13、蜃気楼のような
今朝の騒動から半日の間、二人は砂漠を黙々と進んだ。
今のところ、体力にも精神にも大した問題はない。いい加減この殺風景さにも慣れてきたところだ。
問題があるとすれば、この砂漠ではなく、突如不機嫌になった頭の中の女神だ。
『……英雄色を好むとは言うけど、少し早すぎるんじゃないの?』
「なんのはなしだ……」
呆れたような、感心したような女神の声にヒデカツは溜息を吐く。
まさか異世界で、女心と秋の空という言葉を実感することになるとは思ってもみなかった。
時間は正午過ぎといったところ。最も暑さの厳しいその時間に、女神は声を掛けてきていた。
声を潜めれば、少し先を進んでいるルーネには話し声は聞こえない。吹き付ける風がかき消してくれていた。
『貴方の人間性の話よ。少し目を離した隙にこれだと首輪をつけないといけないかもね』
「そんなに怒ることかよ……というか、何で怒ってるんだ……?」
ルーネとの一悶着を一部始終見ていたらしく、再び話ができるようになったモリガンは明らかに機嫌が悪かった。
『別に大したことじゃないわ……ただ聞いてた話よりも随分と軽い男なんだなって思ってるだけだから』
「あんな夢見せておいてよく言うぜ……」
『私が誘惑したり、あなたが私になびく分にはいいのよ。ただ、ほかの女とイチャつくのは許せないだけ」
「あのなぁ、別にオレが口説いたわけじゃないだろ。それにあの子のおかげでこうして――」
『今朝のことは? 貴方、あの娘に欲情してたじゃない」
「あ、あれは、お前の夢のせいで……」
『原因が何であれ、少しでも心惹かれたならそれは浮気なのよ。私の候補者でよかったわね。行き遅れの月の女神あたりなら、あなた今頃剥製よ』
「怖いこというなよ……」
氷のような声色に砂漠にいながら冷や汗を掻く。
まさか女性と関わるだけでここまで不機嫌になるとは思ってもみなかった。これからは一層気をつけなければならないだろう。
「どうかされましたか? 旦那様?」
「……いや、なんでもない。それより、休憩しなくていいのか? 水とか……」
先導していたルーネに尋ねられて、ヒデカツはそうはぐらかす。
女神や選抜会のことについてヒデカツは、尋ねられない限りは彼女に教えるつもりはなかった。
「い、いえ、私には旦那様よりいただいた生命力がありますので!」
「けど、もう二日も飲まず食わずだぞ。流石に……」
「だ、大丈夫です、この程度ならまったく問題はありませんので……」
「それも、その生命力のおかげなのか?」
「は、はい、恥ずかしながら旦那様の持っておられる生命力は私の体にかなり相性が良いようで……」
「な、なるほど……」
どこか蕩けた表情でルーネはそう答える。誘うような視線に思わず心が揺れるが、すんでのところで思いとどまった。
実際ルーネはこの二日間休まず行動しても、まったく疲労の色を見せていない。顔色は艶やかなままで、歩く速度も一定だった。
「この世界じゃこれが普通なのか? いや、それにしたって……」
『あら、私に聞いてるの? それともそっちの泥棒猫?』
「……もう勘弁してくれ」
頭の中で割り込んでくる声のトーンはどんどん低くなっていく。
今更ルーネを切り捨てるわけにもいかない以上、ヒデカツにできるのは天を仰ぐことぐらいだった。
「……あー疑うわけじゃないんだが」
「は、はい、なんでしょうか、旦那様」
タイミングを見計らってヒデカツは口火を切る。
傍若無人な女神とは対称的に、ルーネの反応はおっかなびっくりのもの。出会ってから二日経っても、どこか緊張が抜けない。先ほどもそうだが、常に顔色を窺われているのはヒデカツも分かっていた。
「方向とか確認しなくていいのか? ほら、そろそろ街の面影くらいは見えてもいいかなーって思ったんだ、うん」
「あ、はい、なるほど、すいません……方角は大丈夫なはずです、移動はまだしていませんから……」
「移動……?」
「はい、うまくは言えないのですが……アルディナはそういう街なので……」
「あー、キャラバンみたいなもんか? モンゴルのゲルとか」
「……モンゴル? 申し訳ありません、不勉強で……」
「あ、いや、オレの故郷の国の名前なんだ。謝る必要はない」
ヒデカツはやりにくさに後ろ頭をかいて、歩を進める。
ルーネの態度にはどこか無理しているような感が拭えず、モリガンの機嫌は山の天気より変わりやすい。
退屈しないといえば聞こえはいいが、砂漠とは別の意味で精神的に疲れるのは否定できなかった。
「……まあ、贅沢は言ってられないか」
自分にそう言い聞かせるとヒデカツは大きな砂丘に足を掛けた。
適応のおかげで足腰への負担は無視できる。問題があるとすれば、砂漠に徘徊する怪物どもだが、それもルーネと行動するようになってからは一切遭遇していなかった。
「これも……ルーネのおかげか?」
ルーネの言ったとおり、砂漠の獣達は彼女を病的に避けている。
原因は彼女の体質。毒のある獲物を襲わないように捕食者たちは遠巻きにこちらを眺めているだけだった。
「あ、旦那様! 見えてきました! アルディナの街ですよ!」
「お、おう、ど、どこだ!?」
砂丘を登り切るとルーネがそう声を上げた。しかし、彼女が指差す方向に視線を向けても、ヒデカツには何も見えない。
あるのはただいつもの通りの砂漠だけだ。
「め、目の前です、旦那様。ほら、正面に」
「いや、だから、何もないじゃないか……ただの砂漠だぞ?」
「そ、そんなはずは……」
頼みの第六感にも反応はない。脅威でなければ探知できないのか、それとも本当に何もないのか、ヒデカツには判断できなかった、
「も、もしやと思いますが、旦那様は魔力をお持ちでないのでしょうか?」
「魔力……? 多分、無いと思うが……」
「な、なるほど、申し訳ありません、失礼なことをお聞きして……」
「いや、別にそれは良いんだが、どうすれば見えるようになるんだ?」
一瞬高鳴りかけた好奇心を抑えながらヒデカツが尋ねる。魔力や魔法、そういったものへの憧れはまだ彼の中にも残っていた。
「わ、私の目を仲介すれば良いかと。その、ですので、手を……」
「ああ、握ればいいんだな。了解だ」
震える手をヒデカツは迷うことなく握る。ヒンヤリとした感触はヒデカツにとっては不快なものではなく、むしろ、安心できるものだった。
「で、では、簡易契約を。初めてですが大丈夫なはず……」
「――これは」
ルーネがまぶたを閉じた瞬間、ヒデカツの視界は別のものへと切り替わる。
写し出されたのは霞がかって色あせた砂漠、その中心にはルーネのいう"街"があった。
「普段は魔物や盗賊を避けるために結界が敷いてあるんです。旦那様に見えなかったのはそのためかと」
「なるほどね。これは目立つよな……」
砂漠の真ん中にいたのは、全長数百メートルはあろうかという巨大な亀。幾千年の年月を経た山のような甲羅の上には、一つの街が乗っかっていた。
しばらくは毎日更新です。よろしくお願います!




