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自分史  作者: 暮葉畏啓
浪利根社
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95/96

自己ログ倉庫95 「政治と物語と謙虚さについて」

【1】


2026年8月17日月曜日、午後9時26分、兵庫県某所にて。えっとね、あの、僕は別に靖国に参拝するかどうかとか、そういったことに対して肯定も否定もしてないんですよね。で、ま、傍から見て、まあ、好きにやってくださいっていうスタンスで僕は今まで創作をし続けてきてるんですよね。で、その創作者だから思想っていうのを自らが語り出すと、作品のキャラクターに悪影響があるからそういうこと喋っていないっていうわけではなくて、そもそも僕のスタンスとして創作者をやってるかどうか関係なく、あまり気になってないんですね。で、なんでなのかというと、靖国云々の話っていうのは、僕が定義している政治の問題の管轄外の話なんですよね。で、僕は政治をどう定義しているかというと、まず国を支える、国を成長させるか維持するか、その他諸々すごい合理的で機械的な行い、中身の運用の話、それが政治だと僕は思ってるんですね。で、その政治家っていうのは僕が想定しているその政治を実際に行う人ではなくて、前面に立っていて、その中で起きている行程を遂行するために必要な顔を見せる役みたいな感じだと僕は思ってますね。で、えっと実際に僕の想定内でも想定では、誰が政治、僕の言う政治を動かしているのかというと、官僚とか、そもそも国と提携している民間の企業とか、そもそも普通の民間人が、こう関税とか税関で働いてて、そこでやってるとか、公務員とか、そういう基本的にいろんな人が行ってるんだけれども、その中で国のお金の流れとかを調整しているのは、まあ省庁、官僚とかだろうなというふうに僕は勝手に考えてるんです。で、その定義の中でいくと、靖国に参拝するかどうかっていうのは、すごい管轄外、別問題だっていうふうに多分思うと思うんですよ。僕の身内でなんかこう、赤い文字で靖国参拝、元内閣総理大臣、喧嘩について語るとか、なんかそういう感じのね、あの動画を見る人がいたりするんですよね。で、僕はそれに対してもし感想とか意見を聞かれるのであれば、こう答えます。実際にその国、そういった個人の思想とかを叫ぶあまり、本当にやるべきである国の機能の衰退とかを起こしてしまうのであったら、それはダメですよねと。逆に本来自分がすべき、自分がというか彼らがすべき国の維持とか、国の成長とか、そういったものができているのであれば、それ以上は彼らの自由じゃないのかなというふうに僕は思っています。で、ある人がこういう発言をして、それに対しある人が批判すると。その批判に対して、それは不当であるというふうに反応しかやすみたいなものは、ただのじゃれ合いであって、そこにそのなんだろうな、批判するのはダメだとか、そもそも思想を持つことがダメだとか、そういうふうには思わないんですよね、僕は。別に思想を持つことは当たり前だし、人っていうのはそれぞれ違う価値観で生きている。それがなぜかというと、今まで生きてきた過程が違うし、性格も違うから。そのある物事、同じ物事に対してどういった感想もつくの違うと。で、その上で同じ議論、物事について話すのであれば、やっぱりニュアンスの差異があるから、それぞれ。どこかでこう意見の相違っていうのが生まれると。それがあるから、肯定も否定も生まれるし、でその肯定している側も否定している側も彼らの中では正しいと思ってて、本当にね。で、価値観とかいうのってそんな180度変わったりしないので。はい。で、まあその安くどうかとかいう話に関しては、あの思想なんですけど、なんかそれをこう、SNSでも動画投稿サイトでも、こうまとめて、それをこう動画として再生回数稼いでる動画ってあるじゃないですか。で、それを本気にするのは、また別の問題が生じてきて、思想っていうのは、一種のエンタメなんですよね。エンタメではなかったとしても、自分の人生を豊かにするもの、社会を豊かにするものっていうのが求められてくるはずなんですよね。で、政治の内容への思想っていうのは結構シビアで、僕らがアニメに対して、なんかこう、こういう感想を持つ。例えば、このキャラクターのこの言葉は、彼女の人生の不幸を表しているのではないか。いや、それは違うんだ。この言葉はただただ自分が反省するために言った言葉であって、後悔の意図はないんだ、みたいな。で、そこへの考え方の違い、思想の違いって、別にそこまで大きなものに発展しないじゃないですか。大体はしないんですよ。危険性は低いんですよね。本気にカッとなって、それでなんかこう事件を起こしてしまう人もいるんですけど、危険性はとにかく低いんです。でも政治の場合、その、それを信じる、その思想を持つことによって、自分への正義感というものを芽生え始めちゃうんですね。正しいっていう。で、その生活に直結しているというふうな思い込みがあるから。で、かつ、なんか、相手の思想が間違っているというような思想を持たせるというフィールドになっているので、結構議論系なんですね。もともとは議論だから。アニメとかの完全な物語っていうのは、そこまで議論でバチバチ、議論対意見がぶつかっているわけではないので、あれなんですけど、政治は使っているので、それでその反対意見の人に対して、結構敵視する人が多くなったりするんですね。だから、アニメとかに比べると、やっぱりその思想の対決、ぶつかり合いからエスカレードして事件に発展する可能性は高いし、人間関係は悪化しやすくなるっていうところがあるので、なので、その政治関係に関しては慎重に、なんか口を開いた方がいいのかなっていうふうな意見はありました。で、ヤスクニとかいうところに関しては、僕はもうあれは物語だというふうに解釈してるんですよね。あれに対してなんか自分の思想を持つ。で、その思想っていうのを、その政治の中での思想っていうふうな場所に位置づけてしまうと、やっぱりその相手の議論が間違っているとか、間違ってれば正しいかっていうふうな一点、結論を出したがるんですよ。それは政治の場所の思想であるから、意見であるからっていう前提がなんか僕たちの中にあるからなんですね。で、安くに行くかどうかっていうのも、なんか僕たちの中では、あ、政治的な問題かっていうふうになって、答えを出そうとするんですよ。で、その過程において反対意見がちょっと大きくぶつかってしまう。で、どんどんその意見の差による壁とか断層がこうどんどん大きくなっていって、で、いつか、本当にその事件が起きると。なんですけど、僕は政治の意見ではなくて、一種の物語なんだっていうふうに僕は捉えてるんですよね。で、その何が変わるのかというと、物語の意見っていうのは、別に間違っていても合っててもいいんですよ。国語の読書感想文とかで、違う感想を書いてても別に何も言われないじゃないですか。そういう感じだと思ってもらえたら楽なんですけど。その靖国に行くかどうかって、別にどうでもなくて、で、その動画をなんか身口が見てるのを傍から見たんですけど、なんかすごい神妙そうな顔をして、なんかその、なんか我々日本人の心である靖国神社みたいな感じで、なんかすごい、なんだろうな、背景を、不確かな背景、感情を動かせるような背景を、左化させて、妄想させて膨らまして、なんかそれでこう語っている、神妙そうに語っているっていうのがすごい目立って見えたんですけど、別にそういうもんじゃないじゃないですか。そう、なんだろうな。物語なんですよね、もはや。本当に。なんだろうな、やっぱ人っていうのは物語大好きなんですよね。惹かれるから。で、なんかある種その中で、物語って、その中で正しさみたいな、あれじゃないですか。合理性っていうんですけど。ずっと勉強が苦手で、でもなんか勉強得意な人に会って、でその人に憧れて頑張りましたっていう人に対しては、勉強するということは正しいっていうふうな価値観がその人にあるから、そのキャラクターにね。だから、正しさというのがそこで保証されるじゃないですか。彼女の頭の中という点においては、勉強は正しいよって。でも現実ってそういうものじゃなくて複雑だから、立ってこう勉強することが正しいのかっていうふうに言われたら、いろんな価値観を持つ人たちが、いろんな正しそうな彼らの中で正しいことを言ってしまうんですよ。でも物語っていうのは制限されてるんで、そのキャラクターが。だから一部のそのキャラクターの純粋な正しいものを1個取り出して語れるんで、わかりやすいし、見やすいっていう。逆にさらに感情移入しやすいっていうね。だからその物語っていうのを人は好きなんですけども、靖国神社、あれに関してはもはや物語なんですよね。でもその物語を政治利用してるから、物語でありつつ政治の意見でもあるっていうと、対立構造を生みやすいんですよね、さらに。しかも感情移入させやすいから。結構たちが悪いっていうふうに僕は捉えてますね。だから靖国に行くかどうかって別にその、実際になんかなんだろうな、いろんなこう意見とかありますけど、好きにすればいいんですよ。で、なんかその好きにできない問題なんだというのをよく言うんですけど。なんて言ったらいいんでしょう、複雑に絡まっているのはわかるんですよ。ただ僕が特に言ってるのは、そのYouTubeとか、なんかのニュースとかでその、かなり断片的にピックアップしたなんか情報っていうもので、そういった内容の情報っていうのは、結構よくないから。実際の内容、その内容としては別に、なんか確かに重要なのかなと思ったりするんですけど、それを切り取る部分が良くないのかなというふうに僕は思ってますね。だから僕たちが供給されるものって、すべてその記事とかを媒介にして通ってるから、さらに言えば僕たちは、政治関係のところに首を突っ込もうとしても多分、本当にそのなんだろうな、議事録とかを漁らない限り、多分有用なもの何も得られないんじゃないかなっていう。だからその政治関係のやつを普通にエンタメとか物語、アニメを見るみたいな感じで、楽しめる人だったんだったらいいと思うけど、それでなんかこう自分の思想を持って、で、それ以外の思想が正義ではないっていうふうに思って、なんかこういろいろ言っちゃったりするっていうのにはならないほうがいいのかなというふうに僕は思ってますね。



【2】

僕物語ってのは架空の物語、フィクションみたいな感じで捉えたから、そういった感想になるのかなっていうふうに僕は思ったんですよ。なんか、確かに神社にはちゃんと現実のなんか機能もあるみたいなことを急に出されたんですけど、そういう意味じゃないっていうのは多分わからなかったのかなっていうふうに僕はちょっと疑問に思ったんですよね、今の文章を読んで。物語っていうのが、その架空のもので、存在しないものだし、実在なんだよっていうふうな例として使ってるのではなくて、文章を読んでたらわかると思いますけど、人の感情をかき立てるようなもの。で、なおかつ、そこまで非合流性がない、狭い部分をくり抜いて説明した物語っていうふうな考え方かな。うん。無数の答えが存在する中で、ある種の展開という、狭めた要素を使って、最後に出す答えっていうのをほぼ一つにしてるっていうのが物語。例えば、1たす5は何ですかって言ったときに、数学のペーパーが、数学のテストとして、その問題に1たす5なんですかって書いてたら、まあ6ですよねと。国語の授業で、ちょっとレクリエーションみたいな感じの話で、1たす5は何ですか?答えたら、なんか教卓にあるカラーボードあげますよみたいなときだったら、6ではなくて多分短毛とかなんだろうなみたいな。もしくは1号なのかなとか。そういうふうに、本来はいろんな答えがあるんだけれども、その状況、その展開に応じてある程度答えが一つになるよねっていう。で、そういった事象が存在していて、それをそのまま利用しているのがアニメなんです。まあアニメというか物語全体なんですね。だからその、今回の話、1たす5は15ですっていうのは、フィクションであるっていうわけではなくて、それは物語の一種なんですよというふうに僕は言ってるので。だから僕は物語っていうのはどういう意味で言ってるのかっていうのは、今回の、今の説明でちゃんとわかったと思います。はい。っていうのを踏まえて僕はずっと言ってたんですけど、ちょっとわかりづらかったかな。はい。




【3】有料級


僕はそういうふうな前提でそういう政治問題を見てしまうから、興味が湧かないんですよね。なんか、物語にしてはアニメより面白くもないし、重いキャラクもいないし、かわいい女の子もいないし、水機関もないし、百合もないし、なんかおっさんが老人ホームみたいな古びた場所で、なんかバリ雑言とひしめき合ってるみたいな。なんか、曇天の空の下、自らの歪んだ政治観をぶつけ合ってる。なんかそんな感じに見えてしまうんですよね。あ、これ僕のただの個人の感想なんで、はい。 だからまあ、僕が今回言いたいなと思ったのは、君がさっき言ったように、ある種っていうか、これ物語っていうのが、もう政治とかアニメとか以外にもめちゃくちゃあるんですよ。多分僕は人間が結構補完するタイプの脳を持ってるから、多分基本的にすべてのことにおいてなんですけど。 まあ、世界っていうのはすごい複雑怪奇で、なんかどっかの風車がこうチリって回るだけで、どっかで地震が起きる、それが実は関係してるんだみたいな。なんかそんなことわざがどっかであったと思いますけど。 あの、そんな感じで、何が関係してるかわからないし、その関係性をすべてたどろうと思うと、最終的に原子の動きとかを予知するようなものになって。で、まあ、コロイド溶液とかでブラウン運動が見られるとかいうのあるじゃないですか。あれ、不規則な運動なんですけど、その不規則な運動と定義されている不規則というものを、実は規則性があるんじゃないかっていうふうに思って読み取っていく。で、今解剖したとして、それでこう原子の動きをリアルタイムに予測して、それでなんか、原子から集まる分子、分子から集まる物体みたいなものの動きを予測するみたいなことをしたいのであればしてもいいんですけど、じゃあそれをする際に、なんか目に見えない太陽のフレアとか、なんかすごいそういう紫外線とかいうのを考えないといけないから、そもそも人間がまだ発見できてないものたくさんあるから、無理なんですけど。 だから僕何が言いたいかって言ったら、その何が関係してるかをすべて完璧に解剖することっていうのは、人には無理なんですよ。もしかしたらプログラムした側の人間だったらわかるかもしれないけど、そもそも三次元に生きてる僕らが、四次元以上の空間を見ることができないので、仕方がないんですよねっていうところ。はい。で、AIって多分二次元だから、三次元のもの見れないんじゃないの?どうなの?奥行き感じないよな。そこでもやっぱ次元の差っていうのは存在してるんだなっていうふうに。二次元でもないか、一次元なのかな。まあそれは後ででいいか。 さっきも今もずっと言ってるように、その完全な情報を僕らが支配することはできないんだから、ある種その決められた定義の中で決められた考えをこう進めていって、答えをそれらしい答えを出すっていうふうなことしかできないんですよね。だからそこになんだろう、その筋道を通ったという観点においては正しいんですけど、絶対的な真理っていうのは誰も保証してくれないよっていう。 正しいものは存在しないんだっていう言葉が正しいのであったら、じゃあそれは矛盾してるじゃないか、正しく存在しないのであれば、この内容自体が正しいから矛盾してるじゃないかってなっちゃうんですけど、まず矛盾してるからっていうので両立を考えていないといってダメだし、そういうなんだろうな、イエスノー論でいくとやっぱり意味がないよねっていう話。で、もうそれを結構本気でしてしまうっていうのが生物である人間の限界だから。だからまあその人間独自の脳をして、その人間である以上、完全に正しい答えはないし、僕らが思ってる考え方なんて本当にすごい限定的で、正しいと思っていても、どこかで取り逃しているし、僕らって自分に不利な情報っていうのを自分から得ようとしないから、さらにひどくなるんですよね。っていう状況を理解、情報、状態を理解した上で、政治問題について言及する人と、そういうのをあんま考えずに政治問題を深く、政治問題という問題を深く掘って説明することでは、やっぱり話のスタンスが違うんじゃないかなっていうふうに僕は勝手に思ってたりもするんですよね。偏見ですけどね。 僕はもうなんか何十年も前から、何十年もっていうか、僕まだ17歳なんですけど、謙虚っていう言葉をずっと僕は言ってて、ずっとっていうか2,3年前か、自分史っていう作品を出し始めてから多分ほぼずっと言ってるんですけど、基本的人間っていうのは、嫌がられるときっていうのは、自分の思想をぶつけたときとか、すごい限定的な例になりましたけど。 あの、自分を見せることは割といいんですけど、他の人たちも自我を持ってるから、なんだろう、自分を見せすぎると、他に自我を持ってる人からしたらしつこくなるんですよね。みんなどっかで自分を主体で考える、それはまあそれ当たり前なんですけど。っていう前提があるんで、ある程度あんまり自社ばらないほうがいいよねっていうのと、あとはなんだろうな、自社ばることへの危険性っていうのはかなりあるんで、だから僕謙虚でいこうというふうに思いますよね。サブカルとかの界隈で結構なんかある物事について詳しい人とかが、テレビとか動画に出てるときも、やっぱりみんな腰が低いんですよね。で、これも僕のすごい偏見なんですよ。サブカルがちょっと僕は興味があるからっていうので、それをわざわざ例に出してるっていう、まあ偏向報道なんですけど。なんで彼らは腰回りが低いのかなって思ったときに、単にその腰が痛いとか、なんか足がそこまで筋肉が萎縮してしまってうまく立てないとそういうわけじゃなくて、その彼らってサブカルってすごいそのニッチな情報とかがあって、めっちゃ詳しい人でも、例えばオタキングって言われてるあのそのおじさんがいるんですけど、でもじゃあ、魔法少女リリカルなのはに対して、その魔法少女リリカルなのはの初代の第5話について、どれくらい語れますかって言ったら、多分僕より語れないですよね。それ当たり前じゃないですか。ニッチな情報だと無理じゃないですか。っていうのでサブカル界隈っていうのは結構それについてよく知ってるというか、サブカル界隈ってそのサブカルという大きなカルチャーの中で、結構密接に繋がってて距離が近いんで、界隈同士、中の界隈同士が。だからその人体解剖の知識が詳しいけど、ミリタリー系全然知らないんですっていうのが結構共存してて、さらにその人体解剖の中でも、国内の人体解剖の記録とか事件とかの章章を集めてる人とか、海外のアメリカとかのそういうのを調べ人に比べると、やっぱりアメリカについて調べてる人の方が、アメリカのそういったものに対して詳しいじゃないですか。サブカルってある程度その界隈同士で結構仲が良いというか、密接に繋がってるんで、自分が知らない部分ってのは結構顕著に見えたりするんですよね。だからその、僕はここについて詳しいけど、もっと詳しい人もいるし、僕が全然知らないところもあるんですよっていうところから腰が低いのかなっていう。割とサブカル系って知識を好むというか、そういったなんか前提があるのかなっていうふうに僕が勝手に思ってるんで、余計にそういうふうに見えるのかもしれませんね。はい。サブカルに限っての話じゃないですけど。で、僕のその謙虚になろうっていう言葉の背景も基本的にそれと似たようなもので、まあ最初に話したことと繋げるとするならば、まあその自分の意見というのが世界全般に通ずる正しい意見ってわけではないので、そもそもそんなものがあるのかって話なんで。僕は全情報、だから僕の考えが別にそこまで正しくないってことを理解してるからこそ、あんまり自分の考えをなんかさも正しいかのように押しつけるのは違うなというふうに思うんですね。だから自分の考えを持つなっていうのは全く別な話で、そういうことを僕は言いたいわけじゃないんですけど、それはなんかさやわかってると思うんで、あれなんですけど。っていう関係というか背景があるから、僕は謙虚になろうねとか勝手に言ってるタイプですね。

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