第43話. ヴェスパのしっぽ
夕暮れ時のルシオラ川は、陽を溶かしたように橙色に染まり、水面で光を散らし瞬いていた。
ミツキは制服姿のまま。慎重に斜面を下って来る。
俺が気持ちの整理が必要なとき、ここに釣りに来ることがあることを知っているのは、ピコラスと寮の仲間たち。尤も、既に交友関係がかなり広い彼女にとっては、それを知ることは苦労しないのかもしれないが…。
俺は外来種の獲物“ボッカローネ”がいそうな、迫り出した木の枝の影となる水面を狙い、擬似餌を飛ばし、巻き取り手繰り寄せることを繰り返す。
ミツキは少しばかり距離をとっており、珍しいものでも見るかのような表情で、川の中を覗き込む。
「へ〜。キミ、釣りするんだね。釣れるの?」
「たまにな。今日は今来たとこだよ」
水面からは獲物の活気を感じる。日没まで残り少ないが、なんとなく今日は釣れるような気がした。ところが期待しすぎると、こちらの意思でも悟るのか、不思議と魚は一切食い付かなくなる。バレずに自然に続けることが大事だ。
「そっか、リリアちゃんは?」
「呼ばれて行ったよ」
「──その、昨日はありがとうな…」
「わたしなにかしたっけ」
「フォローしてくれただろ。あの時、空気やばくって、あいつ暴れ出すかと思ったよ」
「それもそれで面白そうだけどね」
(こいつ…)
軽く笑いながらミツキはのたまう。その言動は一見ふざけてはいるが、彼女は考えて実際の行動を選択してくれている。
それに対して責めるような真似はしない。というか俺もつられたせいか少し笑ってしまった。
「レインくんはさ」
「リリアちゃんのこと、どう思ってるの?」
(・・・)
この話題になることを、なんとなく覚悟はしていた。彼女はしっとりと微笑んでおり、詰め寄ったり茶化すような意図は感じられない。
──ここは気持ちを整理する、いい機会かもしれない。嘘を言ったり、誤魔化しても仕方ない気がした。
「正直に言うと──」
「あいつのことは、まだよくわからないよ」
「…えっ、レインくんひどくない?よく一緒にいるのに」
くすくすと軽く笑ってみせるミツキ。
(コイツよく言うわ、邪魔しまくってた張本人も、そーとー酷いと思うぞ…)
(けど、無理もないか)
(こいつは“そういう立場”でも仕方がない奴だ)
水面から大きな獲物の魚影が見える。だが食いつこうとはせず、プイッと背ける。どうやら俺たちの気配を察知したか、釣ろうとしている意思を勘づかれてしまったか。
「だって、俺、あいつの事で知らないことも沢山あるしな」
ミツキは少しばかり申し訳なさそうな顔をする。そこまで攻めている意図は込めてはいないのだが…。
「えっと…だからさ、あいつの知らないこと、これからのことだったりは、無理に理解してやることはできないよ。俺は、あいつのことは“まだよくわからない”んだ」
「リリアちゃんに言えるのそれ?」
この子、結構痛いところを突いてくる。
確かに、少なくともミツキが昨日フォローしてくれる以前のリリアだったら、騒いでいたかもしれない。
そもそもの話、俺は元々無理を重ねていたリリアが、そしてみんながここで暮らす寮や学校での生活…平穏が一瞬にして崩れてしまいそうな気配を、あの時強く感じていて心配だった。
それ以上の複雑な感情は持ち合わせていたわけではない。その延長に今があり、色々とすれ違っているというのが現状だろう。
(だけど・・)
「ミツキが来る前さ、あいつはもうこれ以上戦うのは無理だろうってぐらいに、無理してた」
「──だけど、ただ一緒にいるだけで、それだけであいつは『嬉しい』って…『元気になれる』って言ってくれるんだ。俺にはまだ戦う力はないのに…」
「随分と元気になって、良かったと思ってるよ」
ミツキは、ただ黙って話を聴いてくれている。
「それで、あいつについては、俺は“それ以上”のことは今のところ知らない」
「ホントは話したいことは沢山あるし、一緒に過ごす間にタイミングを見つけて話そうとは思ってる」
「けれど、それには時間が要るんだ。ここのみんなは、何処から来たのとかがわからないやつが殆どだから、いきなりは掘り下げない…。俺自身も、自分の生まれのこともよく知らないしな」
「それって、お父さんやお母さんのこと?」
「ああ…」
「俺にもリリアにも親がいて、その人生があったはずだけど、俺たちはそれを辿ることができないんだ…」
(…)
2人の間に沈黙が流れ、川のせせらぎが響く。
辺りは段々と影を落とし、徐々にだが暗くなりつつあった。
代わりに空には星が灯り始め、辺りには蛍光色のちっぽけな光が軌跡を描きながら舞い始める。もっとも、俺が狙っている獲物により環境が変わればこれがいつまで見られるかはわからないが…。
そして魚にはどうやら完全に気配を悟られてしまったのか、魚影が見えているのに、かかる気配はなくなってしまった。
仕方ないので俺はルアーを手繰り寄せると、一旦釣竿を置く。
「ミツキも、ここに来たっていうことは、そうなんだろ?」
「えっ」
彼女は驚いた表情をすると、俯き、黙り込んでしまう。
(…)
(わたしは…)
(自分自身の生まれのことを、なにも知らない…)
(何も持っていない。からっぽな感じがして…だから──)
「ごめん、変なこときいて」
「ううん」
「いいんだ、過去は過去で。それぞれ精一杯生きて、これから築いていけばいいって、ここのみんなは割り切ってる」
「…」
(──だからわたしは、奪おうとしていた)
(なのに──)
(…これ以上この子と話すと、何かがぶれてしまいそうになってしまう)
(もう、ここで終わらせよう…)
「レインくん」
ミツキはポツリと呟くように言い、一歩近づく。
「ん?」
「なんでわたしにこんな話をするの?」
「なんでって──」
「もしかしてわたしのこと、“好き”なの?」
「俺はミツキのこと、好きだよ」
(・・・・・・)
(・・・・・・は?)
(なんで!?)
「そ、それどういう意味?言っていいやつなの?」
(絶対に、おかしい!)
(間違いなく条件を満たしてるのに、わたしの能力が、発動できない・・・!)
「”いいヤツ“ってコトだよ。ミツキのおかげで、ワガママで駄々っ子だったリリアが、成長しようとしてくれてるんだ」
「危うく一括りに決めつけようとしてたけどさ、ただ俺が知らなかっただけで、“いろんな奴”がいるんだろうなって」
(それも一体どういう──)
ミツキの呼吸が浅く速くなり、その額にじわりと冷や汗が滲む。
「わ、わたしそろそろ、もう帰るから」
ミツキは上擦った声でそう告げると、急に踵を返し、立ち去ろうとした。
その瞬間──
「!!」
まるで空間に結ばれていた“風”がほどけたように、あたりへと霧散する。
そして、風の魔法の元となる“自由の意思”は、その対極に位置する”束縛の意思“により覆い隠していたものを暴いた。
(まずい!!!)
設置されていた風の魔法により、露わになったもの──それは彼女の頭部に備わる紛れもなく“ヴェスパ”であることを意味する、一対の虫の触角だった。
「・・・みた?」
彼女は急いで制服に備わったフードを被り、両手で抑え目を伏せている。それに対してレインは驚く様子は見せなかった。
「──ま、だろうなって思ってたよ。ミツキ、試合の時とかどう見ても普通じゃないしな」
「・・・」
彼女は目を合わせず、そのままレインに背を向ける。
「・・・ごめん。もう日が暮れてるし、わたしもう帰るね」
「ああ、じゃあな。それ隠しとけよ」
彼女は目を合わさず背を向けたまま、急いで走り去って行った。
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