21、彼の憤りと彼女なりの愛
二階で一晩休む、という店主の提案にヒデカツは素直に頷いた。
どんな時でも睡眠は重要だというのには異論はなかったし、何より疲れた頭では何も思いつかないというのはヒデカツ自身理解していた。
「っても、寝付けねえよなぁ」
ベットの上でヒデカツはうめく。床に入ってからは一時間ほど、目をつむっても眠気はすこしもやってこなかった。
ベットや部屋に問題があるわけではない。用意されていたベットの寝心地は悪くないどころか、野宿続きのヒデカツには心地よくさえある。
「くそ……あのときは平気だったてのに……」
脳裏をよぎるのは今日目撃した死体の数々だ。
安らかに死んでいたもの。苦しんで死んだもの。死に顔さえわからないもの。今日一日であまりに多くの死に顔を見た。
目をつむると、それが浮かんでくる。もうどうしようもないとわかっていてもそこに発生する感情は誤魔化しようがなかった。
「……っ」
涙を堪えて枕を顔に押し付ける。
屍を切欠に押さえつけてきたものが一気に噴出してくる。思い出すのは、元の世界のことだ。
心残りはあまりにも多く、全て感傷と割り切ってしまうことはできない。
「……一人でよかった」
ひとしきり感情の波を乗り切ると、ため息をつく。こんな情けない姿を女の子に見せるわけにはいかない、そう思うだけの意地はまだ持ち合わせていた。
同室であるはずのルーネは、あの少女の看病で不在だ。容態は安定しているようだが、目覚めるまでは自分に責任があるというのが彼女の言い分だった。
「……オレに一体どうしろっていうんだ」
望郷と喪失感のあとは今度は怒りが湧いてくる。
この理不尽な状況に陥ってるのは、全てあの気分屋な女神せいだ。
彼女のいう選抜会とやらのせいでこんな目にあっている。現実の世界で生きていれば多少の不満はあってもここまでの不安にさらされることはなかったはずだ。
「……あのガス、いや、人間か。あいつ、候補者なのか……?」
一人という状況を活かして、ルーネの前では口にできない疑問を口にする。
思い浮かぶのは、あの白い部屋のことだ。ヒデカツはあの部屋に魂だけで浮いていた。その時の姿は人魂や鬼火ではなく、今と同じ姿だった。
ルーネの言っていた人間の魂は変化しないという話とも符合する。あのガスも人間の魂をもっているとしたら、もしかすると――、
「……だとしたら、オレは――」
『――オレは? どうするのか気になるわね』
「……全部聞いてたのかよ」
思わず声に出した疑問に、聞こえるはずのないの声が答える。頭の中に響いた艶やかなそれは、モリガンのものだ。
「一日一度だけじゃないのか? まだ昼間じゃないぞ」
『一日一度じゃなくて、一日につき十五分よ。まあ、こうして分けるとリセットの時間が延びちゃうけど』
「……なるほど。それで全部黙って見てたってわけか」
『あら、寂しかったのかしら?』
ヒデカツの非難をモリガンは自分への慕情ゆえのものだと判断する。
自身こそが最も美しいと自負する彼女には、疑う余地のない都合のいい真実だった。
「……それでまた雑談でもしにきたのか? 悪いが寝るところなんだ、明日にしてくれ」
『寝れなかったのだとおもってたけど……これだと話しにくいわね。やっぱり私もそっちにいくわ』
「は? 一体何を――」
声を上げるより先に、ヒデカツの目の前にそれは現れた。
「ふぅ、肉の体は窮屈だけどたまになら悪くないわね……」
「な、おま、どうして――」
月の光を帯びた長い銀髪。ボディラインを主張する赤色の鎧。そして美しさを具現化したような顔だち。
ヒデカツの体の上に跨るように出現したのは、女神モリガンだった。
感触も匂いも、温度も、全てがあの夢と同じ。違いがあるとすればこれが間違いなく現実であるということだ。
「はい、大声は出さない。ほかの人間に気づかれたら面倒でしょう?」
「わかった……だが……いや、やっていいのか、こんなこと」
どうやって、と聞こうとしてヒデカツは質問を修正する。
彼女は上位存在、神そのものだ。遠く離れた場所から突然現れたとしてもなにもおかしなことはない。
モリガンの行動に合理的な理由を求めるのはすでにあきらめている。
ならば、聞くべきことはこの行為が”選抜会”のルールに反していないかということだ。あの委員長にルール違反で消滅させられるようなことはごめんだった。
「そうねー、禁止されてるのは候補者の運命に直接干渉することだからルール違反スレスレってとこかしら?」
「そ、そうなのか……」
「ええ、だから、こうしてスキンシップもできるのよ。ふふ、五分しかないけど少しは楽しめるかしら?」
ヒデカツの身体に指を這わせながら、熱のこもった声で女神はささやく。
股関節に感じる玉のような感触はもちろんのこと、その声だけで理性がとろけてしまいそうだった。
「ま、待て! き、聞きたいことがあるんだ!」
「ふふ、そんなの明日でいいじゃない。今はそれより――」
「――い、いや、緊急だ!」
シャツのボタンに指を掛けられたところでヒデカツはモリガンを止める。
正直なところ惜しい気持ちがなかったわけではないが、こんなところでは死なないという決意は本能より強かった。
「あら、ずいぶんと熱心なのね、慰めてあげようと思ったのに」
「じ、時間がないんだろう。スキンシップよりも質問をさせてくれ」
「……まあいいわ、どうせなら初夜はあなたから求めてほしいし」
ヒデカツの要請に、モリガンはため息をついた後そう答える。自分から夜這いをしようとしたわりには純情な乙女のような言い分だった。
「それで? 何を聞きたいのかしら? 私の性感帯?」
「それについては知りたくない。あの毒ガスのことだよ、全部見てたんだろう?」
「……ああ、あれね。そうね、ちょっと聞き方を変えてみてくれる?」
珍しく言葉を濁すとモリガン。ヒデカツに対して聞き返しながらも瞳では別のことを訴えていた。
「……あれはほかの候補者か?」
「どうともいえないわ」
その意図を汲んでヒデカツは質問を変える。彼女にはこたえられる質問とそうでない質問があることはわかっている。
ならば、前者から事実を導き出すしかない。
「じゃあ、あれはこの世界の生き物なのか?」
「いいえ、あんなものはこの世界には存在しないわ」
「あれはオレと同じ世界から来たのか?」
「どうともいえないわ」
「オレとあいつは六日前に同じ場所にいたか?」
「それについては答えられないわ」
この問答で答えは出たも同然だった。別口の異世界からの来訪者がたまたまた同じ街に来ている、なんてことはまずありえない。
「……それじゃあ、あれはオレの運命に関わるものなのか?」
「ええ、大いに関わっているわ。あなたが優秀で私は嬉しい」
「…………そうか、わかった」
答えを得た瞬間、ヒデカツが感じたのは怒りだった。
予想が的中したという喜びや、こんなことをしでかした候補者への恐怖もない。
ヒデカツの心にあったのは、最期に見たものと同じ煌々(こうこう)と燃える炎だけだ。
それが彼という人間の根幹にあるもの。あらゆる感情に優先される行動原理だった。
「ああ……いい瞳……私の好きな色よ……義憤と信念、彼方は私の候補者にふさわしい……」
ヒデカツの目を覗き込んでモリガンはな熱の篭った息を吐く。瞳には情欲の火が燃えていた。
彼女がヒデカツを自らの候補者として選んだのはこの感情がゆえ。死の間際ですら失われることのない強い憤りを女神は愛していた。




