見つからない場所まで、安寧の土地を求めて。
「クソッ……あの騎士女も腹立つが、一番むかつくのは銀髪のガキだ。無駄に抵抗してくれやがって、大人しく捕まっていれば、俺たちがこんな目に遭うこともなかったのによぉ……」
「でも、流石にあんな子供を捕まえるの、オレはちょっと抵抗あったなぁ……妹を思い出しちまう」
「ばっかお前、実の妹と他所のガキだぞ! んなもん余裕でぶち殺せるのが真のワルって奴じゃねえのか!?」
ダズが悪人らしからぬ台詞を吐くと、ガムに頭を小突かれる。
「ダズ、ガム、私情と仕事を混同するのは良くないと思うぞ。外壁街の出の俺たちが飢えない為には、何でもやるしかなかったんだしな」
「……るっせぇよ、んなもんオレだって分かってるっての」
王都の外壁に沿うように作られた、市民権を持たない人間たちの巣窟。外壁街と呼ばれるそこは、浮浪者から流れの犯罪者、違法な商売人たちの天国だった。
禁制の麻薬が横行し、宿の窓からは昼間から娼婦の嬌声が響き、路地には肋の浮いた子供が横たわる。国の負債の割を食った人々と、それを更に食い物にする連中で溢れかえっていた。
四人はそこの出身であり、幼き頃よりの腐れ縁でもある。外壁街は子供一人で生きていける程優しくはなく、年長者のコーエンを中心にかっぱらいからスリまで何でもやって生き延びてきた。
「いずれにせよ、ウロボロスは能無しを養うような慈善団体じゃねぇ。失敗した以上は言い訳無用、俺ら……いや、俺の責任だ」
コーエンは厳しい顔の眉一つ動かさずにそう言い、勝手知ったる街の中を真っ直ぐに進んでいく。
「奴らがリガティアに勢力を広げて来て、この掃き溜めから抜け出すチャンスだと思ったが……失敗だった。すまねぇな、お前ら」
「そんな! 兄貴は何も悪くねぇよ!」
「おう、逸ってドジ踏んだのは俺らだ」
「あんな組織なんて頼らなくたって、今までみたいに四人でなんとか生きていけらぁ!」
と、
「――――あんな組織、とは心外だなぁ」
「……ッ!?」
そんな四人の目の前に、突然黒尽くめの女が現れた。
今まで気配すら感じられなかったことに、コーエンは瞠目する。いつの間にいたのか、声を上げなければ気づくことすら無かっただろう。
ウロボロスの構成員が決まって身につける外套を纏い、大胆に露出した太腿にはナイフと蛇に加え――幹部を識別する数字の刺青が入っている。『06番』それは即ち、リガティアにて全権を委任されたコーエンたちの支部長ということ。
「……支部のボス直々に俺らを消しに来たのか」
「まぁ……私としては、それでも良かったんだけど。今はどこの組織も人材不足だ。自力で脱獄したお前たちの努力を鑑みて、もう一度チャンスをやろうと思ってね」
「何だと?」
女は気色ばむコーエンたちを宥めるような声音でそう言うと、フードの下で薄ら笑いを浮かべた。
「今、アドルナード領では開拓村への移民を募っている。そこに潜入し、機を見てアーミラ・アドルナードの側付きを暗殺しろ」
「……前は子供の生け捕りじゃなかったか?」
「事情が変わってね。まぁ……いずれ全員殺すにしろ、まずは一人ずつだ。あの目障りな生き残りを排除する」
下された命令に、コーエンは胡乱気な表情を隠さず浮かべる。
「あ、そうそう。もし失敗したらまぁ……流石の私でも怒るから、君らは元より親族の安否も保証出来ないかも? ねぇ、ダズ君」
「……ッ! あ、あいつは関係ねーだろ!? 俺と違って真っ当に生きてんだ!」
「関係ない……? おかしいなぁ、家族っていうのは助け合って生きていくものだ。それを関係無いだなんて、変な話じゃないか。家族の責任はちゃんと家族に取ってもらわないと、ねぇ?」
邪悪さを顕にした女は、ケタケタと笑いながらダズの顔を伺い見た。その目から道徳心などは微塵も感じられず、ただ他者を踏み躙る事に愉悦をおぼえていた。
「……兄貴、どうする。殺るか? 逃げるか?」
「テメェらも勝ち目のない相手に挑む無謀さは学んだだろ、コイツはそういう類の人間だ。従うしかねぇ」
ガムの耳打ちに、コーエンは静かに答えを口にする。
眼前の女幹部は、明らかに異質なオーラを纏っていた。深い闇に生きる者特有の、昏くへばり付くような気味の悪い気配を体中から発散させている。
薄明の騎士とはまるで逆だが、明らかにこの場の誰よりも手練であり、例え四対一でも勝てる算段がつかなかった。よしんば倒せたとして、此方にどれだけの犠牲が出るかを勘定出来ない程コーエンは馬鹿でも無い。
もっと言えば、ここで幹部を一人倒すことは――完全なウロボロス・ファミリーへの反逆行為と言える。ただ仕事に失敗して逃げ出すのとはわけが違い、確実に追手が来て殺される事になるだろう。
「分かった、ただし……その仕事をこなしたら、俺たちはもうお前らとは関わらねぇ。これでいいか?」
「まぁ……好きにするといいさ。こっちは仕事さえしてくれれば構わない。その後君らがどうするかなんて、私には興味ないよ。やり方も君らの自由だ」
女はそう言うと、静かに踵を返して外壁街の闇の中へと消えていった。途端、場に張り詰めていた緊張の糸が緩み、今頃冷や汗がうなじを伝う。
「死ぬかと思った……」
「俺も……」
「兄貴ぃ……まずいよ、このままだと妹が……」
元より気が弱く既に半泣きのダズに、ガムとビリーすらも負の気にやられて顔を土気色にしている。
「ウダウダやってねぇで、とっとと行くぞ。俺たちが生き残るにはやるしかねぇんだ。ダズ、テメェの妹を助けるのにもな」
「……はい」
「今度は生け捕りじゃなく、ガキ一人殺せばいいだけだ。俺たちならやれるさ」
コーエンの叱咤により再び歩き出すが、先程までと違ってその足取りは鉛のように重い。全員がこの先の未来を想像し、既に絶望を感じ始めていた。




