18
男を乗せた白いワゴン車は、5分ほど走行すると1軒の家の前で静かに停車した。
その家は戸建てで、まだ築5年ほどの比較的新しい家だ。それなのにも関わらず、表札がかまぼこ板のような木の板に、黒いマジックで『ササキ』と書かれている簡素なものだった。表札だけが異常に浮いていたが、主治医も華蘭も気にも留めた様子はなかった。まるで、最初からそうであったかのように。
「お帰りなさい。」
ワゴンから華蘭が下りると、むわっとした熱気とともに、家の中から久保と安原が迎えにでてきた。チャイムを鳴らす前に出てきたということは、二人ともワゴン車が到着するのを今か今かと待っていたのだろう。
久保と安原は、ワゴン車のバックハッチを開けると、担架に乗っている男の両脇を支えて車から降ろした。そのまま開け放しにされている家のドアから二人が中に消えると、主治医はそそくさとワゴン車を発車させた。
華蘭は走り去っていくワゴン車を振り返ることもなく、家の中に入り、ドアに鍵をかけた。
――ガチャリ
鈍い音が玄関に響く。
室内はカーテンが閉められているからか薄暗く、暑くじめっとした外とは違い、冷房が効いておりひんやりとしていた。少し寒いほどだ。
「華蘭さん。寝室に運んでおきました。」
「ありがとう。助かったわ。」
久保と安原が2階の寝室から降りてきて、玄関にいた華蘭に声をかけた。華蘭はにっこりと微笑みながら、一仕事終えた久保と安原のことをねぎらう。
「順調、ですか?」
久保が湧き上がる好奇心を抑えながら訪ねる。手が今にも動き出しそうなほど、ピクピクと脈打っている。
「ええ。順調すぎるほど、ね。」
「……久保くん、君の手腕はさすがだね。」
華蘭が答えると、安原が関心したように顎を撫でさすりながら言った。安原の背中にはうっすらと汗がにじみ出ている。
久保は満更でもなさそうに口端を上げた。目を輝かせてスマートフォンに視線を移すと、
「くー坊はさすがですね。」
嬉しそうに呟いた。
「ええ。」
「……ああ。」
久保の弾むような声に、華蘭の穏やかな声と少しだけ緊張感を含んだ安原の声が続いた。
三人とも手に汗をかいており、それぞれが交代で洗面台で入念に手を洗うと、さっぱりした様子でリビングに集まった。
外からは「カナカナカナカナカナカナカナ……。」というセミの鳴き声が聞こえてくる。
「ご協力ありがとうございます。おかげで主人は小説家としてデビューすることができそうです。」
華蘭はグラスに入った氷の上からミネラルウォーターを注ぎ、久保と安原に提供した。キンキンに冷えたミネラルウォーターは一仕事終えて火照った彼らの熱を身体の中から覚ましていく。
「ここからもうひと踏ん張りですね!」
久保はそう言って、空になったグラスを置いた。安原も半分ほど残っているグラスを置く。
「ええ。そうね。長かったわ……。」
「ああ。まあ、オレの方はもう少しで終わりそうだけどな。」
「そうですねぇ。あの人、きっともう出社するなんて言わないかと……。」
「長かったなぁ……。」
安原はそう言って深く長いため息を吐いた。
安原は男のおこしたパワハラ被害のことを思い出していた。




