エピローグ 舟のゆくえ
さくらホームには、ようやく春の風が戻っていた。
薄紅色の桜が舞い散り、花弁が庭の花壇に積もっていく。かつて血と恐怖に満ちたあの建物も、改装され、職員も新たに温かな施設へと生まれ変わろうとしていた。
玄関先のベンチには、倉持篤志と早乙女健吾が静かに座り、缶コーヒーを手にしている。
「結局、あいつの弔いも、こんな形かよ」
倉持が煙草をくゆらせる。
「だが、あいつのやったことは消えねぇ。…消せるもんでもねぇさ」
早乙女は空を仰ぐ。
麗奈は、ホームの食堂で老人たちと穏やかな昼食を囲んでいた。
入所者の一人が、功二の形見の数珠玉の腕輪を握りしめ、
「功二さんは…もう会えんのかのう」
と、静かに問う。
麗奈は微笑んで応えた。
「会えますよ。このホームにずっといます。皆さんが笑えば、きっとそばで笑ってますから」
その言葉に、老人たちがうなずき、小さく手を合わせた。誰も、もう涙は流さない。ただ温かな空気がそこに満ちていた。
その夜。
麗奈は功二の遺骨が納められた小さな位牌の前に座り、手紙を読んだ。
それは、かつて功二が死を覚悟し、麗奈宛てに書き残したもの。
麗奈へ。
俺の命は、いずれ尽きる。あの地獄を歩いてきた俺には、ここが最後の舟だった。
だが、お前と出会い、あの老人たちと笑い合えたことで、俺の業も少しだけ薄れた気がする。
誰もが穢れを抱えながら、それでも人を愛し、何かを守って生きることができると教えてくれたのは、お前だった。
この先も、俺の代わりに、命を守り、希望を灯してほしい。
俺の舟は、もうお前の胸の中に浮かんでいる。
功二
麗奈は涙を浮かべながら、位牌の前で囁いた。
「功二さん、これからもずっと一緒ですよ」
その夜、風が柔らかく吹き、桜の花弁が窓辺から舞い込む。
ホームの静かな灯りの中、ふわりと、血塗れの地獄を越えた命の舟が、静かに、確かに、漂っていた。