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自分史  作者: 暮葉畏啓
優人間社
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121/153

120で語れなかったもっと大事なことを自己ログ倉庫121 「人間というもの」で。

自己ログ倉庫121「人間というもの」


人は実は比較をしてさまざまなありとあらゆることを認識している。

それは抽象的なことだけではない。

そもそも、目玉という器官や耳という器官、舌という器官までもが先ほどとの変化を測り、それを信号として伝えている。

変化を測る。それは比較と同義ではないだろうか。


そして本題としての抽象的な比較に入る。


「私はあの人よりも勉強ができる。」

「あの人は年収が1000万円ですごい。」


こういった何気ない言葉にも比較は隠れている。

そして比較というテーマを抽出して考えを展開する時、読んでいる多くの人が「この人は比較を否定するんだろうな。」という予想を持っていると思う。


それはやはり、なぜかわからないがどこからかいつの間にかそばにある考えである、

「他人と比較するな。よそはよそ。うちはうち。」

という小さい頃の言葉によるものなのかもしれない。

しかし、実際には私は比較に対して01理論で肯定も否定もしない。


条件付きで否定、条件付きで肯定するだけだ。

非常にもどかしくて煩わしいとは思うが、それでも不誠実なことはしたくない。



私が思うに比較はさまざまな種類があるが、主に二つに分けられると思う。


それはデータの比較と感情の比較だ。


例えば私たちがリンゴをスーパーで買う時、そばにあるリンゴを何も考えずに買ったりはしないだろう。


「これはさっきのよりも大きい。」

「これはあっちより赤い。」


そんな感じで見ていると思う。

物理的何かや、人の感情がこもっていない情報に対して比較を行うというのを私はデータの比較と言っている。


これは特に問題点などない。

あくまでも客観的で誠実な行いだからだ。



問題は感情の比較である。


「この人はあの人よりもできるからすごい。」

「私はあいつよりも点数が良いから偉い。」

「あいつはダメダメだ。」


ここまでテンプレートな感情の比較も逆に少ない思うが、人がたいてい「これ面白くないな。」「これすげぇ。」と言う場合、なぜ?を掘ると比較の考え方がある。


感情の比較には一つの問題点がある。


それは感情とは客観的なものではなく、いつだって自分のものという点だ。


だからこそ、周りと違う結果を生み出す。


彼女より水泳ができなくても、特に問題はないという結論を出す人もいれば、

彼女より水泳ができないから俺は水泳をしている時、彼女に笑われているだろうというような結論を出す人もいる。


そういった、客観的にある程度整った答えの出ない、まるでバラバラな理不尽で不誠実なのが感情の比較だと思っている。


だからこそこの感情の比較を上手く扱えれば良い生活を送る糧になると私は思う。


どういうふうに上手く使うのか。




まずは理解することだ。

何を理解するのか。

それは、


同じ条件でも人によって感じる感情の方向が全く違うということ。


これを知っていれば、自分の感情の比較で得た答えは全員が思っていることではないという部分から、

大仰に自分が言っていることこそが正しく、相手の考えは何でもかんでも否定するわけにはいかないという考えに拡張できると思う。


そしてこれは人間関係において円滑に働かせる助けになると思う。


そしてもう一つ。


感情は何度だってやりなおせるということ。



肉体的な欠陥や、知能的な損失、金銭的な破滅などはそう簡単には直せない。

けれど感情は違うと思う。


人は毎日周期的にさまざまな感情状態を経験している。


社会的に成功しました!と言ってもそれからの日々、一日中笑っているわけではないし、社会的に大したことなくても普通に幼い頃のように笑うこともあるように、感情というのは実際の客観的なデータとしての自分の立ち位置とは関係がない。


だから簡単に結構やり直せることができる。


悲しみで塞ぎ込んでいても時が経てば笑い話になるように。


そしてここまで考えれば自分の立ち位置というのが全然重要じゃないように思えてこないだろうか。


自分がどんな立ち位置でも幸せも不幸も感じる時は感じる。というより全員が不幸を知っているし幸福を感じている。


裕福な生活に慣れれば国外の困窮者に胸を痛めるかもしれないし、毎日もやし生活の人は昔に買ったもやしに芽が生えたことをバカ笑いするかもしれない。


そう思えば、人にとって、自分の立ち位置というのはそこまで重要ではないじゃないだろうか。


そもそも、等価交換である商品交換が贈与交換よりも優位でなかった原始時代は物の価値などなかった。


今ある、収入の高さや顔のかっこよさ、頭の良さ、財産の量、などは全て見かけ上の基準がある上に成り立っている価値だ。


根源的に本質的な人間の頭の中には価値という言葉などないと私は思う。


だからこそ、

日々を生きる上で、

人生を遂げるという大きな長い道のりで


真に大切なのは

物の考え方、

生き方、

なのだろうと私は思っている。



あなたはどうだろうか。ぜひこれを読んでくれたあなたの感想も聞かせて欲しいな。

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