10.彼を馬鹿にしないでいただける?
「……今、なんと?」
アルジェ公爵はあからさまに動揺している。公爵家の当主として色々なことを体験してきたであろう彼にとっても、わたくしたちの婚約は予想外のものだったらしい。
「し、しかしレオニスは、一族の血を引いてはいますが、教養も何もなく……」
「ご安心を。彼は当家できっちりと学んでおります。とても熱心で、飲み込みもいい。立派な方でしてよ?」
わたくしの言葉がくすぐったかったのだろう。レオニスが恥ずかしそうに目を伏せている。公爵はあぜんとしながらも、すぐに反論してきた。
「いえ、それに彼は出自に問題がありまして、君が彼と結ばれたところで、我がアルジェ家とそちらのオウリー家とのかけはしとはなりえない……」
「あら、最高だわ!」
心からの言葉をぶつけてやると、公爵がぎょっとしたように目をむいた。
「レオニスの事情、彼がそちらの家でどのような扱いを受けていたかについては存じておりますわ」
そう言いながら、ちょっとあごを上げて公爵をじっと見る。視線に、ほんのりと軽蔑の色を乗せて。
「わたくし、このまま彼をアルジェの家に置いてはいけないと、そう思いましたの。絶縁していただくのが一番だろう、とも。わたくしが欲しいのはレオニスであって、アルジェ公爵家との縁については興味がありませんから」
公爵が、また何か言おうとした。しかしそれより先に、さっさと言葉を割り込ませる。
「どう切り出そうかと困っていたのですけれど、アルジェの当主たるあなたがそうおっしゃるのなら、話はとても簡単ですわね」
胸を張って、この上なく堂々と言い切る。
「レオニスは今後、アルジェの家とは全く関わりないものとする、あとで正式に、一筆書いてくださいませ」
書いてくれないのなら、こちらにも考えがありますからね? と半ばおどすような目で、あえてにっこりと笑いかける。それからすっと、表情を消してみせた。
「そもそもレオニスがわたくしに近づいたのも、あなたの差し金と聞いておりますわよ?」
公爵は何も言わない。ただちょっと、ぎくりとしたように身震いしていた。
「あなたはレオニスを、厄介払いしたかったのでしょう? 彼はアルジェの血をとびきり濃く引いていて、そのくせ実の親はちょっと……いえ、かなり問題のある人物だった」
部屋の中に響いているのは、ただわたくしの声だけだった。隣をちらりと見ると、少し悲しそうな、けれどほっとしたような顔のレオニスと目が合った。
「レオニスにはアルジェ家を継がせる訳にはいかない。けれど彼が強固に主張したなら、彼はアルジェ家の跡目争いに参加できる。彼にはその資格がある」
「……君の言う通りだ、リリーベル……殿」
「だからそんなことになる前に、彼を追い出そうとした。そうですわね?」
ようやっと公爵はおとなしくなった。わたくしを小馬鹿にするような態度も、消えていた。それに勇気づけられるようにして、さらに言い立てる。
「今までに何十人と求婚者を袖にしている、難攻不落の令嬢たるわたくし。そのわたくし、リリーベル・オウリーを落としてこい、さもなくば追放だ。あなたがレオニスにその命令を出した時、安堵していたのでしょうね。これでやっとレオニスを放り出せると」
いったん口を閉ざして、二人の顔を交互に見る。そうしてレオニスの手をしっかりと引き寄せ、穏やかに微笑んだ。
「……でもわたくしは、こうしてレオニスとの婚約を決めた。これは予想外だったでしょう?」
「……どうして……彼だったのだ……今まで君が袖にしてきた男たちの中に、レオニスよりも条件のいい者が山ほどいただろう」
弱々しい公爵の声に、即座に反論する。
「どうしてですって? 簡単な話ですわ。レオニスは自分の置かれた状況に不満一つもらさず、一生懸命に頑張っていましたもの。わたくしが出会った中で、彼が間違いなく一番素敵な殿方ですわ」
そうしてレオニスをうながし、立ち上がる。ひとまず用事も済んだし、こんなところに長居はしていたくない。
「ま、待ってくれ!」
立ち去ろうとするわたくしの背中に、悲痛な声がかけられた。
その時ふと思い出した。そういえば、アルジェ家は地位こそ高いものの、ちょっと財政的に危険なことになっているということを。散財が得意なのは、レオニスの父だけではなかったということだ。
もっとも、腐っても公爵家だから、金に困ってもいきなり取り潰されるようなことはない。けれど見せしめに、領地の召し上げとか、不名誉な処分を食らう可能性は高いらしい。
ああ、それもあってアルジェ公爵は一族の者を次々と送り込んできたのか。露骨に財産狙いというのも、いっそすがすがしいというか。
公爵が追ってくる。彼の手が、わたくしの手に触れそうになる、その一瞬前。
ひゅん!
軽やかに空を切る音と共に、わたくしは足を高々と蹴り上げていた。こんなこともあろうかと、スカートの中にはたっぷりとパニエを重ねてきたから、中が見えることもない。
ぎりぎり公爵の手には当てなかったから問題はない。ただわたくしのつま先が公爵のもみあげをかすめてしまったらしく、彼の髪が数本宙を舞っているのが見えた。
ううん、格闘は久しぶりだから、ちょっとなまっているわね。オウリーの城に戻ったら、鍛え直さないと。
「い、今の、は……」
「ごめんあそばせ、虫が飛んでいましたの。刺されたりしませんでした?」
おっとりとそう答えると、公爵は真っ青になって勢いよく首を横に振っていた。
「いや、だ、大丈夫、だ。その、君の身のこなしは見事なもの、だな」
「いえいえ、わたくしなどまだまだですわ。子供の頃から護身のために学んでおりますけど、どうにも上達しなくて……」
そうして、ぽかんとしているレオニスに向き直る。
「このぶんだと、じきにレオニスに追い越されますわ。彼はわたくしのところに来てから毎日鍛錬しているのですけれど、とても筋がいいらしくて」
公爵はおびえていた。けれどもう少しだけ、おどかしておきたかった。
レオニスを苦しめていた一族の、一番上。彼がもっとしっかりしていたら、レオニスももうちょっと幸せに暮らせたんじゃないかって思うから。
だから小声で、付け加えた。
「……いずれ彼は、とびきりの武人となりますわ。そして、音もなく動き、どこへでも思うまま立ち入ることができる、そんな能力を身につけることもできるでしょうね。……アルジェ公爵、あなたの息災を祈っておりますわ」
「ひ、ひいっ! だ、誰かある!」
公爵はふかふかの絨毯の上にへたり込んで、そんなことを叫んでいた。しかし、誰かがやってくるような気配はない。
と、こつん、こつんという静かな足音が、廊下から聞こえてきた。遠くのほうからとてもゆっくりと、こちらに近づいてきている。
その足音におかしなものを感じたのか、公爵は無言で震えている。隣のレオニスをちらりと見ると、彼は事情が理解できたという顔で小さくうなずいてきた。
こつん、こつん。その音はわたくしたちがいる部屋の前までやってきて……そして、扉が開いた。




