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 次の日も、私はオルランド様の所に顔を出すことにしました。

 バネッサ様と会うのは憂鬱でしたが、オルランド様のことは心配なのです。

 せめて、どんな様子かだけでも確認したいというのが正直な気持ちでした。

 医療院にいる医師によると、意識がはっきりしていないのは、痛みと熱、それを押さえるための薬が強いせいだといいます。

 元々体力があったせいで無理をし、負った傷が悪化してしまったことも今の状態を長引かせる理由だと説明されました。

 バネッサ様が適切な処置をされたとはいえ、いくつかの傷は膿んで雑菌なども入ったようなのです。

 騎士という職業柄、普段から鍛えていなかったら、命は無かったかもしれない。

 それを聞いた時は、心底震えが来ました。

 何も知らないまま、もう二度と会えなくなっていたかもしれないのですから。

 それでも、最初に見たときよりは顔色も良くなってきているようで、近いうちに目を覚ますだろうと言われ、ほっとしました。

 オルランド様が目を覚まされるまでは、誰かが何を言おうと、医療院に通おうと、私は決心します。

 これは、バネッサ様に負けたくないという意地だったのかもしれません。



 その日も、顔を見るだけになるのだろうかと思いながら、医療院を訪れました。

 私が病室に行くと、バネッサ様は形だけは歓迎するかのように丁寧に接してくれます。オルランド様の容体を説明し、お見舞いの礼を述べ、必ず『きっとオルランドも喜びます』と言うのです。

 けれども、どう好意的にとっても、本心から言われているようには思えませんでした。

 顔は笑っていませんし、椅子を勧められたりもしませんし、とても居心地が悪いのです。

 人の裏を読むことは得意ではない私でもそう思うくらいですから、バネッサ様はご自分の気持ちを隠すつもりはないのでしょう。

 それに、最初の時は、動揺して気がつきませんでしたが、彼女は常にオルランド様を呼び捨てにしています。

 わざとなのか、それとも無意識なのか。

 前者だとすれば、これはバネッサ様のささやかな意地悪なのかもしれませんし、後者ならば、恋人同士の時には普通に呼んでいた言い方が自然に出てしまっているということなのかもしれません。

 どちらも嫌ですが、尋ねて本当のことを聞かされても、対応に困ってしまうでしょう。

 だからどうしたいのだと言われたら、ごめんなさいと謝ってしまいそうです。

 もっと堂々としていなければと考えるのですが、バネッサ様を前にすると、罪悪感のようなものが出てきて、うまく言葉を口にできません。

 私の立場が、恋人同士を引き裂く存在だからでしょうか。

 物語でいえば、まるきり悪役ですし、世間に出回っている噂によれば、私はオルランド様を無理矢理手に入れた悪女らしいですから。

 それに、オルランド様の今の気持ちはわかりませんが、バネッサ様の思いはわかります。

 一度は別れたはずですが、本当に嫌いになったわけではないのです。

 一緒に行動して、共に危険をくぐりぬけてきたのならば、すでに、思いは伝えているのかもしれません。気持ちが再び通じ合った可能性もあります。

 だから、もしオルランド様が目覚めたら、私もちゃんと気持ちを伝えようと思うのです。振られるのならば、潔くきっぱり終わらせたい――それまでは、嫌な女だと思われても、ここに通い続けるつもりでした。

 いらないと言われるまでは、セレスティナ様に宣言したように、諦めたくはないのです。

 少しでも希望があるのならば、この婚約をなかったものにはしたくないのです。

 ですから、なるべく普通の顔をして、オルランド様の病室まで来たのですが、いつもと違い、妙に辺りが慌ただしいことに気がつきます。

 今日に限って何故か開け放たれた扉の向こうには、バネッサ様だけでなく、医師がおり、オルランド様を診察しているようでした。

 何かあったのかと不安に思いながら、中に入るのもためらわれ、そっとのぞき込んでいると、医師が私に気付き、立ち上がります。

「これは、アデライダ様。よいところに来られました。今朝方、オルランド様の意識が戻ったのですよ。使いの者を出そうと思っていたので、行き違いにならずにすみましたな」

「それは本当なのですか」

 思ったよりも早かったことに、私は喜びました。

 急いで病室の中にはいり、寝台に近づきます。

「どうぞ。あまり長くは話せませんが。オルランド様もあなたに会いたがっていました」

 医師に即され、私はオルランド様の顔をのぞき込むように、身をかがめます。

 邪魔しないようにという心遣いなのか、医師は寝台を離れ、片隅に置かれてあった机まで移動して、その前に座り書き物を始めました。バネッサ様の方は、少し後ろへと下がりましたが、部屋の中にはとどまるようです。

 見られていることが不安でしたが、出て行ってもらうのもおかしな話なので、私はなるべく彼女がそこにいることを考えないようにしました。

「オルランド様?」

 呼びかけると、どこか眠たげなオルランド様の眼差しが、ゆっくりと私に向けられます。

「……アディ?」

 長く声を発していなかったせいでしょうか。

 しゃがれかすれた声は老人のようでした。

「本物だな。夢じゃない」

「はい、オルランド様」

「ということは、俺はやはり生きているんだな」

「はい。本当によかった……、よかったです」

 繰り返す私に、オルランド様は少しだけ笑いました。

「お守りが効いたようだな。ちゃんと持ち主のところに戻ってきた」

 言われてみれば、確かにオルランド様の耳には私が渡した耳飾りがあります。こういう状況だから外した方がよさそうなのですが、そのままになっているのは何故なのでしょう。 たまたまなのかもしれませんが、そのことをとても嬉しく感じました。

「お守りは、もう少し、預かっていていいか」

「それはもちろん構いません。あ、でも私がお預かりしていた耳飾りはどうしましょうか」

 あの日からずっと、公の場に出る時以外は、常に身につけていたのです。外している時は、衣装室の鍵のかかる宝石箱の奥にしまっておきましたし、傷が付かないように丁寧に手入れもしていました。

「その耳……そうか、ちゃんと大事に持っていてくれたんだな」

「無くしてはいけませんから。大切な預かりものですもの」

 口元をつり上げ、オルランド様は笑ったようでした。すぐに痛そうに顔をしかめてしまいましたけれど。

「アディ。……って言ってくれないか」

 何をおっしゃったかわからず、私は首を傾げ、オルランド様に顔を近づけました。

 まだうまく口を動かせないのか、時々言葉が縺れることがあるからです。

「お帰り、と。その言葉が聞きたい」

 そういえば、まだ一言も言っていませんでした。目覚めたことが嬉しくて、他のことに頭が回らなかったのです。

「……お帰りなさいませ。ずっと、戻ってこられるのをお待ちしておりました」

「ただいま、アディ。無事、という感じではないが、ちゃんと帰ってきただろう?」

 どこか得意げにも見えますが、そんな状態で言われても、あまり自慢できないと思います。一歩間違えば、命を落としていたという事実は消えないのですから。

「無茶なんてするつもりはなかった。自分の力量はわかっているし、無謀なことをしても、良いことにならないのを経験上知っているからな。ただ、ちょっと格好つけすぎた」

「まあ」

 オルランド様が何に対して『格好つけすぎた』のかわからず、首を傾げます。

「……昔の女に、みっともないところを見せたくなかったんだ。お前なんかに頼らなくても、俺はやれると、意地を張ってしまった。結果、彼女を危険な目に遭わせたうえに、俺はこのざまだ」

「でも、その方――バネッサ様は、命をかけて貴方を助けてくれたのでしょう? きっとみっともないなんて思っていないはずです」

 近くで静かに控えているバネッサ様をちらりと見ます。

 俯いて、こちらの会話が聞こえているのかどうかわかりませんでしたが、何も言わず側にいる様に少し胸が痛みました。

 例え、過去がどうだったとしても、彼女の思いが本物なのだということだけは、わかっています。

「そうだな、そうかもしれない。バネッサはそういう女だ。結局、情けないのは俺の方か。がっかりしただろ?」

「情けないところなら、もう見ていますから」

 あの月の夜、うちひしがれたオルランド様は、今よりもっと情けない姿でしたもの。

「そうだったかな。それより、あんた、知っていたのか、バネッサの名前」

「オルランド様がいらっしゃらない間に、いろいろありましたから」

 何もなければ、知ることもなかったでしょう。

 知らないまま、ただの政略結婚の相手として、オルランド様と結婚していたでしょう。

 けれども、知ったことは悪い事ではなかったと思うのです。『義務』ではない気持ちを持つことができたのですから。

「……目が覚めてから、ずっと、考えていた。俺が死んだら、あんたは泣くだろうかと。あるいは、何も知らせないことで、怒るだろうかと。どれも違っていたな」

 どう違っていたのかは言わず、オルランド様はぎごちなく手を動かし、私に触れようとしました。

 けれども、うまくいかないのか、そのまま力なく寝台の上に手が落ちてしまいます。

 慌てて私がその手を握ると、情けなさそうにオルランド様の目尻が下がりました。

「私、オルランド様に伝えたいことがあるのです」

 そっと耳に口元を近づけたのは、オルランド様以外に聞かれたくはなかったから。

「オルランド様がいない間、私もいろいろ考えていました。その結果、思ったのです。もしかすると、私は、あなたに、恋しはじめているのかもしれない、と」

 まだ、胸の中に芽生えたばかりの小さな思い。無くしたくないと気がついたのはつい最近ですから、自信たっぷりにはまだ口にすることは出来ませんが。

「おかしいでしょう? 政略結婚の相手ですし、思い人がいらっしゃることも知っていたはずなのに」

 そうなのか、とオルランド様は不思議そうな顔をされました。

 確かにいきなりこんなことを言われれば、戸惑うのもわかります。オルランド様にとっては、意外な言葉だったのかもしれないのですから。

「ああ、でも、今の俺には、わかる気がする。恋をする、か。そうだな、また新しく恋をしてみるのもいいかもしれない。あんたとなら、それは穏やかで優しいものになりそうだ」

 意味ありげに笑うオルランド様に、私はちょっとだけ赤くなりました。

 オルランド様が、私の言葉を否定しなかったからかもしれません。

「私は、まだあなたの婚約者でいてもいいのでしょうか?」

 勇気を出して聞いたのは、今しかないと思ったからです。

 覚悟は出来ています。振られたって泣いたりはしません。

「俺は、婚約を破棄するつもりはないぞ。だから、そんなに不安そうな顔をするな」

「本当に、ですか?」

「ああ、本当だ」

 よかった、と素直に思えました。涙が出そうになりますが、ここはぐっと押さえることにします。

「アディ。まだ、もう少し、ここにいられるんだろう?」

「随分お話しています。お疲れになったのでは?」

「大丈夫だ」

 オルランド様はそう言いますが、私は医師の方を伺いました。

 いくらオルランド様が望んでも、医師が許可してくれなければ、長居はできません。

「もう少しくらいならば大丈夫ですが、適当なところで切り上げてくださいね。まだ薬も効いていますし、熱もあるのですから」

 優しく微笑む医師に妙に気恥ずかしさを感じながら、私は寝台の側の椅子に腰掛けます。

 何かあったら呼ぶように言って医師は再び書き物を始めました。それを確認してから、私はオルランド様と他愛のない話をしました。

 屋敷の庭のこと、オルランド様の私邸でのこと、最近している刺繍のこと。

 とてもくだらなくて、どうでもいいようなことだけれど、いつも屋敷で話していた内容と同じもの。場所は違いますが、同じように居心地がよい気がします。

 もちろん、今日は私ばかりが話をしていて、オルランド様は時折相槌を打つだけなのですが。

 そして、その会話は、結局オルランド様が眠るまで続きました。

 寝顔が穏やかで、苦しそうでないことに、安堵します。

 どうか、苦しくて辛い夢ではなく、優しい眠りの中にありますように。

 その祈りがちゃんと届くように、私はオルランド様に触れる指先に力を込めました。



 部屋にいたはずのバネッサ様がいつのまにかいなくなっていたことに、その時の私はまったく気が付かなかったのでした。

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