1 軒先のやりとり、おぼろな壁
初夏のオルテ村の日差しは、山間とはいえ開けた立地に置かれているだけあって、不用意に見上げた目を灼くほど強く照りつける。
薄暗い室内から外へ出たシルラジネルは、そのあまりの明るさの違いに目をしばたたかせ、眉間に皺を寄せた。朝食ののち、リビングと土間の掃除を済ませて自室に戻ろうとしたところで、こちらも台所とダイニングを片付け終わった母に、寝具の日干しをするように申し渡されたのだ。
そろそろ暑くなろうかというこの時期、あまりに日差しが強い中、寝具を長時間日光にさらし続けるのは、夜の寝苦しさを考えると避けたいところではある。とは言え、乾燥させ「おひさまの匂い」がする寝床の維持は、日々の生活の疲れを癒すためには必須事項である、と一人息子に強弁する母親への異論は──とりあえずは、ない。
手間ではあっても、気持ちのいい睡眠のために──シルラジネルは軒先に、寝具用の干し台を組んで立たせ、家族の寝具を取りに再び屋内に戻った。
父、母、自分と、順番に運び出した寝具を干し台に架けた竿へ掛け、落ちないように留め輪を咬ませる。だいぶ背も伸びたとはいえ十歳を過ぎたばかりのシルラジネルには、高い干し台に家族全員の寝具を置くのはひと苦労で、それほど時間がかかったわけでもないが、終わったころにはうっすらと汗ばんでいた。
シルラジネルに干し物の指示を出したあと、母親は仕事場で完成間近の織物の製作にとりかかっていた。人口数百人という規模のドロウ・エルフのこの村において、織物自体は冬場の手仕事として各家庭で行われていたが、母親の織物は商材として通用する出来で、街道筋のキダイ村の市からケルメスバ市、さらにはエンティルマベタにまで売れる村の自慢の逸品だった。
施工職人の父親は朝食ののちにすぐに出かけて、こちらも終わりの見えてきたキダイ村との間の道の簡易舗装を行っている。さして広い道ではないとはいえ、路幅を確保して舗装資材を敷き詰めるのは重労働なようで、仕事から帰ってくるとぐったりと長椅子にもたれて、呻き声まじりの嘆息を漏らしているのが最近の常態になっている。そのままうっかり夕食間際まで居眠りして母親に叱られる、という流れも含めて。
両親の仕事ぶりを見て育ったシルラジネルは、気持ちのいい睡眠は生活に必須であることを刷り込まれていた。だから、家族の寝具を干すことに文句も不満もない。
ただ、干し終わったからといってそのまま放り出して遊びに行ってしまうなど、長時間放置するわけにもいかない。これから夏にかけては、干し過ぎて熱の残った寝具では寝苦しくなってしまうし、最悪の場合、突然の雨にさらされてしまったりすると、その夜の睡眠は悲惨なことになる。
だから午前中、遅くとも昼前には寝具は取り込んでおかねばならない。ゆえに、その間のシルラジネルは、手空きではあっても暇ではなかった。
母が製作中の仕事がなく素材の準備をしている期間ぐらいまでは、この作業もたいていは母親が(ときには、仕事が休みの日の父親が)やってくれるので、家事が終わった後の午前中は掛け値なしの自由時間なのだが、少なくとも今日は制限付きの手空き時間である。さて、どうしよう……と寸刻思案したのち、シルラジネルは先日から手を掛けているリフ・ボール用のラケットの仕上げをすることに決めた。
日差しを避けて、軒下に丸椅子を置き、だいぶ“それっぽい”形になった板材を、持ち手の握り具合を確かめながら削ってゆく。リフ・ボールのラケットには特に決まった形などはないが、それでも振り回しやすく、飛んでくるボールを捉えやすいように。それでいて、削り過ぎで折れやすくなってしまわないように注意して、少しずつ形を整える。じっさい、すでにこれまで自作のラケットを2本駄目にしてしまっている。
そもそもこの村で──というより、この国でリフ・ボールにラケットを使う者の方が少数派だろう。
ルールに抵触するわけではないし、中には賞賛されるほどの巧みな使い手もいるので、ラケットを使うこと自体は卑下するようなことではないのだが……。
シルラジネルは手を止めて、ほとんど完成したラケットとナイフを脇に置き、自分の両手のてのひらを見下ろした。それから、空を見上げ、庭先の木々に視線を向け、木立の奥に何かを探すように目をこらし、ゆっくりとそちらへ両手のひらを向けた。
とくだん、何か鳥や動物などがいるわけでもない。絵画のように動かない風景をにらみつけて、シルラジネルは自分のてのひらの先に意識をこらす。そのまま数十秒、息を詰め、眉をしかめ、ただただ真正面の手の先に意識を集中し、そして──
「おーい、ラジーいるかー?」
横合いから大きな声で呼びかけられて集中は破れた。シルラジネルはそれと同時に目の前の空間が砕けたような気がしたが、それがただの錯覚であることは彼自身がいちばんよくわかっていた。
目をつぶって嘆息し、腕を下ろしたところで、先ほど呼びかけてきた声の主が、家の脇からひょっこりと顔を出した。
「お、いるじゃん。返事しろってー」
軽い調子でかけられた文句に、少しだけ恨めしそうな視線を向けてシルラジネルは応えた。
「早くないか、ペナン?」
「んなこたないだろ。もうそろそろ“緑”の“花”の時分になるぜ」(※およそ午前十一時ごろ)
あっけらかんと答えるペナンジールの言葉にシルラジネルは少しだけ目を見開き、確認するように太陽を見上げた。気づかぬ間に太陽はだいぶ中天高くに昇っており、気温も実感できるほどに高くなってきていた。
「だいぶ集中してた感じか? そのラケットだろ、見せろよ」
ニカっと笑って覗き込んでくる悪友に、「ん」と短く唸ってシルラジネルは自作のラケットを差し出した。ペナンジールはそれをひょい、と受け取ると、横にしたり裏返したり、打面を水平にして表面に指を走らせたりと、じっくりと検分していった。
「これ、まっ平らじゃないな。なんか反って……てか、凹んでね?」
「うん、コントロールしやすくならないかと思って」
「へー」
少し首を傾げながら、ペナンジールは確かめるようにラケットの湾曲部分に指を這わせると、渡されたときと同じように「ん」と短く促して遊び友達にラケットを返した。
「割れやすくなったりしねーの?」
「そこは使ってみないと何とも……まぁ、決まった形があるわけでもないし、駄目なら改良するさ」
「イイね、知恵と工夫と根性で勝利を目指すのはアツいよな」
「……しれっと余計なモノ混ぜたな?」
「いいじゃん、大事だろ、根性」
「否定はしない。けど、ソレが余計なモノだっていう自覚はあるんだな」
苦笑しつつ、シルラジネルはナイフを仕舞い、ラケットの削りカスを片付けにかかる。
「で、こんな早い時間にウチに来てるってことは、教練所はサボったのか?」
「早くねーしサボってもねーから。書き取りと計算で合格もらったから──」
「基礎の座学、終わったんだな、やっと……」
「おー。これで心おきなく遊べるぜ」
「やっぱり基礎以外はやらないのか……あと、作成実技とか、遊びじゃないだろ」
「机に向かって字とか計算とかにアタマ使うのに比べたらなー」
そう言って耳をかき、何かを思い出したのかにやりと笑って、ペナンジールはシルラジネルの背中をばんばん叩いた。
「──って、なんだよ!」
「午後の実技練習、来るだろ? おれが座学終わったんだから、今度はラジーの“発現”を終わらせねーとな」
「……そんな簡単に出来たら、苦労ないだろ」
シルラジネルの返しに、わずかに苦いものが混じったが、ペナンジールはお構いなしにその背中を叩き続ける。だが、その勢いは心なしかやわらいだ。
「バカのおれでも座学が終わるんだから、アタマいーお前が出来ないこたねーだろ?」
「なんだその理屈……そもそも頭の良し悪しは関係──」
「いいから、さっさと片付けて食堂行こうぜー。おれ、もー腹ペコだぜー」
「だから早いって! だいたい、まだ食堂だって仕込み中だろ。おばさんにどやされるぞ」
「母ちゃん? へーきへーき。いつものことだし」
その「いつものこと」が、ペナンジールが腹を空かせていることなのか、準備中もおかまいなしに食堂に突撃することなのか、はたまた自由奔放な息子に対して母親が雷を落とすことなのか、シルラジネルは一瞬思案を巡らしかけたが、すぐに思考を放棄した。きっとどれもいつものことだ。
強引に背中を押して自分を連れ出そうとするペナンジールに、シルラジネルは嘆息しつつ「わかったから」と答えながら向き直った。
「行くけど、その前に布団を取り込んで、母さんに軽食を用意してから、な」
「ん? ああ、おばさん作業中か」
ペナンジールは納得顔で、シルラジネルの背中から手を放して、そのまま頭の後ろで組んだ。
「メシの支度は、ぜんぶラジーの当番か?」
「毎日ってわけじゃない。ただ今は母さんの仕事が追い込みだから、たぶん食べること自体意識してないと思う。でも、お腹が空かないわけじゃないから、簡単につまめるものを仕事場に差し入れとく」
「集中してると周りが見えなくなるとこはラジーと一緒だな。似たもの親子ってヤツか?」
「似たもの……」
シルラジネルは、こだわりは強いくせにがさつな普段の母の姿を脳裏に浮かべて、無意識に渋面になった。母は面倒見はいいので仕事仲間には慕われているが、家事のいい加減さを知っている身としては、似ていると言われてもあまり嬉しくない。
「手伝ってやるから、さっさと済ませて行こうぜー。ラジーの布団コレか?」
むっつりと布団の取り込み作業を進めるシルラジネルの横から、略奪するかのような勢いでペナンジールが布団を竿から引きずり下ろす。「ちょ、ちゃんと畳んで──」と言いかけたシルラジネルにもおかまいなしに「ひゃっはー!」と、謎のテンションで家の中、シルラジネルの寝室へと駆け込んでいく。
止めようのない勢いに嘆息し、シルラジネル自身はまず母親の布団を担ぎ、寝室へ持ち込んで寝台に敷いた。
「おー、すげー! ふかふかー!」
「他人の布団でなにやってんだよ! ったく……」
自室から聞こえてきたペナンジールのはしゃぎ声に呆れつつ、シルラジネルは続けて父親の布団も取り込み、寝台に運んで敷き、最後に干し台を軒下に片づけた。
それから台所に移動して、母親の昼食用になりそうなものを吟味する。作り置きのパン類もほとんど無いので、後のことも考えて簡単なロティ・ブレッドを多めに焼くことにする。
細挽きの全粒粉に水と塩を加えて練り、ぶら下げてあったノイバラのドライフラワーから実を取って、
砕いて生地に練りこんでゆく。赤みがかったやや固めの生地が、ダマがなくなるまで十分に練り上がったところで、魔熱コンロの起動スイッチに右手を掛けた。
かちん、という小気味よい音とともに、コンロ上面の発熱板に赤い灯がともる。それを確認して目の前の壁に掛けてあったフライパンを左手で取り上げて発熱板に載せ、続けて陶器の皿をコンロのそばに置く。右手はスイッチに掛けたまま、フライパンを熱し続ける。
フライパンが充分に温まったところで、陶器の皿に打ち粉用の全粒粉を少しだけ出し、練り上げたロティの生地をちぎって平たく延ばし、表面に軽く粉をはたいて積み上げる。そうやって全ての生地を成形すると、シルラジネルは再び右手をコンロのスイッチに置いた。
やや小さめに成形されたロティをフライパンに三枚並べ、作り置きすることを意識して、気持ち硬めに焼き上げる。小さいぶん火の通りは早いので、焼き色がついたところで次々とひっくり返し、焼きあがったものから順にフライパンから引き上げ、そしてまた新しい生地を並べ──ほどなく、二十枚近いロティが皿の上に積み上がった。
最後の一枚をフライパンの余熱で焼きしめながら、シルラジネルはキッチンの片付けにかかった。母親への差し入れ用のロティを皿に取り分け、残りは麻布をかけて棚の上に上げておく。
そこへ、鼻をひくつかせて、ペナンジールが入ってきた。
「おー……食いもんの匂い……たまんねー」
「……そうくると思って一枚とっといた。というか、腹が減った騒ぎをしてたくせに、何やってたんだよ」
そう言って差し出されたフライパンから、ペナンジールはたちまちロティをつまみ上げ、一口で丸ごと口の中に放り込むと、もっしゃもっしゃと咀嚼しはじめた。
「ふっ、はひひっ……ぅあー、あうぃーおぅおー、うぃ、ふぃ、ふぇっほ──」
「食いながら喋ろうとするな! ったく……」
シルラジネルは呆れながらも、甕からカップに水を汲み、ペナンジールに突き出した。ペナンジールはそれを受け取り、口いっぱいに頬張ったロティを飲み下し、カップの水をあおると「ふいー」と息をついた。
「いやー、ラジーの布団がふかふかで気持ちよくて、うっかり意識が飛んじまった」
「ひとをせっついといて、本当に何やってんだよ、もう……ほら、行くぞ」
母親への差し入れの皿を両手で持って、シルラジネルは母屋から母親のいる織物工房へ向かう。ペナンジールもそのあとに続き、両手の塞がっているシルラジネルに代わってドアを閉じた。
織物工房はシルラジネルの家族の持ち物件ではなく、村の共同作業場だ。織られた品々を保管している倉庫でもあり、他所から買い付けに客が来る商談の場としても使われる。
採集と並んで村の主産業でもあるため、工房はそこそこ大きく、村の中心近くに置かれている。シルラジネルの家からはすぐ近くだが、屋根続きというわけではなく、ノイバラとブラックベリーの生垣に隔てられている。
二人は並んで生垣を回り込み、工房の出入り口に足を向けた。そのとき、二人の接近に驚いたのか、近くの木からオナガドリが飛び立った。
突然の羽音にシルラジネルは首をすくめた。だが、ペナンジールの方は半歩前に出て、さっと左手を振った。
「おっと」
不意にシルラジネルの眼前に現れた半透明の四角い板に、オナガドリの置き土産がべったりとへばりついていた。
シルラジネルが目の前で起こったことを認識するより早く、ペナンジールが展開したその障壁は、しゃらん、という音とともに崩壊した。まとわりついたオナガドリの糞とともに落下するその残骸が、自分と手に持った皿にかかる寸前で、どうにかシルラジネルは身体を捻って避ける。
「うわっ!」
「おー、あぶねー。間一髪だな」
「あー……うん、助かった」
ぼそぼそと礼の言葉を呟きつつ、シルラジネルは足元に落ちた鳥の糞を見下ろした。それから一つため息をつくと飛び去った鳥の方へ視線を上げたが、もう姿が見えなくなっている鳥を探すわけでもなく、ぼうっとしたふうに遠い目を向ける。
「……僕も早く《障壁》出せるようにならないとな」
むっつりと発せられたその決意に、ペナンジールは「おー、がんばれ」と軽い調子で返した。
自分の言葉を噛み締めるかのように、シルラジネルは無言でその場に立ちすくんでいたが、ペナンジールが軽く背中を押すのに促され、すぐに気を取り直して、工房の出入り口をくぐった。
まばゆい太陽は、ほぼ中天に昇っていた。
〇 いいわけ──なんでこーなった?
はじめまして、これが初投稿作品です。
投稿の仕方も形式も手探りで、かなりおっかなびっくり進めてます。
自分で気づけない部分も多いと思うので「おかしくね?」という部分は、形式・内容問わず指摘していただければ幸いです……ライフ0にならないといいなぁ……
ひとまず、このお話はラストまで決まってますので、環境的、身体的問題さえなければエタることはないはずです。
ただ、だからといって順調に執筆できているということもなく……
本文中、布団干しを終えたラジーに何かさせようか、とか思ったら、なんかラケットとか作り始め……いや君、ラケットって何よ? そんなもの当初プロットに存在しないんだけど?
話の流れ上、なんか魔法の練習に使うのか? ってなことで「リフ・ボール」とかいう競技がでっち上げられ……え、これ描写すんの? ってことで予定外のシーンが3つほど生えてきて……いや、なにしてくれとんねん。
なので、本当はもっとずっと短い話の予定だったんですが……なんでこーなった。
と、とにかく、頑張ります。
……あんまり変な電波、飛んでくんなよー?(びくびく)
次回投稿は4月16日の予定です。




