第22話 さらなる犠牲者を生んだ大広間からの敗走
クローゼットから一連のできごとを追っていた“いつもどこか他人事”であったが、想定を超える“びびり八段”の抵抗、また“中型免許”や“ゲス野郎”まで巻きこんでの騒動に、興奮を隠せないでいた。
「ここには、他人事じゃない真実が、ある……」
われ知らずつぶやき、その吐息は熱を帯びている。
自分と同じような、いや、客観的な評価をくだすのであれば自分よりも凡とさえいえる“びびり八段”が、なればこそ、生を満腔にみなぎらせている。
また、デス畳の気を引こうと命をかける“中型免許”や“太鼓持ち”、さらにこのような状況下にあってもデス畳をコケにしようとする“ゲス野郎”と、デス畳を中心とした景色が、どうしたことか輝いて見えるではないか。
「自分も、あのなかに――」
夜、かろやかに舞う羽虫が、赤く燃える篝火にひらひらと惹かれゆくように、気づけばクローゼットをひらいて一歩を踏み出していた。
「で、デス畳――」
緊張によりぎゅっとせばまったのどを、押し広げて空気を逃がしていくように、そっと語りかける。
が、“ゲス野郎”を追うことに血道をあげているデス畳には、とどかない。
「おれも、ここに、いるぞ――」
「“いつもどこか他人事”ォ! そこにいたのか。ここは危ない、ち、いや、下に逃げるんだ! 先に“カタブツ”たちと合流していてくれっ」
モップをデス畳にぶちあてて気を引こうとする“中型免許”が、“いつもどこか他人事”の決死のささやきをかき消す。
アルバイトで現場仕事をしているだけあって、ほかのメンバーとくらべれば筋骨隆々たる“中型免許”であるが、モップごときではなんのダメージにもならぬらしい。
デス畳は何度なぐられても“中型免許”を無視して、怒吼とともに“ゲス野郎”を追いつづける。
それも、「このゲス野郎だけは決して逃がさぬ」という決意のあらわれなのか、巧妙に部屋からの逃げ道をふさぎながらの追走である。
「いや、おれ、おれも――」
「ケヘーィ! しつこいねぇアンタも。そんなにしつこいと女にモテないだろモテるって概念が畳にもあるのかわからんけどねぃ」
汗を大量に流し、大広間からベランダへ、さらにまた大広間へと逃げまわる“ゲス野郎”が、だまってはいられないのかつい煽ってしまう。
デス畳はデス畳で、「モテない」の言葉がどうも癇にさわったらしく、
「んダァミィィィ!!」
と毒沼を想起させる暗緑色の濁ったうめきを発する。
そうして“ゲス野郎”がまた「やべっ」とあせる愚行をくり返していた。
「女をささげるからここは見のがしてくれぇい! そうだなぁ和室にあった襖をかわいくデコってさしあげましょうか。ケヘヘお似合いですよデスのダンナぁ!」
ゲスの天性でもって無意識にそうなったのか、その言いかたにはあきらかに揶揄の調子が含まれており、デス畳がさらに激昂していたころ、“いつもどこか他人事”はおのれに失望していた。
「ああ……やっぱり、自分には結局あらゆることが他人事でしかないんだ……」
そして、ちょうどこちらへ走ってきた“太鼓持ち”に、
「おっ、さすが“いつもどこか他人事”だぜ! こんな状況にあってもどこか他人事のようにうつろな表情をしている、そうして自分の心をまもっているってわけだな。こんなホラーな現実、まともに受けとめてたらぶっこわれちまうもんなぁ。正しいぜ! ほら、オイラといっしょに下へ逃げよう。“びびり八段”は先に行ったぜ!」
と、手をとられた。
同時に――
「ぐへぁ!」
悲鳴をあげながら、長時間の逃走で足がもつれた“ゲス野郎”が、ついに転んだ。
デス畳が、これ以上ない好機とばかりに、右目を光らせて高く飛ぶ!
「ケ……ヘ……受験でも人生でもコケるやつは自己責任ってね。死ぬその瞬間までゲスであること、それがこのおれ、“ゲス野郎”の本懐ってわけなのさ……。“中型免許”ォ! 地獄でおまえら全員、楽しみに待っててやるぜ……」
ボサボサの髪がぐっしょりと濡れるほど汗にまみれ、ぜぇはぁとひどく呼吸を乱して前のめりに倒れた“ゲス野郎”は、末期の舌なめずりをし、またその長い舌で“中型免許”たちを入口へとうながすようにも見えた。
「ばかやろう、“ゲス野郎”……!」
デス畳に投げつけて気を引こうと、ちょうど大きめのテーブルの残骸をかかえていた“中型免許”は、それを放ってあわてて“ゲス野郎”のもとへと走る。
が、いまから“ゲス野郎”を救うには、あまりに距離がありすぎる。
猛スピードで一直線に迫りくるデス畳。
そして、ひとみの光をあきらめで黒く閉ざしてゆく“ゲス野郎”の前に、ふとひとつの影が立ちはだかった――
“いつもどこか他人事”である。
「他人事なんかじゃない、これが現実なんだ、おれを見ろ――!」
バグンッ
生まれてはじめて、心の奥底からあたたかなエネルギーが、湧きあがるのを感じた。
その心に、エネルギーに従うままに、“太鼓持ち”の手を振り切り、これまで出したことがないようなちからで床を蹴り、腕をちぎれそうなほどに振って全速力で走り、音量こそかすかであったものの、肺や声帯やのどまで多くの部位が融け合うような声を発することができた“いつもどこか他人事”は、どこか満足そうに顔をきらめかせたその刹那、むざんにも喰われて亡きものとなった。
デス畳は、念願の宿敵をようやくしとめられたと思い込んでいるようで、高級ステーキ肉に思いのほか弾力があったときのように、何度も何度も、目を閉じてその血肉を咀嚼して味わいつくしている。
デス畳の忿怨がいかにつのっていたかを感じさせる念入りな噛みようで、彼の脂肪は、筋繊維はズタズタになり、糸くずのごとく細く小さくなっていく。
思わぬ光景に目を疑いながら、気配を殺してその横を走り抜けた“中型免許”は急ぎ“ゲス野郎”を肩に負って部屋から脱出する。
「いつも、“いつもどこか他人事”ォ……」
立ちどまるわけにはいかないが、とむらうようにその名を呼び、音も立てずに涙を流す。
かかえられた“ゲス野郎”もまた、想定しえぬ状況に放心して目を見ひらいたあと、
「ケヘ、おれなんぞを助けるなんて、お人よしばかりだねぇ。儲けた、儲けた……」
と、聞こえないような小さな声で、そっとつぶやいた。
床に落ちたいくつかのまるい水滴のあとは、汗か涙か、判然としない。




