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 初めから、バネッサ様と話をしようと、思ったわけではありません。

 病室を出る時、バネッサ様がいないことを不審には思いましたが、医師は控えたままでしたし、毎回、帰る時は簡単な挨拶しか交わしていなかったのです。

 オルランド様を起こさないようにと、小声で医師にバネッサ様がどちらに行かれたのかを尋ねましたが、わからないという返事でした。

 その時点で、おかしいと思いました。

 今までは、私がいる時、彼女は決して病室から離れることはなかったのです。

 容体が急変することに備えて、というだけではなく、私とオルランド様を二人きりにしたくなかったのかもしれません。

 私だったら、思い人と、恋敵であるはずの女性が仲良くしていたら嫌ですもの。

 だとすると、これは無意識のうちに私がバネッサ様に嫌がらせをしていたことになるのでしょうか。

 それに、オルランド様と話が出来て私は喜ぶあまり、バネッサ様のことを考えていませんでした。

 先ほどの会話をどこまで聞いたのかわかりませんが、あまり気持ちのいいものではなかったと思います。

 『婚約を破棄するつもりはない』と、あれほどはっきり言われたのは、オルランド様だったのです。

 共に危機を乗り越え、献身的に世話をしたかつての恋人の前で口にしたことがどういう意味を持つのか――私でさえわかります。

 恋人同士に戻るつもりはないと宣言したのも同様です。

 もちろん、いつバネッサ様が病室からいなくなったのか気がつかなかったので、オルランド様が、彼女がいることを前提で話したのか、それとも部屋を出て行ったことに気がついて口にしたのかわかりません。

 もし聞いていたとすれば、とても辛かったはずです。

 私ならば、耐えられなくて泣いてしまったでしょう。

 私の顔など、見たくもないかもしれません。

 このまま、バネッサ様には会わず、帰るのが一番いい気がしました。

 ですが、控えの間へと通じる廊下で、ぼんやりと立ち尽くすバネッサ様を見て、私の足は止まってしまいました。

「バネッサ様?」

 声を掛けてしまったのも、特に深い意味があったわけではありません。

 たまたまそこにいた――気まずい気持ちはありましたが、出会ってしまった以上挨拶くらいはしなければ。

 その程度の感情だったのです。

「……アデライダ様。お帰りになるのですか」

 私を見て、そう言ったバネッサ様の顔には表情はなく、どこか危うさがありました。医師がこの場にいれば、今にも倒れそうだと表現したかもしれません。

「あまり長居をしてもオルランド様が疲れてしまうということだったので。今日はこれで失礼するつもりです」

 当たり障りのないことを言い、その場を後にしようとした私でしたが、それを引き留めたのは、バネッサ様でした。

「少し、お話できないでしょうか」

 拒否できないほどに、強い口調でした。私をまっすぐに見据え、逃げることは許さないと言われているような気さえしたのです。

 もちろん、私には振り切って帰るという選択肢もありました。

 それをしなかったのは、ここで知らないふりをすることは、後悔に繋がる気がしたからかもしれません。



 控えの間とは反対の方向に廊下を進むと、中庭へと出る扉がありました。

 そこを慣れた様子で開くと、バネッサ様は辺りに誰もいないことを確かめてから、真ん中の少し開けた場所で立ち止まります。

 私もバネッサ様から少し離れた場所に立ち、彼女の次の言葉を待ちました。

 バネッサ様が何を話したいのかわかりませんが、楽しい話題はないことは確かです。

「私は、ずっとオルランドとあなたの間には、何の感情もないのだと。そう思っていました」

 一言ずつ、ゆっくりと区切るようにそう口にしたバネッサ様は、私を見ることもなく、ただ視線を空に向けたままでした。

「囁かれる噂が全てとは思いませんでしたが、婚約が発表された後も、お二人が社交界やそれ以外の場所で一緒にいる姿を見られることはありませんでしたから、ある程度の真実は混じっているのだろうと、考えていました」

 お兄様にも指摘されましたが、確かに私たちは、公の場に二人一緒に出ることはありませんでした。

 仕事が忙しいこともありましたが、オルランド様は、どこかへ出かけるよりも、ふらりと屋敷に顔を出すことが多かったのです。

 もちろん、まったく出かけたことがないかと言えば、違うと答えます。

 近衛騎士の方の集まりに呼ばれ、婚約者として紹介されたこともありましたし、オルランド様の実家の晩餐に招かれたこともありました。

 ですが、それらの方々は、私的な場所だったということで、私たちが一緒にいたことを声高にあちこちで言いふらしたりしませんでしたし、二人がどんな会話を交わしたのかも、口にはしていなかったようです。

「だから、私は安心していたのかもしれません。オルランドが結婚するのは、家のため。義務なのだから、愛して一緒になるのではないのだと」

「でも。最初に愛がなかったとしても、一緒にいれば、情もわきます。それに、オルランド様は、義務だけで結婚を承諾するような方ではありません」

 思わず反論してしまったのですが、それにバネッサ様は驚いたようでした。

 私の方に視線を向け、じっとこちらを伺うように見つめます。

「あなたは、義務だけでこの婚約がなったのではないと、そうおっしゃるのですか」

 詰問されるような口調に、私は一瞬たじろぎましたが、ここで目を逸らしてはいけないと思いました。

「いえ。最初は互いに義務でした。ですが、今は違うと思います」

 妹と私、どちらでもよかったはずなのです。

 恐い方だと思っていたのも事実です。

 何度も話して、互いの気持ちを口にして。少しずつ距離が縮まり、家族になろうと思ったから、今の私たちがあるのです。

 決して、よそよそしいまま婚姻関係を結ぼうとしていたわけではありません。

「二人の間に愛があるというのとは違うかもしれませんが、共に生きていこうと思っていたのは確かなのです」

 それだけは、誰に恥じることなく言えます。

「いつまでも、過去に引きずられ、愚かだったのは、私だったのでしょうか。失うかもしれないと――目の前でオルランドの命が消えそうになって初めて、彼から離れたことを後悔したなんて」

 泣き笑いのような表情で、バネッサ様は呟きました。

「離れたくない。こんなにも愛しているのに」

「バネッサ様……」

「勝手ですよね、私。もうオルランドにはアデライダ様がいらっしゃるのに。どれだけ願っても、戻ってきてはくれないのに。旅をしている時、心はもう離れていると感じていたけれど、信じたくはなかったのです」

 隣国で、何があったのかはわかりません。

 短くはない時間、二人は一緒にいたのです。そこで何を話し、何を思ったのか。私には知ることはできないでしょうが、その時のことが、バネッサ様の中で、何かの決着をつけさせたのでしょうか。

「私は……あなたが嫌いです。アデライダ様」

 はっきり言われて、驚くよりも、そうなのか、と納得します。

 同事に、わかりました。

 私も、この人を好きになれないのだと。オルランド様を苦しめて、それなのに側にいることを許されたこの人を妬む気持ちがあります。

 オルランド様と肩を並べて戦う力と知性を持っていて、オルランド様にあれほど望まれたというのに、告白を断ったことが許せないと思っています。

 私など、ただ待つことしか出来ないというのに。

「何の努力もせず、ただ家柄が釣り合うというだけで、オルランドと一緒になれるということが妬ましかった。でも、気がついてしまったのです。私は、努力していたのかと。愛を囁くのも、会いに来てくれるのも、全てオルランドから。私は、一度でも、彼のために美しく着飾ったり、優しい言葉をかけたりしたのでしょうか。愛しているというその一言をちゃんと伝えていたのでしょうか」

 まるで、私の方が責められているような気がしました。

 私もそうだったけれど、あなたはどうなのだと、そう問い詰めるような眼差しなのです。

 視線を逸らさなかったのは、負けたくないという意地があったかもしれません。

「ねえ、アデライダ様」

 同じように、決して私から目を逸らさないバネッサ様は、冷たくも思える声で、呼びかけてきました。

「オルランドは、意識がない間でも、私が耳飾りを取ろうとすると、嫌がるような反応をしたのです。最初は意味がわからなかった。左右違う耳飾りをしていたのは気になりましたが、見慣れぬそれは、高価なものとは思えなかったし、何故なのだろうと」

 あれは確かに古いものですし、治療に邪魔だと思えば、外すのが普通だと思っていたのですが。そんなことがあったとは、思いもしませんでした。

「でも、あの日、あなたが病室を訪れた時、片方の耳にオルランドの耳飾りをつけていることに気がつき、驚いたのです」

 あの日、私はオルランド様から預かった耳飾りをしていました。

 下ろした髪に隠れ、見えていないと思っていたのですが、バネッサ様は気がついていたようです。

「あれは、オルランドにとって、とても大切なものでした。お世話になった方から、正式に騎士になったときの祝いに贈られたものだと。その方はもう亡くなられてしまったので、形見でもあるのです。どんなときでも、決して手元から離すことはなかった」

 知りませんでした。そんな大切なものだと知っていたなら、預かることをためらっていたかもしれません。

 驚いた様子の私に、バネッサ様は苦笑しました。

「その様子ですと、ご存じなかったのですね。それなのに、それをあなたに渡した。彼の耳にあるのは、あなたの耳飾りなのでしょう?」

「……はい」

 あの時は、本当にためらいもなく渡されたはずでした。

 私は素直に、自分が渡した耳飾りを付けるのに不要になったから、預けただけだと、ずっとそう思っていたのです。

「殿下を守りながら隣国にいた時も、彼は常に同僚の方に言っていました。家族の元に無事帰るのだと。家族になりたい人を悲しませたくないと」

 私とオルランド様とで約束した『家族になる』という言葉を、そこまで誠実に思ってくれていたことは、意外でした。

 お兄様が、誠実でありなさいと言ったことが、思い出されます。

 私が考えるよりもずっと、オルランド様は真剣に考えていらしたのでしょう。恥じ入るような気持ちになり、私は少しでもオルランド様とバネッサ様の仲を疑ったことを反省しました。

「私は、恋人にはなれても、夫婦にも家族にもなろうとしなかった」

 身分の差を理由に、逃げてばかりいた――バネッサ様はそう自嘲気味に口にしました。

「私にとってのオルランドは、強くていつも自信にあふれている人で――迷うことがあっても、それを他人に見せる人ではなかったのです。『情けない姿』という言葉がオルランドの口から出たのを聞いた時、いったい私はあの人の何を見ていたのだろうと、泣きたくなりました」

 潤んだ目は、泣いているかのようにも見えましたが、淡々とした口調からは、感情の揺れは感じられませんでした。

 だから、余計にバネッサ様が心の底から悲しんでいるように見えるのでしょうか。

「今朝、意識が戻った時、オルランドが会いたいと口にした名前は私ではなかった。ずっと側にいた私ではなく、違う人の姿を探していた。そのことに、どれだけの衝撃を受けたのか、きっとあなたにはわからない」

 私は、それほど強く誰かを愛したことも、求めたことも――その思いを拒否したこともありません。オルランド様にも、そこまで激しい思いはまだ持っていないのです。

 だから、私は、バネッサ様の苦しみを聞いても理解できないでしょう

 彼女の愛し方と、私の思いは、まるで違うものなのです。

「その時、ようやく私は理解できたのです。もう、この恋は終わってしまったのだと」

 私に、それ以上何を言うことが出来たでしょう。

 バネッサ様も、オルランド様も、本当はまだ互いへの思いは残っているのです。

 そんなに簡単に忘れられるようなものではないのが、『愛』だと思うのです。

 ですが、バネッサ様は、終わってしまったと言い、オルランド様は私を選びました。

 少し状況が変わっていれば、今のバネッサ様の立場が私だったかもしれない。幸せな恋人同士を前に、泣いていたのは私の方ということもありえたのです。

 誰もが幸せになる結末などない、と言われたセレスティナ様の言葉が、今ならよくわかる気がしました。

 誰を選んでも、誰に選ばれても、心の中に残るのは、罪悪感と悲しみ。

 両手を挙げて幸せに、というわけにはいかなかったのです。

「アデライダ様。私は、セレスティナ様の元へ戻ります」

 今日でここにいるのはおしまいです、とバネッサ様は妙にすっきりとした顔で言いました。

「お幸せに、とは言いません。ですが」

 バネッサ様は深々と頭を下げました。

「愚痴と文句と恨み言を言うために引き留めたことと、ご迷惑をおかけしたことだけは、お詫びいたします」

 何がどう迷惑なのかは敢えて聞きませんでした。

 ささやかに意地悪をされていたのかもしれませんし、ずっとオルランド様の側にいたことで、私を振り回したということかもしれません。

 だから、私も、それに対する返事はしませんでした。

「ごきげんよう、アデライダ様」

 淑女らしく優雅に身をかがめ、艶やかに微笑むと、バネッサ様は私に背を向け、中庭を出て行きます。

 凜とした後ろ姿は、いつかオルランド様の元から去っていった姿と重なりました。

 美しく気高く――けれどもとても孤独に見えることが、私を悲しくさせたのでした。

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