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自分史  作者: 暮葉畏啓
期限高社
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自己ログ倉庫54 「便利さの闇」

僕は何回か便利という言葉に対して話をしたことがあるのですが、今回は多くの人々に大きく関係しているあるものにも広げた便利の闇の話をしようと思います。


まず、闇というのは影なんです。暗くて見にくくなっているもの。闇自体は現象で、ただ明るくないだけ。

本来見るべきものは闇のせいで見えづらくなったものなんです。


便利さの闇。

まずは大きく考えましょうか。


『便利と言われて何を思い浮かべますか?』


コンビニですか?電卓ですか?AIですか?

それとも今あなたが触っているスマホだったりするのでしょうか。


ふふ。


そうですね。さまざまな媒体がありますね。そのどれもが日々の生活をより豊かにしてくれるものでしょう。

本当にそうですか?


便利な機能はその機能を使用する時間を短縮させるという点で便利と呼ばれます。


コンビニが便利と呼ばれるのはわざわざ遠いスーパーの行く必要もなく、常に開いていて行きたい時に行ける。買いたい時に買える。


少しだけ買いたい、中途半端な買い物の際に便利ですよね。逆をいうとたくさん買うときはそこまで便利さは重要ではありませんよね。


少し遠くても大きくて安いスーパーに行きますよね。


便利というのは実はそういう性質があるのです。よく分からないって?


便利さはいつでも何でも最優先されるものではないんですね。


そこにあまり価値を置いていなかったりただめんどくさいときに便利さが重宝されるわけであって、それ自体が重要なのであればそれを短縮する便利さは逆に有害なんですよね。


電話にせよチャットにせよ。送信に毎回10分もかかっていたら使いたくありませんよね。それは送信自体に私たちが価値を置いているのではなく会話に価値を置いているからです。


はっきり言って送信に私たちは楽しさを感じていない。はっきり言ってどうでもいい。


だからリアルタイムに送信できる方がいいと思いますよね。これを便利といいますよね。


ここから便利というものは主役ではない縁の下の力持ちに求める概念だと分かりますね。


これまで二つの便利さについての説明が完成しました。1つ目は便利さは常に重要視されるものではない。2つ目は便利さは主役には求められず、主役を引き立てる舞台装置などに求められる概念でした。


ここで1つ、具体的な問いを置いてみます。


娯楽コンテンツは便利な方がいいの?


難しい問いですね。


では私から外部の意見を特別に引用しましょうか。


ゆうめいなマツコ・デラックスさんは地上波でこんなことをおっしゃったことがあります。


「綺麗になれば文化は死ぬのよ。」


この考え方はある程度多くの人が語るものですので聞いたことがある人もいるかも知れません。


文化は文化同士に微細な違いがある。それぞれの文化圏で育った人々はその微妙に違う文化を知ってその違いを楽しむ。全部まるっきり同じだったら文化は死んでしまう。一つの文化になってしまう。そして単一の考え方や価値観というものはもはや文化ではない。常識やその他諸々の一般通念の考え方として処理されてしまう。


そこに面白さはない。


白川郷のような合掌造りに、高層ビルが立ち並ぶ都市街、準田舎の閑静な地域。それぞれに特色があるからこそ魅力が生まれるのです。相対化による価値の発現というのはこの事実に則ったものでしょう。


では先程の疑問に戻りましょうか。


娯楽コンテンツは便利な方がいいの?

でしたね。


娯楽コンテンツ、最近の主流は専らインターネットですよね。


便利さの最前線の存在がインターネットのような気もするくらい、目覚ましい成長を日々遂げているのがインターネットですが、そこにある娯楽コンテンツにも便利な方が良いと求めるのは勧められるべきかそうでないか、という話です。



ここまでの文脈上は便利さをそこまで肯定的に扱っていなかったものですから、この答えは勧められるべきでない、というようになりそうです。


しかしそんな考えで答えを導いてしまっては楽しくありません。もう少し考えてみましょうか。



というのも実は今どんどん娯楽に便利さが導入されていっていて、もはやそれは事実なんですね。


動画投稿サイトの整備は常に行われているし、動画をクリックしてから流れるまでの時間も非常に短い。カテゴリーにも分かれていて自分の趣味嗜好にあった動画が用意されている。


娯楽のために最適化されているわけです。つまりとても便利になっているんですね。


方式が便利になるぶんにはよいという話を最初に申し上げましたね。それはそのとおりです。ですので問題は何もないと思うのですが、実はここに便利さの闇があるんですね。


娯楽を視聴する環境が便利になっていっただけではありません。実は娯楽そのものも便利になっていっているんです。


ある決まった感情を呼び起こすために整備された展開や王道のフォーマットで話を進める動画。


そういったものが割と大半なんですね。


ある時こう感じたことはありませんか?


もっと笑いたいからもう少し面白い動画を見つけるまで探そう。なんかずっといろんな動画を見ていても空虚を感じる。


というようなものなんです。実際は全然別物の内容の動画を見ているのですが、実際呼び起こされる感情は結構同じようなものなんですよね。


内容自体は別物だけれど、それで感じる感想は全て同じ。もしくは笑いたいから、などの理由で動画を見ている人もいるでしょう。それ自体に大きな問題はありませんが、それらの行動は例えるとするならば、感情を注文しているレストランのようなことなのです。


だから虚無しか残らないんです。感情はすぐ覚めるもので刹那的な存在です。


その時はその感情を注文して食して喜んでも、帰り際になるとお腹がまた空いてしまう。

だって感情しか食べていないから。


実際の食べ物を食べた上で笑顔になりつつお腹にご飯が残るというようなものではないから。


最近はこの、感情のみの動画が多いように感じます。


娯楽コンテンツ全体を見てもそれはあながち外れていないでしょう。


便利さというものは全てにおいて重要ではありません。感情の中にさえ便利が侵入してしまえばいつかは完全にご飯を食べない虚無な存在になってしまう。


便利さというのは重要な場面と重要でない場面があります。


その重要でない場面のはずなのに便利さが蔓延った動画を観ていることに気づいた時はすぐに停止してほしいものです。


感情だけ食べるようになった末路は餓死ですから。


便利には闇があります。

それは気づかなければ気づかないまま老いるものです。闇はそこにあるだけですぐにはあなたを襲わない。けれどその刃が常にあなたの喉元を狙っていることには気づいてもよいような気がします。



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