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1. この虚偽広告は一体?


 1912年初秋、ある日の午後——。

 メラヴェル女男爵ことアメリアは、自身のカントリー・ハウス<メラヴェリー・マナー>の芝庭にいた。

 田舎の初秋の午後に相応しい象牙色のシルク・クレープのデイ・ドレスに装飾用の帽子を合わせ、日傘を差した彼女はどこからどう見ても優雅な貴族のレディだった。

 しかし、その顔はどことなく青ざめていた。

 

 ——ああ、私は早く結論を出し過ぎたのだわ。


 内心で嘆きつつ、人々で賑わう芝庭をレディに許容される程度の早足で歩く。

 

 チャリティ・バザーの品物を真剣に見比べる女性たち。

 エールを一杯引っ掛ける男性たち。

 ココナッツ倒しに夢中な子供たち。

 その一人ひとりの顔を確認しながら、祈るような気持ちで進み続ける。


 ——手遅れにならない内に見つけないと……。

 ——どうか間に合って。


「女男爵様!」

 

 そのとき彼女を呼び止めたのは——。


 ***


 1912年、9月10日の朝——。

 22歳のメラヴェル女男爵ことアメリア・ローズ・グレンロス——改めアメリア・ローズ・モントローズ=ハーコートは、バークシャーのメラヴェリー村にある<メラヴェリー・マナー>の自室のベッドで目覚めた。

 既に侍女のミス・アンソンがカーテンを開け、身支度の準備を始めている。


 窓からは柔らかな日の光が差し込んでいた。

 8月までの変わりやすかった天気が一旦落ち着き、今日は穏やかな陽気のようだ。

 だが、アメリアは、太陽を避けるようにベッドに潜った。

 彼女は朝に弱い質だった。

 逆に夜遅くまで起きている方が得意なのだ。

 一昨日も夜遅くまでロンドン警視庁(スコットランドヤード)のヘイスティングス警部に手紙の返事を書いていた。

 数日前に、警部からロンドンで発生した殺人事件についての相談の手紙を受け取っていたのだ。


 アメリアはレディの身ながら、数年前に遠縁の爵位を継いでメラヴェル女男爵となった。

 女男爵となった彼女は、何故か何度も事件に巻き込まれる羽目になったが、その度に知的好奇心と閃きにより事件を解決してきた。

 そして、去年リッチモンドで起きた凶悪な殺人事件を解決したことが現地の地元紙の小さな記事になったことにより、世間の一部で「探偵女男爵」として認識されるようになった。

 とはいえ、これは上流階級のレディとしては好ましいことではなかったので、アメリアは自然に知られてしまった分については諦めつつも、必要に迫られた場合以外は自分の活動について話すことはなかった。

 そのため、今のところ、彼女は「知る人ぞ知る探偵女男爵」だ。


 ——それにしても、今度の警部からの相談は、手紙のやり取りだけで解決できそうで良かったわ。

 ——現場に残されたティプシーケーキにお酒が入っていなかった理由さえわかれば、自ずと解決する事件だったのよ。


 しかし、それを文章で説明するのはかなり骨が折れた。

 アメリアは一昨夜のうちに何とか返事を書き終えていた。

 その手紙は、ミス・アンソンが昨日郵便に回してくれたので、今日中には警部のもとに手紙が届くはずだ。

 

 ——この事件の犯人は逃げたりしないでしょうから、質問の手紙が来るとしてもきっと明後日じゃないかしら?

 ——今日の午後はアルバートとヤマウズラ猟へ行く約束をしているのだから、急なことが起きないに越したことはないわ。

 

 彼女は3月に結婚したばかりの夫アルバートのことを思った。

 正式には、アルバート・ライオネル・ジョージ・モントローズ=ハーコート卿という名の彼は、名門貴族ウェクスフォード侯爵家の三男で、今はメラヴェル女男爵の夫、つまり、アメリアの夫でもある。

 襲爵以来、思いがけず事件を解決することになったアメリアの傍らにはいつもアルバートがいた。

 そして、前回の殺人事件を解決した際に、彼は遂に彼女に求婚し、二人は結婚する運びになったのだ。

 彼らが関わった事件とは対照的に、二人の結婚生活は非常に順調だった。

 今日の午後も、アルバートは狩猟経験のないアメリアに、ヤマウズラ猟のやり方を教えると言ってくれていて、彼女はそれを楽しみにしていた。

 

 アメリアはふとベッドの反対側を見た。

 昨夜そこにいたアルバートの姿はなかった。

 二人は夫婦と言えど、貴族らしく別々の寝室を持っている。

 夜になれば、アルバートがアメリアの寝室を訪れることも多いが、朝にはもう自室に戻っている。

 どうやら、高貴な彼は起床時間になっても夫が妻のベッドに残っているのは無作法だと考えているらしい。

 昨今の新婚夫婦らしくはないかもしれないが、彼女は彼の礼節を重んじる態度を有難い……というより都合が良いと思っていた。

 だって、どう考えてもこんなに寝起きが悪いところを彼に見せるべきではない——。


「奥様、そろそろお目覚めになった方がよろしいかと」


 ミス・アンソンに言われてアメリアは意を決して起き上がった。

 本来、彼女のような貴族の夫人はベッドで朝食をとるが、彼女はできるだけ朝食室に下りて行って、夫婦で朝食をとるようにしていた。

 アメリアとアルバートの日々は忙しい。

 社交や領地経営、慈善事業など貴族としてしなければならないことが多く、その上、二人にはそれぞれ生きがいにしている「仕事」がある。

 アメリアはもちろん探偵業で、アルバートの方は執筆業——新聞や雑誌に文化や社会に関する記事を寄稿したり、最近は本来の彼の専門である古典学の論文も執筆している——だ。

 ただし、貴族としての立場があるのでいずれも報酬は辞退している。

 そんな多忙な彼らが二人きりでゆっくり話せるのは朝食の間だけの日も多かった。


 ——とはいえ、今日は午後いっぱいは一緒に過ごせそうなのだけど、やっぱりできるだけ……。


 アメリアはそんなことを考えながら、ミス・アンソンが用意したぬるま湯で顔を洗い、ドレッサーの前に座った。

 そして、用意されていた紅茶を一口飲むと、何とか目を開けてドレッサーの鏡に映った自分の顔を見ようとした。

 完全に目が覚めれば知的に輝くはずのヘーゼルの瞳、やや赤みの強い唇——これはいつも通りだ。

 一方のやや暗い栗色のウェーブがかかった髪はひどく乱れていた——就寝前にはきちんと編まれていたのに夜の間に解けてしまったらしい。

 しかし、ドレッサーの前に座ることができさえすれば、後はミス・アンソンに任せればいい。

 アメリアに仕え始めてもう5年近くになるミス・アンソンは、いつも恐ろしいくらいの手早さで主の身支度を整える。

 今朝もミス・アンソンは、あっという間に、アメリアの髪型を流行の低めのシニヨンに整え、彼女に午前用のブラウスとスカートを身に着けさせた。

 最後にドレッサーの前で、髪型の微調整をしていたとき、寝室のドアがノックされた。

 ミス・アンソンが応対に出ると、ドアの向こうから聞き慣れた声がした。


「おはよう、アンソン。奥方と話せるかな?」


 その心地の良く低い声の主は、もちろんアルバートだった。

 アメリアは口元に微笑みを浮かべたが、一方で驚きもあった。

 彼が午前中のうちから、わざわざ彼女の部屋を訪ねるのは珍しい。

 アメリアが朝食室に下りてこないとき——体調不良や単に眠すぎて起き上がれないとき——でも彼はそっとしておいてくれる。


 ——何かあったのかしら?

 ——もしかして、午後、猟に行けなくなったとか?


 アメリアは数日前に彼宛にロンドンの編集者から二通の手紙が届いていたことを思い出した。

 それぞれ、宛名の下に注記が書かれていた。

 一つは、「最終締め切り」で、もう一つは、「本当に本当の真の絶対的最終締め切り」だった。


 ——彼は数日前に「本当に本当の真の絶対的最終締め切り」の方は、片付けていたと思ったけれど。

 ——それとも、提出直前にもう一度最初から書き直すことにしたのかしら?


 彼女は、そんないかにもあり得そうなことを想像しつつ、ミス・アンソンに合図して彼を部屋に入れた。

 部屋に入ったアルバートはいつも通りの彼だった。

 よく整えられたアッシュブロンドの髪、口元に浮かぶ少し皮肉めいた笑み、青みがかった灰色の瞳。

 灰色の瞳は一見すると冷たくも見えるが、それは誠実さの裏返しなのだとアメリアはよく知っていた。


「おはよう、マイ・ディア」


 彼はいつも通りに挨拶してアメリアの頬にキスをした。


「おはよう、アルバート」

 

 アメリアは彼に挨拶を返して微笑んだ。

 結婚以来、彼は通常彼女を「マイ・ディア」と呼ぶようになっていた。

 彼女は、その親しくもあり、礼儀正しくもある呼び方がいかにも彼らしくて好きだった。

 それから、これは結婚前からだが、アメリアが探偵業に勤しんでいるときには、からかい交じりに「探偵女男爵」と呼ぶこともある。

 これもまた彼女のお気に入りだ。

 しかし、やはり彼女が一番好きなのは、名前で呼ばれることだ。

 彼はその名をごく親密な場面でしか呼ばないが、それはいつだって甘く響く——。


 と考えたところで、彼女は我に返った。

 アルバートが思った以上に深刻な顔をしていることに気が付いたからだ。

 よく見ると彼は手にバークシャーの地元紙<バークシャー・ポスト>——メラヴェル男爵家で取っている新聞の内の一つだ——を持っていた。

 今朝の朝刊に違いない。


「朝から邪魔をして悪いね。でも、一刻も早く君に見せるべきだと思ったんだ」


 そう言って彼は、その新聞をドレッサーのテーブルに置いた。


「どうやら、午後のヤマウズラ猟は諦めることになりそうだよ」


 彼の言葉にアメリアは思わず眉を上げた。

 そして、彼が指さした<バークシャー・ポスト>の広告欄に視線を走らせた。

 いつも大抵地元商店の広告や地元のイベントのお知らせが掲載されている欄だ。

 そして、今朝の朝刊に、ひと際大きく掲載されていたのは——。


---------

 秋祭り開催のお知らせ


 本日午後2時、メラヴェリー村の<メラヴェリー・マナー>にて、秋祭りを開催します。

 地元の皆さまは残らずお越しください。

 お子様大歓迎。


 メラヴェル女男爵の名の下に

---------


 アメリアは広告を二度読んだ。

 そして、一度ゆっくりと瞬きをした。


「これは一体……?」

「見ての通りさ。私たちは君の名の下に秋の祭りを開催することになっている。それも今日の午後2時から」


 戸惑うアメリアにアルバートは少し皮肉に笑って言ったが、その灰色の瞳には些か不安が滲んでいた。

 そして、それはアメリアも同じだった。

 今日、<メラヴェリー・マナー>で秋祭りを開催する予定などなかった。

 メラヴェル男爵家が毎年領地の村で開催するのは5月の春祭りだし、そもそも、この家の当主であるアメリアが知らない祭りの開催予定などあるはずもない。


「そして、こうなるときっと駆け付けてくるのは——」


 アルバートがそう言ったのと同時に、再び寝室のドアがノックされた。

 後ろで控えていたミス・アンソンが応対すると、それは執事のミスター・フィリップスだった。


「奥様、旦那様、失礼いたします。ミセス・グレンロスがお越しになりました」


 入室を許可されたミスター・フィリップスが厳かに告げた。

 ミセス・グレンロスとは、アメリアの母のことだ。

 彼女は今、メラヴェル男爵家が本邸近くに所有する寡婦用の別邸に住んでいるので、二人と同じように今朝の朝刊の広告を見て飛んできたのだろう。

 

 アメリアがアルバートを見ると、彼は少し肩を竦めた。


「ほら、思った通りだ。お義母さん(おかあさん)の行動の早さには誰も敵わない」


 こうして、メラヴェル男爵家の長い一日が始まった。

 


アルバート卿のフルネーム公開の回です。推理に資するものではありませんが、皆様に感謝を込めて。


Q. アメリアは結婚によりモントローズ=ハーコート姓になりましたが、グレンロス姓(旧姓)は消えてしまうの?

A. アメリア本人は改姓しましたが、子は三重複合姓にしてグレンロス姓を受け継がせるようです。(細かすぎる設定……。)

詳細:ロマンス番外編「婚姻契約」(【前編】https://ncode.syosetu.com/n5293km/8/、【後編】https://ncode.syosetu.com/n5293km/9/)


ちなみに「グレンロス」という姓は実在しないはずです。スコットランド風を意識して創作した姓です。

その昔、イングランド貴族のメラヴェル男爵家に女男爵が立った際に、スコットランドの名門貴族グレンロス家から夫を迎え、以降男爵家の姓がグレンロスになったという創作歴史があります。

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