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11.はい、一件落着ですわね

 こつん、こつん。……ぎいいいい。


 謎の足音が扉の向こうで止まり、そして扉がゆっくりと開き始める。下のほうで、アルジェ公爵のか細い悲鳴が聞こえた。


「お嬢様、こちらは問題ありませんよ」


 やってきたのは、ばあやだった。いつも通りのおっとりとした笑みを浮かべて、わたくしたちに近づいてくる。そうして、床に転がったままの公爵に呼びかけた。


「ああ、公爵様。助けを呼ばれるのは構いませんが、誰も来ませんよ。みいんな私の特製のお薬で、眠っていますから」


「薬……だと?」


「はい、薬です。とても良い夢を見せてくれる、素敵な薬ですよ。明日になったら、みなさまとっても元気になっていますからね」


「ど、どうしてそんなものを……」


「あら、オウリー家の当主であるリリーベルお嬢様にとって、ここは敵地にも等しいものですから。万が一捕らえられでもしたら、大変です。使用人として、主の身を守るのは当然でしょう」


 その万が一は、まず起こるはずもないのだけれど。実は今も、この部屋の窓のすぐ外にじいやが待機しているのだから。


 公爵との話し合いの間に、じいやは何回かこっそり姿を見せていた。私がついておりますよ、安心なさってください、と言わんばかりの顔で。


 おかげでこちらは、笑いをこらえるのに大変だったけど。


「ありがとう、ばあや。でもこの屋敷はとても広いけど、きちんと薬を行き渡らせられたの?」


 明るくそう声をかけると、ばあやはいたずらっぽく片目をつぶってみせた。


「ふふ、こんな時のために特別な装置を作っていたんですよ。眠り薬の蒸気が、こうふわんと吹き出す、そんな装置です。メイドたちと手分けして、あちこちに薬をまいて回りました」


 楽しそうなその様子に、レオニスと顔を合わせてくすりと笑う。公爵はあんぐりと口を開けて、床にへたりこんだままだった。




 それからしばらく後、私とレオニスは馬車に乗って、オウリーの城へと戻っていた。


 アルジェ公爵はすっかりおびえた顔で『レオニスはアルジェの一族とは無関係である』旨の書類を書いてくれた。あと、『アルジェはオウリーに干渉しない』との一筆ももぎとった。


「ふふ、これでもうあの失礼な方々が来ることもないわね」


「……本当に、見事な手際だった。私はオウリーの家に世話になってから驚いてばかりだが、今日は一段と驚かされた気がする」


 話し合いの間はずっとこわばった顔をしていたレオニスが、ようやく一息つけたといった顔で微笑んだ。


「それに、方便とはいえ……過分に褒められてしまった。正直、くすぐったい」


「過分に? なんだったかしら。覚えがないのだけれど」


「ほら、どうして私と婚約することにしたのか、とか、あとは武術の腕とか」


 ものすごく恥ずかしそうな顔で、レオニスがつぶやく。ああ、あれのことか。


「どちらも本当のことをそのまま言っただけよ。余計な嘘をつかずに済んで、楽だったわ」


 笑いかけると、レオニスが頬を赤らめた。その時、言っておくべきことがあることを思い出す。


「そうだわ、一つ謝っておかなくては。話の流れとは言え、あなたをアルジェの家から切り離してしまって……その、戻りたいのなら、取って返してまた一筆書かせるけど……それこそ、力ずくでも」


「いや、いい。君は、私のためを思ってあの提案をしてくれたのだろう。私はアルジェの家にいる限り、幸せにはなれない。そう考えてくれたのだと思う」


「ええ、そうよ。……あ、でも、オウリーからも出ていきたくなったらいつでも遠慮なく言って。どこか養子の口を探してもいいし、平民として暮らしたいならお金も用意してあげられるし……」


 あなたのお父様を探すこともできるかも、という言葉はのみ込んだ。


 たぶん彼は、そんなことは望んでいない。少なくとも、今は。前に自分の生い立ちについて話してくれた時の彼の暗い表情が、自然と頭をよぎっていた。


 そしてレオニスは、ほぼ予想通りの返事をした。


「ああ、その……このまま、オウリーの城にいさせてほしい。ようやく、じいやの特訓に多少なりともついていけるようになったのだ。許されるなら、もっと腕を磨きたい」


「このまま……だと、あなたはわたくしの婚約者で、いずれは夫ということになるけれど……それでいいの?」


 うつむくと、ひざの上に置かれた自分の手が目に入った。そのまま、一気に言う。


「その、あなたがわたくしに近づいたのは、あのアルジェ公爵の差し金でしょう? あなたはもう自由なのだから、好きなようにすればいいと思うの。わたくし、あなたの新しい人生のお手伝いをしたいし」


 どうしてわたくしは、ここまで彼のことを気遣っているのだろうか。


 普段のわたくしなら、特に気にせずに話を進めていただろう。


 じいやとばあやに背を押されたとはいえ、わたくしは彼を婚約者とすることに決めた。彼もこのままわたくしのもとにいると言っている。


 それ以上、何も気にすることなどないはずなのに。


「そうね、たとえば婚約を解消して、わたくしの養子となってしまうとか? そうすれば結婚も自由だし、じいやとの訓練も続けられるわ」


 とっさに口走ったそんな思いつきのおかげで、ようやく気づく。


 わたくしは、彼に嫌われるのが怖いのだ。


 彼がわたくしに近づいたのは、彼の意志ではない。そんな彼をそのまま自分のところに縛りつけていいのかという思いが、ずっと胸の中で渦巻いていたのだ。


 だからわたくしは、どうにかして彼の言葉を引き出そうとしているのだろう。


 彼は自分の意志で、わたくしの婚約者であり続けることを選んだのだという、そんな言葉を。


 馬車の中に、沈黙が満ちる。どうしよう、向かいに座る彼の顔が見られない。


「……前に言ったが、もう一度言わせてもらってもいいだろうか」


 不意に、レオニスが言った。彼は考え考え、言葉を続けている。


「リリーベル、私は君を守りたい。私が武術の腕を磨いているのは、そのためだ」


 前に彼の事情を聞いた時に、彼は言った。わたくしの力になりたいのだと。あの時に感じたくすぐったさが、胸にこみあげてくる。


「それに、君の婚約者がいなくなってしまったら、またたくさんの求婚者が押し寄せてくるだろう? 君はそれを、望んではいないと思うのだが」


「ええ、そうよ」


「ならば私を、このまま君の隣にいさせてくれ。出ていきたいとは思わないし、君の息子になりたいとも思わない」


 そろそろと顔を上げ、レオニスと目を合わせる。彼は、さわやかに笑っていた。


「……後悔しない?」


「しない」


 少しだけ考えて、微笑み返す。ぎこちなくなっていないといいのだけれど。


「だったら、これからもよろしくね」


 レオニスは優しく微笑んだまま、大きくうなずいてくれた。

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