いとこ
一成たちを出仕へ見送ることには、庭の景色がはっきり見えるほど明るくなっていた。
今日は子どもたちでこの屋敷全体の草むしりをしてくれるとのことなので、残った七尾と八代、そして夕凪には縫い物を教えることにした。
まだ、針さえ持った事のない八代だが、やる気だけは十分あるらしく、目を輝かせている。
「八代、お人形は持ってきてくれた?」
「はいっ!」
「では、今日はこのお人形が着る袿を作ります。小さいものから練習していけば、皆が自分で着るものを作れるようになると思うわ」
夕凪が以前使った布の余りを両手に抱えてもってくる。
「姫様、狩衣や直衣の縫い方も教えてくださいますか?」
早速、使う布を選んでいた七尾が少し不安げに尋ねてくる。
「えぇ。縫い方を習いたいのであれば、教えるわ。でも、どうして?」
「えっと……出来れば、兄弟の分を縫ってあげたいのです」
ふと、七尾は御簾の向こう側で楽しそうに草むしりをしている兄弟の方を眺める。
「向こうでは、布があっても中々女房たちは教えてくれませんでしたし、あまり縫ってもくれませんでしたから、もし教わることが出来るのなら、皆の分を縫ってあげたいのです」
少しだけ悲しそうに呟く七尾はどこか諦めに似たものがあった。よく見ると、七尾も八代の衣も擦り切れていて、色あせていた。
それならば、きっと外で草むしりをしてくれているあの兄弟たちはもっと擦り切れているだろう。
「……動くことが好きな兄弟ばかりだから、きっとたくさん縫わないといけないわね」
冗談交じりに雪子は小さく笑うと、七尾はほっとしたように頷いて微笑んだ。本当に兄弟思いの優しい子ばかりだ。
「でも、今は皆の分を作る大きめの布がないから……。今はこの余り布を使って練習しましょう。勿論、人数分作るから、皆で頑張りましょう」
「……! はいっ!」
「じゃあ、気に入った布を選んだら、まず寸法を測るから……。あぁ、待って八代。針を使うのはまだあとよ。夕凪、糸は足りるかしら?」
「余分に持ってきました」
本当に、教わることが出来なかったのだろう。
七尾も八代も一生懸命に雪子の話を聞きながら、見様見真似で針を動かしていく。時には、たわいのない話をすると、三人とも自然に笑みをこぼした。
そろそろ昼頃に近い時間帯だろうかと、御簾の向こう側をみると、いつのまにか草むしりは全て終わっており、雑草の山が出来ていた。
板を打ち付ける音や木材が擦り切れる音が聞こえてくるので、恐らく小夏丸のために屋根付の囲いを作っているのだろう。
そこへもう一つ明るい声が交わってくる。
「おー! 早速作ってるー」
「ただいま」
どうやら明次と三成が帰ってきたようだ。
「姫様は居られますかー?」
階近くまで上ってきた明次が寝殿の方に向かって声をかけてくる。雪子は手早く針を片付けてから、端近まで向かった。
「お帰りなさいませ。どうか、なされましたか?」
「ただいま帰りました。いやー、一兄が貴明兄……従兄弟をもしかすると連れてくるかもって言っていました」
「え……」
「何でも引越し祝いを持ってくるって言って聞かないらしいです」
「……それに、姫様に挨拶もしたいって言っていました」
一成の従兄弟、それはつまり左大臣の息子である。
そのような身分の高い者がここへ来るというのか。
「あ、言っておきますけど、気負わなくて大丈夫ですよ? あの人、初対面の人にもすっごく気さくで、むしろ左大臣の息子って肩書きを嫌っているから、身分に任せて横暴な事なんてしませんし」
明次は何でもなさそうにそう言うが、やはり何か準備をしておいた方がいいのだろうかと迷っているうちに、牛車が屋敷内に入ってくる。
「あら、牛車? 梨壺……とは違う牛車ですね。どちら様ですか? 一成様たちは確か徒歩で出仕していましたよね?」
台盤所での仕事を終えた小竹が小走りでこちらへ向かってくる。
「……一成様の従兄弟である左大臣のご子息が挨拶に来られるのですって……」
「はぁ?」
だが、停まった牛車から降りてきたのは想像していたものと違う、一成と同じくらいの年の青年だった。
「あー……牛車は疲れるなー……」
「待ってくれ、貴明。勝手に降りたら、姫君たちが驚いてしまう」
続くように一成も慌てて降りてくる。二人並ぶとやはり従兄弟だからだろうか、鼻の辺りや口元が似ている気がする。
「でも、先に明次たちを向かわせているんだろ。それなら大丈夫だって。……おっ、皆揃っているな。元気にしていたかー?」
庭にいた兄弟たちに気付いたのか貴明と呼ばれた青年はそっちの方へとさっさと行ってしまう。
「うわー! 本当に貴明兄だ! 驚いたなぁ!」
「貴明兄! 一緒に小夏丸の小屋を作ってよー!」
見ている限りでは、兄弟達のもう一人の兄のような存在といったところか。
すると、縫い物をしていた七尾と八代も端近までやってきて、嬉しそうに声を上げる。
「貴明兄様だわ。でも、どうしてこちらへ……?」
暫く、子どもたちと戯れていたが、一成に宥められてからやっと、こちらの方へと向かってくる。
その間に、牛車の中に置いてあったたくさんの荷物を次から次へと子どもたちだけで簀子へと上げていく。
どうやら挨拶をしに来たのは本当らしい。そして、階の下に止まり、寝殿へと向かって声を上げる。
「もし、姫君はこちらに居られますか」
響く声は一成のものよりもはっきりとして、凛と弓を張ったような強い声である。
「はい。一成様たちの従兄弟様と聞いております。どうぞお上がり下さいませ。…………小竹、夕凪。何かお出しするものはあったかしら」
「確か、まだ切っていなかった梨が残っていたと思います」
そう言って、二人は足早に台盤所へと向かう。御簾から少し離れた場所に二人は並んで座る。向こうからこちらはあまり見えないと思うが、こちらからなら、相手の顔を見ることが出来る。
「突然の訪問、失礼致します。……従兄弟たちが引っ越したと聞いて、お世話になっている姫君に挨拶をするべく参った次第であります」
「だからといって、昨日の今日で来なくても、もう少し落ち着いてからでいいじゃないか……」
少し不満そうに隣にいた一成が言葉を漏らす。
「こういう事は早めの方がいいんだよ。それに土産……じゃなくて、引越し祝いもたくさん持ってきたからいいだろー?」
貴明は少し拗ねたように唇を尖らせる。二人とも同じ年頃だと思うが、こうみるとやはり一成の方が兄のように見えてしまう。
「引越し祝いの中にはこちらで従兄弟たちがお世話になると思って、旬の野菜や魚、酒、調度品、布や染料も持ってきましたので、お好きにお使い下さい。」
「そんなに持ってきていたのか。通りで四人乗りなのに牛車の中が狭いと思ったよ」
最早、諦めたのか溜息交じりに一成がそう言うと貴明はにっと満足そうに笑った。
「何たって、大事な従兄弟たちだからな。……姫君、どうかうちの従兄弟たちのことを宜しくお願いします。もし、迷惑だったらこっちの屋敷まで追い返してやって構わないんで」
冗談交じりにそういうので、雪子は思わず小さく笑ってしまった。
「……いえ、むしろこちらが色々と助けて頂いているので、感謝しているくらいです」
「あ、姫君。宜しかったら、築地なども修繕しておきましょうか?」
「えっ……」
「腕が良い奴を知っていますので、修繕してくれるように頼んでおきますよ。姫君さえ宜しければいつでも言って下さい」
「い、いえ……そこまでして頂くのはちょっと……」
まさか、左大臣の息子にそのような手配をさせるわけにはいかず、雪子はつい言葉を濁してしまう。
「別に恩を着せるわけではないですから、気負わなくて大丈夫ですよ。世話好きで心配性なのはこいつと一緒です」
そういって隣の一成を指差すが、本人は不服そうに眉を寄せている。
「まぁ、何かあれば一成を通して俺宛に文でも書いてください。同じ左近衛府なので、毎日顔を合わせますから」
「は、はぁ……」
「じゃあ、俺はもう帰るよ。今日は父上と一緒に中納言の宴に呼ばれていてな……」
憂鬱そうに頭を抱えながら貴明は溜息を吐く。
宴に呼ばれるのは喜ばしい事ばかりではないらしい。
「それは大変だな」
口元を扇で隠しながら一成は愉快そうに笑う。
「笑い事じゃないんだぞー……。今度、お前も連れて行くからな」
「それは困るな。私もあまり宴は得意ではないからね。まぁ、縁談を持ち込まれないように祈っておくよ」
「他人事だからって……」
貴明が帰ろうと立ち上がる前に、雪子は少し大きめの声を上げる。
「あの、貴明様。色々とお心遣いありがとうございました。もし、一成様たちにお会いしたければ、いつでもお越し頂いて結構ですので……」
きっと彼は一成たちにとっては大切な理解者だ。貴明も一成たち兄弟の事を大切に思っているのだろう。
「ありがとうございます。では、従兄弟たちのことを宜しくお願いします」
最後に一度軽く会釈してから貴明は牛車へと乗り込んで、帰って行った。ふと、その場に残った一成と御簾越しだが、視線が重なったように思えた。
「……貴明は自分の立場を本当は苦々しく思っているのです」
「え?」
「彼の居場所は、本当は私なのだと言われた事があります。それほど、思いつめていたとはその時まで気付きませんでした」
左大臣の息子であった一成。
だが、父である左大臣の亡き後は、その後を引っ手繰るように弟であった貴明の父がその位についたという。そのせいで、一成たちは屋敷から追い出されるように母の実家へと戻った。その事を貴明は責任を感じているらしい。
「私は全く気にしていなかったのに、彼は大泣きする程、悩んでいたらしいですよ」
「そう、なのですか……」
先ほどの気さくな性格からはとても大泣きするとは想像し難いが、自分のせいでないにしろ、負い目を感じてしまうくらいにとても情の深い人なのだろう。
「だから、あのようにいつも自分たちの事を気にかけてくれるのです。……まぁ、あまりにも自分たち兄弟の事ばかり構っているので、女人のもとへ通わないのだと周りから言われているようですが」
満更ではなさそうに話すその表情は嬉しそうだった。
「……わたくし、左大臣のご子息がいらっしゃると聞いて、とても驚いてしまいましたが、本当に気さくで良い方でした」
「えぇ。あの家で気さくなのは貴明とその姉上だけですね。きっと、姉上である藤壺の女御に引っ越したことを伝えたら、自分まで挨拶に行くと言って聞かないでしょうね。あそこは兄弟揃って色々と似ていますから」
「まぁ……」
ということは、とても気さくで明るい姉君なのだろう。ふと、先ほどまで七尾と話していた事を思い出し、雪子は貴明から頂いたという引越し祝いの山を見る。
「……そういえば、貴明様から布を頂いたとお聞きしましたが……」
「えぇ、そうですが」
「あの、もし宜しければその布を使って、ご兄弟の衣を作りたいのです」
「それは……姫君が縫って下さるということですか」
驚いたのか、一成は目を丸くしていた。
「はい。先ほど、七尾が兄弟の分の衣を縫いたいと話していたのです。だから、狩衣や直衣を教わりたいと」
今頃、七尾は一生懸命に袴を縫っているだろう。とても真面目で優しい子だ。その力になりたいと思う。
「そろそろ冬物の用意をしなければなりませんので、宜しければ一成様たちの分も縫いたいと思いまして」
「……いいのですか」
「はい。ですが、時間はかかると思います。何せ九人分ですから。でも、七尾や八代が縫い物を上達すれば、もっとたくさんの量の衣を縫うことが出来ると思いますので」
「いえ、とても有難いです。……今まで、他所の方に着る物は頼んでいたので、助かります」
照れたようにはにかむ笑顔に、雪子も思わずつられてしまう。縫い物の仕事はいつもやっていたが、それがこういう風に活かせる日が来るとは思っていなかった。
「あれ、さっきの方、もうお帰りになられたんですか?」
小竹と夕凪が台盤所から帰って来る。
懸盤の上には食べやすいように切られた梨が盛ってあった。
「そうなの。よかったら、外にいる皆さんと一緒に食べてくるといいわ」
「では、持って行きますね。あ、一成様も召し上がられます?」
「私は大丈夫です。弟達にやって下さい」
小竹が梨を持っていくと、それまで小夏丸のために囲いを作っていた子ども達が一斉に集まってくる。
「あ、夕凪」
「はい」
「あとで、買い物に行ってきてくれるかしら。確か塩と油がないって浜木が言っていたの」
「分かりました」
今まで五人だったが、一気に十四人へと増えたので、食材だけでなく調味料や灯台用の油などがすぐに切れてしまったらしい。
「姫様、姫様。この先はどのように縫えばいいのでしょうか」
奥にいた七尾が縫いかけの布と針を持ってやってくる。
「今、行くわ」
「それでは、私も着替えてから弟達を手伝ってきますね」
「あ、はい。その着替えの手伝いなどは……」
「大丈夫ですよ、慣れていますから。どうぞ七尾のもとへ行ってやって下さい」
「はい……」
とりあえず、許可はもらえたので後で、子どもたちにどの衣がいいか聞いてから寸法を測ろう。やることはたくさんあるが、楽しいと思うのは久しぶりだ。
雪子は思わず緩くなってしまいそうな口元を隠しながら再び縫い物を教えに七尾達のもとへと戻った。




