38.接客のやり方
「うん、床の拭き掃除もバッチリ。ルア、本当に仕事が上手ね」
ハリーと一緒にホールの床を丁寧に拭き終えると、見違えるほど綺麗になった。光が差し込むと、床がわずかに輝いて見える。その様子を見たハリーは、にこやかに微笑んでくれた。
「ルアは何でも器用にこなすのね。これは即戦力だわ」
「本当ですか? ご迷惑になってなくて、良かったです」
「もちろん本当よ。ルアが手伝ってくれて、本当に助かってるの」
まだ右も左も分からないけれど、誰かの役に立てていると思うと素直に嬉しい。このまま少しずつ仕事を覚えて、どんなことでもこなせるようになりたい。
「掃除が終わったから、次は接客の基本を教えるわね。お客さんが入ってきたら、まずは元気よく『いらっしゃいませ』って言うのよ」
「掛け声ですね、分かりました」
「そのあと、空いている席にご案内してね。その後、コップに水を入れて席に持っていく。注文はそれからね。その注文は、壁にかかっている札の中から選んでもらうの」
そう言ってハリーが指さした壁を見ると、そこにはいくつかの札が下がっていた。だが、それぞれに何か書かれてはいるものの、文字を知らないルアには内容が分からない。
「あの……その、書いてあることが読めないのですが」
「あっ、そうだったわね! じゃあ、口頭で教えるから、しっかり覚えてちょうだい」
ハリーは小さく咳払いをして、指を一本ずつ立てながら丁寧に説明してくれる。
「左から順に『野菜のポタージュ、四百セルト』『具だくさんスープ、五百五十セルト』『肉のワイン煮込み、九百セルト』『ステーキ、七百セルト』『肉野菜炒め、八百セルト』『肉のスパイス漬け、八百五十セルト』『黒パン、百セルト』よ。お客さんはこの中から好きな料理を選ぶの」
メニューは思ったより多くない。これなら、少し練習すればすぐに覚えられそうだ。
「それから、朝は『朝食プレート、八百セルト』だけに決まっているの」
「じゃあ、今のメニューは昼と夜だけなんですね」
「そういうこと。最初はちょっと混乱するかもしれないけれど、大丈夫。慣れていけば自然と身につくわ」
メニューと金額は頭に入った。あとは、忘れないようにしっかりと覚えるだけだ。
「で、メニューを聞いたら厨房にノットさんがいるから伝えてね。そして、メニューが出来たらテーブルに持っていく。その時にメニュー別の札を持っていって。それが、メニューを注文した証になって、お会計の時に出してもらうの。ここまでは大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「食べ終わって席を離れたら、次の仕事よ。お会計は私がやるから、ルアは食器の片づけとテーブル拭きをお願い」
ひと通り説明を受けて、だいたいの流れは把握できた。これなら大きな問題はなさそうだ。気をつけるべきことは、聞き取ったメニューを間違えないこと、そして配膳を丁寧に正しく行うこと。それさえ守れば、きっと大丈夫。
「そうそう。お帰りになるお客さんには『またお越しください』って一言、忘れずにかけてあげてね」
「はい、分かりました!」
「よし、それで接客の基本は一通りね」
一気にいろいろ教わったけれど、不思議と難しくは感じなかった。どの言葉も自然に頭に入ってきて、すぐにでも動けそうな気がする。
だが、ハリーの表情が急に引き締まる。
「さて、ここからが一番大事なことよ」
その言葉と共に、ピリッとした空気が流れた。真剣な眼差しに思わず背筋が伸びる。一体、何を言われるのだろう。
「接客でいちばん大切なのは――笑顔よ」
「……笑顔、ですか?」
「そう。どんなに美味しい料理でも、迎える人の表情が暗かったら、楽しい気持ちにはなれないでしょ? だからこそ、私たちが笑顔を絶やさずにいることが、とても大切なの」
言葉に力がこもっていた。料理だけじゃなく、雰囲気も含めておもてなしなのだということが、少しだけ分かった気がした。
「だから、笑顔の練習をしましょう。こんなふうに……ニコッとね」
ハリーがふわりと笑ってみせる。その笑顔はとても柔らかくて、見ているだけで心がほぐれていくようだった。たった一つの笑顔で、こんなにも気持ちが変わるなんて――思わず息を呑んだ。
「ルアの笑顔は、ちょっと遠慮がちかなって思うの。もっと、心から笑ってごらんなさい」
「心から、笑う……」
「最初はちょっとぎこちなくても大丈夫。意識しているうちに、だんだん自然にできるようになるから。さ、やってみて」
心から笑うには、嬉しい気持ちを思い出せばいいのかな。嬉しかったこと……誰かが優しくしてくれたとき、大丈夫だよって言ってくれたとき……。
ゆっくりと気持ちを整えながら、私はできる限りの笑顔を浮かべてみた。
「わっ、可愛い! それよ、それ! すっごくいいわ、ルア! その笑顔で『いらっしゃいませ』って言ってみて!」
「いらっしゃいませ!」
「くぅ~っ、完璧! その笑顔、とっても素敵よ!」
ハリーは大げさなくらいに褒めてくれた。自分ではどんな顔をしているか分からないけれど、ちゃんと笑えていたのだと分かって、胸の中がほんのり温かくなる。
でも、これが自然にできるようになるには、まだまだ練習が必要だ。この笑顔をいつでも出せるように、日々の中で少しずつ積み重ねていこう。
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