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36、旅立ちの朝。二人の答え

 アルディナの街に、出口といえる場所はヒデカツとルーネも利用した尻尾にある大階段だけだ。

 そこ以外から街を出ようとするなら、外壁をよじ登り亀の甲羅の端から飛び降りるしかない。


「……思ったより高いな」


「そ、そうですね、こうしてみると確かに」


 外壁の上から下を見下ろした二人は、そう口をそろえた。

 街から出るために亀の甲羅から飛び降りる。正気とは思えない手段で二人は脱出しようとしていた。


「あー、大丈夫か? なんなら、門の封鎖を破ったって……」


「い、いえ、大丈夫です、はい……」


 心配げなヒデカツに、ルーネは顔を引き攣らせながらそう答える。一度これ以上の高さから落下しているヒデカツにとってはなんでもないことではあったが、ルーネには自殺紛いの逃避行は躊躇われた。


 こんな事をする羽目になったのは、この街の住人のせいだ。

 彼らは唯一の出口である街の門を閉鎖している。これ以上街に外敵を入れないための処置なのだろうが、街を出ようとしている二人には迷惑なだけだった。


 早朝の街は薄暗く周囲に人気はない。仮に追っ手が来てもここから飛び降りれば、簡単に撒くことができる。


「……そういえば、フェリアに何を話してたんだ? 随分長かったけど……」


「か、彼女には……その色々助言をしてもらってたんです……」


 ルーネが決意を固めるのを待つために、ヒデカツは話題を変える。とりあえず緊張を解さなければ、ここから飛び降りるなど到底不可能だろう。


「助言?」


「えっと……ヒデカツ様とどんな事を話せばより親しくなれるかとか……そんな事を……」


「お、おう、そ、そうだったのか」


 ルーネの答えにヒデカツは顔を赤らめる。まだ十歳にもなっていないフェリアが的確なアドバイスができたとも思えないが、ヒデカツとしてはそこまで思われているということそのものが気恥ずかしかった。


「と、ともかく東側でいいんだよな? えーと、デインの街だっけ?」


 今度は自分自身のために、そう切り出す。

 お互いにこれからの行動方針は確認済みだ。それを今更確認するのは、ヒデカツ自身の未熟といえた。


「は、はい、ここからだと一番近いのはあそこですから……それに、交易の街としても有名なので情報も集まるとおもいます……」


「ほかの候補者を探すならちょうどいいってことか。第一目的地としてはベターだな」


 ほかの候補者を見つけ出す、それがヒデカツの決めたこれからの目的だ。

 彼らがこの世界の人間に危害を加えているのなら、それを止める。もし、そうでないなら話し合ってこの選抜会そのものを停止させる。


 どちらの結果になるにせよ、ほかの候補者を見つけなければまずその段階に辿り着けない。


 もちろん、ほかの候補者と遭遇すれば戦闘になる可能性は大きい。だが、それを恐れる今のヒデカツではない。


『……この方針で文句はないんだよな? 女神様』


 頭の中で女神に語りかける。意志や決定を曲げる気はないが、モリガンの意向はヒデカツにとっては重要だ。


 隣に立つルーネはこれからの飛び降りに向けて、精神と呼吸を落ち着けている。女神と話をするなら、今が一番いい。


『当然。貴方の判断を私は尊重するわ。それに、勇猛なのは好みよ』


『そいつはどうも。オレも安心して進めるってもんだ』


 すぐに返事を返してきたモリガンに、ヒデカツは皮肉交じりにそう返す。そもそも、判断を尊重するというならこの選抜会を今すぐ中止にしてもらいたいというのが偽らざる本音だ。


『もっと自信を持ちなさい。貴方はほかの候補者を倒したのよ? それも自分より強大な力をもつ格上の相手を見事にね。まさに私が望む勇者の――』


『そいつは何度も聞いた。それより、本当にルーネを同行させてもいいんだな? あとから気が変ってもオレは従わないぞ』


 ここに来るまでに散々聞かされた賞賛を打ち切って、ヒデカツは本題に入る。


 モリガンはヒデカツの意志を全面的に支持しているが、ことルーネに関しては終始渋っていた。

 単純な嫉妬が理由なのか、何かほかの意図があるのか、ヒデカツには分からなかったが、彼女の了承を取り付けないと後々面倒なことになるのは確かだ。


『…………まあ、必要な人材なのは確かね」


『なら、いいんだな?』


『…………でも、条件付きよ。絶対に手を出しちゃダメよ! 手を出したら浮気と見做すわ!』


『……わかった。手は出さない』


 めちゃくちゃ言いやがってという言葉を飲み込んで、ヒデカツは頷く。何か深く考えているのかと期待した自分が途端に馬鹿らしくなってきた。


『じゃあ、また後で。手を出したらすぐにわかるからね?』


「……誰がそんな」


 女神の捨て台詞に、そう返しそうになったところで、ヒデカツは言葉に詰まる。


 自分から手を出さないとは言ったものの、正直なところどうなるかわからない。

 ルーネは十人いれば十人が美人と答えるほどに魅力的だ。そんな女性に迫られて理性を保っていられるかといわれて、できると断言できるほどヒデカツは朴念仁ではなかった。


 これからの事を考えれば、この歪な関係性についても整理しておかなければならない。共に旅をしていくのなら、尚更だ。


「なあ、ルーネ、すこし提案があるんだが……」


「ひゃっひゃい! 大丈夫です!」


「大丈夫か? 本当に門のほうから出ても……」


「い、いえ、はい、少し時間を戴ければ」


 突然呼びかけられたルーネの肩がビクリと震える。


 ヒデカツの言葉を恐れてのものではない。今の彼女はヒデカツを信じている、怯えているとしたらこの高さにだ。


「……運命の相手って言ってたよな、オレのこと」


「は、はい、ヒデカツ様こそが私の運命です。ですので、その、いずれは……」


「それについて少し話がしたいんだ」


「……はい」


 本題に入ると、ルーネの声が少しだけ落ち込んだものになる。無理もないだろう、彼女にとって予言によって定められた運命は絶対ものだ。

 その運命は今や、生きる理由そのものとなっている。結んだ絆はどんなものよりも大事な宝だ。


「別にそれを否定をするつもりはない。ただ、その……」


「その……? な、なんでしょうか、私に何か問題があるのならいつでも仰ってくだされば……」


「いや、君の問題じゃないんだ。ただオレが言いたいのは――」


 思いのたけを口にしようとして、ヒデカツは躊躇する。何が引っ掛かっているのかは自分でわかっている。わかっているが、改めて口にするのは情けないことのように思えた。


「――オレたち、相棒から始めないか?」


 決意を込めて、言い切ってしまう。

 いきなり運命の相手だとか結婚だとかは抵抗がある、とは口にするのは男らしくないようにも思えたが、背に腹は代えられない。


「相棒だ。夫婦とか恋人かじゃないが、一緒に同じ目標に向かってがんばるってんならこれが一番だと思う、うん」


 ヒデカツは口に出しながら、自分の言葉の意味について考える。自分でも奇妙な事を言っているという自覚はあったが、言ってしまえば奇妙な納得があった。



「相棒……相棒ですか…………」


 その答えを、ルーネは俯きながら反芻する。言葉の意味を噛み締めて、自身の感情を確かめた。


「……ダメか?」


「い、いえ、そうじゃなくて、私、その、嬉しいんです。ヒデカツ様からそういっていただいて、私……」


 溢れる涙を拭いながら、ルーネは微笑んでみせる。そこにぎこちなさや緊張はない、本当に心から彼女は微笑むことができていた。


 東の空から昇った太陽が彼女を照らす。朝日を受けたかんばせは美しく輝いていた。


「……おう、その……これからもよろしくな、相棒」


「はい! これからも末永くお願いします、ヒデカツ様!」


 ルーネの全てに心奪われながら、ヒデカツは右手を差し出す。差し伸べられた手をルーネは歓喜と共に握り返した。


 冷たいルーネの手と熱を帯びたヒデカツの手、互いの手の温度に新たな確信を胸に抱く。


 これからどうなるかはわからないし、この関係性がどう変化していくかもわからない。けれど、この瞬間には一切の嘘偽りはない。


 そうして、ヒデカツはルーネを抱え、亀の甲羅から飛び降りる。今のヒデカツならばこの程度の高さからの自由落下程度、問題ではない。


 どんなときでも今を思い出せば迷わず進んでいける。二人は心から、そう信じていた。


最後の一話です

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