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第三章

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第三章ノ一 現在

  

「さくら、さくら!」

 時計の針は夜の十時を回っている。

 お風呂も入り終え、自分の部屋で寝ようとしたときに妖精の声がした。落ち着きをなくしているのはすぐに分かった。

「なんなの、ハル?」

 妖精は慌てふためいた声で答えた。

「大量の夢食いが現れている!」

「えっ、どこで?」

 さくらは驚いて、すぐにベッドから降りた。

「立原ニュータウンみたいだ」

 こんな真夜中に現れるなんてはじめてだわ。

「ざっと三十はいる」

「三十! なんて数なの・・・」

 いつもはせいぜい、二体なのに。三十の夢食いを相手にして勝てるの・・・。

 難しいかもしれない・・・。

 でもこの地の人間は夢食いに対して無力だ。

 その人たちの魂が削り取られているというのに見て見ぬふりは出来ない。そんなことをしてしまっては死んだ妹のいぶきに顔向けができないわ・・・。

 不利な状況は分かっていた。

「でも戦うしかない」

 自分に言い聞かせるように言った。そして彼女パジャマを脱ぎ、私服に着替え始めた。

 眠気はすっかり抜けていた。

「あの白い仮面は?」

「分からない、だけどいるような気がする」

 彼女はシャツのボタンを留める手を止めた。

「さくら?」

「・・・勝てるような気がしないわ」

「大丈夫だ、さくら。勝算はある」

「だって、今までオクターブには勝てたことは一度もないのよ。それに加えて三十体の夢食いを相手にしないといけないなんて!」

「大丈夫だ、さくら。試してみたいことがあるんだ。僕の考えが正しければ、君は間違いなくオクターブに勝てる。お願いだ、さくら、僕を信じてくれ!」

 ハルの声はさくらに懇願するそれだった。

 さくらはしばらく考える素振りを見せていたが、やがて小さな溜息をついて頷いた。

「分かったわ。ハルの試してみたいことに賭けてみるわ」

「そうか! ありがとう、さくら!」

 さくらは変身コンパクトを取り出し、体の前に掲げ、叫んだ。

「アークセンテンティア、イリシア、エクスポート!」 

 彼女がそう叫ぶと、彼女はピンクの光に包まれた。そしてピンクのアークイリシアのドレスコスチュームを次々に身に纏い、髪の毛の色がピンク色となり、髪の量が増え、イリシアの髪型に変わり、腰と頭にピンクのリボンが付いたところで変身が完了した。

 そして必要はないものの、イリシアは決めセリフを放ち、決めのポーズを行った。

「世界の希望の花! アークイリシア!」

 イリシアは窓を開け、ベランダに出た。暖かい風が、優しく吹いている。イリシアのピンクの髪が、それに合わせて柔らかくなびいた。

「行こう、イリシア!」

 彼女はその声に覚悟を決めたように頷き、戦いの場所へと高く飛んでいった。



「おやおや、こんな夜中まで来て頂けるとは申し訳ないな」

 出来の悪い白い仮面を被った男は笑いながらそう言った。アークシリウスを殺したオクターブ子爵だ。

「だったら、こんな深夜に活動しないでほしいわ!」

 イリシアは怒鳴り返した。

 夢食いの数は三十をゆうに超えている。量産型なのか、皆掃除機に両手両足を付けたような形で、高さ五メートルはあり、イリシアより遥かに大きかった。

 相変わらず不恰好な形だわ・・・。

「深夜の方が効率がいいんだよ。僕だってこんな深夜に働くのは嫌さ。でも上からノルマをこなせってうるさくてね」

 オクターブは困ったような口調で言った後、夢食いに強い口調で命令を下した。

「五~八番はアークイリシアに廻れ! 他は回収作業を続けろ!」

 その瞬間、四体の夢食いがイリシアに襲い掛かってきた。イリシアは素早く後ろに下がり、彼らとの距離を取りながら叫んだ。

「イリシア、ハンドレッドブレード!」

 イリシアの周りに無数のピンク色に光る剣が現れ、一斉に四体の夢食いに向かって飛んだ。剣は彼らに当たる度に爆発を起こし、夜の世界にピンク色の煙が立った。

 全部命中した! 

 だけど、最近の夢食いはこの程度では仕留められない。

 案の定そうだ。煙が拡散し、薄くなるのと彼らの姿が薄っすらと見えてきた。

「あっ!」

 イリシアは声を上げた。

 掃除機の本体上部の蓋が開き、連続して小型ミサイルがイリシアに向かって発射されたのだ。おそらく二十以上はあるだろう。イリシアは飛び、スピードを上げ、ミサイルから逃れようとしたが、ミサイルを振り切ることはできなかった。同じ距離を保ち、追ってきていた。

「もうなんなの!」

 イリシアは着地し、振り向き、すぐさま構え、大声で叫んだ。

「イリシア、フラワーバースト!」

 その言葉と同時にピンク色の炎のような光が渦を巻きながらミサイル群に向かっていった。ミサイル群はピンクの光に飲み込まれ、それと同時に次々と爆発を起こした。

「やった?」

 息が苦しく、肩で息をした。安堵の気持ちを覚えていたが、それもすぐに消えた。二つのミサイルが真っ直ぐイリシアに向かってくる。

「イリシア! 給水塔に!」

 ハルがそう叫んだ。

「分かったわ、ハル!」

 イリシアは給水塔に向かって跳んだ。ミサイルを引き付けるだけ引き付けて、給水塔手前で折れ曲がり、進路を変更した。その瞬間、背後で爆発音が鳴り、水が弾け飛び、細かな雨となって夜の団地に降った。その一粒一粒は街灯の明かりに反射し、ダイヤの粒のように輝いていた。

「助かった・・・」

 彼女は肩で息をし、ぜいぜい言いながらその光景を眺め見た。

 一瞬きれいだと思った。

 そして危機を脱したのだと思った。

 いや違う、全然違う!

 イリシアは自分がただの一体の夢食いも倒していないことを思い出した。

 たった四体の夢食いが放ったミサイルを避けるだけでこんな時間を喰われてしまうなんて・・・その上、夢食いが三十体もいるという状況なのに!

「早く親玉を倒さないと・・・」

 だがあの白い仮面はあのイカロスですら、適わなかった悪魔だ。自分が倒せるとはとても思えない。

 彼女は唇を強く噛んだ。

 だけど、こうして迷っている間にも多くの人間が夢食いによってその魂を削り取られている・・・。

「やるしかない、あの仮面の男を倒すしかない」

 イリシアは飛んだ。

「オクターブ、どこにいる!」

 四体の夢食いが追って来る。

 振り向き、イリシアは叫んだ。

「イリシア、フラワーバースト!」

 ピンクの渦を巻いた火が、彼女を追うミサイルに向かって飛び、次々にそれを爆破してゆく。だがミサイルは次々に際限なく四体の夢食いから撃ち放たれ、もはや全てを食い止めることは不可能に思えた。

「イリシア、フラワーバースト!」

 息が上がりそうだ。

 彼女は息を肩でしながらミサイルを次々に爆発させていった。夜の世界にピンク色の煙が広がってゆく。

「!」

 突然、攻撃を逃れた一発のミサイルがイリシアに向かって現れた。

「シールド!」

 ピンク色の透明な板が瞬間的にイリシアの前に現れ、ミサイルを止めた。その瞬間、爆発が起き、その凄まじい爆風でイリシアは体ごと吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。

「くっ・・・」

 彼女は呟き、よろめきながらもなんとか立ち上がった。頭から大量の血が流れている。

 イカロスだったら・・・こんなことになんかなってない。

 イカロスだったら・・・。

「イリシア!」

 ハルの声がした。

「ショックウェーブを出して!」

「えっ、それってイカロスの技じゃ・・・」

 無理だわ。

「出せる! アークセンテンティアの妖精の僕が言っているんだから!」

 イリシアは息を呑んだ。自分の持っている技では手詰まりなのは分かっていた。イカロスのように強い攻撃力を持った技が使えないと駄目なことも分かっていた。

 だったら・・・。

「思い出して、イメージして! イカロスが撃っていたショックウェーブを!」

 すぐに思い出した。

 細かな動作から、呼吸のしかたまで鮮明に思いだすことができた。イリシアは手で型を作り、宙に押し出し、叫んだ。

「イリシア、ショックウェーブ!」

 ピンクの光が四体の夢食いに放たれ、トルネードとなって飛んだ。トルネードが四体に到達すると、あっという間にその四体を飲み込み、四体は押し潰されたようにぐしゃっと凹み、凄まじいい爆発を起こした。

 爆風が広がってゆく。

 イリシアは驚きを隠せなかった。

「うそっ、一発で出来た! しかも倒せた!」

 その様子にハルは言った。

「君はイカロスの最後に立ち会ったからね。イカロスの力が君に移ったんだ。これが僕の言うところの試したいことってやつなんだ」

 イカロスが青い光の粒となって消えてしまう前に、その光の粒が自分を覆ったときのことを思い出した。

 あのときにイカロスの力があたしの中に入ったんだ・・・。

 イリシアは目を閉じた。

 だったらなおさら・・・あたしはこの街を守らないといけない。

 彼女は目を開けた。

 オクターブを見つけ出し、今度こそ倒すつもりだった。

 走り出した。途中で何度も夢食いに攻撃されながらも、イリシアはイカロスの技でそれをねじ伏せ、破壊した。

「!」

 遠くに黒い学生服を着た男が背を向け立っているのが目に入った。怒りの感情が湧き上がり、それはもう止まらなくなってしまっていた。

 オクターブ!

 こちらには気が付いていない!

 イリシアはそれに乗じてオクターブの背中に蹴りを入れようとした。

「子爵様!」

 その声と同時にイリシアの蹴りを入れようとした右足首はがっしりと掴まれ、彼女の蹴りは止められた。

「!」

 目の前で彼女の蹴りを受け止めていたのは、長い灰色の髪を持つ灰色のドレスを着た高校生くらいの女の子だった。その服装はイリシアが着ているピンクのそれとよく似ていた。

「アークシリウス!」

 そうだ、初めて見る。目の前にいる灰色づくめの女子は悪魔と行動を共にしているアークシリウスに違いない!

 イリシアはとっさに一回転し後ろに跳び、シリウスとの距離を取った。

「子爵様には手を出させない」

 シリウスの冷たい声が聞こえた。彼女はイリシアに対して構えて見せ、背筋が寒くなる程の殺気に満ちた目を向けていた。

「助かったよ。彩子。少し油断していた」

 オクターブはイリシアに向き直り、落ち着いた様子でそう言った。

「アークシリウス! その男はアークセンテンティアの敵なのよ! アークイカロスを殺した張本人なのよ!」

「そんなことは私には関係ない。私は私の信念で動く。だいたい子爵様が敵って何を言っているの? 子爵様はイカロスやお前に戦わないと言っていたのに執拗に攻撃を仕掛けてきた。自己防衛上、殺されても仕方がなかったんじゃないの?」

 イリシアは自分が抑えきれなくなっていた。イカロスが死んだ場面が頭によぎった。我を忘れ、叫んだ。

「あたし達はアークセンテンティアなのよ! 正義の味方なのよ!」

 それを聞いてシリウスは舌打ちした。

「あなた達が正義? だったら私達は悪ってこと? 何も知らないくせに何を言っているの! だいたいあんただって、正義って正義って言っているけど、本当は私怨でアークセンテンティアになったんじゃなかったの?」

「な!」

「イリシア、あんた、矛盾しているわ」

 シリウスは軽蔑し馬鹿にした口調でそう言うと、攻撃技を出す構えを見せた。

「彩子」

「はっ、子爵様」

「収量目標は既に到達している。夢食いの撤収の指示と遂行を頼む」

「ですが・・・」

「僕のことなら心配いらない。大丈夫だ。作業に移ってくれ」

「はっ」

 そう言うとシリウスは跳び、一瞬にして視界から消えた。オクターブ子爵はそれを見届けるとイリシアに言った。

「さて、前にも言ったかもしれないけど、僕は君と戦いたくないんだよ」

「悪魔の戯言には耳は貸せない! イカロスを殺しておいて、その言葉を信用できるとでも思っているの?」

「あれは仕方がないだろう? 彼女は僕の言っていることを全く聞かないで僕を殺そうとした。正当防衛と言ったっていい」

 白く塗られた木彫りの面を被った男は冷静に返した。

「それに僕は悪魔じゃない、人間だ。まあ信用しろっていうのが難しいかもしれないが」

「何を言って・・・」

「君は知らないんだ」

 オクターブは機嫌の良い声で言った。

「君にこのアシュタロトが作った世界の真実を教えてあげよう。明日の夜九時に君の通っている高校の校屋上舎で待っている」

「えっ、屋上?」

「それではまた明日」

 オクターブがそう言い終わると同時に彼の姿は一瞬にして消えた。気がつくと三十体はいた夢食いの姿も、アークシリウスの姿もない。

「な・・・」

 もの音一つしない静かな夜が戻っていた。夢食いとの戦いの衝撃でめくれたアスファルトの道路、ひっくり返った自動車、コンクリートが欠け落ちた団地、そして大破した給水塔・・・それらはついさっきまでここで確かに戦闘があったことを証明していた。

 だがもう敵の姿はもう見ることはできない。

 ハルの声が聞こえた。

「イリシア、さっきのオクターブの話、どうするの?」

「・・・」

「まさか本当に行く気じゃないよね?」

 さくらは唇を噛み、考えた様子を見せた後、口を開いた。

「・・・行くわ」

「さくら!」

 ハルの慌てた声が続いた。

「きっと罠だよ。危険だよ、危なすぎるよ。あいつはイカロスを殺した張本人だよ? 無視しておいた方がいい!」

「そうかもしれないわ。でもこの世界の真実っていったい何のことなの?」

「そんなのはったりだって。何にもないよ」

 さくらは首を横に振った。

「そんなはったりをあたしにする必要なんて何もないわ。あたし達を殺したくないっていう発言もよく分からない」

「騙されているよ、さくら!」

「もしこの狂った世界に何か裏があるのだとしたら、あたしはそれを知りたい! そしてこの悪魔に支配された世界を開放したい!」

 イリシアは夜空を見上げた。

 雲一つない夜の空に月はまだ出ていない。

 無数の星々は空から落ちてくるのではないかと思えるくらい、きれいに輝いていた。



 

 第三章ノ二 半年前

 

 夕暮れが近づき、西の空は既に赤く染まっていた。

 その赤い空の色はさくらの心を焦らせた。不安がどうにも止まらなかった。

 火事が収まってから二日経ち、火事を起こしたとして、高校生から社会人までの二十名の凛の民が捕まった。その二十名の中に一つ下の妹のいぶきがいたのだ。

 突然、憲兵姿の複数の悪魔がさくらの自宅に来て、学校から帰ってきたばかりの妹のいぶきを逮捕していった。

「一昨日の火事の件で逮捕する。今から現場検証を行い、取り調べを受けてもらうぞ」

 悪魔は目の前に令状を出し、羽交い絞めした妹にそう伝えた。

「くっ」

 妹は視線を逸らし、それ以上何も言わなかった。

「もう一度調べ直して下さい! 娘はそんなことをする子ではありません! お願いします! お願いします!」

 いぶきの母親は憲兵の悪魔にしがみつき、半狂乱になりながら叫び、懇願したが、憲兵は無慈悲にそれを払った。母親はその反動で道路に倒れた。

「かあさん!」

 いぶきは叫び声を上げ、少し暴れたものの、悪魔はそれを気にする様子もなく、軽々と彼女を持ち上げ、外に止めていた車の後部座席に放り投げた。

 さくらは恐ろしさでただ唖然とその様子を見ていることしかできなかった。

「何が・・・」

 我に返ったのは車のエンジン音が聞こえてからだった。さくらは急いで母親の元に駆けつけた。

「かあさん! かあさん!」

 母親はその声に反応した。

「私は大丈夫・・・それよりいぶきを・・・」

 意識ははっきりとしている。

「分かったわ」

 赤い夕暮れの空が彼女に言いようのない不安を感じさせる。さくらはその不安を振り切るように走り始めた。

 火事の現場・・・。

 走った。今までこんなに必死に走ったことはない・・・。

 苦しい・・・。

 足がもつれ、さくらは道路に勢いよく転がった。

 膝から血が流れている。呼吸は乱れ、肩で息をしていた。

 さくらは立ち上がり再び走り始めた。

 あの火事は公爵の支配に対して凛の民の不満をアピールするのが狙いだったのだろう。ただ犠牲となったのは同じ凛の民の人間で、悪魔でもなく、ましてや公爵ではない・・・あの火事は二キロ四方の面積を焼き尽くし、十数人もの凛の民が亡くなっている。

 いぶきは凛の民の民族保存会に所属していた。そしてあの火事の夜も家にはいなかった・・・犯行に加わったのかもしれない。だけど・・・。

 どうして、いぶき?

 どうして、あなたはそんなことを・・・?

 空の色は夕暮れの赤に夜の黒が混じり始めている。さくらは歯を食いしばって走り続けた。

 そんなには遠くない。もう少しで着く。

 そして彼女は火事の現場に着き、立ちすくみ、見渡す限り黒い焼け野原に言葉を失った。さくらは激しい呼吸をしながら、その惨状が如何に悲惨なものだったのかを実感した。

 火事で焼きだされただろう人間が、ところどころに放心したように佇み、黒い突起物が地上から無数に出ているのが見える。住宅の柱だったものだろうが、もうそこには何の建築物も見当たらなかった。

 さくらは目を凝らし、憲兵姿の悪魔と妹のいぶきを探したが、どこにも彼らを見つけ出すことはできなかった。それらしい人影すら見ることはできない。

 火事の範囲が広すぎる・・・いぶきはこの付近にいないのかもしれない・・・。

 大声で泣きたくなった。

 自分の無力を痛感した。

「え?」

 突然、白い巨大な画面が目の前の空に現れた。

「!」

 その画面はおそらく数キロ離れていても、はっきりとその内容が分かるだろうくらいの大きさだ。その大画面は直径数十キロに及ぶ壁の中にいくつも出現しているようだった。さくらの視界にもそれが三つ程目に入った。直感的にこれから起こることを漏れなく壁の内側の人間に伝えようとしているのだと思った。

 突然、画面に髪の長い幼い小学生くらいの金髪の少女が映った。美少女と呼べる整った顔で、その美しさはまるで女神が降臨したかのようだ。あれがとても悪魔の親玉だとは今でもとても思えない。

「アシュタロト公爵・・・」

 誰となしにその名が呟かれた。さくらは息を呑んだ。公爵自ら姿を現すのは極めて稀だったからだ。嫌な予感してならなかった。

「あいつさえいなければ」

 そう呟く声が聞こえた。その声は憎しみがこもった声に思えた。さくらは息を呑み、巨大な画面を注視した。

「一昨日起きた立原西部で起きた広域火事に関して二十名のテロリストを捕まえた。明日テロリスト達の処刑を行う。これに関しては凛の君も合意している」

 アシュタロトの声が響き渡った。

「!」

 どよめきが走った。

 その瞬間に画面には二十名の名が一斉に表示された。さくらの妹である五条いぶきの名もそこにはあった。

「いぶき!」

「罪状は立原西部における放火テロ。全員は凛の民の独立ためにやったのだと言って罪状を認めている。だがこれはテロだ。憲兵本部で明日朝八時に刑を執行する」

「裁判もなしに横暴だ!」

 さくらの横にいた男が画面のアシュタロトに叫んだ。その言葉に別の男が怒ったように反応した。

「横暴? 何が横暴だ! こっちは家を焼かれ、全財産を失ったんだぞ! 身内を亡くした人間だっている! 今回の犯人はとっとと処罰されるべきだ!」

「あ? なんだと、お前! 同じ凛の民が処刑されようとしているんだぞ! あいつらは凛の民のために働いたんだ! なんとも思わないのか!」

「その被害者が俺らなんだぞ! 凛の民全体のために多少の犠牲は仕方ないとでも言いたいのか! ふざけるな!」

「だったらお前はこの悪魔に管理され、生きる力を搾取されている今の状態に何も感じないのか? これじゃ家畜だ! 人間にもなれていない!」

「だからテロが許されるとでも言いたいのか!」

 男はもう一人の男に殴り掛かった。喧嘩が始まった。

 画面は既に真っ白になっており、何も映し出してはいなかった。

 二人は殴り合い、お互い口から血を流している。

 さくらは二人の間に入った。

「止めて! 争いは止めて!」

 さくらはヒステリックに叫んだ。

 二人の男は驚き、喧嘩は止まった。

「あたし達が喧嘩しているなんておかしいわ! お願いだから争いは止めて!」

 二人の大人は唖然としてさくらを見つめていた。 

「凛の君が合意したって・・・」

 さくらはパニックになり掛けていた。

「いぶきが殺される・・・どうして凛の君は助けてくれないの! どうして悪魔のいいなりなの!」

 赤黒くなった空にさくらの声が響いた。それに対して誰も何も言うことはなかった。そして喧嘩が再開することはもうなかった。

 彼ら凛の民は、自分達の信じる君主がアシュタロトに自由を奪われ、何の権利を与えられていないことを薄々知っていた。自分達の希望は今は何もできない状態であるということも。

「凛の君・・・」

 誰かが呟いた。

 星がところどころ見え始めている。空は平和な風景にしか見えない。焼け野原となった街はすっかり暗くなっていたものの、焦げた街灯が点くことはなく、ただの黒いだけの空間になっていた。

 

 

 公爵の部屋は暗く、机の明かりだけが点いていた。

 静かな夜だった。

 そこで黒縁の眼鏡を掛けたアシュタロトは山積みされた大量の書類に目を通していた。

 ふとペンを置き、紅茶を手に取り、一口一口を味わうように目を閉じながらそれを飲んだ。

 不意にドアをノックする音が聞こえた。

「何用だ」

「凛の君が参られています」

 アシュタロトは眉を寄せたものの、すぐに言った。

「そうか、通せ」

 ドアが開かれ、紫色の着物に似た服を着た女性が入ってきた。歳の頃は二十代前半だろうか、アシュタロトを前に怯えた様子を見せていた。

「突然に何の用だ? 凛の君とは言え、こんな夜分に失礼ではないのか?」

「申し訳ございません、公爵」

 凛の君と呼ばれた女性は頭を下げ、そのまま押し黙った。手が震えているのが見える。しばらく無言が続いたが、アシュタロトがしびれを切らし、促すように聞いた。

「用件を言いなさい」

「公爵、どうかお考え直しを」

 凛の君は懇願するように言った。

 焦り、切羽詰まった表情を見せていた。

「考え直す? いったい何のことを言っている?」

 掛けていた黒縁の眼鏡を取り、金髪の少女は不快感をあらわにした。

「凛の民による大規模火災の件です」

 彼女は言葉を続けた。

「今回の放火犯の処刑のことで、どうしてもお考え直しを頂きたく」

「何故?」

「処刑を実施することは凛の民に悪影響しか及ぼしません。悪魔に対しての反感を益々増長させるだけではなく、公爵の今後の統治に関わる問題となってしまいます」

「そんなことは分かっている」

 アシュタロトの見た目は小学生くらいの少女だったが、その言い方には凄みがあった。凛の君はそれに怖れを感じ、思わず後ずさりをした。

「でしたらどうして・・・」

「それが望ましい状況だからよ」

 アシュタロトはにやっと笑って言った。

「そもそも我々が壁の内側で回収しているは人間の魂だ。欲望といってもいい。彼らを押さえつければそれだけ独立への欲望は強くなる。だから今回の件の始末は彼らを納得させる必要はない。むしろ不満を覚えさせる方がいい。不満が充満すれば独立への欲望が増し、それを夢食いに食わせる。それで凛の民を大人しくさせる。それがそもそもの壁の中のシステムだったはずよ」

「そんな・・・」

 アシュタロトは冷酷な声で言った。

「そもそも凛の君、これは合意済み事項のはずだが。あなたは自分の民の凶暴性に悩んでいた。彼らが日本側に事件を起こす度に自分の民から凶暴性が抜ければと思っていた。私はそれを叶えてやっているのよ」

「ですが・・・」

「黙りなさい。凛の君」

 命令口調だった。絶対服従を要求するその声に凛の君は強烈な恐れを感じ怯んだ。

「ですが、処刑だけはどうか・・・」

 彼女は必死だった。自分の民が二十人も殺されようとしているのだ。少しでも多くの人間を救えないか、恐怖を感じながらも彼女は可能性を探っていた。

「そうね」

 アシュタロト公爵は席を立ち凛の君を正面から見た。凛の君は懇願するような声で言った。

「公爵、彼らをすぐに断罪するのはお待ちください。裁判に掛け、刑罰を決めるべきです。主犯とそれに従った者では罪の重さも変わるはずです。処刑される人間には十代の未成年も含んでいます。大人に言われ、正しい判断が出来ていなかったのかもしれません。この子達は未成年者として裁定を行うべきです。どうか今一度お考え直しください」

 凛の君がそう言い終わると、アシュタロトは彼女に近づき、見上げて言った。

「奴らは罪人だぞ。凛の君というのはそういった自分の民にも慈悲を掛けるというのか?」

「私は彼らのやったことは許さざるべきものだと思っています。大罪を犯したと言っても過言ではありません。ただ、ただ私は裁量をお願いしている次第です」

「そうか・・・」

「がっ」

 凛の君は腹部に殴られたような強烈な痛みを感じた。立っていられず、赤いアラブ模様の絨毯に倒れ込んだ。アシュタロトの拳を見て、自分の身に起こったことを理解した。彼女はしばらく呼吸ができない状態で、床をのたうち回った。

「私に意見をするな」

 絶対的に冷酷なアシュタロトの声が聞こえた。

「それに狙いはそれだけではないのでね」

 公爵の部屋の扉からノックの音が聞こえてきた。

「入れ」

 一礼をして入ってきたのは衛兵だった。倒れている凛の君を見て、一瞬驚いた様子を見せたものの、何も見なかったかのように報告を始めた。

「たった今、アークイカロスにより壁の中の憲兵本部が襲撃されたとの報告が入りました」

「分かった」

 そう言った公爵は愉快そうに笑った。

「相手が子供で助かったよ。用心してこちらの誘いに乗ってこない可能性もあったからな」 

 そして床に転がっている凛の君を見て言った。

「アークイカロスだよ。我々に歯向かい、凛の民に味方するあのアークイカロスだよ。世界に二人しかいないアークセンテンティアの一人だ。放火犯を餌に飛び込んできた。今まで邪魔だったあれを今から私が殺すのだ。愉快なことと思わないか?」

 倒れている凛の君は激しい咳をした。

「そのついでに憲兵本部に留置している放火犯も始末する。私は私に反逆する者を決して許さない。このことに例外はないということを壁の中の連中に知らしめないといけないからね。お前も含めてな」

 彼女の口元には笑みがあった。

 もう凛の君は何も意見することも逆らうこともできなかった。彼女は絶望に似た感情に襲われた。

「しかしながら、君が大変な民の皇帝であるということに正直同情している」

 公爵と称する少女は前方に右腕を伸ばし、空中で何かを掴むような動作を行った後、それを少しずつ上に移動させた。

「がっ」

 床に倒れていた凛の君は両手を自分の喉にやり、その締め付けている透明な何かを必死で取り除こうとした。彼女の体はそれに引き上げられるように徐々に持ち上げられていった。

 アシュタロトは機嫌よく言った。

「だから、あなたをここで殺してあげるわ」

「う、うっ」

 凛の君は爪先立ちの状態となった。首を締め付けられ、宙に浮く寸前となった彼女はもう自分は死ぬのだと思った。

「私を殺してしまったら・・・凛の民は暴徒化して・・・コントロールできなくなってしまう・・・ぞ」

 息絶え絶えの声だ。公爵はそれを聞いて馬鹿にしたようにニヤリと笑った。その瞬間、凛の君は目の前に自分の姿を見た。

「これで安心してくれたかな」

 その声は公爵の声だった。公爵が凛の君に姿を変えていたのだ。

「あ、あ」

 公爵は一気に自分の手を握り潰した。凛の君の首が絞まってゆく。最後の力を振り絞り、力の限り暴れたものの、やがて静かに頭を垂れ、もう二度と動くことはなくなっていた。

 突然、柱時計からドラを叩いたような音が鳴った。

 アシュタロトは別段驚く様子を見せなかった。

 夜の十時になったのだ。

 それだけのことだった。



 レンガ造りの憲兵本部はアークイカロスの襲撃によって半壊していた。

 三階立てのそれは、屋根の半分以上が崩れてなくなっており、三階の部分も一部えぐられたように消え去っていた。敷地内の街灯は根元から倒れ、明かりは全くなくなっていた。

 暗い夜の中、憲兵姿の悪魔達とその青いドレスの少女は、息をつく間もない近接戦を繰り広げていた。馬の面妖をした悪魔が、刃渡り二十センチ程のサバイバルナイフで少女に襲い掛かった。イカロスは素早く背後に回り、何の躊躇いもなく手刀で馬の悪魔の心臓を刺した。

「がっ」

 馬の悪魔が倒れるも、すぐに次の別の悪魔がナイフで襲い掛かってくる。少女は回し蹴りを喰らわし、その悪魔を倒したものの、憲兵姿の悪魔達は次から次へと彼女を襲ってくる。それは終わりなく続いていた。

 きりがない!

 彼女は苛立っていた。ずいぶんと長い時間が経っている。

「ちっ」

 少女は悪魔達を射抜くような目つきで睨んだ。背は低く、歳の頃はまだ中学生くらいに見え、その少しつり上がった目からは意思を押し通す彼女の気丈な性格が伺えた。

「イカロス、ショックウェーブ!」

 その瞬間、イカロスの目の前の空間が歪み、青い光を出しながら渦を巻き始め、成長し、凄まじい勢いで悪魔の集団に向かった。何人も悪魔がそれに巻き込まれ、青い光の中に消えてゆく。

「くそっ!」

 一人の山羊の頭を持つ悪魔が白く光る直径四メートル程のシールドを張った。青い光を放つトルネードが凄まじい勢いで迫ってくる。地面が巻き上げられ、細かく砕かれ、宙に浮き、それがトルネードに巻き込まれ、破壊力を上げていった。

 悪魔は息を呑んだ。

 来る!

 ドンと激しい音を立て、トルネードはシールドに衝突した。そして力比べを挑むかのようにトルネードはシールドを押し続け、悪魔が展開するシールドは徐々に後退をしていった。

「!」

 青い光を放つトルネードはシールドの上方に反れ、轟音と共に憲兵の頭上を通り過ぎ、終には憲兵本部の建屋二階に当たった。そしてそれはその部分を瞬間的にえぐり取り、大きな円形の穴を開けた。

 山羊の悪魔は唖然とそれを見つめたが、はっと我に返った。イカロスが迫ってくるのが視界に入ったのだ。だがもう遅かった。

「イカロス、ファームソード!」

 そう叫んだ瞬間、青く光る剣が彼女の右手に現れ、山羊の頭をした悪魔の胸にそれを突き刺した。青い血しぶきが上がり、悪魔は断末魔を上げて倒れた。イカロスはそれを振り返ることもせず、襲い掛かってくる悪魔を次々に斬っていった。彼女の元々青いドレスが更に青く染まってゆく。

「凄いというか、ちょっと怖いな」

 白熊の子供の姿をした妖精のハルはそう呟いた。イカロスの戦い方はいつもそうだと思った。慈悲も容赦もない。見ている方が怖くなることが度々あった。

「まあ、いっか」

 妖精は背中の天使の羽を忙しなく動かし、悪魔の注意がイカロスに向かい、警備が手薄になったところを飛び、無事に憲兵本部の壁に辿り着いた。

 打ち合わせ通りだ。

 どこから入るか・・・。

 突然、ハルの頭上の壁にイカロスの放つトルネードが衝突した。建屋は大きく揺れ、幾つものレンガの固まりが落ちてきた。その一つがハルの横すれすれに落ちた。

「あぶなあ・・・」

それは一辺が三十センチもあった。生きた心地がしない。

 ハルは直上の三階の壁に開いた穴を見つめ、羽をめいっぱい動かし、そこから建屋に進入した。振り返るとイカロスが容赦なく青く光る剣で悪魔を斬っているのが見える。その度に血しぶきが上がり、まるで地獄絵のようだった。

 我を失っているなあ・・・。

 そう思った。

 イカロスは足に絡まるものを感じた。彼女が切り倒した悪魔が、倒れながらも彼女の足首を掴んでいるのだ。

「離せ!」

 剣を高くかざし、そのまま垂直にその悪魔の背中に落とした。

「がはっ」

 悪魔は血を吐き、咳き込んでそのまま動かなくなった。彼女は表情を何一つ変えることなく蔑むようにその悪魔を眺めていた。憲兵本部に立ち塞がる悪魔はもう誰もいない。赤レンガで出来たその建屋の入り口にイカロスは向かった。

「シリウス、レーザーアロー!」

 突然、黒い空から無数の灰色に光る矢が地上に降り注いだ。爆発が凄まじい音と共に次々に起きた。

 そして静かに灰色のドレスを着た高校生くらいの少女が降り立った。

 長い灰色の髪を後ろにたなびかせ、彼女はイカロスのいた場所を注視した。

「!」

 凄まじい殺気を感じた。その瞬間、青のドレスを着たイカロスが、シリウス首を絞めようと背後から手を回してきた。シリウスはとっさに屈み、そして前に飛び、イカロスとの距離を取った。

「アークシリウス!」

「・・・」

 シリウスである彩子はイカロスの表情を見てぞっとした。目つきは鋭く、憎しみに染まっている目だった。背筋が凍る思いがした。自称する正義の味方というが、その雰囲気はどこにも見ることはできない。

 これじゃ公爵の言う通り、イカロスは殺すしかないかもしれないわ・・・。

「この間の借りは返させてもらうわ!」

 鋭い目つきでイカロスは自分の敵にそう怒鳴った。



「ふう・・・」

 無事に建屋に入れたことにハルは安堵した。そして中の様子を伺った。

 建屋内部は度重なるイカロスの攻撃で電気は消え、窓からの月明かりだけが唯一の明かりになっていた。時折、建屋が揺れ、格子窓のガラスがビリビリと鳴る。大方イカロスの攻撃がレンガ造りのこの建物にまた当たったのだろう。

 緊張するな。

「でも怖くないぞ、怖くないぞ」

 彼はそう呟きながら、羽をパタパタさせながら階段を下り始めた。

 妖精は怖くて怖くて仕方がなかった。悪魔と遭遇してしまうかもと思うと、その感情はいつまでもついて回り、払拭することはできなかった。それでもあるったけの勇気をかき集め、彼は階段を下りていった。

 悪魔の気配がするな。

 二階の奥の方からか・・・? 二人ってとこか。

 極度の緊張を感じた。ハルは羽の音を気にしながら静かに、且つ慎重に階段を降りていった。そして二階を無事に通り過ぎ、一階まで辿り着いた。

 幸いなことに一階には悪魔の気配は感じない。

 ハルはほっとした。

 計画通りイカロスが悪魔の全てを引き受けているんだ。だとしたら僕はこのまま地下の留置場にいる捕らえられた凛の民二十人を解放すればいい。

 だが、肝心な地下への階段が見つからなかった。

 ハルはロビーや事務所、憲兵の詰め所などの隅々を飛んだものの、それを見つけることは出来なかった。

「おかしいな・・・」

 放火犯として捕まった二十人は憲兵本部の地下にある留置場にいるという情報だったけど、その地下室に繋がる階段が見当たらないなんて・・・。

 ハルは一階の一つ一つのドアを開け、部屋という部屋を探し始めた。

「ないぞ・・・何処にもないぞ」

 外か?

 いや、留置場の入り口が警備上、外にある訳がない。だったら魔法で入り口を隠しているのか? でもそんな気配は何処にもなかったぞ。

 次の部屋で一階の探すべき場所は最後になるぞ。いったいなんなんだ! 二十人を助けられないどころか、留置場の場所すら見つけられなかったなんてことになったら、間抜けもいいところだ。

 突然、建屋が大きく揺れた。遠くでなにかガラスのようなものが落ち、割れる音が聞こえた。

 恐怖心を覚えた。

 ハルは自分を落ち着かせようと大きく深呼吸をし、最後の部屋の扉を開けた。大きな机が、窓を背に置かれており、直感的にその部屋が所長クラスのものだと思った。

 背中の羽を動かし、彼が部屋に入ろうとしたとき、机の奥からがたっと音が鳴った。

 とっさにハルは物陰に隠れた。

 憲兵か?

 いや、違う、魔力を感じられない。

 ハルは思いきって飛んだ。そして天井付近まで上がり、机の奥を覗いた。

 人間の女の子・・・?

 高校生くらいか?

 背を丸め、隠れている女子がそこにはいた。小刻みに震えているのがこの暗闇でも分かる。

「そこの君」

 ハルは声を掛けた。

「放火犯に知り合いがいるのか?」

 できるだけ優しい声を出した。茶色掛かった髪の少女はその言葉にはっとして振り向いた。

「え? 白熊のぬいぐるみ?」

 そうきたか!

「いやいや、違うから! 僕はアークセンテンティアの妖精だよ」

「妖精・・・あっアークイカロスといつも一緒にいるよね!」

 女子高生らしい彼女はそう叫んで立ち上がった。驚きと感激に似た感情で我を忘れてしまっていた。ハルは慌てた。

「しっ! 声が大きいよ。だいたい君は誰で、何でこんなところにいるんだ?」

「五条さくらよ、さくらでいいわ。妹が放火犯として捕まったの。ねえ、お願い、妹を助けて。じゃないと明日、妹は処刑されてしまうわ」

「そうしたいのだけど・・・」

 ハルはそう言った。

「だけど地下にある留置場に行くための階段が何処にあるのかが分からないんだ。この部屋以外一階は全て探したんだけどなかった。嘘の情報だったのか・・・?」

「あたしもずっと探していたけどなかった。この部屋にもそれっぽいのはなかったわ。ここにはないのかもしれない」

「ここにはない・・・」

 ハルはさくらの言葉を反芻した。

「一階にはない。二階にはあるかも・・・」

 はっとして言った。

「二階の奥の部屋に悪魔の気配を感じた。もしかしたら地下の入り口は二階にあるのかも!」

 ハルはそう言って廊下に飛び出し、階段に向かった。さくらもそれに走ってついて行った。妖精は背中の羽をフルに動かし、二階に向かって階段を上がった。

 そりゃそうだ。一階に悪魔の気配がなかったのは一階に地下の留置場への入口がなかったからだ。二階に入り口があるのだから二階に悪魔の気配があって当たり前なんだ!

 そして二階に上がる直前でハルは止まり、二階廊下奥の敵の様子を伺った。

 二階の廊下に隠れる場所なんてないな。奥の扉にいる悪魔は二体か。

「どうするの? アークセンテンティアの妖精さん」

 後ろからさくらが小声で聞いてきた。

「やっつけるしかないでしょう」

 そう言ってハルは口を大きく開け、自分の手を突っ込んだ。そしてあれこれ探す素振りを見せた後、拳銃を一個取り出した。

「折角だからさくらも手伝ってもらうでいいよね?」

 そう言って拳銃を渡した。

「えっ、でもあたし銃なんて撃ったことはない」

「まあまあ」

 ハルは一呼吸置いた。

「僕だって使ったことはない。正直言うと僕は怖くて仕方がないんだ。今すぐにでもここから逃げ出したいと思っている。でも彼らを助けることができるのは僕らしかいないんだ。援護してくれるだけでいいから、お願いできないかな?」

 彼はそう言ってにっこり笑った。

 


 第三章ノ三 半年後


 さくらがルーフルのメールに日本との講和を餌に呼び出され、冷たい雨の中、傘を差しながらルーフルの待っているときだった。

 スマホの呼び出し音が鳴り、電話の相手を見て、さくらは硬い表情で電話に出た。

「久しぶりだね、五条さくらさん」

 落ち着いた大人びた声が聞こえた。力強い声だと思った。正義を感じさせ、安心感を与え、人を従わせる声に思えた。

 持って生まれた才能なのだろうか? 意識したものだろうか? いずれにせよ、その声で彼は凛の民を支配し、扇動し、独立に向かってひた走る今の立原の状態を作ったんだ。

 そうと思うと東原の声に強い嫌悪感を覚えた。

 傘に雨粒が落ちる音が聞こえる。当分止む様子はないようだ。冷たい雨のせいで息は白く、本気で身が凍ると思う程寒い。

 さくらは冷たい口調で答えた。

「お久しぶり、凛の君になった東原君」

「おやおや、随分とご挨拶な言い方だな」

 東原の声は明るい。

「時間がないの、切るわ」

「率直に言おう。君の協力が必要なんだ。力を貸してくれないか?」

「あたしはあなたを必要としていないし、力を貸すことはもうできないわ」

 彼女はつっけんどんに返した。

「あたしは東原君のやり方には賛成できない。今の立原はいったいなんなの? 東原君はいったい何をしたかったの!」

「凛の民の独立だよ。僕はそれしか望んでいないさ」

 東原は当然のことのように言った。

 その言い方にさくらは瞬間的にカッとなった。

「日本人を排斥して、土地を奪い、追い出すなんて聞いてないわ! こんなやり方は自分本位過ぎる! 日本人に対して傷害事件だって起こしているのよ! そんなやり方を通している東原君達に協力なんてできる訳がないわ!」

 東原は突然キレて突っかかってきたさくらに困惑していたが、すぐにその答えを返した。

「凛の民と日本の人間とは対等に暮らしてはゆけない。それは長い歴史の中で凛の民が虐げられ、蔑まれ、区別されてきたことで証明されている。この暗い歴史を終わらせるにはこの土地に凛の民だけの国家を作るしかないんだ。日本人を排除するのはしかたがないことなんだよ。それくらい分かるだろ?」

「分からないわ! こんなことして日本と凛の民の軋轢を悪化させるだけじゃない。当然日本側は報復をしてくるわ。そうしたらどれほど多くの人が命を失うと思っているの?」

 東原は言葉を返した。

「だから君に協力を頼んでいるんだ。僕も日本側がじきに境界から攻め込んで来ると思っている。当然だよね。勝手に自分達の領土にバリケードを作り、その上独立を主張しているだなんて、どんな間抜けな政府首脳だって兵を出して沈静化を図るよ」

「あたしにそれを撃退しろって言うの? 人を殺せって言うの? あたしは戦争に反対しているんだよ? 今からでも遅くないわ、日本と講和の道は選べないの? 戦争をしたら凛の民が滅んでしまうことだってあるわ」

 傘に雨粒が落ちる音が強くなってゆく。

「日本との講和はありえない。凛の民は凛の国家を作るしか道はないんだ。講和したって壁ができる前の状態に戻るだけなんだぞ! 凛の民が蔑まれ、疎まれる状態にな!」

「でも誰かが死ぬよりいい!」

 さくらは大声を出した。

「あたしは東原君を信用して、東原君に協力し、力を貸してしまった。今の立原の状況になってしまったのはあたしにも責任がある。だからあたしは東原君を倒す!」

 電話の向こうの凛の君である東原は笑ったようだった。

 雨足がいっそう強くなった。大粒の冷たい雨が次から次へと落ちてゆく。

「酷いことを言うな。同じクラスの同級生に向かってさ」

「・・・」

「だったら君にはいい考えがあるとでもいうのか? 凛の民の暗い歴史を終息させるいい考えがあるとでもいうのか? 凛の民がどうやったら差別のない平和な世界で暮らせるんだ? 僕を倒せば問題は解決されると本気で思っているのか?」

 凛の君である東原の声は厳しいものだったが、すぐに落ち着きのある優しいものに戻った。

「君には分かってほしいんだ。いくら凛の民が対外的に閉鎖的な民族だからって、区別され、差別され、蔑まれていいってことにはならない。再び日本に帰属したら、また千百年も続いてしまっている前の状態に戻ってしまう。そうしたら我々の子孫に僕らと同じ生活を強いることになるんだ。そんなことはさせられない。僕らには独立しか道はないんだよ」

「だけど凛の民が変われば・・・」

「それは民族としての自立を失うことになる。凛の民の自信、アイデンティティがなくなってしまう。僕は自分の民にそんなこと強いることはできない。無理だよ」

 さくらは何も答えることができなかった。

 自分がきれい事を並べているのは分かっていた。凛の君を倒すと言ってそれが何の解決をもたらさないということも薄々気がついていた。それでも誰か人が死ぬ事態だけは避けたかったのだ。

 さくらは溜息を吐いた。

 雨の勢いは止まることはなかった。傘を叩く音がやけに大きく聞こえる。

 天気予報では雨は止むことになっていたが、本当にそんな未来が来るとはとても思えなかった。



「!」

 地上から討ち放たれた無数の黒い線が放物線を描き、彼女を狙って凄まじい速度で落ちてきた。イリシアははっとし、とっさに飛び立ち、猛スピードでその場から離れた。爆発音が立て続けに鳴る。ポリゴン化された砂漠がその衝撃で小さなポリゴンの破片となり、宙に飛び散った。

「考え事している場合じゃないよ! イリシア、ぼーとしないで! 」

 ハルの声が飛んだ。

「分かっている! だいたいこれのどこが色鬼なのよ!」

 彼女は叫んだ。

 ルーフルの指定した色は青だった。

 彼女はそれを探しながら飛び続けた。見渡す限りポリゴン化された黄土色の世界が広がっている。とても他の色が存在しているとは思えなかった。

 どこにも青は存在していない。

 だったらあの城の中なのかも。

 イリシアは黄土色にポリゴン化されたアラブ様式の城に向かった。

「この世界で一箇所だけ青色が存在する。さあどこにあるのかな?」

 金髪の少年は城に飛んでゆくイリシアを見上げながらそう呟いた。

「さてとそろそろ僕も本気で鬼の役をやりますかね」

 ルーフルはふわっと宙に浮いた。

 そして一気に加速した。

「何!」

 イリシアは後方から凄まじい速度で迫り来る気配を感じた。

 あいつだ!

 彼女はスピードを上げた。振り向くと鬼役のルーフルの余裕ある笑みが目に入った。怒りを感じると同時に強い焦りを感じた。

 城の手前の黄土色のポリゴン化された岩場を岩肌スレスレに飛び、凄まじい速度の中、障害物が迫るたびに直前で避け、後に続く金髪の少年が避けきれず衝突することを期待した。

 イリシアは振り返った。ルーフルを振り切ることは出来ていなかった。余裕のある表情は何も変わっていない。

「なんて奴!」

 そうなんだ。

 あたしは人が死ぬのなら凛の民は日本に帰属した方がいいって東原君に言ったけど、それは現実的には間違っている。多分彼らに帰属しても凛の民は幸せにならない。日本側は凛の民を支配の対象にしか見ていない。凛の民は差別され続けるだけだ・・・。

「さっさと色を探さないと捕まえちゃうぞ」

 挑発するような声が聞こえた。

「イリシア、エレメントバースト!」

 さくらは振り向き、球状のピンクの光をルーフルに向かって撃った。

 避けられた!

 ルーフルから無数の真っ黒な線がイリシアに飛んできた。

「なんなの、あの数!」

 黄土色にポリゴン化されたアラブの城の窓に飛び込んだ。黒い線はそれを追うようにその窓に方向を変えたものの、その殆どは窓に入れず城の壁に当たり、壁はポリゴンの破片となり、轟音と共に散らばった。

 城に入った黒い線は五本のみだった。

 彼女は城の直線廊下を凄まじい速さで飛び、その後を黒い線が追う。彼女はクランク状の廊下を抜け、階段を上り、再び長い直線の廊下を飛んだ。

「くっ」

 黒い線を振り切ろうと彼女は廊下を何度も曲がる直前で曲がったが、振り切ることができない。

 一本の黒い線が急速に速度を上げ、イリシアを狙って直線的に伸びてきた。それはあともう少しでイリシアに当たるところまで来ていた。

「!」

 イリシアは十字の廊下を急に右に曲がった。その黒い線は同じように曲がろうとしたが、曲がりきれず壁に衝突した。大きな衝突音が鳴った。

 やった!

 廊下を飛び続けた。その後すぐを黒い線が追ってゆく。

 気の抜けない状況に何も変わりはなかった。

 まだ四本もある。

 追って来る黒い線を横目で見ながらさくらはそう思った。

 

 

 外に出ると白い息が広がった。

 冬の冷たい雨は止みかけていた。

 東原は車椅子の車輪を両手で回し、文化会館の建屋を出てすぐの場所でそれを止めた。

 文化会館敷地内には何人もの武装した人間が走り回り、ものものしい空気がそこにはあった。高さ二メートルのレンガの山が敷地を取り囲むように作られ、内側に数名の守備兵が均等に配備されていた。そのレンガは元々は立原の街を囲んでいたアシュタロトの壁に使われていたレンガだった。皮肉なことにかつて凛の民を逃げないように積まれていたレンガは、今は凛の民の身を守るためのものとして有効利用されていた。

「日本からの独立・・・」

 東原はレンガの山越しに立原の山々を見た。山肌に沿って白い霧がゆっくりと動いてゆく。 

 その霧から鳥の群れが羽ばたいてゆくのが見えた。

 時折頬に雨粒が落ちる。

 氷のように冷たいと思った。

「そして日本側との戦争・・・」

 ついさっきまでさくらと言い争った電話での会話を思い出していた。

 日本との衝突は避けられない。そして多くの犠牲が出るのも間違いないだろう・・・。

「・・・」

 鳥達が飛んでゆく様子を彼は目で追った。

 雨雲の隙間から陽の光が地上を照らし、その光のカーテンはまるで鳥達を祝福しているように見えた。アシュタロトを倒したあの記念すべき日の光景とよく似ていると思った。そして気が付くと、東原はその光が差す光景に自分と自分の民の未来を重ねようとしていた。

 強く唇を噛んだ。

 だが、今の立原はそんな状況とは程遠い。

 凛の民が必死に探した市長は結局捕まえることはできなかった。市長は無事に立原地方を脱出し、新聞やテレビなどのメディアで凛の民による独立の動きを牽制する発言を繰り返し、武力による鎮圧を訴えていた。日本側の手引きで立原地方から逃げたのは違いなかった。そして日本世論を武力による凛の民の徹底弾圧に傾けるために利用されているのだ。

「くそっ」

 日本側の攻撃に備えるため、この数日で立原地方に繋がる道路という道路にバリケードを築いた。それは文化会館の周りに置いたレンガの山同様、アシュタロトの死によって崩壊した壁の残骸をトラックで運び込み、即席で作ったものだった。峠の切り通しや橋を渡った場所、港にそれらは作られ、各バリケードには武装した数十人の凛の民が配置されていた。

「これは聖戦だ!」

 銃を手に取っている彼らは自分に言い聞かせるようにそう叫び、自分達を奮い立たせていた。若い人間もいれば、歳をとった人間もいる。素人の集まりだったが、誰もがこの地に凛の民の国を作るつもりでいた。

「凛の君」

 山々を眺め見ている東原は、その声で我に返った。彼は自分の車椅子を声のした方向に向けた。そこには黒い服に黒い防弾チョッキ、黒いヘルメットを被り、肩に小銃を掛けた初老の男が立っていた。男は一礼をした。

 東原は問い掛けた。

「日本側に何か動きはあったか? ラクキス」

「幾つかの部隊が立原との境界に集結し始めていますが、大きな動きはありません。ですが・・・」

 空気が一瞬揺れたような気がした。違和感を持ったものの、周りを見ても何も変わったことはない。

 ラクキスは言葉を続けた。

「日本側の特殊部隊が既に立原に入っています」

「市長を逃がしたのはそいつらだな」

「そのようです。彼らは暗殺を得意とします。おそらく狙いはアークイリシアである五条さくらと・・・」

「凛の君である僕だね」

 初老の男は頷いた。

「しかもその特殊部隊を率いているのは魔界のルーフル伯爵です」

 東原は意外な顔をした。

「悪魔が日本の特殊部隊を率いている?」

 そんなことがありうるのか?

「ルーフル伯爵・・・?」

 そして車椅子に座る東原はその名を思い返すように呟いた。

「思い出した。アシュタロトがこの立原に壁を作った直後に日本側に下った悪魔がいた記憶がある。それがルーフル伯爵だったはず。よくは知らないが頭の切れる悪魔だったと聞いている」

 ラクキスは頷いた。

「何かを仕掛けてくると思った方が良いでしょう。決して油断なされなきよう」

「奴ならばどう出てくると思う?」

「陽動を行い、凛の君の命を狙ってくるでしょう。五条さくらは・・・」

 何か変だと思った。

 ラクキスは言葉を止めた。

 再び空気が揺れた。今度は明らかに分かる程だった。東原は天を仰ぎ見た。

「何が起きている?」

「別の世界が重なっているように見えます」

 その言葉を理解できず、東原は戸惑った様子を見せた。ラクキスは目を細め、空を凝視し、説明するように言葉を続けた。

「私もはっきり見えている訳ではありませんが、黄土色の世界がこの世界に重なって見えます」

 老兵はそう答えた。

「それと何かが追われて飛んでいるのが見えました。それ以上のことは分かりません」

「・・・」

 東原は老兵の凝視する方向を見たが、初老の男が言う黄土色の世界を見ることはできなかった。そこには雨の上がった昼下がりの立原の山々の風景が見えるだけだった。

「ルーフルの仕業なのか?」

「僅かながら悪魔の気配がします。確証はありませんが、その可能性はあると思います」

 悪魔の気配・・・。

 彼ははっとした。

「五条さくらは今どこにいる!」

 さっきまで僕と電話をしていた。

 東原は胸のポケットからスマホを取り出し、急いで電話を掛けた。

 強烈な焦りを感じた。ついさっきの会話で気が引ける気持ちもあったが、今はそれどころではないと思った。

「只今、電話に出ることができません。ご用件がある方は・・・」

 留守電に繋がった。彼の頭に嫌な予感が過ぎった。

 もしかしたらさくらは既に敵と遭遇しているということか? 狙いが五条さくらと凛の君である僕だとして、だとしたら・・・。

 銃声が鳴った。

 一瞬にして緊張が走った。弾は自分を狙ったものだと東原は直感した。ラクキスが大声で叫んだ。

「凛の君をお守りしろ! 敵は前方二時の方向百メートル、白い民家の二階!」

 連続して複数の銃声が鳴った。即座に数人の凛の民が凛の君の前に立ち、自動小銃を撃ちながら、文化会館への退避を開始した。銃声が鳴り止まない。ばたばたと何人もの凛の民が倒れ、血を流し、そのまま動かない体となってしまっていた。

 東原の座る車椅子に激しい衝撃が起きた。

「!」

 右足側のステンレスフレームが大きく捻じ曲がり、そこには押し潰された銃弾がめり込んでいた。

「凛の君!」

「大丈夫だ」

 銃弾が飛び交う中、東原は車椅子を押され、文化会館入り口の陰に入った。その場は騒然とし、異常な緊迫感に覆われていた。

「がっ」

 応戦していた若い凛の民がどさっと倒れ、その音に反応して東原は振り向いた。そこには目を開けたまま、側頭から血を流し、絶命している男が倒れていた。歳の頃はまだ十代後半だろう。

 東原は唇を噛んだ。

 無数の銃声が鳴り重なった。

「前方十時の方向百五十メートル、同じく白い民家の二階!」

 初老の男は怒鳴った。声は掠れていた。

 銃撃戦は激しさを増し、無数に鳴り響く銃声は止む様子が全く見せない。文化会館の壁に銃弾が当たるたびにコンクリートの破片が飛び散った。

 初老の男は胸の無線に口を当てた。

「ラクキスだ。敵はかねての情報にあった日本側特殊部隊。現在東北方向から攻撃されている。陽動の可能性もあり、各方面の守備隊には油断なきように」

 突然、建物越しに大きな爆発音が聞こえ、建屋が大きく揺れた。

 ラクキスは叫んだ。

「状況報告!」

「南側、敵からのロケットランチャー攻撃を受けました! 建屋被害小! 怪我人不明!」

 無線から悲鳴にも似た報告が上がった。

 無理もない。彼らは即席の訓練を受けた素人なのだ・・・。

「敵を確認できるか?」

 ラクキスと名乗った初老の男は無線の相手にそうに聞いた。

「物影から攻撃してきていて、序々に距離を詰めてきています。数は五、六人のようです。これから応戦します!」

「了解」

 無線を切るとすぐに大きな爆発音が鳴った。すぐ傍での爆発だ。凄まじい爆風の後に土埃が舞い、その合間から文化会館の壁に三メートル径の大きな穴が開いているのが見えた。

「挟まれましたね。ロケットランチャーなんてどうやって持ち込んだんでしょう?」

 ラクキスは小銃に弾を装填しながら言った。

「そうだな。だけど敵側も僕らの武器がどこからきたものなのか、不思議に思っているだろうよ。警察から失敬したものだけでは計算に合わないからな」

 凛の君である東原がそう答えた瞬間、爆発音が鳴り、建屋が大きく揺れ、すぐに次の爆発音が聞こえた。銃声、爆発音は止む様子を見せない。無線に被害の程度が次々に報告され、重軽傷者の数は増える一方だった。死亡者の報告もその中にはあった。

 ラクキスは焦り始めていた。

 劣勢だ・・・。

 無線を取った。

「アリス!」

 突然の老兵の苛立った言葉に無線は何も反応しない。

「アリス!」

 彼は祈るようにもう一度同じ名を呼んだ。

「ちょっと、そんなに大声を出さないでくれる?」

 はっとして後ろを振り返った。

 そこには黒いリボンを頭に付け、濃い青いドレスを着た青い目の少女が、にやっと笑いながら立っていた。手には二メートルはある黒い針のような武器を持っている。

「今まで何をやっていたんだ!」

 ラクキスは苛立ちで冷静さを失っているようだった。

「ちょっとね。私だっていろいろ忙しかったのよ。だいたいこのざまは何なの? こんな状況になるまであんた今まで何をやっていたの? 馬鹿なの?」

「なんだと!」

 初老の男は怒鳴った。

 少女は凛の君に向いて一礼をした。

「遅くなって申し訳ございません、凛の君。私が来たからにはあのゴミ共を即座に片付けてごらんに差し上げます。それと黄土色の世界が重なっているのが気になって、調べて参りました」

「そうか。何か分かったのか?」

「あれは魔界です。ポリゴン化し、物質の区別がなくなる終盤の過程まで来ている状態のものです。そしてあの世界にはアークイリシアが囚われ、ルーフル伯爵と戦闘に入っています」

 その言葉に東原は一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐに平素に戻った。

「彼女は無事なのか?」

「まだ無事としか」

「そうか・・・」

「今はこの目の前の状況の対応を優先します。これから起こることを御君が目にしましたら、私のことを残酷だとお思いになるでしょう。お嫌になるかもしれません。ですが、そうなっても私のあなたへの忠誠が変わることは決してございません」

 そう言うとアリスは深々と頭を凛の君に頭を下げた。

「すまない、アリス。君にこんな役割を負わせてしまって」

「構いませんわ。それが私の役目ですから」

 アリスは再度頭を下げ、目を閉じ周囲の様子を伺った。銃声が鳴り、ロケットランチャーの爆発音が響いている。アリスはゆっくり目を開け、自分に言い聞かせるように叫んだ。

「裁定のウェッジ!」

 彼女の言葉に反応して、長さ二メートルはある無数の黒い杭が空に現れた。

 銃撃が止んだ。

 異様な雰囲気に日本側の兵は唖然とし、自分達の上に突然現れた黒い物体を見上げていた。訓練された兵は戸惑い、危険を感じながらも次への判断が行えず、その場でただそれらを眺めているだけだった。

「貫け!」

 その言葉を合図に一斉に黒い杭が地上に向かって落ちていった。

「あっ」

 体が動かず、逃げることができなかった。

 杭はついさっきまで銃撃や砲撃を加えていた日本側の特殊部隊の人間を全て一瞬にして串刺しにしてしまった。刺された人間は悲鳴を出すこともできず、ただ痙攣を起こし、やがて絶命してしまった。鮮血が飛び散り、今まで見たことのない残酷な風景がそこには広がっていた。

 人間を串刺しにした黒い杭は青い炎を上げ、燃え始めた。そして数秒の内に刺した人間を跡形もなく燃やしてしまった。

 そこに動く者は誰もいなくなった。

 そして銃弾が撃たれる音、砲撃の音も聞こえることはなかった。

 激しかった銃撃戦はあっけなく終わったのだった。


 

 さくらは長い直線の廊下を一気に飛んだ。その後を四本の黒い線が猛スピードで追う。

「いったいどこまでついてくるの!」

 アークイリシアは目に入った曲がり角をくいっと曲がった。四本の黒い線もそれにならい、同じように曲がろうとしたが、一本が曲がりきれずドンと壁に当たった。その衝撃で壁が砕け、無数の小さくポリゴン化された破片が飛び散ってゆく。

 残った三本の黒線は勢いを落とすことなく、競い合うように依然彼女を追った。

 それにしてもおかしい・・・。

 この城には黄土色しかないわ。全てを探し尽くした訳ではないけど、青色のものがあるとは到底思えない。あの少年、あたしを勝たせる気はないのかもしれない・・・。

 廊下を曲がった。目の前に間口の狭い昇り階段が見えた。彼女はその入り口に飛び込んだ。階段は螺旋状になっており、それに沿って凄まじい速度でさくらは飛んだ。三本の黒い線はアークイリシアと同じように細い階段の入り口に進入しようとしたものの、入り口の壁に次々とぶつかり、それを通過できた最後の一本も螺旋状に上がる階段の壁に衝突し、彼女を追う全ての黒い線はようやく全滅した。

 彼女は階段に沿って飛び、階段が終わると目にした窓から外に出た。そこは城の塔の最上階だった。

「危なかった・・・にしても、青色のものはいったいどこにあるっていうの?」

 見渡す限りポリゴン化された黄土色の世界だ。城の麓には小さい建物が街をイメージしたかのように配置されていた。その周りは岩場が広がっている。

 城の中をもう一度探し直そうと思ったものの、直感的にそこには青色のものはないような気がした。そもそもあのアシュタロトに似た金髪の少年が、さくらを直接追ってこなかったのが不思議だった。城の中に青色のものがないと分かっているのなら説明がつく。

 だったら何処にある・・・?

「僕を倒した方が早いかもしれない・・・」

 さくらはふとあの少年の言葉を思い出し、それを口にした。

「僕を倒した方が早いかもしれない・・・青色を探すよりそっちの方が早い。いや、ゴールはそこにある」

 その言葉を聞いたとき何か引っ掛かった。

 そもそもあいつは何者なんだ? それにこの世界って・・・。

 アシュタロトが死んだときのシーンがふっと蘇った。血を流し、尚も倒れない彼女を思い出した。思い出したくない記憶だった。あんな残酷なシーンはもう経験したくなかった。

 血・・・。

「そうか」

 背後に強い殺気を感じた。

 彼女はとっさにその場離れ、距離を置き、宙に浮いたまま踵を返した。

「ほらほら、ゲームはまだ続いているんだよ。さぼっていたら死んじゃうぞ」

 金髪の少年が塔のベランダの手すりに座っていた。からかう調子の声だったが、さくらはその挑発に乗ることなく、冷静な口調で言葉を返した。

「ルーフル」

 自分の名を呼ばれ、少年はきょとんとした表情をしたが、すぐに笑顔で答えた。

「その感じじゃあ、青色がどこにあるか分かったのだね」

「ええ」

「なんだつまらないな。君がまぬけにも黄土色のこの世界で一生懸命に青色を探す姿を見ていたかったのに」

「・・・お前は色鬼を始めるにあたって、自分を倒した方が早いかもしれないと言っていた。でもそれって変だと思ったわ。色鬼をやると聞いてワクワクした様子を見せたにも関わらず、あたしに直接の戦闘を進めるなんて、どう考えてもおかしいとね」

 さくらのピンクの長い髪が風になびいた。

「それにアシュタロトが死んだときのことも思い出した」

 彼女は目を閉じ、あの残酷な風景を思い浮かべた。そして目を開け、はっきりとした口調で言った。

「青色はこの黄土色のポリゴンの世界には現れていない」

「ほう」

 ルーフルと名乗った少年はにやっと笑った。

「なぜなら青色はお前達、悪魔の血の色なのだから。お前を倒し傷つけない限り、青色には辿りつけない。だからお前は色鬼に勝つ近道は自分を倒すことだと言ったんだ」

「なんだ、本当につまらないな」

 そう言って首を横に振った。

「そうさ、だけど僕は倒されはしないし、血を流す事態に陥ることもないよ。倒され、血を流し、死ぬのは五条さくら、君だ」

 その瞬間、黒い線がルーフルの背後から無数に現れ、一斉にアークイリシアに向かって飛んだ。



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