幸せを祈る
ウィニート大学の一件が落ち着くまで、マコーミック公爵邸から外出できなかったセリーヌは――外出を禁じられたというより、家人の心配ぶりに気が咎めて、自主的に外出を控えていたと言った方が正しいが――、この日ようやく王宮にやって来た。
父を通じてエリック王子との拝謁の許可を得たのだった。
セリーヌは、ついに現実を見ようと決意したのだった。
片想いの相手や、家族の現実。
自身の思い込みも混じった、独りよがりの『善意』を見つめ直そうと。
『セリーヌが思うようにしなさい。
お前が誰を選ぼうと、私達はお前を応援するだけだ。
誰かの余計な声は、お前を愛する私達の声より大きいのかい?』
父の言葉が胸に沁みた。
自分や、家族を貶める声に囚われていた。
その声に抗おうと、自分にできる最善を尽くしてきたと思っていた。
けれどそれは、『誰のため』の行為だったのか。
それは……他ならない、セリーヌ達を貶めた彼女達を利する行為でしかなかったのではないか。
「……王太子殿下」
王族の応接間に案内されたセリーヌは、現れたエリックを――エルネストを見て、思わず呟いていた。
アッシュブロンドの髪をなびかせたその姿は、見紛いようもなく王族の威厳を身に纏っているのに、何故そのことから目を背け続けていたのか。
一目見た時から好意を抱いた人だったのに。
「セリーヌ嬢」
エリックは、眩しそうにセリーヌを見つめて、はにかんだように微笑った。
そしてすぐにその笑みは、自嘲のそれに変わっていった。
「……貴女に、まずは謝罪をしなければ。
貴女を、ずっと騙していました。
いつか言わなければと思いつつ……結局、『エルネスト』として接してくださる貴女との時間が楽しくて、貴女を欺き続けてしまいました」
「殿下、わたくしは――」
彼に謝って欲しかったわけではない。
彼は、『王子』を拒否するセリーヌの気持ちを重んじてくれただけなのだ。
……恋をしたのは、セリーヌ自身の責任なのだから。
「――貴女を愛しています」
エリックに歩み寄ろうとしたセリーヌの足が、止まった。
時間まで、止まったようだった。
「……っ」
エリックは、そんなセリーヌを見つめて跪いた。
「貴女に恋する男なんて、星の数ほどいるでしょう。
私は、その中の一人に過ぎない。
貴女に恋をするなんて、簡単でした。
……ずっと、ずっと愛していました。
貴女に、真実を言えないほどに」
セリーヌの頬を、涙が伝った。
強ばる両足に力を込めて、ぎこちない動きでエリックに歩み寄る。
「――貴方に、恋をしない女性なんているのでしょうか」
エリックは跪いたままセリーヌを見上げ、困ったように微笑んだ。
彼が何かを口にする前に、セリーヌは続けた。
「貴方に愛されて、喜ばない女性がいるでしょうか。
貴方が何者だとしても、貴方に求められて喜ばない女性など……っ」
声がかすれて、喉が涙で焼けて、言葉にならない。
それでもセリーヌは、囁いた。
「――いません……っ」
エリックは、ゆっくりとした動作で立ち上がった。
美しく濡れる、片恋の女性の瞳を陶然と見つめた。
「貴女を泣かせるなど、私はひどい男だ……」
二人の手が、より合わさるようにしっかりと繋がれた。
エリックは困ったように笑った。
「――貴女の涙を拭いたいのに……もったいなくて、できないな……」
透き通った涙が、澄んだ瞳から奇跡のようにこぼれ落ちて、完璧な線を描く頬を伝って流れていく。
完成された美しい眺めを壊すに忍びなくて、それでも愛する女性の涙を止めたくて。
エリックは握ったセリーヌの手の甲に、そっと口づけを落としたのだった。
「――やれやれ、まだ結婚は早いと思うのだがなぁ……」
王子とセリーヌが使っている客間の隣室で、開いた窓から中の様子を洩れ聞いていたマコーミック公爵は、そう言って息子に笑いかけた。
「……悪趣味……」
フェリクスは、姉の趣味の悪さに頭を抱えていた。
どんな男でも選べるのに、よりによってエリック王子。
優れている部分は、姉に心底惚れきっている所だろうか。
「そうだね、サンドリーヌもお前の母も、とんだ悪趣味だと思うよ」
楽しそうに笑いながらそう言う父公爵を、フェリクスは恨めしげに見上げた。
「サンドリーヌは関係ないでしょう……!」
「いい加減受け入れればいいのに。
あんな美人に思われて、何が不満なんだか」
「私は自分を知っているからです……!
彼女なら、どんな男とでも結婚できるのに――」
「なら、彼女が選んだのはお前なんだから、受け入れるしかないんじゃないか?」
フェリクスはグッと詰まり、そっぽを向いた。
そんな息子を、公爵はおかしそうに笑って眺めた。
自分の若かりし頃を思い出して、その苦悩を懐かしむように。
「――お前達の幸せを、心から祈っているよ」
ノルドストレーム大公国を解体して一部をウィニート学園都市の農園に寄付した公爵は、無害そうな顔で子ども達の幸福を祈るのだった。
長い間お付き合いくださって、心より感謝申し上げます。
読んでくださってありがとうございました!