第21話 「こいつらの命はやるから、おれだけは助けてくれ」
「イィヤァァァァ!!」
眼前にまで迫ってきたデス畳によって恐怖が許容量を超えた“びびり八段”は、のどを雑巾のごとくひき絞って絶叫した。
彼の顔面からは汗・涙・鼻水・ヨダレと出せるかぎりの水分が放出されており、その「駄々っ子レベル99」といえるほどの予測不能の動きがあいまって、あお向けから流れるようにうつぶせへと推移、そののちピーンとつっぱった足が偶然にも壁を強く蹴り、また顔面がぬるりと床をすべったことで間一髪デス畳の攻撃をかわしてみせる!
「タミ?」
ようやくしとめたはずの畳のはざまに空気しかなかったことを訝しみ、首をひねった(首はないが)デス畳はいよいよ肩までデロデロにぬれそぼっている“びびり八段”を見てまたひいた。
そこへ――
「デス畳ィ、こっちだ!」
モップを片手にした“中型免許”が入口で気炎をあげる。
“ゲス野郎”のデス畳へのあおりから状況を察知し、一階へ降りてくると予想、武器をさがして待ちかまえていたのだが、来たのは“ゲス野郎”のみだったのであわてて二階へと馳けあがってきたのである。
デス畳はちらりと“びびり八段”を見やったが、
「あああおれはもう死ぬんだ最期はこんなビチンビチンに床を跳ねてカツオのようだったなんてお父ちゃんお母ちゃんが知ったらかなしむなぁ、おれもかなしい。でもふるえがとまんねぇんだよぉなんならお股が少しぬれていることにいま気がついたし、こんなに漏らしたのは大学を受験するとき以来、人生で58回目だよ。いやこうなりゃいっそ発想を転換して出せるだけの尿をぶちまけて『黄色い海を泳ぐカツオ』という芸術作品にしあげて人生の花道をかざるという手も……」
とうつろなひとみでぶつぶつしゃべりつづけているため、ぞっとしたように顔をそらした。
あまり視力がよくないのか、入口にやってきた男を見きわめるように視線をむけたのち、「タミィ!」と再度気合を入れなおすようなおたけびをあげる。
対する“中型免許”は、モップをもってきたものの、実際にこれでデス畳に太刀打ちできるとは考えていないようで、「ほら、こっちだこっちだ!」とさわいでデス畳を引きつけつつ自身も逃走をはかる。
バサバサと羽ばたきながらそちらへ移動しかけたデス畳であるが――
「いよっ、さすがデス畳! 畳のなかの畳だねぇ、オイラぁこの世に生を受けて20余年、これほどの恐怖を感じたこたぁないよ。これぁもう畳だなんて一語では表現しきれない、畳を超えた、あれ、その、超畳だねっ。いよっ、この世にはじめて生まれた超畳ッ!」
と、ベランダから半身を出して囃してくるものがある。
むろん、“太鼓持ち”である。
ほめられていることがわかるのであろうか、慮外なことばに急ブレーキをかけて停止し、少々まごつくデス畳。
そのスキにと大広間へ侵入した“中型免許”は、そろそろと歩いて“びびり八段”に「来いっ」と身ぶりで示した。
すっかり恐怖にとらわれていた“びびり八段”であったが、ハッと正気をとりもどし、ずりずりと這って“中型免許”のもとへと行こうとする。
それに気がついたデス畳、気もちのわるいヤツではあるが少しでも気もちわるくないあいだにとばかりに、やはり“びびり八段”へとおそいかかる――
ベチャリ。
なにやら場ちがいな音がしたのは、そのときであった。
デス畳の背後に、よく噛まれたガムが唾液とともにネチネチとくっつけられたのである。
「なーんかうすぎたない板があったから、ついガム捨てちゃったよ。うーん、うすぎたないながらもいいアクセントになったなぁ。このくすんだピンク色がね、いぐさの緑によく映えるね。あれ、いぐさといえばそこにいらっしゃるのはデス畳さんじゃないっすかぁ、たまには風呂入ったほうがいいっすよクサいんで。そう、ここでおまえをコケにするのはこのおれ、“ゲス野郎”さ」
砲弾装填を思わせる動きでクッチャクチャと新たなガムを口に入れながらあおったのは、まさしく名のりにたがわぬ“ゲス野郎”である。
大広間には入口がふたつあり、“中型免許”とは別の入口から入ってこっそり近づいていたのだ。
デス畳は、声にならぬ絶叫をあげる。
もはや“びびり八段”にも“中型免許”にも興味を示さず、心なしか全身を赤くそめあげて“ゲス野郎”へと突進した。
床板を跳ねあげ、置いてあったテーブルを破壊し、つまずいて転んだかと思いきやすさまじい勢いで縦回転をして“ゲス野郎”へと迫る。
一方、ゴキブリのごとき敏捷さでカサカサとテーブルの下へもぐり、イスを敵へと放って妨害しつつ、ベランダへのがれ出た“ゲス野郎”は、
「ケヘヘヘすぐ頭に血がのぼるヤツをからかうのはやめらんないねぇ!」
と高笑いまでしてみせた。
ベランダはぐるりと大広間を囲っており、途中にいた“太鼓持ち”を巻きこんで端から端へ逃げ、また別の窓から大広間へともどってきた“ゲス野郎”であったが、デス畳に「入口からお行儀よく入らねばならぬ」という人間的礼儀はない。
荒れ狂う台風のように、ガシャンと窓ガラスを盛大に割って最短距離で“ゲス野郎”へと迫る。
が、ベランダと窓の境目に“太鼓持ち”の足が引っかかり、ひとりすっ転んでしまった!
「さ、さすがオイラだぜ……! こんな肝心なときに、こんなポカミスで命を落とすなんてよぉ。はは、いつもこうなんだ。本番に弱くて、いつもここ一番ってときほどやらかしちまう……みんな、無事で逃げろよ……」
“太鼓持ち”が辞世の句ならぬ辞世の太鼓をたたいていたそのとき、デス畳はマラソンの給水所のごとく「通りがかったし一応飲んでおくか」と言わんばかりにさらっと“太鼓持ち”をすくって喰らおうとした。
“ゲス野郎”は二者をふりかえり、一瞬のまよいさえなく舌を出したゲス顔であおる。
「すまんな“太鼓持ち”、おれぁおまえらみたいな博愛主義者じゃないからよ、助けてやれねぇんだわ。受験でも人生でもコケるやつはいつでも自己責任ってね。ケヘヘ自分以外の不幸はなーんでこんなおいしいのかねぇ」
不幸という骨つき肉をしゃぶりつくすように、舌なめずりまでしてみせる。
「へへ……さすが“ゲス野郎”、一貫した生きざまだぜ……」
と絶望したようにささやき、目を伏せて覚悟する“太鼓持ち”であったが、さらなる変化を見せたのはデス畳である。
“ゲス野郎”のあおり顔が自分に向けられたものと感じ、ムキーッという癇癪音が聞こえるほどに伸びあがり、ますます赫怒をみなぎらせた。
その結果、“太鼓持ち”を放置して一散に“ゲス野郎”へと猛進してゆく。
「なんでぇ!?」
想像をはるかに超えるデス畳の超加速にあせった“ゲス野郎”であったが、ときすでに遅し。
その生意気な顔面をこなみじんにしてやろうと、喰う喰わぬはさておき迅速な殺害を達成すべく、和室の入口をも破壊した天面によるロケット頭突きをくりだす――
「“ゲス野郎”ッ!」
デス畳の到達よりも、“ゲス野郎”の頭部がその場から消失するのが、わずかに早かった。
“びびり八段”を大広間から逃がした“中型免許”が、ヘッドスライディングのごとくからだをすべらせ、もっていたモップの柄でもってうしろから“ゲス野郎”の足を払い、その命を救ったのだ。
ズルンと上半身が垂直落下し、尻もちをついた“ゲス野郎”のすぐ真上で、デス畳がビュンと風を切り裂く音とスピードで空気をさらっていった。
しかし、想定した反発力がなかったためか制御できず、勢いそのままにゴロゴロと窓まで転がってまたもガラスを割り散らかす。
「ケヘヘ……」
そのスピードは、ギロチンがおのれの首をかききるさまを連想させるようなすさまじいものであり、強がりも出ず引きつった顔で笑う“ゲス野郎”。
つづいて、
「タミィ……」
と床を叩いて一気に立ちあがったデス畳の背後から、際限のない怨念が立ちのぼっているのを見るや、
「こいつらの命はやるから、おれだけは助けてくれぇ!」
とさけんで逃げ出した。
捕食を妨害されたのにもかかわらず、“中型免許”には目もくれずに“ゲス野郎”を追うデス畳。
両者が逃げ、追うほどに、床や壁や家具が壊滅していく大広間であったが、それをそっとながめる眼光がひとつ、らんらんと輝いている――




