第76話. 禁書庫になき禁断なる児童書: 月のお姫様 ①
——エオルーン魔導学校 初等部 第三教室——
(……フィルナス先生……遅いな)
授業の合間の休み時間。その聖なる時間は既に過ぎてしまっているはずだ。
だが、担任の先生はなかなか現れない。周りの生徒達は特段気にかける様子もなく各々自由にだべっている。
いつも俺達のために無理をしてくれている先生だけど、うっかり遅れることはそうそうない。
ひょっとすると何かあったのではないかと、そろそろ心配になりかけていた。
「レインくん、その本最近ずっと読んでるけど、面白いの?」
横からリリアが語りかける。
俺が手にしている小説を気にかけているようだ。
本のタイトルは、『月のお姫様』。……当然ながら、俺が自分自身の意思で手を取ったものではない。そうでなければ、今頃は本といえばひたすら剣術書を読んでいるような気がする。
もっとも、俺にこの本を勧めてくれた本人は今日は欠席している。
「これ、この国の王女さまが書いた小説だよ」
「し……しってる!」
(本当かな?)
「しかも、俺達と同じくらいの歳に書いたんだって」
「!……そうなんだ!」
リリアは目を丸くしてページを覗き見ようとする。
しかし俺は内心フクザツな気持ちだ。王女様が俺達くらいの歳に執筆した、それはいい。登場人物もまさに俺達くらいの年齢。
ただ、この本に描かれているのはどろどろとした争いと奪い合いの物語……。まるで俺達とは違う世界を生きて来たかのようだ。
「む……なんでちょっとそっぽ向くの?」
「い、いや……」
何故か児童文学扱いにはなっているが、強烈なサスペンスが含まれるこの本をリリアに紹介するには、正直言って刺激が強いと思う。大人になりかけの……まだ子どもの登場人物とはいえ、彼らは集団で戦争のように争い合う。だんだんと"おもり"のように抱えていくような複雑な気持ちに、これを読む者は向き合わなければならない。
それによってリリアが変わってしまうのが、少し怖い。
……それは、悪いことばかりじゃないのかもしれないけれど……。
そして、俺はこの小説を読み進めるうちにだんだんと、ようやくわかってきた。
思春期の人物が集団の中で織りなす生々しい側面、喜怒哀楽、出会いと別れの中に込めた想い。
王女様がこの本に込めた、とある一貫した意思——
——数日前——
その日、リリアが戦場に呼び出された放課後——自身の訓練がガムシャラになってきたように思え、技術の整理が必要だと感じていた俺は図書館でお気に入りの剣術書を読み進めているところだった。
ここの図書館は入り組んでいて、グループで学習したり集中して本を読めるような小部屋がいくつかある。その中の一室、外から偶然目にしてしまった。
小窓から覗ける、流れるようなブロンドの長い髪の女子——机に突っ伏した状態で、その手元にはこぼれたむらさき色のジュース。ふたがついた飲み物であれば中に持ち込むことは可能だ。
その反対の手元には本。そういう事件現場のようで、なんだかただ事ではない雰囲気だ。
——ていうか、触角が隠せていない。
これを他の生徒に見つかると非常にまずいことになる。俺は閲覧室の中に入り声をかける——が、反応はない。
「お、おい……!ミツキ!?」
戦闘不能を超えてしまったような状態のような……これは……。
「……ミツキが、死んでる!?」
薄々思っていたが、こいつは戦闘はでたらめに強く、成長も物凄いけど、突かれるとどうしようもない"とんでもない弱点"をもっている。
この本は……。
読んでいるのは、どうやら人間同士の争いと奪い合いが描かれた小説。おおかた、これを読んで耐えきれずに気絶してしまったのだろう。
ミツキは人間から奪い尽くしていた魔物"ヴェスパ"ではあるけど、誰かに奪われる感覚には耐え切れないらしい。
「こいつ……苦手ならムリして読むなよ……!」
死にかけているように見えるけど、もちろん息はある。これを復活させる方法は——
手がかすかに動き、彼女はそれを指差す。
(ミツキが何かと飲んでいる炭酸飲料。こいつを飲んでいるタイミングは……いろいろとタイヘンな時だ。これを飲ませてあげよう!)
「う……わたしは……?」
どういう原理なのかはわからない。ミツキはすぐに息を吹き返し、復活すると辺りを見回す。そして机を拭いている俺を向き、目が合う。
「……とりあえず頭のそれは隠そうか」
「!!」
ヴェスパの生徒が存在するという事実。
そのことは、教師と図書委員のミツリ以外は知らない。
ミツキはすぐさま額の触角を魔法で隠す。
「え、えっと……ありがとうレインくん!わたし、死んじゃうところだった」
(冗談になっていないんだよな……)
いたずらっぽくミツキは笑ってみせる。冗談半分だが、たぶん、ダメージは有る。こいつにとっての本物の弱点だ。
「あのな、本を読んだ衝撃で死ぬとか洒落にならないからな」
「うーん、ニガテなんだけど……」
「でもどうしても読みたいんだよね」
彼女は真剣な表情でその本に目をやる。
本のタイトルは、『月のお姫様』。
一見するとロマンチックな表紙……しかし、俺はその本をしっかりと読んだことはない。
「ちょうどよかった!」
「ん?」
「あなたにお願いがあるの!」
「お願い……」
そのお願いとは——
この小説を読んで、人間である俺の立場から、この本に込められた"想い"を読み解き、聞かせてほしいということだった。
「……といってもなぁ、俺こういう本は読んだことないし」
「だったら、なおさら新鮮な意見がききたい!」
純粋な期待の眼差しを向けてくるミツキ。こうなると、どうにも裏切るわけにはいかなくなる。
「こっち来て!私が読んだところまで聞かせてあげる」
「え……」
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