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自分史  作者: 暮葉畏啓
鶴衛門社
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自己ログ65 「吉田寮への見解」

少し前のニュースなのかもしれないんですけど、YouTubeの動画で、あの、京都大学の日本最古の学生寮である吉田寮が、なんか、の元寮っていうのがなくなるかもしれない、元棟か、新棟じゃない元棟の方がなくなるかもしれないみたいな感じのやつに対してのなんか、京大生の意見、その吉田寮に住んでる京大生の意見とかを聞いたりしてる動画があって、それを僕は見たんですよ。で、動画の中の京大生とかは結構普通な感じ。で、えっとコメント欄見ると、もうすごいその、なんか自分に寄っているとか、いわゆる京大生、その吉田寮にいる京大生を、ま、なんだろうな、ネガティブに受け取ってる人がたくさんいて、なんか勉強しかできないのかみたいなことを言ってるような人がいたりしたんですよね。僕がそれで実際見てる限りでは、まあ別に普通なんじゃない、そもそも僕らの立場で言うと、その別に京大との関係は全くないし、彼らがなんかその彼らの人生に対して僕たちがなんも思わないので、彼らの勝手じゃないのかなっていう、その、取り壊しかどうかの理由として京大側は裁判で、そのなんか建物の耐震がちょっと問題視されてるから、その生徒の安全のために逃がすべきだみたいな。京大生側の意見からすると、その耐震の試察みたいなのが正しいかどうかわからないというのと、その、なんだろう、追い出すためにそういう理由づけをしているのではないかっていうなんかことを言ってたりしたんですよね。で、なんか事実を見ると17人ぐらい元棟ってところにいるんです、住んでるんですけど、14人ぐらいが、その、撤退居を命じられる前から住んでいた生徒なんですよ。で、その元棟のルールとして卒業生も使えるんですよ。で、1年で家賃は3万円なんですよ。その他諸々考えると、もしかしたら卒業してからもそこに住んでんじゃねえのかって思うことが結構あるんですよね。正直その卒業した後に学芸人とかをやりながら暮らすときに、わざわざ自分でその家賃他のところで借りて住むよりかは、自分と同じようなある程度勉学に励んでるようなやつらがいる、家賃3万円でそこに住んでる方が圧倒的に安いし、近くに大学のちゃんと図書館もあれば、医療施設もあるから、で、大学だから駅近だしっていうので、こう物件なんだろうなっていうふうな多分そういうイメージの受け取り方があるのかな。それのせいでコメント欄が否定的ちゃったのかよくわかんないですけど、実際にそれでコメント欄が否定的だったんですよ。で、僕が思うに、その、超実質的なことで言うと、僕らは京大の、その問題に関して、何かを言えような関係性ではないんですよ。だから一方的な感想を押しつける形になるんですけど、その僕からしたらどうでも問題なんだけど、実際その京大側からしたりしたら、その当事者側からするとどうでも問題じゃないわけじゃないですか。で、その実際に大学生の方で、半大の熊野寮とか、京大の熊野寮か、吉田寮とか熊野寮とか、結構旧帝大学の大学の学生寮が、政治系のこういう思想が強いとかいうのがあったりするんですよね。で、なんかコメント欄見てると結構な数の人が、そういう思想を持つ自分に寄っているとか、そういう役割を演じている自分に寄っているとか、その勉強はできるけれども、精神面では成長していないとか、ある種その自分よりも下の存在である、考え方が幼い的な感じの見方をしてる人が多かったんですね。っていうか実際その勉強という面だけでいうと確かに勉強できたから京大に行ったわけだけれども、なら別のところではどうなんですかっていう言い方になるじゃないですか。それってなんでそう言われるかというと、勉強できるから普通はいいように見られているのではないだろうか。でも実態としては違うのではないかっていう言い方なんですよね。もともとバカっていうふうに思われてるやつに、でもお前実際バカなんだろって言わないじゃないですか。想通りのバカだよねみたいな。もしくはそのプラスの方向に受け止められるかぐらいしかないじゃないですか。始まりが良いっていう方向に入ってるから、京大とかのそういう人たちは、なんか否定的な意見を受け取りやすいのではないかっていうところはあると思うんですね。僕が思うに、その勉強ができるけれども、そういう、なんだろうな、正直その生活能力も、なんだろう、実際その熊野寮とかで卒業して学芸人とかになった後も3年、数年、そこに暮らすとか、すごい、部屋して、清潔感が皆無で、すごい汚いその111年、築111年の学生寮に、もうなんか、穴とか開いてるような家に住んでいる、家賃一年で3万円の場所に暮らしている。で、なんだろう、なんかもう普通の人とは会話にならない、なんか、すごい間がありって、なんかよくわかんない話をしている、普通の人のようには見えないっていうような感じが、実態としてあるんですよね。で、それが、例えば、一概に悪いとは言えないんだけれども、その状態で社会で働くことは難しいよというのが事実ではあるんですね。社会のルールとはそれらが違う。だから石津見えるなって。良さら一致なんですよねっていう話で、その僕が思うに、その勉強ができるから、勉強ができるけれども、そういうふうになっちゃうっていうのは、勉強しかしてこなかったから、とかいうことを言う人がいるんですけど、そういうふうにないと思うんですね。正直勉強ができるやつも勉強ができないやつも、ああいう感じで頭おかしいやつがいるんですよ。絶対います。で、その中にいるんですけど、頭の悪いやつっていうのは、もともと否定的に見られてることが多いから、頭が悪くても、まあ、頭悪いから性格も悪いんだよねみたいな、バカだから仕方ないよねみたいな感じで結構通るんですけど、その頭のいいやつっていうのは、基本的になんか自分より上位者であるというふうに見られるので、それで性格が終わってたら、まあ勉強しかしてこなかったんじゃねえのみたいな感じに思われるわけなんですよ。でも正直その勉強がどうとか関係なく、人の性格っていうのは、半ばそのランダムにもう作られてると思うんですね。経験によって人は変わるとか言うと思うんですけど。学者でいうと、それら諸々合わせて、その頭のいい大学に行った人と頭の良くない大学に行ってる人で、その観点において大きく性格が変わるというわけではない。どちらかというと幼少期に一人っ子でありましたか、とか、親がどんな性格でしたか、とか、どういう教育を受けてきましたかっていう、どういうなんか毎日の過ごし方をして、例えばもともとそのどういうふうな考え方、どういうふうな性格の子なのかっていうのが重要になってきて、すごい心配性の子は頭のいい人にもたくさんいるし、頭が悪い人の方にもたくさんいて、で、そのどちらかというとそういうなんか、政治的な発言をすごいしまくったり、なんか自分に酔ったりするタイプっていうのは、性格の問題なので、別に勉強がどうかっていう、そこに相関関係はあんまりないと思うんですよね。っていうのが僕の考えなんですけど。リソースとかソースは全くないのでなんとも言えないんですけど、僕の経験ではそうってことで、はい。で、正直なところその僕自身は、頭がいいわけでもない、まあ、一般的に見たら犯罪の基礎法学に勝手に行こうと勝手に考えてるタイプだから、そこそこベーは立つのかもしれないんですけど、別に僕はそういうことを特に何も思っていないというか、勉強はただのツールの一つでしかないとしか思ってないですね。




【2】


実際その入学するのに苦労するよねっていう話と、吉田寮の話は結構部分的に飛躍しすぎというか、ほぼ関係がないように僕は見えたんですよ。そのなんか、もう文学者みたいな感じの顔型、昭和のなんか髪型で、なんか将棋を打ってる感じの、そんな感じでさしてるような将棋を。そういう感じの顔持ちに見えて、すごいその雰囲気がなんか、時が止まってるっていうコメントが一割程度あったんですけど、そんな感じ、まさにそうだなと思っていました。で、まあ、僕は学問というのも、なんだろう、人生という長い幅を見たときに、人生というか、その、なんだろうな、人っていうのは生物で、その生物の中でその、まず現在の人もその半分か半分か知らないですけど、教育というか、そもそも読み書きができない人って一定数いるわけじゃないですか。そういう人にとって、その文学史を読むとか、なんかそういうのをなんか、扱うような考え方には全くいかないわけじゃないですか。で、実際その人間というのは動物であって、その、あ、目覚める、で、起きる、で、排泄をする、食べ物を食べる、で、繁殖をする、その生物としての行動が結局その人生の観点になるし、娯楽コンテンツも基本的に生物的な反応を重視しているものが多くて、性的コンテンツであったり、ホラー系のコンテンツであったり、あるじゃないですか。基本的にその、なんだろう、まさに本当の知的活動っていうものがそこまでなくて、政治のお話を見ていても、実際人が飛びついているの、あの国民とかが飛びつくのってわかりやすい対立関係とか、それによって生じる物語とかなんですよ。で、スポーツとかも、あれは物語の曲線が大きくあって、その野球という決められたルールの中で、この人はこれまでの大会でこういうふうな成績を残してきたけども、じゃあ今回これで王に急に活躍して、で、もうなんつうの、熱いねとかそういうのは物語でしかなくて、で、別にその基本的に物語処理できるんですよ。で、物語が人が好きなのも、まあその、なんだろうな、生物だから理解はするわけですよ。この赤い花に触れると、なんだろう、すごい危険である毒素が撒き散らされるとかいうのを教育というか、過去の行いで理解することによって防げるじゃないですか。だからその基本的に未知のものに対応するときに、過去の行いを利用するっていうのがすごく無実に使われていて、それをもう少し抽象的にやると、いわゆる時間的なつながりがあるものっていうのに、人はその引かれることが多いっていう。その場その場じゃなくてっていうのはあると思うので、基本的に、えっと、そういったのが、だからなんか完全な知的好奇心でなんかこう読んでますっていう人はそこまでいないんじゃないかなと。逆に知的好奇心だけで行動してる人って、正直、人間全体から見るとおかしいんですよね。なんかすごいなんか、目にも見えないような細胞の中のやつを研究して、なんかiPS細胞を見つけましたとか、その人にとって、その人の研究内容によってとても重要なのかもしれないし、医学の発達の観点によっては重要かもしれないんですけど、なんだろうな、生物として見たときというか、その別にどうでもいいんですよね。目にも見えないやつがなんかどういうふうな働きをしているかとかどうでもいいし、それによってこう長期的にすごいなんか薬が作られましたとか、まあ確かにすごいんですけど、それは結果をすごいって言ってるだけであって、過程はどうでもなくて、その過程をずっと行ってる人っていうのは、やっぱりすごいとは思わないんですよね。っていうのがあるので、僕はなんか、なんだろう、学園院レベルになってまでずっと大学の寮でなんか学問をこう考えるとか、なんか大学教授になって学問を教えるとかいうのに対して、全く興味を持ってないタイプですね。はい。なんかそれはなんか、京大、東大行くような人とだいぶ違う考え方なのかもしれないんですけど、僕はすごい学問に対して全く興味がないんですね。はい。まあ、でも阪大行くんで、頼みますよ。あ、本当。




【3】

僕が言ったそのやつは、その研究何十年も行い続けました。結果として、その人、人類、人という種に対して有用な結果が見られました。これによってなんかガンが治りますとか、その結果自体は大事ではないですか。それは一般論として、大勢の人が聞いても、まあすごいねと言うじゃないですか。だから僕はそう言ったんですけど、じゃあそれはみんな大勢の一般人がいいねと思うんだけれども、じゃあ実際にそのなんか、そのためになんかこういう細かい専門用語を使って、なんか何百回も生物の実験をすごい撮らないといけないから、何百回も同じような実験をして、地道にデータを取っていって、目にも見えないものを顕微鏡かなんかで動いてるのをちょっと見て、そこになんかこういろいろやって反応が起きてっていうのをやるっていう、この行動自体に僕はすごいと思わないんですよ。すごいと思わないというのは、どうでもいいと思ってしまうんですよ。その行動をなんでこいつはしてるの?って思うんですよ。それは別にそこに価値がないっていうのを、僕がそのただなんか論理で言ってるのではなくて、普通の人が、生物としての人が、それを、一般人がね、その話を聞いたときに、別にどうでもよくないかっていう。生物として生きるいい食事、飯食って寝てとかの話にそんな入ってなくて、すごいなんか目にも見えないようなことで、なんか普通の人間のなんか考え方を超えたなんかやってるんじゃねえのみたいな、すごい知的な行動なんですよね。知的故に、あの、実感がないから、なんかやってんな、何考えてんの、どうでもいいなみたいなふうになるんですよ。でもその行為自体が、すごい客観的に見たときに、客観的にというか、そのそういった学会とかの中で見たときに、とても重要な行動である。これは確かなんですよ。でも僕たち一般人がその行動の最一を見たときに、いやどうでもよくねってなるんですよ。別にそいつが発表のどうでもいいわってなるんですよ。でもその発表から生じた結果っていうのが、実際に人間社会においてすごい影響をもたらすから、もたらすときがあるから、もたらしたときに関しては、それはすごいね、その結果はすごいねってなるんですけど、そこの経路とかは、実際見ていても何もすごいと思わないし、どうでもいいし、何も興味注がれないんですよ。で、このどうでもいいっていうのは、僕が興味を注がないからどうでもいいと思ってしまうんです。価値がないからどうでもいいじゃなくて、僕はそれを見てても、別になんか僕もしたいとか思わないし、勝手にしといてくれっていうレベルなんで、僕にとってはそれはどうでもいいことなんですよ。っていう話でどうでもいいって言葉を使ったんで、ちょっと君の、そのなんかよくわからないけど、知的探求ですとかいうことに関して、なんか色々言ってたんですけども、僕はそれは、あの、基本的にどうでもいいかなっていう話ですね。で、僕が考えてるのは、僕ね、最近それで思うようになったことっていうのはもう1個あって、その、なんかよく人がこう説明するときに、なんだろう、古文とかいう言語を勉強するのではなくて、その将来に有用であるなんか、なんだろう、社会のなんか、市役所での手続きの仕方とか、そういう実践的な方法を教える方が重要であるみたいなことを言ったりするじゃないですか。で、それって実際生きるためには重要なんですよ。安定した暮らしをするのも重要かもしれないし、ある程度論理が通ってます、根拠がありますっていうふうになって、重要なのかもしれないと思うんだけど、正直どうでもいいんですよ。理の空論なんですよ。僕は、重要であるっていうことに対して、はい、そうですね、で、終わりなんですよ。ってのに、そういう考え方に僕最近なって、そういうのって、そういう行動って失礼じゃないんですか?って言われたときに、はい、そうですね。おしまいなんですよ。失礼ではないだろうというのを、僕が根拠立って言うのではなくて、はい、失礼ですね。以上なんですよ。次、そういうことをしないようにしてくださいねって言われても、はい、そうですね。以上なんですよ。次、そういうことをもう1回したときに何が起きるのかというと、相手が僕に対して嫌な気分になって去っていくだけじゃないですか。僕はそいつから去ろうとしたりして、自分から行動を、エネルギーコストをかけたりしてたりせずに、相手が勝手に不快な気分になって、どっか行くだけじゃないですか。結果的に自分が長期的に見ると不幸になるかもしれないんですけど、別に僕自身がずっとその方法で生きていくのであれば、僕自身はマナーとかそういう方に一切のコストをリソースを割くことないまま、自分から何かそういうことを変えようと動いたりすることもないまま、生きていけるわけですよ。そう思うと、その、なんだろうな、重要ですよね、これは。それは失礼ですよねとか、なんかそういったなんだろうな、自分の行為・行動に対して、なんか価値をこうつけるという行動に対して、その価値をつけるという行動の中身が正しいのかどうかは、別に知ったこっちゃないんだけど、それをつけたところで、生物として僕らは肉体的に行動しているその中で、大きく変化をするほどのものではないというふうになるんですよね。っていうのが最近僕が考えていることで、なんか、結構あるじゃないですか。その人って物を話すときに、まずそれが重要かどうかとか、それがどんな有用性があるのかって話すんですけど、有用性とかどうでもよくないですか?有用性があるからやるっていう人も多分いると思うんですけど、でもそれだとその自分のその欲求とかを押し殺して、流用だからやるんだっていうふうな方になるじゃないですか。それならなんか自分がやりたいことだけやればいいんじゃねえのって思ったりして、例えば金持ちの家に、もし生まれて、自分がなんかこう欠陥があって、でも社会的に仕方ないよねと。自分で働いて自分で金を稼いで、自分で食っていくのは無理だから、そういうような体の状態だったから、もうじゃあ親に養ってもらおうっていう状態の人がいるとするじゃないですか。その人にとっては、何が重要であるかどうかってどうでもいいじゃないですか。毎日飯が出てきて、飯を食って、テレビがあって、そのテレビで好きなものを見て、それで生きるだけじゃないですか。その人の世界には別に社会で働くためのなんかコツとか、すごい大学に行くためのコツとか、全く入れないじゃないですか。一生テレビ見て飯食って、それで死ぬだけじゃないですか。それで終わりじゃないですか。余命何年、ガンかかりましたとかいう人も、もうあとはもう自分のしたいことするだけじゃないですか。っていう考え方の人っていうのは、みんな多分わかると思うんですけど、別にそのなんかこれが重要である、これは失礼であるとかいう行為を、別になんとも思わなくないですか?自分が

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