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14、亀の上の街

 巨大な亀に近付くと、ヒデカツは自分の目でその威容を確かめることができた。

 巨木のような脚はコケと岩に覆われ、地層のようだ。見上げた甲羅の裏側は岩盤のように強固で、とても生物の体の一部とは思えない。かすかに聞こえるのは亀の心音だろう。山鳴りのようなその音は大地を揺らしていた。

 この生物は確かに生きている。こうして近づくと否応なくそれを思い知らされた。


「こ、この亀の名前はアクパーラっていうんです。なんでもロスパラディアの大地と同じだけの年月を生きてるそうで……」


「亀は万年っていうけど、こんなのがいるのか……」


「は、はい、これほど長寿の生き物はドラゴンを除けばほかにはいないと思います。それでも私には触れることはできませんが……」


「なんにせよ、すげえな。いやほんとう、マジで」


 まるで怪獣。見ているだけで自分は異世界にいるのだと実感させられた。


「い、入り口はこちらです。ついてきてください」


「お、おう、助かるよ」


 呆然と見惚れているヒデカツの手をとって、ルーネは入り口へと誘導する。

 ささいなことでもヒデカツに触れようとする彼女の姿は、今が現実なのか確かめているようでもある。


 アルディナの街の入り口は亀の尻尾を登った先にある。それだけで鯨一頭分の大きさの尾の上には階段が整備してあり、街へと続いていた。


「……ほんとにすごいな。この世界じゃこれが普通なのか?」


「い、いえ、ほかにないと思います……」


「そうなのか……いや、むしろ安心するべきなのか……?」


 階段の途中でヒデカツは上を見上げる。登り切った先にあるのは、間違いなく一つの街だ。


 門があり、建物があり、人がいる。巨大な生物の上で人間の営みが成立しているというのは、それだけで目を疑う光景だった。


「お、おお、本当に甲羅の上だ」


 階段を上りきると、予想よりも硬い、しっかりとした地面の感触が足の裏に伝わる。

 岩や石畳のようにも思えるが、よくよく見てみるとひし形の甲羅の上であることがわかる。奥へと続く道は山形に盛り上がっていた。


「だ、旦那様のいらした場所にはこのような生き物はいないのですか?」


「亀はいたけどこんなにでかいのは映画の中だけだな……」


「エイガ……?」


「ああ、そういう、なんていうか紙芝居みたいなものがあるんだ……」


「な、なるほど。すいません……私、ものを知らなくて……」


「だから、謝らなくていいって。やっぱり無理してないか? そこまでかしこまられると少しやり辛いぞ」


 いつまでも態度の硬いルーネにヒデカツは思わずそう指摘してしまう。


「す、すいません! 私、何かご無礼を……!」


「いや、そういうわけじゃなくてだな。そのなんというかあれなんだよ、いちいちかしこまらなくてもオレは別に怒らないし、そんなに大層なやつでもないし……」


 しどろもどろになりながらヒデカツはそう続ける。もう口にしてしまった以上は最後まで言ってしまったほうがいい。


「で、でも、私は……その……旦那様は私の運命の………」


「……まずはそこだな。君にどういう事情があるかは知らないが、突然そんなこと言われてもオレには正直――」


「――そこの二人、なにをやっている!」


 だが、肝心なところを口にしようとしたところで邪魔が入る。怒鳴り声の主は門のそばにいた守衛だ。

 肌は浅黒く、頭にはターバンを巻いている。手にしているのは無骨な槍。警戒心どころか敵意をむき出しにしていた。


「……話してるだけだよ。で、門を通っていいのか?」


「ダメだ! 街に入りたいなら通交証を出せ!!」


「わかったわかった、今出すから落ち着いてくれ」


 今にも槍を突きつけようとする兵士を前に、ヒデカツはルーネを背中に隠す。


「……通行証もってるか?」


「は、はい、私の背嚢はいのうの中に……」


「じゃあ、取り出してくれ……ゆっくりでいいからな……」


 背後のルーネにヒデカツは小声で呼びかける。どうして殺気立っているかは分からないが、下手に刺激すれば厄介ごとになるのは明らかだった。


「この街には何の用で来た! その格好はなんだ!!」


「ただ旅の途中で立ち寄っただけださ。怪しいってだけで槍を向けられるほうが心外だな」


 兵士がにじり寄ると、ルーネはヒデカツの腕を掴んで身体を密着させる。それだけで震えていることは十分に伝わった。


「……これです」


「ほら、通行証だ。これでいいんだろう?」


 詰め寄ってくる兵士にヒデカツは受け取った通行証を見せる。


「……いいだろう、通れ。だが、妙な真似をすればすぐに街から出て行ってもらうぞ」


「わかった。精々気をつけるよ」


 ルーネをかばったまま、ヒデカツは街へと踏み込む。


 周囲にあるのは砂岩で作られた茶色の家々。どれも飾り気はないが、この砂漠で生きていくための知恵なのだろう。


 しかし、人気がない。街の大きさからして数千人は住んでいてもおかしくはないのに、少なくとも入り口から見渡せる範囲には人っ子一人いなかった。


「随分と静かだな……前来たときもこうだったのか?」


「い、いえ、もっと賑やかだったはずです。今は……みんな家の中に閉じこもってるみたいですね……」


「なんだ、人の気配とか分かるのか?」


「は、はい、これでも一応魔術師の端くれですから……」


「魔術師……魔法か……オレにも使えるかな?」


「それは、試してみなければなんとも……で、ですが、旦那様ならば必ず!」


 会話を交わしながら、大通りを進む。

 ルーネの言葉通り、街の住民は家の中に引きこもっているらしく、誰かとすれ違うことすらなかった。


「こ、この街は砂漠を越えようとする人間なら必ず立ち寄る中継地点なんです。だから、普段はもっと……」


「人がいるはず、か。確かに寂れてるな……ルーネがここを出たのはいつだったけ?」


「五日前です……龍車を買って、それで……」


 兵士との一悶着があったせいでヒデカツはルーネに本題を切り出すタイミングを失っている。

 縋るような視線と微かに震えている身体を見ていると、話題を戻す気にはならない。


 通りには所狭しと露店が並んでいる。置かれている商品は、食料品から装飾品まで多岐に渡るが、そのどれも砂を被ってしまっていた。


「……いや、気のせいだろ」


 不吉な予感は言葉に出さすにそのまま沈めておく。ようやく街にたどり着いたというのに、最悪の可能性についてわざわざ考えたくなかった。


「あ、そ、そういえば街の中心には有名な噴水があるんです。そこにいけば誰かいるかもしれません」


「噴水か……どうやって水引いてるんだ……?」


「は、はい、ここの噴水は古の賢者が魔術で作ったもので……」


 内心穏やかではないのはルーネとて同じだ。

 彼女にとって誰かを案内するというのはこれが初めての経験。せっかく街にたどり着いたというのにそこが期待はずれというのは、ある意味で一大事だった。


 そのことに気を取られていたせいか、行く先にある気配をルーネは見落としてしまった。常に身近にあり慣れ親しんできたその気配を。


「水の精霊の加護を利用して――っ!」


「……なんだ、あれ」


 街の中心にある噴水、そのすぐ傍にそれはあった。

 死体の山。老若男女に関わらずあらゆる人間の死体が、噴水を覆い隠すように乱雑に積み上げられていた。

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