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自分史  作者: 暮葉畏啓
純研者社
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自己ログ倉庫61 「大学受験は重要じゃないl

ちょっとした僕のインタビューみたいな感じで、今から文章を多分しゃべるので、文字起こししてもらいたいなと思うんですけど。まず一つ目のインタビュー形式の問いとしては、えっと、高校でなぜあなたはぼっちになったんですかっていう問いで。僕に関してその中学の頃までは普通に友達がいたんですよね。中学校の頃の友達っていうのと、高校でのクラスメイトが結構乖離してて、中学校の頃の友達っていうのが、どんなやつだったのかというと、大体半学校の思想を持っているような人たちでしたね。どういう人たちかというと、僕が休み時間の時に友達とよく、よくというか毎時間の、毎授業の合間の休み時間に定規バトルというのをしてたんですね。誰かの机に集まって、自分の定規と自分のシャーペンかボールペンかのやつを持ち寄って、そのボールペンのこのクリックするところで定規を飛ばして、他の友達の定規とぶつけて、その机から落とし合いするっていうやつだったんですけど、大体6人ぐらいでやってたんですけど、僕はまあ普通にしていますと。その僕の友達のその1人が、そのナチスドイツの国旗を自分の家のプリンターで印刷して、それを自分の定規に貼り付けてて、いつもそのみんなクリックでこう定規を動かしてるのに、その子だけもうシャーペンとかボールペンをなんかこう、定規棒のように持って、そいつをバーンって机に叩きつけるような感じ。で、ちょっとその自分の定規が机の外にはみ出ている部分を使って、こうなんか呪縛行為として、その自分の定規の上に乗っているような定規たちもすべてこう飛ばすような感じで、ナチスとか言って自爆するっていう子がいたんですよね。で、それちょっと面白かったんですけど。で、他にはその、なんだろう、自分の定規に両面テープを貼りまくって、粘着力えぐすぎて、周りがみんながこうそいつを落とそうとするんですけど、全く定規が動かなくて、逆に自分がその定規を動かそうとしても、その全く動かないっていう、常に動かない不動の定規みたいなのがいて、そいつは常に人気取ってましたけど、手を見たり、その両用定規みたいな、なんかもう幅が60センチぐらいあるんじゃないかみたいな、長さの定規を使って、なんかもうその線上を接近してるやつもいたし、ボールペンとかをなんかバネのやつをなんかもう3重とかにしまくって、なんかもうえぐいその、なんだろうな、エンジンの力で定規を吹っ飛ばすやつがいて、それかなり強かったんですけど。そういうやつがいて、そういうやつと僕は友達として中学校の頃よくつるんでたので、高校に行くとやっぱり急に雰囲気がガラッと変わったんですよね。GSなんで、皆さん、その、一応これその合格体験談として話すような内容で、こういう質問聞かれたらこう答えるかなみたいなことで考えてます。っていうのをカッコつきで書いておきます。皆さんまあGSなんで、頭いいと思いますよね。基本的にやっぱりそのGSレベルの人になると、やっぱ秀才って人が多くて、真面目でやっぱ勉強もできて、素直で、努力家でみたいな人とか、もうちょっと変なことする人、変なことを話すような人が多分1人ぐらいいると思う、このクラスも。そういう人も基本的にめや真面目で、その変なことをするという目標に向かって真面目に行動するんですよね。真面目にステップアップして、変なことできたぞっていう。それに対して真面目に喜ぶみたいな感じの子が多くて、その変なことしかできねえやつが変なことを結果的にしてしまうっていうのが僕たちの友達の中での、僕の友達だった中学校の頃の友達だったのに対して、この高校では変なことをしたいがために真面目にこうステップアップするっていう、そういう人、もしくはそのもう真面目で、やってることも真面目みたいなやつらしかいなかった。たまにそのなんかもう力尽きてもうすべて終わるようなタイプ、成績も落ちて部活も落ちるみたいなタイプがいるんですけど、そういう人を除いては基本的にみんな真面目だったっていうのがあって。例えばその今この合格体験談で先輩が来てるところにまずいるというだけでも、僕とは違って、僕はもう去年この時にもう休んでたというかもう行かなかったんで、もう皆さんそれだけすごいんですけど。例えばここで休んでる席が空いてるところとかの、いつも来てるけど今日だけ休んだみたいな人は、もしかしたら僕みたいな考え方で、その先輩の話を聞くみたいなことでもいいわけ、先輩っていうのがまず信頼できない、さったりちょっと早く生まれただけで、そんなやつになんかこう、なんだろう、話を聞いたとしてもなんか、何の意味があるかどうかわからない、時間の無駄だというふうに考えて、休んでる人も多分いると思うんですけど、そういう人が多分僕と同じみた関係なんじゃないですか。それ以外に高校に来てる人ってのは、僕と根本的に違う、皆さん真面目で秀才で偉くて努力家でそうなんですよ。だから皆さんそれ反対とかすごい場所に、反対東大、京大、もしくは海外の大学とかEL大学とか行って、すごいことを理的な知能、知識、技術を利用して、なんか社会の中に活躍する、もしくは医療的なもので人を助けるっていうようなことをすると思うんですよね。そういうなんかこう、生きがいとかやりがいとか、すごいなんかこう、人としてなんか使命を称ばれるような、そういうすごいことをしてて、すごいなと思うんですけど、僕はそんなこと全くしたいと思ってもないので。反対の基礎語部分情報学科に行ったからすごいよねとかじゃなくて、僕はその基本的にその勉強を頑張りたいとかそういう思いが全くなかったんですよ。基本的にその僕は受験勉強頑張るというより、もうもっと大きな目標があって、それがその、僕が仕事をする30代40代ぐらいになった時にも、仕事以外の理由で民族学の本とか神話の本とか教養書とかを読みたいなってふうに思ってたんですね。仕事だから読むとかじゃなくて、単に自分の好奇心としてそういう本を読みたいなと、そういうことをする未来であってほしいなと思って、そのためには何をするべきかっていうのを今のこの高校の時に考えてたんですよね。で、30代40代ぐらいになって、そういう本を読む、その本を読む理由というのは好奇心ぐらいでしかないんですよね。課題があるから読むとかじゃないじゃないですか。今の僕たち受験勉強は受験というものがあるから勉強してるんですけど、30代40代になった時のそういう教養書を読むとかは、何かこうなりたいっていうのがあるから読むっていうわけじゃないじゃないですか。そういう何か目標がない時に勉強するにはどうすればいいのか、そういうことを考えたときに、やっぱり受験勉強をするときから考えたほうがいいっていう。その受験勉強っていうのは、受験というものが明確に目的としてあるんですけど、僕はそれを目的、受験というもの、目的をまず一回なくした状態で、単に勉強だけするという考え方をすれば、さっき言った3時代ぐらいになってただ読む、目標はあるわけではないけど読むというふうなものに直結すると思って、受験勉強なんてどうでもいいというものを前提で作ろうとしたんです。で、僕はそのための理由として、情報学部で物を学びたいんですけれども、阪大の情報学部でも京大の情報学部でも、甲南大学の情報学部でも、京金大学の情報学部でも、どっか大学の情報学部でも、情報は学べるじゃないかと。じゃあ別に、すごい頑張って阪大に行きました、京大に行きましたとかでも関係なく、別にどこでも情報学部は学べると。高校3年生のときにどれだけ頑張ったとしても、頑張らなかったとしても、別に情報を学べるじゃないかと。で、情報を学ぶときに、その阪大に行ってるから情報がもうステータスとしてもうすでになんか上がると、そういうわけではなくて、結局はその自分がどれだけ勉強するかで、最近はネットとか、参考書を読めば、もう自分がそのちゃんと勉強すれば、どこでもどの大学でもある程度能力はつくじゃないですか。その能力をCTFとかいう実績をちゃんと持てる大会で、ある程度成績を残すことができれば、その食っていけるじゃないですか。そもそもその能力さえあれば最初の就職先が全然ダメだったとしても、そこでこう出世して転職をするということをすれば、別にいけるじゃないですか。始まりがそのいい就職先じゃなくても、別になんとかなるじゃないですか。僕の親が雇用系の人だから、こういうことだけを詳しくて、そういうことも知ってたわけですよ。っていう言い訳を作って、別に大学どこに行こうが行かまいが、別になんとかなるじゃないかっていう前提を作ったんですね。だから僕は受験勉強なんてどうでもいいやと思ったんですよ。その上で勉強するんですね。その上で勉強することによって、やっぱりその目標があるから勉強するんじゃなくて、目標ないけど勉強するっていうふうになったわけで。だから3時代の方の課題とか、目標があるわけでもないけど、参考書、教養書とか民族学の本を読むっていう状況に直結したなって僕は夏休みやってました。で、基本的にその受験勉強で最適な、そのこの大学に行くための最適な勉強方法としては、最悪なやり方なんですけど、受験勉強で得られる能力っていうのがそこまで良いものはないということを僕はその点でなんか考えていて、気づいてるじゃなくて、それが正しいかどうかわかんないけど、勝手にそう思ってたときでありまして。受験勉強で得られる能力っていうのは論理的思考とかありますけど、基本的にその課題解決能力だけじゃないですか。課題解決能力もその与えられた問題に対して答える能力とか、英語力とかそれぐらいしかないじゃないですか。もっと人間的に本質的に重要なのは、何が問題なのかを考えることとか、その問題解決能力で個々のなんか問題に対して答える能力じゃなくて、そのなんか、なんだろう。この問題がありますっていう、その何が問題なのかすらわからない状況で、これ問題にしたほうがいいだろうなっていうのを考えた上で、それに対して問題に答える。で、それだけで人生幸せにならないですよね。ある程度の余裕とか、問題を解決するだけがお前の人生じゃないんだっていうふうな開き直りとかをしておかないと、人生楽しく暮らせないんですよね。だから、そういったものも能力も一気にゲットしようと思うのであれば、受験勉強のために塾だけ、塾に行って勉強するっていうのでは得られないんですよね。せっかく高校3年生という多感な時期に、塾に行ってその問題、個々の問題解決能力とか論理的思考だけを上げるっていうのは、なんかもったいないなっていうふうに気がして、それで僕はその独学でやるということにしましたね。はい、っていう感じですね。基本的に後悔してるかどうかで言うと、僕みたいなもともと30代に民族学の本を読みたいというふうな目標が叶えられているから、そういった目標を設定していたのであれば、OKなんですね。ただ、なんか情報系でなんか有名な講師の人に教えてもらいたかったみたいな、そういうなんか、なんだろうな、大学も常に勉強とかするんだけど、その環境がさらに良ければさらに良くなったよねみたいな考え方をする人間は、後悔すると思いますよ。ただ大学生になるとその情報系で学べますって言ったときに、その授業の100%を吸収することはできないんですね。基本的に10%20%、その後家に帰って参考書読んでちょっとある程度理解するぐらいにしかないので、それ以上にバイトの時間とか自分の趣味の時間とか友達との関わりとか、そういったものが増えますから、基本的にその常に勉強しかしないっていう完全研究タイプの人ではあまりいない。理系Sにはそういう人の割合が平均よりも高いんですけど、僕はそうではないので、そういうタイプの人は絶対やらないほうがいいですけど、そういうタイプの人は将来的に見て人生幸せに生きるという、そういうものを目標とした場合には、僕みたいな独学のほうがいいんじゃないかなって。ただその肩書きとか大学どこ行ったかみたいなんで、自分の人生を振り返るタイプの人はやめたほうがいいと思います。僕がもう1個考えてるのは、その僕は高校生、今の皆さんの時代の時期に、すごいその嫌な体験をしてまして、僕中学3年生の頃にすごい勉強頑張ってGS入ったんですよ。皆さん同じなんですけど。それを過去の栄光としすぎたんですよね。高1高2になってから全然勉強しなかったんですけど、中学校3年生のときに比べて全然勉強してなかった自分が、中学校3年生のことを振り返るとやっぱり、このときはめっちゃ頑張ってたなみたいな思うじゃないですか。それを過去の栄光をそのときになってもこう、ずっとこう持ち続けるっていう。それが多分ね、大学受験めっちゃ頑張ったやつは、大人になったらそれをするんですよ。あ、大学の頃はめっちゃ勉強頑張ったなみたいなことを思って、その過去にすがるんですよね。それは過去の栄光なんですけど、僕はその過去の栄光を持つということがすごい嫌な人間だったというのが、高校2年生の時点ですでにわかってたので、大学受験っていうのをピークにしたくなかったんですよね。そういう理由も考えて、大学受験の後の大学生活、もしくはその就職先の、就職後の生活の中でもある程度その勉強とか知的活動を続けておくっていうのをすることによって、後悔というか、過去の栄光を持たないようにしたんですよね

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