12、夢の中の逢瀬
懐かしい微睡みの中でヒデカツは目を覚ました
柔らかなベットの感触と毛布の暖かさ。見慣れた天井には、いつもと同じシミがこちらをにらんでいる。
今ヒデカツがいるのは、彼の部屋だ。帰ってこれるはずのない自室のベットに彼は寝転んでいた。
頭の上では、携帯のアラームが朝七時を告げている。今日はおそらく木曜日だ。
そこまで考えたところで、これは夢なのだとヒデカツは理解した。
「早く起きなさーい! 朝ごはんできてるよ!!」
「……っ」
階下から聞こえてくる声に、思わず瞳が潤む。例え夢でも再会の喜びは霞むものではない。
それでも歯を食いしばって、涙は流さない。ここで泣いてしまえば、夢から覚めることはできないとヒデカツには分かっていた。
「どうすれば目覚めるんだ?」
ベットから身体を起こして頬をつねってみるが、効果はない。
扉の向こうからは階段を上がる足音が聞こえてくる。
いつまでも部屋から出てこないので心配したのか、それとも、ほかに何か用事があるのか。どちらにせよ、十秒もすれば部屋の扉が開いて、家族の姿を見ることができる。
「……こんなものを見せて、何がしたいんだ」
胸に刺さる痛みを押さえつけて、絞りだすように疑問を口にする。
どれだけ名残惜しくとも、過去に囚われているわけにはいかない。
「わからないかしら? 私なりにあなたの手助けをしたつもりなのだけど」
ドアの開く音ではなく、聞き覚えのある声が鼓膜を叩いた。モリガンの声だ。
「……今度は教室か。しかも、夕暮れの」
声が聞こえたと思うと、景色が入れ替わる。まばたきの一瞬で、ヒデカツは半年前まで通っていた高校の教室に立っていた。
窓から差し込んでいるのは、茜色の光。惚れ惚れするほどの見事な夕焼けだった。
「あなた、望みがないっていってたでしょう? なら、望みを作ってあげようと思って。この景色懐かしいとは思わない?」
「懐かしいと思うほど離れちゃいない、まだたったの半と――」
「――あら、どうかした? 鳩が豆鉄砲で撃たれたような顔して」
声のするほうへと視線を向けた瞬間、ヒデカツは言葉を失うことになった。
教室の窓側、ヒデカツのかつての定位置に鷹揚に腰掛けているのは見慣れぬ女生徒。いや、紺色のブレザーを完璧に着こなした女神モリガンだった。
豊満な身体は日本人離れしているが、なぜか佇まいからは少女のような儚さが感じられる。
赤みがかった頬がそうさせているのか、それとも、制服が原因か。見ているだけで、思考が鈍くなるほどの色気を彼女は発していた。
「これは一体どういう……」
「夢の中なら私もこうして直接会いに来てあげられるわ。もっとも、肉体同士の接触に比べたらこんなのはお遊びみたいなものだけど――ね!」
呆然としているヒデカツに近寄ると、モリガンは彼を一息に押し倒す。非力そうな見た目からは、想像できないほどの力だった。
二つの身体が折り重なって、床へと倒れる。背中の痛みを感じるより先に、ヒデカツの肌には他人の体温が伝わっていた。
「お、お前一体……」
「静かに。まずは、話を聞いて欲しいの」
上半身を起すヒデカツを指で押しとどめると、モリガンはそのまま胸板の上にしなだりかかった。
そうして豊満な身体を惜しむことなく押し付ける。ヒデカツの体の凹凸に、女神の身体はピッタリと収まっていた。
柔らかさと張りを両立した肢体は、魅力的というのを通り越して、いっそ暴力的でさえある。意識して押さえつけていないと、今すぐ両手で抱き締め返してしまいそうだった。
「あなたはこの世界に帰りたいと思ってる。この景色は私が見せているものじゃなくて、あなたの深層意識にあるものよ。だから、あ……」
真面目な解説とは裏腹に、モリガンは熱の篭った息を漏らす。
ヒデカツの腰に擦り付けているのは玉のような臀部。一見すれば下品なようにも思えるが、踊っているような優雅さがそこにはあった。
「望みがないなら、私を望みにしてしまえばいい。あなたが地球に帰りたいって言うなら私も付き合うわ。たかが百年程度、居眠りみたいなものだしね」
女神は微笑みながら、ヒデカツの喉元に指を這わせる。
まるで所有権を主張されているようだったが、不思議と不愉快さはない。女神の身体以外を感じる余裕は完全に吹き飛んでしまっていた。
いつのまにか、制服がはだけて白い肌が覗いている。下着は身につけていないようで、スカートがめくれるだけでなにもかもが見えてしまいそうだった。
男を籠絡するという点で見れば、この世界のどこを探しても彼女以上の存在はいないだろう。
ヒデカツとてその例外ではない。あと一押しで理性の堤防は崩壊する。
「あなたが勝ち残れば、全て元に戻すことができるわ。それに、私の全部も貴方にあげる」
「全部、元に……」
耳元で囁かれた言葉は、蛇のようにするりと心に入り込む。
愛情と肉欲、郷愁と快楽。何もかもが混ざり合って、ヒデカツの心は濁流に押し流されてしまいそうだった。
「でも、今日のところはここまで。私も貴方も初体験はもっといい時にとっておかないと」
ヒデカツが本能に負ける直前、モリガンはいたずらっぽく笑って彼を押しとどめる。
発破をかけたつもりだったのか、それとも、ほかに目的があったのか。どちらにせよ、からかわれた側のヒデカツはたまったものではない。
「ま、待て! オレは――」
「キャッ!?」
引きとめようと手を伸ばした途端、夢は唐突に覚めた。
鼓膜を打ったのは、短い悲鳴。寝転んでいるのは柔らかいベットではなく、やはり、硬くて熱い砂漠の砂だった。
けれど、奇妙な感触がある。ヒデカツの掌に伝わるのは指が沈み込むような柔らかさだった。
「……なんだ、これ。柔らかくて、冷た――」
「マ、旦那様……その、日が高いうちにというのは、その、あの……」
ゆっくりと目を開らくと、そこにあったのは頬を染めたルーネの顔だ。
瑞々しい唇から漏れたのは暑い吐息。互いの鼓動が聞き取れそうな距離に彼女がいた。
先ほどのモリガンと同じように、ルーネはヒデカツを押し倒すようにして覆いかぶさっている。
夢中で伸ばした右手が掴んでいるのは、紛れもなくルーネの豊かな左胸だった。
伝わってくるのは静かな鼓動と沈み込む指の心地よさ。先ほどの女神の肢体と比べても、すばらしいものがある。
「おおっわ!! わ、悪い、すまん、そんなつもりじゃ……」
「い、いえ、お気になさらずに。魘されていらっしゃったのは、分かっていますから」
慌てて離れ、弁明を口にするヒデカツに、ルーネは名残惜しそうに溜息をつく。
彼女にしてみれば、どんな形であれ、ヒデカツに求められるのは嬉しいことだった。
「で、でも、どうしてオレの上にいたんだ?」
「うなされていらっしゃったので、その熱を測ろうかと……」
「あ、ああ、そうなのか。それは悪かったな」
まさか夜這いされていたのかと疑っていたわけではないが、純粋に心配していくれていたルーネにヒデカツは罪悪感を覚える。
純粋な想いを疑うような行為は、ヒデカツの好みではなかった。
「す、少し、眠り過ぎたみたいだな。出発しよう」
「は、はい、わかりました……」
焦りや恥ずかしさを誤魔化すようにヒデカツは立ち上がり、出発を宣言する。
砂の海は地平線まで続いている。あとどれだけ進めばいいのかはわからないが、少なくとも一人でいるよりはいい。それだけは確かだった。




