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「一応、約束は約束だからね」
彼の言葉に対し、待たせた身である自分にはそう笑い飛ばせるものでもないと枢人は指摘すると対面の自席に座った。
パイプ椅子のがたつきには未だ慣れないでいるが、生徒会室に存在するパイプ椅子の中で唯一の欠陥品だったものを引いてしまった自身の悪運をただただ恨むしかない。
「ほれ、今週の本だ」
腰を下ろすなり、天馬は一冊の本を枢人に手渡した。
それが男子特有の卑猥な写真集や官能的な内容の小説だったなら大問題なのだが、あいにくただの小説であり、生徒会室も二人しか滞在していない。
そう、実のところ枢人が口にする生徒会の用事のほとんどは、生徒会長にして唯一無二の親友である天馬と人目を忍んで接触するための口実に過ぎなかったのだ。
大げさな表現かもしれないが、こともあろうに天馬が生徒会室を着々と私物化しているのだから他人には見せられたものではない。
よって、二人だけの会合となっている。
「出涸らしの茶ですまんが……」
本を受け取った枢人に対して、天馬は間髪入れず淹れたての薄い緑茶を差し出す。
表紙の題名に目を通しながら一口啜ったところで、白湯と大差ない飲み物を出涸らしと言い張れる天馬の強情さに枢人は恐れ入った。
それが新手のボケなのか味覚障害の症状なのか、彼は指摘するべきか逡巡した挙げ句、安全牌として話題を切り替えることにする。
「英雄譚を好む天馬にしては珍しいチョイスだね、『ジーキル博士とハイド氏』なんて」
咄嗟に出た言葉は受け取った本に対しての率直な感想だった。
人目を忍んだ会合での活動内容は主にオススメの本を貸し合い、読み終わった者から感想と考察を語り合うことだ。
同期の生徒会メンバーという枠組みから親友へと昇格したきっかけが同じ読書愛好家だったということもあり、時間が許す限りは遠慮無く議論を交わす。
天馬は決まって英雄譚を貸し出し、女難の美と悲劇の運命について枢人なりの見解を訊きたがるのだが、今回に限って渡されたのは名の知れた怪奇小説だった。
「呼んだことあるのか?」
「いいや、知ってるのは題名と二重人格がどうのこうのってくらいしか」
それなら読むのに支障は無いだろうと、天馬は頷きながら右手を差し出す。
「それで、俺への本は?」
「ああ、僕からはこれ。小さい頃に背伸びして買ってみた、小説デビューの作品だ」
「『フランケンシュタイン』……おいおい、ゴシック小説じゃないか。まったく、お前が選ぶジャンルの不揃いさには毎度のことながら予想を覆されるな。そもそも、小説デビューでこのチョイスというのがまず酷い。子供なら普通、額に傷の魔法使いかベルトの宝石を集める冒険小説だろう」
「いやいや、前者は既に映画が始まってたし、後者は第二部から話についていけなくなるし……まあ、ちゃんと最終巻まで読んだ記憶はあるけど。うん、内容は覚えてないな。僕の中では第一部でハッピーエンドを迎えてめでたしめでたし、になってる」
衝撃を受けた天馬は仰け反り、影の王国突入が熱いだの歌姫が何だのと小言を呟いているが、枢人はあえて触れないことにした。