6. 新たな容疑者?②
それから間もなく、牧師館のメイドがミセス・グレンロスの使用人たちが荷馬車で牧師館に到着し、牧師館の納屋から椅子やテーブルを運び出す作業を始めたと知らせにきた。
アルバートは「帰るついでに彼らの様子を見ていく」と牧師に告げた——何か手がかりがあるかもしれないと思ったのだ。
すると、牧師も一応顔を出したいというので、二人は牧師館の玄関を出て納屋へと向かうことにした。
途中で、遊んでいる子供たちの側を通ると、彼らの中では年長の牧師夫妻の長男と次男がアルバートに礼儀正しく挨拶をした。
少し年下の三男は、はにかみつつも挨拶し、まだ幼い甥のダニーは恥ずかしがって年長の子供たちの後ろに隠れていたが、それでも珍しい客に興味津々の様子で、視線だけはアルバートの方を向いていた。
ダニーが青い目を輝かせているのを見てアルバートは微かに安堵した。
そして、ダニーの傍らには先ほどの水彩画にも描かれていた犬がいた——茶色のセッター犬だ。
その首輪のプレートには「プリンス」という名が、まるで王子が書いたような優美な字体で刻まれている。
プリンスはやや年を取っているようで、元気ではあるが、動きは鈍く、眠たそうな顔をしていた。
犬好きのアルバートは僅かに微笑みつつ、先ほどまで子供たちを見守っていたはずのミセス・ブレイクの姿も探したが、不思議なことに彼女はどこにもいなかった。
***
子供たちの脇を通り過ぎた二人が納屋に着くと、そこでは、ミセス・グレンロスの執事ミスター・ウェルズと部下のフットマンが椅子やテーブルを運び出していた。
使用人区画で待たせていた従者のミスター・エドガーも手を貸しており、三人の男たちは協力して手際よく作業を進めていた。
代表して執事ミスター・ウェルズが牧師とアルバートに歩み寄って挨拶をした。
「旦那様、この度は大変なことになりましたね」
「ああ、君たちにも苦労をかけるね、ウェルズ」
アルバートが言うと、ミスター・ウェルズは恭しく「とんでもないことでございます」と返した。
ミスター・ウェルズは別邸でミセス・グレンロスに仕える執事だが、本邸が忙しいときには手伝いに来ることもあるので、アルバートも彼とは面識があった。
少しのんきなところがあるが、概して信頼できる執事だという印象を受けていた。
それから、ミスター・ウェルズは牧師に向き直って言った。
「ミスター・ベントリー、この度はありがとうございます」
「いえいえ、ミスター・ウェルズ、困ったときはお互い様ですよ」
牧師は微笑んだが、思い出したように付け加えた。
「そういえば、最近<アザミ亭>でお会いしませんね。亭主があなたが好きなウイスキーが入荷したことを知らせてほしいと言っていましたよ。休暇の折の贅沢なのでしょう?」
「いやあ、最近少しばかり節約をしていまして、ウイスキーは控えているんです。どうしても5ポンド貯めたくて。あと半ポンドなのですが、なかなか……。でも、またその内に顔を出しますよ」
ミスター・ウェルズは明るく言った。
<アザミ亭>というのは村にある品の良いパブだった。
アルバートは行ったことはないが、多少懐に余裕のある村人たちの憩いの場になっているらしい。
「ところで、ミスター・ベントリー。募金をするのにちょうど良い箱はありますか?当家の大奥様がいつも通り病院への寄付を募るのに加えて、タイタニック号の犠牲者の遺族のためにも募りたいとおっしゃって、追加の箱があればと思ったのです」
「ああ、それなら、あの隅にある木箱がちょうど良いでしょう。どうぞ持って行ってください」
「これはありがたい」
ミスター・ウェルズは一礼すると、牧師が指し示した納屋の隅の木箱を取りに向かった。
「なんとまあ。さすがにミセス・グレンロスは色々とよくお気づきになるレディですね」
「ええ、我が義母ながら——」
「旦那様!」
アルバートの言葉はミスター・エドガーの叫びによって遮られた。
反射的にアルバートが正面に視線を向けると、彼の顔に向かって何か——先ほど牧師が示した木箱だ——が飛んできていた。
アルバートは咄嗟に顔を庇って右腕を掲げたが——それには及ばなかった。
牧師ミスター・ベントリーが見事な反射神経で木箱を受け止めた。
「申し訳ありません!旦那様」
最初に叫んだのはミスター・ウェルズだった。
彼は地面に伏していた。
どうやら木箱を運んでいた彼が何かに躓いて転んだことで、放り出された木箱がよりによってアルバートに向かってきたらしい。
「旦那様、お怪我は?」
すぐに従者ミスター・エドガーがアルバートの元に駆け寄り、主人を守るようにその前に立った。
「ああ、何ともないよ、エドガー。ウェルズ、私は大丈夫だ。気にしないでくれ」
アルバートは微笑んで言ったが、ミスター・ウェルズの顔は真っ青だった。
しかし、彼は何とか立ち上がると、アルバートに駆け寄って改めて謝罪した。
彼は牧師から木箱を受け取った後もひたすらに謝罪を繰り返していたが、アルバートが頃合いを見計らって「私は大丈夫だから作業を続けてくれ」と言うとようやく木箱を荷馬車に運ぶ作業に戻った。
「やれやれ、ミスター・ベントリー、あなたの反射神経に感謝しなければなりません」
アルバートがため息交じりに言うと、牧師は笑って言った。
「いえ、ただ学生時代にラグビーをやっていたというだけですよ。数十年経った今でも、飛んでくるものはついキャッチしてしまいますし、追われると走りたくなります」
「なるほど。学生時代ボートを漕いでいた私にはない素晴らしい能力ですね」
アルバートも笑ったが、従者ミスター・エドガーだけは顔を顰めていた。
彼は牧師が離れた隙に、声を潜めながら言った。
「……旦那様、ミスター・ウェルズのことはあまり信用なさらない方がよろしいかと」
「どういうことだい?エドガー」
アルバートが眉を上げると、ミスター・エドガーは更に声を落として言った。
「ミスター・ウェルズは最近どうも様子がおかしいようです。別邸の使用人が言っていました。先月の終わり頃から休暇でもどこに出かけるわけでもなく、ただ散歩をしているとか。以前は村人の家を訪ねたり、先ほど牧師様がおっしゃったようにパブに行ったりしていたようなのに……」
「おや、君は色々なことを気にかけてくれるんだね」
アルバートはいつも通り少し皮肉に言った。
普段であれば忠実な従者ミスター・エドガーも主人の好みに合わせて適度な皮肉を返すが、今日の彼は違った。
「実のところ、私も見たのですよ。あれは先月の——村で子豚の盗難事件が起こる前の私の半休の折でしたから、8月16日だったと思います。私が夕方に<アザミ亭>で一杯飲んでいたとき、ミスター・ウェルズもそこにいて、見知らぬ男と話していました。明らかにこの村の住人ありませんでした」
「<アザミ亭>は客室付きのパブだろう?村人以外の宿泊客がいてもおかしくないし、ウェルズだってたまには知らない人と話したい気分になることもあるさ」
「ええ、それだけなら私も何とも思いません。ただ、その見知らぬ男は、暫くして、巡回中の村の巡査が入ってきたところで、逃げるように二階の客室に行ってしまったのですよ。後ろめたいことがあったに違いありません」
ミスター・エドガーの話にアルバートは顎に手を当てて思案した。
——警察を避けた見知らぬ男か。
——ウェルズはその男と偶然出会っただけなのだろうか?
——それとも、二人は最初から知り合いだった……?
「お疑いになるなら、牧師様にもお訊きになってください。そのとき、牧師様も巡査のすぐ後に続いて<アザミ亭>に入っていらしたので、その男が奥の階段に向かう後ろ姿くらいはご覧になったでしょう」
「いや、そこまでする必要はないだろう。君の話は心に留めておくよ」
アルバートは穏やかに言った。
しかし、ミスター・エドガーの表情は固いままだった。
「……本当にお気をつけくださいね、旦那様」
ミスター・エドガーが重々しく言った言葉が暫くアルバートの耳から離れなかった。
■パブリックスクール
牧師夫妻の息子たちは、13歳になるとパブリックスクール(寄宿制の名門私立中等学校)に入学する予定のようです。
彼らは、労働者階級の子供たちが通う公立小学校には通わず、紳士として教育されます。
アルバート卿もパブリックスクール(イートン)出身ですが、貴族の子息なのでその前からプレップスクール(プレパラートリースクール、寄宿制の名門私立小学校)に在籍していました。
ベントリー家は経済状況を鑑みて、初等教育は家庭内で牧師自ら施しているようです。
■紳士のスポーツ
アルバート卿はイートン校でボート部に所属していました。
ラグビーもボートも紳士のスポーツの定番です。




