8 夜の森、『取り替え子』の話
『その昔、世界で魔法が使えるのは、竜とエルフしかいなかったころ。
そのころから、ヤズカユルトのエルフは「トロウ」と呼ばれていました。
塗魔法が得意だったから、という理由もありますが、そのまま「ドロウ」にならなかったのは、ずっと西に別のドロウ・エルフたちが住んでいるから、ごっちゃにならないように「ト」になったとも言われています。
または、ずっとずっと昔には、トロウの中にも灯魔法の得意なエルフもいたんだけど、でもだんだん塗魔法しか使えないようになっちゃって、“完全にドロウってわけじゃないから”ってことでもあるとかないとか。
それにしたって、こんな似た呼び名じゃなくて、もっと違う呼び方にすればいいのにね。
ともかく、そんなわけでトロウ族というエルフは塗魔法が得意です。というか、灯魔法はほとんど使えません。道具を使えば明かりを灯したり火をつけたりはできますが、トロウのエルフたちにもっぱら出来ることは、壁をつくったり、水をかけたり、糸を伸ばしたり、そんな感じの魔法です。
そのせいか分かりませんが、トロウは手で触れることのできるはっきりとしたものを重んじています。
硬い道具を振り回して、しっかりした壁で身を守るってことですね。
灯魔法だと出せるものはみんなあやふやだし、壁っぽいものを出してもみんなすり抜けちゃいます。
ちょっと頼りないって思っちゃうでしょ?
みんながそう思っていたんです。
あるとき、ある場所に、そんなトロウの中ですごく珍しく、灯魔法が得意なエルフが生まれました。
というか、塗魔法がダメで灯魔法しか使えませんでした。つまりグロウ・エルフってことですね。
昔むかしに灯魔法が使えたエルフもいた、というお話は伝わっていたので、怖がられたり気味悪がられたり、ってことはありませんでした。
でも……やっぱりみんなと違うと、どうしても、ね。
うん、からかわれたり、馬鹿にされたり、いじめられたり。
ありがちな話ですよねぇ。
そのグロウ・エルフさんも、何かにつけて小突かれたり、いたずらで小石を投げられたり、いろいろな嫌がらせを受けたみたいです。
相手からはやりたい放題で、自分がやり返そうにもみんな《障壁》で防がれちゃいます。
やってらんないですよね。
そんな中でも、なんとか見返してやろうって、グロウ・エルフさんは自分の灯魔法を練習し続けていたそうです。
ひとりきりで、誰も頼れずに。
なかなか根性ありますね。
でも。
誰かを頼れれば、きちんと向き合ってお話できることができていたなら。
このあとの結末は違ったかもしれないです。
このころ、魔法を使えるのはエルフと、竜だけでした。
グロウ・エルフさんは灯魔法の練習はひとりきりでしたが、お手本を見せてくれる相手はいました。
そう、竜です。
もっとも、竜と言っても小さなフェイ・ドラゴンです。大きさは子犬ぐらいの。
住んでいる村の畑に出没して、作物をちょろまかしたりしていたらしいです。野菜泥棒ですね。
竜はエルフより魔法が上手で、塗魔法も灯魔法も両方使えます。
外敵から身を守り、姿を隠すのもお手の物です。
グロウ・エルフさんは、その竜が魔法を使うのをたびたび観察していました。
ちょっと暗がりを作って隠れたり。
自分の姿が見えにくくなるように色を変えたり。
エルフや他の動物の注意を引くために、離れた場所で音を立てたり。
自分の姿を大きく見せるまぼろしを作って脅かしたり。
竜は他のエルフにはできない、いろいろなことができました。
他のエルフたちは、この竜のいたずらや泥棒に腹を立てました。
……灯魔法に、腹を立てました。
そしてその日。
たまたま、虫の居所の悪かった村人に。
たまたま、灯魔法を練習していたグロウ・エルフさんは目撃され。
激しく非難されました。
罵られました。
そして、石を投げられました。
小石ではなく、ぶつかったら怪我をするような大きさの。
もちろん、グロウ・エルフさんは魔法で防ぐことはできません。
なので、逃げようとするのですが、相手は次第に増えていきました。
やり返されないのをいいことに、ただ鬱憤を晴らすためだけに。
ひどいですねぇ。
ついに避けられず、身体に石が当たると、グロウ・エルフさんの中で何かが弾けたそうです。
……本人に聞いたんでしょうかね?
もしかして、このお話って本人談だったりするんでしょうか?
うーん……まぁ、それはともかく。
グロウ・エルフさんは自分の魔法を思うままに解き放ちました。
身体が大きくなり、恐ろし気な角と牙と翼を持った邪竜のような姿に。
……まぁ、変身って言ってもまぼろしなんですけど。
それを見た村人がひるんだところに、グロウ・エルフさんは吠えました。
──お前たち、そんなに誰かを傷つけたいなら、自分たちだけでやれ!
そう言うと、村人たちはみな目が見えなくなりました。
慌てふためく彼らに、どこからか飛んできた石がぶつけられ。
怒った村人の声が響きました。
──卑怯者! こんな目くらましなんかしやがって!
そうしてお返しとばかりにまた石が投げられました。
もちろん見えていないので、誰が投げたのか、どっちへ投げたのかもわかりません。
で、やっぱり見えていないから、別の村人の方へ飛んだ石も、魔法で防ぎようがありません。
──痛ぇ!
──やめろ!
──なにしやがんだ!
口々に罵る声と、飛び交う石が増える中、何人かの村人は狼狽しました。
しゃがみこんで呆然としているはずの自分の声が、大声で仲間を罵っているのです。
──違う、自分じゃない!
──うるせぇ! ふざけんな!
──ちくしょう、なんだこれッ!
もう、しっちゃかめっちゃかでした。
他の村人に見えていないから、グロウ・エルフさんはその場から少し距離をとりました。
近くにいると流れ弾が飛んできて危ないですしね。
そうして離れた場所から醜い罵り合いと石のぶつけ合いを睨みつけていたグロウ・エルフさんでしたが、だんだんと伏し目がちになり、沈んだ目つきになっていきました。
最初は怒りのままに魔法を揮ったのでしょうが、自分の引き起こした光景に心が冷やされたのかもしれません。
変えた姿ももう元に戻しました。誰も見ていませんし。
そうこうしているうちに、村の中から何人もの大人たちがやってきました。
なにしろこの大騒ぎです。さすがに様子を見に来ます。
彼らが目にしたのは、なんだかわからない大喧嘩をしている何人ものエルフと、それを冷ややかに眺めるグロウ・エルフ。
となると、やっぱりと言うか、こんな成り行きになります。
──これはお前のしわざか?
最初から責任の所在の決めつけから入るのはどうかと思いますが、まぁそう見えますしねぇ。
グロウ・エルフさんも、この状況を作り出したのは事実なので、反論できずに黙り込みます。
──いったい何をした?
──おい、なんとか言ったらどうなんだ。
──これも灯魔法なのか? 酷いな。
口々に上がる言葉に、グロウ・エルフさんを擁護するものはありませんでした。
得体のしれない魔法、得体のしれない存在。
お互いに遠ざけて、歩み寄れず、知ろうとしないで、分かり合う機会もない相手。
よくわからないから嫌って、触れるのを怖がって。
憶測と思い込みで、さらに隔たりを作り出して。
それを、言葉に出してしまう。
──なんでグロウ・エルフなんかが……。
──取り替え子ってやつは……。
──取り替え子め……。
えー……自分で語ってて何だけど、胸糞悪いよねぇ。
あ、ごめんごめん。それでどうなったかなんだけど。
そうやって鬱憤を溜め込んでたのは、もちろん村人たちの方だけじゃなくて。
ずっとずっと、そんな接し方をされたグロウ・エルフさんも。
村人側から溢れ出した悪意に、自分の中に溜め込んでいた暗い暗い想いが溢れてきちゃったんでしようね。
──そんなに見たくないなら、見るのも嫌なら……暗闇の中にでも引っ込んでろ!
そう声を上げて。
あたり一帯に大きな大きな、村のほとんどをすっぽり包み込むような暗闇を作り出しました。
話半分としてもスゴいよね?
しかもさらにスゴいのは、その規模の闇を“固定化”しちゃったらしいこと。
うん、だから、その闇はずっとずっと残り続けたそうです。
何日も、何年も。
そのころは、周辺にはドロウ・エルフしか住んでいなかったから、誰にも闇を消すことはできませんでした。ラージにクエニー・グロウ族が移り住んできたのは、ヒューマンたちが現われたずっと後のことですからね。
だから。
真っ暗になったそこに住むことはできなくなって、その村はなくなっちゃったということです。
えーと、つまりこのお話から言えることは何かというと。
“無闇に壁を立てて相手と自分を隔てると、むしろ暗闇に呑まれていろんなものを失っちゃう”ってことかな。
じっさい、《障壁》なんて使う場面が無いに越したことはないよね。リフ・ボールで遊ぶときだけで十分だよ。
え、上から鳥の糞が落ちてきたときも? うん……それはそう。
お話の中で言う“壁”と《障壁》は別でしょう、って? うん、それもそう。
まとめ方が強引? えーい、ちょっと上手い感じに締めたんだからドヤらせろー!
……ん? グロウ・エルフさんはどうなったのか?
さすがにそんな事件を起こしちゃったら、周辺にも知れ渡ったろうし……寄る辺なかっただろうから、その後は……。
少なくともこのお話のバリエーションで、ハッピーエンドのパターンは聞いたことはないですね。
失意のうちに野垂れ死に、とか、良くて行方知れずとか、そんな感じです。
でも、けっこう根性ありそうな描写でしたし、頑張って生き抜いたかもしれないですね。
せめて、周囲の目に負けず、誇り高くあって欲しいかな、と思います。
大昔の話ですけどね……』
◇
……どれだけ走っただろう。
思いもよらない“自分の正体”に恐慌をきたしたシルラジネルは、何も考えられず──否、考えることすら恐れて逃走した。
ただがむしゃらに足を動かし、呼吸した酸素は全て走ることに費やさんばかりに。
中天に臘節月、皐季月のふたつの月がかかり、かろうじて見通せる明るさの森の中を、下生えに足を取られることなく駆け抜け続けられたのは、はたして幸運だったのか、それとも不運だったのか。
疲れて足を止めたそのときには、すでにシルラジネルは所在を見失っていた。
(森……奥……暗くてわからない……)
ただでさえ木々の連なりという判別し難い風景の中、月光に照らされているとはいえ夜の帳の下では、たとえ見知った深度の領域だったとしても、現在地を特定するのは難しい。ましてや、我を忘れて走り続けた末に行き着いた場所とあっては……。
(どうしよう……)
その心中の呟きは、前後不覚の現状に対してか、それとも“取り替え子”という存在として認知されたであろう自分の今後への危惧なのか。
問いかける自分ですら曖昧に、半ば呆然と思考を空回りさせ、シルラジネルはふらふらと歩き出した。
(“取り替え子”……前に、ミアサセーラさんの話に出てきた……)
比較的年若い年齢層の子どもに、独特の軽い調子で説話を語るミアサセーラというドロウ・エルフの話の中に、大昔にあった事件という“取り替え子”にまつわるものがあったことを、シルラジネルは思い返した。
聞いたのはもうずいぶん前、シルラジネルの年代が教練所に通い始めて間もないころだったと思う。
物語自体の語り口は軽いのに、妙に真に迫った台詞語りに、あの頃も不安を掻き立てられたのを覚えている。
それから成長するにつれ、周囲の友人たちはひとり、またひとりと塗魔法の力を発現させ、シルラジネルの周囲にはドロウ・エルフが増えていった。
もちろん、当時はそんな意識の仕方をしていたわけではない。だが、自分の力が顕れないことによる潜在的な孤立感は、嫌が応にも疎外されたグロウ・エルフの物語を想起させた。
──自分は仲間外れにされているわけではない。
──いじめられているわけではない。
そう自分に言い聞かせても、不安を完全に拭い去ることはできなかった。
他人の心はわからないのだから……。
(あの話のようになるわけない──僕は違う)
(でも、僕がグロウ・エルフであることには変わりはない……)
(変わってしまうのか? みんなも、僕も……?)
──変わらないもの。
──変わるかもしれないもの。
──変わるはずのないもの。
──変わってしまったもの。
今までの自分と、自分を取り巻くもの。
世界に不変のものは無いかもしれない。変わらないように見えるものも、年月をかけ、ゆっくりと移ろっていくものだ。
だが、不意にシルラジネルの世界に投げ込まれた一石は、想像できない波紋を生み出し、大きなうねりとなって心の中に渦巻いた。
何の備えもなく、渦中に放り込まれた少年では、翻弄されるまま為すすべも無い。
もとより、一人で答えなど出るはずもないのだ。
向かい合わねば、言葉を交わさねば。
触れ合って、ぶつかってみなければ。
──だが、どのように?
──どんな顔をして、どんな言葉をもって?
シルラジネルは恐れを抱いたまま、とぼとぼと歩き続けた。
来た道を振り向くことはできなかった。
…………どれだけ……時間が経っただろうか。
長い時間歩き続けたような気もする。
あるいはそれほどの時間は経っていなかったのかもしれない。だが、景色の変化のない暗い森の中では、距離と時間を推し量るのは難しかった。
ただ、二つの月光だけが柔らかく降り注ぎ、かろうじて行く手を照らす。
薄い下生えと、ごくまばらな灌木、それと──
一際高く、黒々とそびえる影。
それに気付いて、シルラジネルは足を止めて視線を上げた。
「……大セコイア……」
普段は森の外縁や村の中から見える巨木──
高さ二百フートル(およそ百メートル)にもなろうかという大木は、下から見上げると天辺はほとんど見通せなかった。それでもどっしりとしたその威容は、森の木々の代表格の貫禄を感じさせる。
(だいぶ……奥まで来てたんだな……)
今まで来たことはなかったが、見知った森のシンボルを目にしたことで、シルラジネルはいくぶん不安が和らいだ気がした。
森の深部でありながら、意外なほど根上がりもない平坦な地面に聳え立つ大セコイアの周辺には、それ以外にも他のセコイアやイチイの木が散立しており、月光による長い影を落としている。
樹間は比較的空いているのだが、いかんせん一本一本の木がみな非常に大きい。そのため明るい場所より影の部分の方が圧倒的に多く、どの木も根元のあたりには暗闇がわだかまっている。
シルラジネルは影の中をそろりそろりと進み、大セコイアの傍に寄った。
近くまで寄ってみると、それはもう“木”というより、屹立する巨大な壁のようだった。ゆるやかにカーブして続く樹皮面は、数フートル先の闇にまぎれて見渡せないほどだ。
樹皮面にそっと手を伸ばし、シルラジネルは森の主とも言うべき巨木によりかかった。
揺るぎなく、堂々とそこに在る力強い生に、かすかに憧憬と羨望の念を覚え、身体を預け、額を押し付ける。
(……こんなところで、こうしていても仕方ない……でも……)
(……帰らないと……でも……)
(……でも……)
思考は巡る。同じ言葉で、ぐるぐると。
動けない。動きたくない。
寄りかかった木に、救いを求めるようにしがみつく。
──怖い。
──何が?
──仲間外れにされること?
──自分が他者と違うのを突きつけられること?
──つまり、それは……
(──変わってしまう……何もかも……?)
変化への恐れ。
今までの暮らし。今までの交流。今までの自分。
当たり前であったものの喪失と、否応なく迫り来る全く不明の未来。
どこに身を置き、いかに言葉を交わし、何をすればいいのか。
(どうすれば……いいんだよ……ッ)
鼻をすすり、木の幹を拳で叩く。
一度、二度、手が痛むのも構わずに。
もちろん、大セコイアはその程度の殴打には小揺るぎもしない。変わらずに、ただシルラジネルの感情の吐露を受け止める。
ほどなく、シルラジネルは力なく拳を下ろした。
ここまで走ってきた疲れ、感情に任せて幹を叩いた手の痛み、そして、それらが何も解決することはないと知るゆえの徒労感と無力感により。
その場にしゃがみ込み、改めてセコイアの幹に手をつく。
(……?)
なだらかな壁のように感じられた樹皮面に、わずかな違和感を感じた。
右手を伸ばして幹の表面を探ると、その先に大きなうろのような窪みが存在する。
腰より下の暗がりとはいえ、すぐそばにそんな窪みがあることに気付けなかったことに、シルラジネルは軽く驚きを覚えた。
ぼんやりと手でその窪みを探ってみると、それは思いのほか深く穿たれた空間になっており、屈めた身体ぐらいすっぽり収まるほどで……
(疲れたな……)
深く考えることもなく、シルラジネルはうろの中へ潜り込んだ。
外よりもなお深い暗がりへ。自分の存在を隠すかのように。
うろの中は乾いており、狭いながらも居心地は悪くない。
思ったよりも深い洞の壁面に、しゃがみ込んで背を預け、膝を抱え込む。
(少しだけ……休んで……)
──休んで、それからどうする?
何も、考えが浮かばない。そもそも、考えることすら厭わしい。
膝の上に顔を伏せ、シルラジネルは重いため息をついた。
闇に沈み、周囲の音も視界も意識から締め出し、ただ鬱々と塞ぎこむ。
それゆえに──
うろの奥、ほんの一フートル(約五十センチ)ほど離れた闇の奥から、じっとシルラジネルを見つめる一組の眼があることに、まったく気付けないでいた。
〇いいわけ──後出し御免
一般に、ドロウ・エルフといえば、悪っぽい印象の陰の種族でした。
いわゆる、ダーク・エルフというやつですね。最近では褐色肌に白髪で、必ずしも悪役って限らない、格好いい系の種族。性格はわりと不器用。
──なんですが、この世界のドロウ・エルフは、あんまり他種族と変わりません。肌の色こそ褐色寄りですが、髪色は黒とか茶色とか、そんな感じです。白髪は……いないことはないですが、老人以外では珍しい部類ですね。
耳の長さはほどほどです。ちょっと先がとんがってて、耳たぶが無い、という特徴はありますが、ぴこぴこ動いて感情表現できたりはしません。
物語の出だしからしばらく、あえて「この話、ドロウ──ダークエルフである意味ある?」という感じで語ってきました。できるだけ特別感もなく、のんびりめの村の様子という感じで。
本編中で触れず、今になって後書きでこんなことを開陳するのは……最初の話なので、世界の設定よりも空気感を優先したかったんです。
ドロウ・エルフも、あくまでこの世界の、普通の住人です。
…………ま、いいわけですね、やっぱり。
次回の投稿は、8月1日の予定です。




